それぞれの戦い-2
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イビナ・シュタイナーがノエルとワルドに聞かせたところによると、虹の架け橋・ビフレストは確かに存在した。神々の住まう楽園クラナドへと通ずるビフレストは東部の古城にあり、不死の巨人ヘイムダルによって守られているとのことであった。ただし、ビフレストとヘイムダルへ到達するには鍵が必要となり、「独立した七つの極大な魔法力に反応する、極めて特殊な封印が施されておる。マジックマスターであれば、相当の術者でなくば資格がない。或いは強力な魔法道具、それこそ賢者の石に代表される神具であれば、これも数に入れられような」という忠告を受けていた。
ノエルはイビナに協力を頼んだものだが、彼は俗世にはもう関わらないと頑なに拒み、塔から動こうとしなかった。それについて、ノエルの勘は、彼とビフレストの何らかの接点を訴えかけた。リン・ラビオリの提示したラクシュミ救済の計画に関しては黙秘を貫き、「己の目で見て、己の意思で選択するよう小僧に伝えろ」とだけ言伝てを寄越した。
クルスは一路大陸東部の古城を目指し、アンナの下から離れて東進した。一行には、リン・ラビオリの他にワルドとゼロが加わっていた。
リン・ラビオリはアンナから借り受けた神剣の管理と、自身の目的であるビフレスト探索に執心しているが故の同行であったが、ワルドとゼロの二人は報酬で動く傭兵な為に、誰もがその行動を訝った。
ワルドは、「お前らのやろうとしていることからは、金と権力の臭いがする。それに、東部は小国の集まりで治安にゃ難がある。巨人やダークエルフ、妖精に怪獣といったいけ好かねえ連中もわんさか溢れていることだし、俺様の力はあてになるぜ。黙って連れていけ」と言って、ノエルへと強引に迫った。ゼロは自身の出自がアケナス東部であると明かした上で、ドワーフやエルフの参加するクルスの一味が、迫害されがちなハーフエルフである自分にとって居心地が良いのだと語った。
ノエルは膨れ上がる人員に不満げな素振りであったが、それをダイノンに笑い飛ばされ、挙げ句フラニルから「クルスさんには人を寄せ付ける魅力があるのでは?良いことだと思いますよ」と諭され、渋々受け入れていた。
ミスティンの国境から東へ四日程馬を進め、クルスらはシラクサという遊牧民の土着国家に寝床を求めた。路銀はアンナから過分に持たされていたので、砂っ気の少ない上等な旅亭で荷を解いた。
「砂埃には参ったわね。下着の中までびっしりだわ。落ち着いたら浴場に行きましょうか」
そう言うと、リンは鬱陶しそうに髪をかき上げ、神剣以外の武装を放り出した。女だけの部屋を取ってあるので、下着も同然の格好になり寛いだ姿勢でソファに腰掛けた。
ノエルとゼロは澄まし顔でベッドの端に掛けており、それは二人が風の精霊の加護で砂の侵入を防いでいたからに他ならなかった。それに気付いていたアムネリアではあるが、特に指摘せずリンに倣って重ね着を脱ぎ、身体についた砂を払った。
「へえ。着痩せでもなく綺麗な体よね。細いし、白くてきめの細かい美しい肌。クルスが拘るのも分かるわ」
「そなた。女だけになるや、いきなり馴れ馴れしくなったな」
「そうよ。女ですもの。顔の使い分けくらいはするわ。そうでしょう?エルフのお嬢さんたちには理解できないかもしれないけれど」
「……なんですって?」
リンの言葉に挑発の臭いを感じ取り、ノエルが反発の声を上げた。アムネリアはリンの隣に腰を下ろし、リンの調子を軽くたしなめた。
「女であることに、人間もエルフもあるまい。そういった言い回しは止すのだな」
「はいはい。本当、貴方たちは仲良しよね。クルスを取り合う競争相手なんじゃないの?」
「私には関係のない話だな。取り合いたいのは、そなたの間違いではないのか?」
「肯定よ。技能や見識、容姿、人格、コネクション。彼はとても魅力的な男性だわ。でも、私だけじゃないわよ?アンナ王女もクルスにぞっこん。エレノア・ヴァンシュテルンだって、ここまで彼に協力的だと怪しいものね」
「男を条件で選別することに異論はない。しかし、口にするのは淑女に相応しくなかろうな。黙ってアプローチすれば良い」
「あら。これは牽制よ?私がクルスを好いているという意思の表明。誰も面と向かって唾をつけていないようだし。不都合があるなら言ってね」
アムネリアは目を瞑ってただ肩を竦めた。ゼロは終始黙っていたので、ノエルだけが異義を唱えた。
「……私は、クルスのことが好き。エルフだけれど、女として彼のことを慕っているわ」
「了解よ。安心したわ。不戦勝で終わりかと思っちゃった。……正々堂々、ビフレストとは別の土俵で戦いましょう」
「ええ」
リンとノエルの張り合いを、ゼロは物珍しそうに眺めていた。長く迫害された身の上であり、彼女には男女の愛憎はよく分からなかった。ただ、エルフの血を引くことからして、ノエルへ同情的な気分に襲われるのは避けられなかった。
ゼロは種族的な偏見から身を遠ざける為、常にフードを深々と被って素性を隠し、傭兵として生計を立ててきた。800超ものスコアを積み上げ、北部地域の<リーグ>で少しは知られた存在となったが、それでも孤立は解消し得なかった。
元来傭兵は単独行動をよしとし、クルスのように常時連れ合いに恵まれた状態というのは稀と言えた。アザートのアンナの館に一味が集結した折、ゼロは自分がお役御免となることを疑わなかった。ところがクルスは平然とゼロを集まりに呼びつけ、皆に彼女の素性を紹介して見せた。ダイノンやノエルは進んでフードを外すよう促し、フラニルやアムネリアまでもが彼女を歓迎した。
(私は……この人たちが、私を仲間扱いしてくれることが嬉しかった。ただそれだけ。ビフレストやアケナスの未来には興味ないけれど、私を受け入れてくれる限りこの人たちに付いていく)
やがて剣の手入れを始めたリンへとアムネリアが訊ねた。
「マジックマスターを揃えてビフレストへの足掛かりを得たとして、不死の巨人とやら相手にどう闘うのだ?まさか、出たところ勝負というわけにもいくまい」
「その前に。フラニル君から聞いたのだけれど、<福音>のラーマを連れ去った一行の目指す先もまたビフレストですって?」
「そう言っていた」
「貴女は首班と思しき男と面識があって、だのにその情報を開示していない。連れの女戦士やマジックマスターも腕が立ちそうだと言うのだから、その姿勢は問題ね。何か言い分はあって、アムネリアさん?」
リンの指摘したことは、ノエルを含めたパーティーの総意といって過言ではなかった。フラニルから聞いた範囲の話で、クルスやダイノンが早々と口を閉ざしてしまった為、誰もアムネリアを追及出来ないでいた。
アムネリアは「ふむ」と相槌を打つなり、石化したようにその場に固まった。リンの言葉はアムネリアにとって救いでもあった。腫れ物扱いをされてここまで受動的な立ち位置を余儀無くされたが、アムネリアとて並の人物ではなく、浮上の切っ掛けを探っていた。後は思いのたけを言の葉にのせるだけであった。
「若かりし時分。クーオウルの神官修行をしていた頃に、私はルガードという男と出会った。一目見た折から彼に惹かれ、彼を愛した。彼もよくしてくれたので、私は彼についてソフィアへと移り住んだ。それが始まりであった……」
***
「アムネリアは復調したらしいな」
「そうらしい。顛末を聞きたいか?」
「結構だ。要はビフレストで昔の男とかち合った際に、戦えるのかどうかというだけの話だろう?」
ダイノンのさっぱりした答えに、酒を手にしたクルスはただ苦笑を浮かべた。二人が卓を挟んで杯を酌み交わしているのは旅亭の男性部屋で、フラニルとワルドが市中に出掛けた為にこの組が残った。
ダイノンが急ピッチで酒を干してしまうので、クルスは瓶を一本だけ懐に確保していた。
「今のところ、戦うとしたら理由は一つだ。ルガードという男、アムの話では悪魔と融合しているらしい。フラニルの見立てで理性は失われていないようだが、ウェリントンの例もある。ビフレストで何を企んでいるか分からない以上、警戒するに越したことはない」
「そうだな。……ネメシス様の件、本当にあれで良かったのだな?言った通り、もう一度お前さんが頭を下げに行ったなら、陛下も無下にはせんように思うぞ」
「……いいんだ。アムとも話した。今のカナルがベルゲルミルと急戦に及ぶのは、早計だとな」
「その一件、ワシもフラニルから聞いておる。ラファエル・ラグナロックというのは、それほどの人物か?」
クルスは自身がラファエルや彼の副官にいなされていたので、ここで啖呵を切るわけにもいかなかった。
「知勇に優れた傑物で、個の戦力としては大陸最強クラス。おまけに神具で武装しているからたちが悪い」
「レイバートン一国の将帥がいくら突出していようと、不揃いの林檎がいきなり見目麗しくなるわけでもあるまい?ベルゲルミルのいつもの癖を突けば、勝機はあるように思えるがな」
「十天君を好きにさせないだけの対抗馬を打ち立てられた前提で、銀翼騎士団と<翼将>を避けて戦う作戦になら活路を見出だせるかもしれない。……それには、少なくともおれたちもミスティンかカナル側で参戦して、最前線に出張る必要がある」
「そうだな」
「年単位で戦争に関われば、その間四柱を後回しにせざるを得ない。時間の無駄使いを回避するためにも、ビフレストの件はとっとと片付ける。ラクシを元通りにして、神剣やクラナドの力でもってミスティンの戦力を強化してやらないとな」
強がりも含まれていたのであろうが、クルスの言にダイノンは力強く頷きを見せた。四柱絡みの話では、彼もノエルを助けて賢者の石を奪回することを王命として受けており、クルスに言われるまでもなく焦りを感じていた。
(あのお嬢ちゃんに付き合って、あちこち大陸を駆けずり回ったものだ。そろそろ本腰を入れて魔境を調べる頃合いかもしれんて)
扉が軽くノックされ、クルスの応答を待って来訪者は足を踏み入れた。別室に宿泊しているミスティンの騎士三人で、エレノアが連絡役にと同行させた信頼の置ける者達であった。
三人のうち階級が最も上のハイネル大尉が代表して話を始めた。
「クルス殿。明日からの行程を打ち合わせさせてください。ここシラクサには何れ程留まりますか?」
「明日から東進再開だ。三、四日も馬を飛ばせば、セントハイム入り出来るだろう。ヴァンシュテルン将軍やアンナ王女との連絡のこともある。取り敢えずはセントハイムの首都を基地に、古城探索へ励もうと思っている」
「その古城ですが、確か巨人国の領内にあるのでしたか?」
「そうだ。セントハイムからさらに東南へ四、五日。山岳地帯の高所に建っていると言われている。堂々巨人の縄張りだな」
大陸東南部には巨人族の支配地域があり、魔境と並んで人間の禁区に指定されていた。巨人族は表立っての種族間交流を拒絶しており、獣人族程に好戦的ではなかったが、彼等の住む土地を汚されることを何より嫌った。冒険者や傭兵が侵入を試みたきり帰らぬ話は後を経たず、諸国は法でもって巨人への干渉を禁じていた。
同じように、アケナス東端に位置する妖精族の支配地域も禁区とされていた。こちらは妖精の操る魅了や極大魔法を恐れた人間側が意識して近寄らぬよう、忌むべき土地であると伝えて自らを戒めていた。
「……巨人国もそうですが、我々はセントハイム入りしてただで済むのでしょうか?我が国はオズメイと敵対しておりますし、セントハイムはオズメイと並んで対魔防衛ラインの番頭格に当たります」
「セントハイム伯国の国民性は基本おおらかだ。移民をよく受け入れて成長した国家だし、文化も混合的で宗教色が薄い。直接剣を交えていない国の騎士が旅していたとして、いきなり処断を考えたりはしないさ」
クルスの注文は一つで、騎士たちはミスティンの軍装から傭兵の身形へと着替えるよう言い渡された。レルシェという名の女性騎士が反発仕掛けたが、ハイネル大尉はこれを素早く諫めた。
「郷に入っては郷に従え。諸国漫遊においてはこの男に一日の長がある。事件になるよりマシと思って聞いてやってくれ。お嬢ちゃんよ」
ダイノンは陽気に宥め、さらに杯を傾けた。クルスが必要な資金の提供を申し出ると、ハイネルは自前で工面すると言って断った。
「日も暮れかけている。市内を回るなら、急いだ方がいい。明日の出発は遅らせられないからな。何なら、女子の旅装だけはおれが調達して差し上げるが?」
「結構です。私はミスティンの騎士であることに誇りを抱いております。この鎧を脱いで別の武装を選ぶという屈辱、生涯忘れません」
「そんなものかね。ワシは実用的ならそれでいいと思うが……」
「騎士は忠義によって成り立つのですよ、ダイノン殿。……レルシェ、君も言い過ぎだ。ここはヴァンシュテルン将軍の命と思い甘受せよ。では、早速市場を冷やかして参ります」
敬礼を残し、ハイネルらは部屋を辞した。アムネリアやノエルは騎士の帯動を露骨に嫌がったものだし、それはクルスからしても同意見であったが、何にせよミスティンとやり取りをするに伝令係は必要不可欠であった。それをエレノアから付けてくれたことにクルスは感謝を覚え、彼女の目端の利く様に驚きもした。
(<北将>の名は伊達ではないということか。情報の正確性は伝達にかけるコストと比例する。あの三人はただの堅物じゃない。馬の操り方や身のこなしから、きっちり修練を積んでいると分かる。つまり、おれたちの旅の詳細を報告させることで、何か自分に還元されるものがないか、絶えず目を光らせているということだ)
ダイノンはそんなクルスの気も知らず、赤ら顔で口から冷やかしを吐いた。
「なんだ。いまのお嬢ちゃん、お前さん好みなのではないか?ワシは人間の女の違いがよく分からんが、陛下やアムネリアと似たような系統の顔に思えたぞ」
「……よく見てるじゃないか。まあ、ふられたことだし、おれも市中を物色してくるとしようか」
「あれだけ女を連れて来ておいて、なお娼婦を抱きに行くお前さんの心境は理解出来んな」
「連れてきたのは仲間であって、愛人ではないからな。金で一夜の愛を買うのもそう悪いことじゃない。余計なしがらみはないし、商売でやっている以上、女とて客がいないよりはいた方がいいに決まっているのだから」
「どうせなら、愛しのアムとやらを誘えばいい。ノエルとて遊びでお前さんを好いとるわけではなかろう?好き好んで商売女に金を払いに行くでもあるまいに、どうしてあの二人に本気でぶつからんのだ」
「……真面目ぶるつもりはさらさらない。今は、そういうのは御免だとしか言えん」
「まあ、好きにせい。ワシは酔いが醒めたら武器の手入れをしておく。お前さんの剣にも触らせて貰うぞ」
「お好きに」
廊下に出たクルスは、いきなりアムネリアと鉢合わせになって意表をつかれた。部屋の扉はハイネルらが出て行って以来空いていたので、ダイノンと交わした会話が全て筒抜けているに違いなかった。
アムネリアは素知らぬ風で立ち話を始めた。これには室内のダイノンも思わず息を潜めて耳を傾けた。
「ルガードと闘う前に、私も決着をつけておきたいことがある。それはこの身に巣食う呪いだ。麻酔で痛みを紛らす手法では、今後も短期決戦においてしか役立てん。……ここはやはり、根本を断たねばならんと決意した」
「それは、ソフィア女王国時代の……」
「うむ。前に話したな。ルガードに付いていけなかった私を怨み、彼の弟・オルファンによって呪詛をかけられた。故にオルファンと相見える必要がある」
「そうか……。ならば一度、ソフィアに戻るのか?」
「いや、私やルガードが古城を目指しているという情報さえ流せれば、オルファンは必ずや追ってくる。兄や私の動向を何より気に掛ける男なのだ」
「よし。<リーグ>のネットワークを使うか、ハイネル大尉に馬を出してもらうかの線で検討しよう」
「よしなに」
アムネリアは目を伏せて礼を述べた。クルスの目には、彼女が何かしら吹っ切って一歩を踏み出したように映った。
酒場にでも誘ってみるかとクルスが色気を出し始めたその時、アムネリアの開いた瞳が冷徹に彼の心を射抜いた。
「話はそれだけだ。引き留めて済まなかった。娼館では、存分に楽しんできてくれ」




