6 それぞれの戦い
6 それぞれの戦い
リン・ラビオリは歓喜した。クルスがクラウ・ソラスを持ち帰ったことで、望む神剣が手近なものとなったからであった。
彼女の本懐は探究することにあった。それは脈々と継がれた血がそうさせるのか、我欲や野心に因らない次元の根源的な動機であり、リンにとってビフレストとクラナドの踏破は人生そのものと言って過言ではなかった。
神具はビフレストへ至る鍵だという仮説に基づき、彼女はその入手を自身の行動原理とした。ビフレストの位置情報は既に見当を付けていたので、後はクラウ・ソラスを合法的に手にすることが命題であった。
神具の入手は、<リーグ>で上り詰めたリンであっても困難を極めた。現存し、所在の確認されているものは、何れも借り受けるどころか目にすることさえ憚られた。
カナル帝国の国宝・賢者の石。ベルゲルミル連合王国は<翼将>のアイギスの盾に<雨弓>のフェイルノートの弓。魔境大戦で悪魔の王が用いたダーインスレイヴは所在不明であったし、同じくミスティンのクラウ・ソラスは大戦の渦中で紛失した。巨人王や妖精王も神具を有するとの伝承は残れど、そもそも彼らとは謁見すら不可能であった。
クラウ・ソラスがイオニウムにあるとわかり、リンは用意周到にミスティン入りを準備した。<リーグ>の利益に見あうよう立場をとり、計画には充分な根回しをした。結果的にカサール王子の味方をしたことに意味などなく、神剣がミスティンに戻れば一先ず良しと考えた。そうして筋書きの通りに事は運んだ。
(クルス・クライストに縁があったのは幸運だった。この地で再び巡り会えたのも偶然。このままビフレストまで一緒に行けたなら、奇縁が一生の縁となってもおかしくはないわね。彼は男として、実力や甲斐性に問題もないのだから)
旗下の傭兵たちをカサールの下へと残し、リンが一人アンナを訪ねたのは、クルスらが出立する前日のことであった。アンナはリンの来訪意図を悟った上で、警戒もせずに寝室へと招き寄せた。
アンナはベッドで半身を起こし、寝間着の上に肩から上衣を重ね掛けした格好で応対した。椅子を勧められたリンは、遠慮なしに腰を落ち着けた。
身なりを詫びたアンナに対して、リンは前置きをせずに本題を申し出た。
「アンナ様。私はクルス・クライストの<戦乙女>救済を手助けしようと思います。それにはクラウ・ソラスが必要となるのです。どうか、剣をお貸しいただけないでしょうか?」
「クルスが必要とするなら訳のないこと。しかし、クラウ・ソラスを欲するのは彼でなく、<リーグ>もしくは貴女なのではなくて?リン・ラビオリ」
「だとしても。ビフレストに到達する為には神剣が要るのですから、話は同じこと。彼から直接頼まれたいのであれば、そう取り計らいましょう」
「無用です。彼の利益になるのなら、剣の一本など惜しみません。恩を売る気もさらさらない」
「アンナ様。それは、命の借りを返されようという意思の表れで?」
「そう取ってもらって構わないわ」
アンナの瞳に浮かぶは慈しみに満ちた優しい光であり、それを視認したリンは柄にもなく意地の悪い言葉を投げ掛けた。
「クルス・クライストは多情ですよ?見てくれや振る舞いだけで言い寄る女には困らないタイプです。失礼ながら、アンナ様のように高貴な身分の御方が構われる筋の人間ではないと存じます。心酔なされるのは、彼の剣と知見に留め置くべきです」
「<花剣>。私はクルスに二度助けられた。一度は自分の意思でアグスティに残り、未熟な見立てから獣人に良いように玩ばれたところを助けられている。私の為に怒り、イオニウム公をも伐った彼を意識するなと言う方が無茶ではないの?」
「彼は、自分と同レベルにある女しか愛さないと見ました。商売女や行きずりの恋に安売りをすることこそあれど、決して尊敬を払わない。これは女の勘です。アンナ様にも、思うところはありましょう?」
それにはアンナも素直に頷いた。クルスがアムネリアやノエルに向ける眼と、自分に向けられているそれでは明らかに温度が異なると承知していたのであった。
アンナがあまりに気落ちして見えた為、リンは自分で煽っておいて本末転倒であるが、自然と慰めの言葉が口から出た。
「アンナ様は、今更剣でも魔法でも一流にはなれません。……ならば、王におなりなさい。大国ミスティンの女王が見る景色は、傭兵として第一線を張るクルス・クライストの視界と変わらぬ……いえ、それ以上の刺激に満ちた世界。アケナスの理を知り、人智を超えた苦難に向き合ってこそ、彼と肩を並べる資格を得ることが叶うでしょう」
これにはアンナも度肝を抜かれた。兄であるカサールを支持する筈の<リーグ>の幹部から塩を贈られたのだから、何も無理なからぬ話であった。だが、リンにアンナの恋路を後押ししたという認識はなかった。何故ならアンナとは違い、己が既に超人であるリンにとってクルスは対等な相手であり、アンナは競争相手としてどこから見ても不足であったのだから。
アンナはベッドから立ち上がり、弱々しい足取りで部屋の隅に置かれた神剣を手に取ると、それをリンへと放った。特に迷いもないようで、受け取ったリンは呆気にとられていた。
エレノアからの同盟の提案がカナルの新帝に断られたことで、アグスティに居座るイオニウム軍との決着は遠退いた。それを聞かされたアンナは、ミスティンの戦乱が長引くであろうことを察していた。心情としては獣人勢を王都より追い払って、クラウ・ソラスを手に王位の継承を宣言したいところであったが、エレノアと第三軍の庇護下にある現状では大それた野望と言えた。
そういった事情から、アンナはクルスのビフレスト探索の背中を押した。リンに容易くクラウ・ソラスを預けたのも、当面自身がそれを必要としない計算が働いていた。
(ヴァンシュテルンは怒るかもしれない。神剣が魔法の媒介として適当であるならば、対イオニウム戦で切り札となるやもしれないのだから。……でも、彼女もあれでクルスを買っているようだし、ここはひとつ成り行きに任せるとしよう……)
***
「ラティル・アクロス少尉。貴官を逮捕します」
ギルヌ砦の中庭にはエレノアやバイ・ラバイ、加えて一個小隊の騎士が待機していた。その輪の中心に、エレノアの小姓を務める新米騎士の姿があった。
自分を貫くエレノアの視線と、居丈高なバイ・ラバイが放つ闘気を前に、ラティルは惚けるのを止めた。
「……将軍。いつからお気付きで?」
「確証を得たのはつい最近よ。イオニウムからの暗殺の手があまりに高い精度で打たれたので、私のネットワークに乗じていると睨みました。結果、捜査線上に貴官が浮かんだのです。はじめはリン・ラビオリを疑っていたのだけれど」
「内通者よ、覚悟せよ!血反吐を吐くまで叩きのめして、何処の誰か白状させてやる」
バイ・ラバイは一対の手斧を背に格納したまま、露になっている逞しい上腕筋を誇示するように腕を鳴らした。獣人とのハーフである彼は第三軍の勇者であり、ミスティン屈指の剛の者として知られていた。
そんなバイ・ラバイの近付く中、ラティルは無表情にその場に佇んでいた。エレノアはラティルから奇妙な気配を感じ取り、バイ・ラバイへと注意を促した。
「待ちなさい。……貴方は誰なのです?調査した限りでは、アクロス家には確かに士官を志し故郷から旅立った次男が存在した。ただし、似顔絵を描かせたところ、貴方とは似ても似つかない。何れ<フォルトリウ>かオズメイの手の者でしょうが、後学の為に訊ねたい」
ラティルが天を仰ぐと、壁に囲まれた四方から青天が覗いており、燦々と輝く陽の眩しさに思わず目を細めた。
「……日の当たる仕事を、もう少し続けていたかったんだがな」
ラティルの口調が粗野なそれへと転じ、纏う雰囲気にも急激な変化が生じた。若く溌剌として見えた表情は一気に百戦錬磨の戦士然とした迫力を帯び、眼光の鋭利な様は歴戦のエレノアをすら怯ませる程に研ぎ澄まされていた。
直感で危険を悟り、バイ・ラバイは背から双斧を抜いた。それには構わず、ラティルはエレノアへと語りかけた。
「お前もリン・ラビオリも、<フォルトリウ>の誓いを単なる旧弊と見なしているよな?俺もかつてはそうだった。騎士団でやんちゃをやっていた時分は、親友から世界の理に関して聞かされてもちんぷんかんぷんだった。弱者が淘汰されることは自然だし、悪行をしでかした種族への不自然な保護姿勢には何の正義も存在しないと思った」
「顔は存じ上げないけれど、やはり<フォルトリウ>に連なる者でしたね」
「考えたことはないか?例え魔境の悪魔のルーツが人間や他の種族だったとして、ここまで暴力的で意思の疎通が困難な輩を放っておく盟約とは何なのか。どうして<フォルトリウ>の名は公にされず、一部の権力者のみに代々秘匿されてきたのか。設立の目的は何処にあるのか」
ラティルは挑戦的な目付きでエレノアの全身を眺めた。エレノアは軽装甲を着付けて小型の盾をも持参していたが、彼は腰に剣を一本差しただけの軽装で、軍服の上にも下にも装甲の類いを身に付けていなかった。
それ故、御し易しと見たバイ・ラバイが先手必勝とばかりに仕掛けた。右手側から切り込み、左右の斧を交差させる形でラティルを削りにかかった。
瞬く間に、剣が閃いた。剣には青白い光がまとわりつき、斬閃をかくも鮮やかに彩った。あろうことか、バイ・ラバイの斧は二本とも同時に柄から断ち斬られた。唖然としたバイ・ラバイへと、稲妻の如き高速の前蹴りが突き刺さった。
「ぐおッ?」
三手目、ラティルの追い撃ちの剣は目にも止まらぬ速さで繰り出されたが、不可視の盾がバイ・ラバイへの直撃を妨げた。バイ・ラバイは腹を押さえてその場に踞った。
ラティルは弾かれた己の剣を不思議そうに見やり、小さく舌打ちをした。
「この間合い、このでタイミングで防御の魔法を完璧に展開する。お前は本物だな、エレノア・ヴァンシュテルンよ」
「…圧倒的な攻撃力。今のは詐術の類いではない。貴方が一流の剣士たる証」
「詐術も、見せてやろうか?」
ラティルが両の腕を広げると、前触れもなしにその場におぞましい容貌をした巨人が出現した。ラティルの姿を覆い隠すようにして現れた巨人は、緑色の腐りかけた全身に錆びだらけの鎧を着込み、桁違いに大きな両刃の剣を構えていた。背丈はゆうに成人の五倍以上あり、ミスティンの騎士たちはその偉容をただ見上げて動けなかった。
「……なんだ、この……巨人の化物は!」
「こんなのと、戦えるのか?……ヴァンシュテルン将軍!」
「ひっ……動いた?」
巨人が僅かに剣を動かすと、騎士たちの動揺は増幅し、たちどころに恐怖が伝染した。エレノアのこめかみを汗の珠が伝った。
(不死の巨人!……いいえ、そこまで強力無比な存在を、あの少ない動作で召喚など出来るわけがない。これは奇術の筈よ)
咄嗟にエレノアの放った複数の光弾は狙いを外さず巨人の全身を直撃した。しかし手応えはなく、魔法は何れも巨人の体をすり抜けた。光弾は砦の壁面を広範囲に破壊して、中庭全体を煙に巻いた。
巨人の姿はかき消えており、煙幕に紛れてラティルは逃走を果たしていた。エレノアの魔法探知はラティルと思しき反応を砦内に数十と認め、何かしらの魔法撹乱を受けていると判断せざるを得なかった。
痛みから復調したバイ・ラバイが怒声を上げて、騎士たちにラティル追跡を促した。
「ラバイよ、諦めなさい。追ったところで、あれほどの使い手を五人や十人の騎士では止められないでしょう」
「将軍……しかし!」
「彼は……この私の前で、あれだけ大それた幻影を作り出して見せた。一瞬でも本物の召喚と疑わせられたのですから、勝負はついたというもの」
エレノアは気落ちした風でもなく、煙の晴れやらぬ辺りを静かに凝視していた。何か痕跡は残っていないか。ラティルを名乗りし男の持つ剣や魔法の技量、<フォルトリウ>に参加するだけの身分から、相手の素性を類推することに努めた。
(……あれは、羽。哭雷鳥の羽の残骸だわ)
煙に舞う一欠片の淡い羽毛は、エレノアの視線に反応でもしたかのように魔法力を喪失して空に溶けた。主に雷と幻覚の魔法を操る哭雷鳥は、アケナス東部の山岳地帯に棲息しており、巣の縄張りに近付く者を容赦なく魔法で攻撃することで知られた。
哭雷鳥の羽には魔法力の蓄積が認められ、魔法結晶と並んでマジックマスターの常備品となっていた。産地が東部に偏る為、流通や使用者も東部に集中しているとされた。
エレノアは哭雷鳥の羽に関してそこらの魔法商人以上の知識を有していた。羽の魔法力が特定の魔法と相性良く、効率的な運用が出来ることはあまり知られていなかった。
(それは幻術。幻術には、対象の意識に働きかけて脳内情報を可視化・操作する幻覚タイプと、術者のイメージを虚像として外部投影する幻視タイプの種類がある。先程の巨人は恐らく不死の巨人。多くの騎士は初めて目にするものでしょうから、幻視に属する魔法と思われる。ミスティン最強のバイ・ラバイすら凌駕する戦闘力に、不死の巨人と対したであろう経験。そして<フォルトリウ>を知る事情通で、優れた魔法・幻術の使い手。ヒントは東部に由来する哭雷鳥と、騎士団に所属していたという過去……)
エレノアは該当する人物に心当たりを認め、しかしそれを肯定すると何故自分たちが無傷で見逃されたものか説明がつかなかった。さらに言うと、彼が<フォルトリウ>の側についてイオニウム対ミスティンの図式に干渉を続けるのであれば、これ程の絶望はそうないとエレノアは思った。
東部の大国・セントハイム伯国に凶状持ちの公子がいた。騎士団歴代最強と噂される剣技と、東部の諸種族を脅かす幻術を操り好き勝手暴れていた若輩は、それでもただ一人の友には忠実であったと聞こえた。己の立場や職責を顧みず友の旅路に同行し、援助も惜しまなかった。
公子には兄や弟がいたので、セントハイムの統治は彼らに任された。その間、凶状持ちは友に付いてアケナスを回り、不死の巨人退治をはじめとする数多くの伝説を打ち立てた。今では吟遊詩人が彼らの物語を奏でるまでに、その活躍はアケナス全土へと広まっていた。
(<幻魔騎士>イーノ・ドルチェ。あの勇者サラスヴァティ・レインの盟友。ここ数年音沙汰のなかった彼が、<フォルトリウ>に共鳴する形で表舞台に帰ってきたとでも言うのか……)




