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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第三章 マジックマスター(上)
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5 獣の王

5 獣の王


 アグスティの街並みは以前と変わりなかったが、人々を取り巻く空気は目に見えて重苦しかった。露天商や道を行き交う荷馬車はなりを潜め、路上で立ち話をする者もなければ工房から鋳造の音が漏れ伝わることもなかった。


 イオニウムの軍団に占拠されて後、街の四方には獣人の見張りが立てられていた。歓楽街だけは例外とばかりに連日盛況を呈していたが、荒くれの戦士たちを相手にする酒場や劇場、娼館といった場所で働く商売人は堪ったものではなかった。


 神殿は全て接収され、詰めていた神官たちは一部の高位聖職者を除いて締め出されていた。アグスティに残った数少ない貴族と高級官吏は皆城に監禁されるか処刑されており、施政はイオニウム公の指示の下で下級官吏を通じてなされていた。


 特に女の独り歩きは危険とされ、獣人の中でも軍事を生業とする者はとみに好色として知られていた。そうでなくても人家に侵入して若い女を連れ去るので、市民の恐怖と獣人に対する憎悪の感情は止まるところを知らなかった。


 加えて、イオニウム公とアンナの婚儀を予定する旨が公布されたものだから、あまねく市民は逆上した。何人かの血気に逸った男が街中で獣人を袋叩きにしたことで、犯人捜しの名目で十倍する市民が殺害された。


 これを機に獣人による人間への私刑が合法と判断され、恐怖政治はエスカレートを見た。街からの脱走を試みる者や、獣人からの金と女の無心に抵抗した者は市中に引き出され、惨たらしい手段で公開処刑とされた。


 獣人に見初められた女はまだましで、使えぬとみなされた女は皆農場での過酷な労働に回された。男には主に力仕事関係の労役が課され、イオニウム公の指揮により下級軍人への登用も開始された。これは以降の対ミスティン戦で人間同士を戦わせようという公の計画であり、人間がこうした精神攻撃に弱いことを知った上での措置であった。


 ただの二月、統治者が代わるだけでこうも街が荒むものかと、クルスは路地裏で厳しい表情を作っていた。夜の内に、イオニウム方面から来た輸送部隊の荷台へと忍び込み、こうしてアグスティ入りを果たしていた。


 騒ぎを起こさぬようこれまで一人の獣人も斬らずに市内の偵察を行ってきたが、アンナを思うクルスの胸中には怒りの炎が渦巻いていた。クルスの作戦では、まずは市外の協力者に動いて貰い獣人の軍団を誘い出し、更に市中で騒動を起こして王宮内を手薄にさせる予定であった。


「ゼロ、どうだ?合図は出せそうか?」


「大丈夫です。ですが、この街は有り得ない程に魔法結界の強度が低い。罠ではありませんか?」


 ゼロと呼ばれた女は、フードから露出させている碧眼をクルスに向けて警告した。


「元々獣人族は魔法への理解が低いと聞いた。そもそもマジックマスターは存在するのか?普通程度の使い手しかいないなら、結界に手が回らない理由付けにはなるんだが……」


「すみません。その点知識がありません」


 そう言ってゼロは目を伏せた。こんなときにイビナ・シュタイナーやアムネリアのような博学の者がいればと、クルスは無いものをねだった。


 何にせよアンナの婚儀が執り行われるという満月まであと二日に迫っていたので、クルスは作戦の開始を決めた。対<フォルトリウ>を見据えたエレノアは未だ決戦の機ではないとして、今回の企てへの参加を見合わせた。その為クルスは己が仲間と体を張って、独自にアンナ救出に動いていた。


 ゼロが魔法で打ち上げた花火は透明色に偽装されていて、それと見て分かるのは事前に<パス>を繋げてある仲間のみ。白昼の決行としたのは、獣人の感覚が闇夜への適性に優れるため、数で劣る味方戦力が殲滅されないようにとの判断であった。合図により、まずは市外に待機する騎士や傭兵へとバトンを渡した。


「王宮に近付きますか?」


「そうしよう。姿隠しは持たせられるか?」


「はい。王宮敷地内は流石に警戒されると思うので、第二陣が動き出した段階で一旦解除してはどうかと」


「了解だ」


 ゼロの魔法で視覚的に存在を消し、二人は慎重に市内を走り抜けた。やがて市外へと向けて行軍する獣人の隊列とすれ違った。陽動が順調であるとし、二人は王宮近隣の建物の陰に潜んだ。


 時間を置いて、今度は市内で爆発音が響き渡った。それは断続的に鳴り、やがて上空へと何本もの黒煙が立ち上った。


(よし!ノエルたちも動いたな)


 クルスらの位置からは王宮の出入りが視認でき、武器を手にした獣人の戦士が挙って黒煙の辺りを目指して駆ける様子が窺えた。作戦は順調に推移していると考えられ、クルスとゼロは王宮への突入に踏み切った。


 姿隠しは解除済みのため、二人は堂々剣を携えて走り込んだ。二人を見咎めた獣人の兵士が即座に掛かって来た。


 クルスは獣人の剛槍を正面から受け止めず、上半身の動きだけでかわすと、高速で二閃、斬撃を見舞った。一人の獣人を倒す間にもう一人が戦闘に気付いて駆け寄るも、ゼロがその行く手を遮った。


「死ねい!女ッ!」


 槍が届く前に、踏み込みと同時のゼロの斬り払いが獣人の首を薙いだ。鮮血を迸らせ、信じられないといった風で目を見開いたまま、獣人は床に崩れ落ちた。


 その技に関心するも誉め言葉を口にする余裕はなく、クルスはゼロへとアンナの捜索を命じた。ゼロは慌てずに魔法探知を開始し、目当ての気配を上層階の奥に感じ取った。


「……簡単に過ぎはしませんか?これほど警備が手薄というのも、解せません」


「言っている側から増援のようだがな。切り抜ける!」


 螺旋状の階段を見上げると、咆哮を上げて駆け下りてくるの三人の獣人が目に入った。クルスは剣握り直して階段へと向かい、ゼロは迎撃のための魔法を編み始めた。



***



「そっちは駄目だ!煙に巻かれて窒息するぞ!」


「大丈夫。風の精霊が私たちを守ってくれるから。黙って付いて来て!」


「へいへい」


 爆破工作を行ったノエルとワルドは、集まりだした獣人兵から器用に逃げ隠れして時間を稼いでいた。元盗賊だけのことはあって、ノエルの目から見てもワルドの身のこなしは軽妙で隙が無かった。


(この男、体術だけならクルスにもひけをとらないんじゃ……)


 市民の犠牲が出ぬよう、予め無人の建物を狙って工作は行われていた。その甲斐があってか、煙や火から逃げ惑う人々の中から死者が出た様子はなかった。


 ノエルは黒煙に紛れたそのままに姿隠しを用いて、一気に王宮を目指す腹でいた。路地をひた走る中、いきなりワルドがノエルの肩を掴んで地面に押し倒した。


「えっ?」


 つい今の今までノエルの頭があった辺りを勢いのある矢が数本通過して、そばの石壁へと突き刺さった。ワルドが右手を閃かせると、今度は進行方向から「ぐわ!」という呻き声と共に武器を落としたであろう金属音が鳴り響いた。短剣の投擲による早業であった。


 背後の弓兵に前方の待ち伏せと、ノエルは狭い路地で挟撃の憂き目にあっていることを悟った。それを気付かせてくれたワルドは小剣を手に前方へと走り込んだ。


 ワルドの背を目掛けて放たれたであろう次の矢は、ノエルの風の魔法により著しく軌道を逸らされた。ノエルは俊敏に駆けて弓手へと肉薄し、細剣で獣人と斬り結んだ。


 ワルドも同様に獣人と剣を交えていたが、敵が獣化を終えたが為に苦戦は必定となっていた。


 ノエルは焦りが先行し、剣や足の運びが疎かになるのを自覚していた。


(こんなところでもたついているわけにはいかない!……王宮でクルスがやられてしまっては、それまでなんだから)


 ノエルは風の刃で獣化した相手の足を切り裂くと、軽やかなステップで距離をとった。そして、有無を言わさぬ不可視の衝撃波を叩き付けた。


 正面から魔法を浴びた獣人は虎の顔面を苦痛に歪ませ、ノエルの止めの突きに眉間を貫かれて絶命した。ノエルは踵を返すと、ワルドの加勢に馳せ参じた。


「おーい!助けてくれーい」


 おどけた声ではあるが、ワルドは正真正銘の本気で敵の剣撃をさばいており、即座の援護を欲していた。ノエルが風の刃で獣人を狙撃すると、すかさず隙を突いて胸元に小剣を滑らせた。


 猿面の戦士は頑健で、ノエルとワルドに手傷を負わされながらもしばらくの間粘って戦闘を続けた。明らかに形勢が不利になったと見るや、二人に背を向けるが、ノエルの魔法攻撃をまともに浴びてようやく沈んだ。


 ワルドは大きく息をつき、額の汗を袖で拭った。


「やっぱ獣人ってのは厄介だ。個体でこれだけタフネスなんだからな……」


「さあ、クルスと合流するわよ」


「へ?敵さんはちゃんと引き付けただろうが。何が悲しくて、この上本拠地まで乗り込まなきゃならねえんだ?」


「いいから行くの!どの道あなた一人じゃ、逃げおおせることなんて出来ないでしょう?」


 言った側からノエルは王宮の方角へと走り出した。ワルドは肩を竦めて見せ、一瞬迷った後に彼女の背を追い掛け始めた。


(こいつは超過勤務もいいところだ。騒ぎに紛れて隠れるなんざ、俺様からしたらそう難しいことでもないんだがな。ただ、なんと言うか……放って置けないお嬢ちゃんだぜ)



***



 ゼロの指し示した場所は、過日アンナを守ってダークエルフの暗殺者と立ち回りを演じたあの大部屋であった。高い天井から下がる豪奢なシャンデリアは魔法で点された光を絢爛と落とし、その場に佇む者たちを表面上煌びやかに彩った。影が六つ、磨きあげられた床にくっきりと映っていた。


 クルスは床に膝をつかされているアンナを見て怒気を露にし、初顔の面々を睨み付けた。アンナの顔は打撲と裂傷で腫れ上がっていた。


「遅いご到着だな。ハッハッハ。慎重に過ぎて迅速な作戦行動を怠ったのと違うか?それは臆病とも言うが。お陰でお姫様は小便を漏らさんばかりに痛め付けられてしまったぞ?」


 黒地に銀糸で刺繍のあしらわれた軍服を着込み、腰に長剣を差した長身の優男が、さも愉快そうな口振りで言った。黒髪を後ろに撫で付け、見た目紳士を装っているが、その黒瞳の奥に獰猛な炎が揺らめいていることをクルスは見抜いていた。


「ああ、勘違いしないでくださいね。私は女性に暴力など振るっていませんから。痛め付けたのはそこの獣人で、命令したのもこの御仁です」


 軍服姿の優男から距離を置いて立つ燕尾服の男がやおら弁明を始めた。肩の上で真っ直ぐに切り揃えられた髪には艶があり、閉じられた両眼の睫毛は男にしては長く綺麗に整っていた。左手が樫で作られた杖を握っており、マジックマスターの気配を色濃く漂わせていた。


 優男の他にもう一人、アンナをひざまずかせている狼面の獣人の姿が見られたが、この者がダイノンやリンと闘った暗殺者であることは、クルスとゼロの知る由もない話であった。


 クルスは闘気を余さず発散し、剣を下段に構えた。ゼロは魔法戦闘に備え、敵と思しき燕尾服のマジックマスターの動きを注視した。


 狼面の獣人がクルスへと、如何にも下卑た声で挑発を仕掛けた。


「人間のお姫様ってのはたいそう具合のいいものだな。側近の爺共が体を張ってでも守ろうとした意味が分かった。実に小気味良く哭いてくれたわ!」


「もう喋らなくていいぞ。お前たちは、ここで死ぬ」


「悔しいのだろう?折角ここまで忍び込んだのに、お生憎様だったな。もうお前たちのお姫様は傷物さ!かくなるうえは、閣下の愛妾の一人として奉仕するが最善であり、女の幸福というもの!」


 弾かれたようにしてクルスが斬り掛かると、軍服の優男が狼面の前に出でてその剣を受けた。二合三合と斬り合うが早々に決着はつかず、クルスは様子見のために一旦距離を置いた。


 その間、ゼロは一歩も動けなかった。何をしているわけでもない燕尾服の男のまとう空気が、彼女の直感に要注意を訴えかけていた。


「良い太刀筋だ。怒りをよく剣の強さに練り込んでいる。お前ではさばききれなかったろうな、ルフ?」


 言って、軍服の優男は背後の狼面に笑みを向けた。ルフと呼ばれた狼面はそこで素直に頭を下げ、両者の上下関係を垣間見せた。


「イオニウム公、宜しいのですか?あまり悠長に遊んでいると、後から鼠が増えてきますよ」


「アンフィスバエナよ、俺に指図をするな。言われなくとも、鼠の動きなどとうに把握している。ミスティンの軍事機密など、こちらにだだ漏れなのだからな」


 燕尾服と軍服の会話を聞き付けたクルスは、全身に雷が走るのを感じた。イオニウムを統べる獣人の王とベルゲルミル十天君という目の前の組み合わせの怪異さより、この場の敵戦力の向上が警戒された。


(不味いな……。今の感じでは、イオニウム公は相当の実力者だ。もう一人がマジックアカデミーのアンフィスバエナだとすると、魔法による力押しも難しい。……やはりゼロの見立てた通り、誘い込まれたか)


 軍服の優男・イオニウム公は剣を上段に掲げて瞳をぎらつかせた。


「わざわざ待ってやったのだ。失望させてくれるなよ、人間。ルフ、お前はお姫様から目を離すな」


 イオニウム公はルフにそう言い聞かせると、床を滑るようにしてクルスに接近した。二人は再び剣を撃ち合わせた。


 激しい斬り合いはゼロやアンフィスバエナの目に互角と映った。それ故ゼロは援護を試みたかったが、アンフィスバエナの視線がそれを封じた。


 クルスは力を余さず全開で挑んだ。下段からの強撃にイオニウム公がややバランスを崩すと、その機に更に前へと詰めた。クルスは肩からイオニウム公へとぶつかり、そのまま流れるような動作で横一閃の剣撃に繋げた。


 イオニウム公はなんとか剣を差し込んで斬り払いを防ぐと、脚力にものを言わせた強引な蹴りを繰り出した。クルスはステップで回避しながらにイオニウム公の真横に回り込み、そこから再び下段に斬りつけた。イオニウム公はこれにも剣を合わせ、中段・上段と立て続けに剣を撃ち合った。


 攻撃の速度は拮抗しており、技はクルスが、力はイオニウム公がそれぞれ僅かに相手を上回っていた。本来クルスにはラクシュミという奥の手があったものだが、弱り目の彼女を召喚することは憚られた。他方、イオニウム公には明らかに余裕が見られた。


(獣化を温存されたままでこれか!)


「何か必殺技はないのか?このままではお前たちは全滅だぞ」


 イオニウム公は剣を振るう間も、クルスへと言葉による重圧をかけ続けた。クルスは剣に緩急をつけ、踏み込みをずらし、撃ち込むタイミングを計らせまいと腐心するも、イオニウム公はよく対応して見せた。


 遂にゼロが動いた。クルス単独での状況打開を難しいものと判断し、イオニウム公へと向けて魔法の矢を放った。それは狙いを誤らずに命中するかと思われたが、横から飛んできた対抗魔法によって無へと還された。


 ゼロが視線を向けると、杖を掲げたアンフィスバエナが涼しい顔をして口の端を歪ませた。それは自分がいる限り魔法は使わせないという宣誓だとゼロは受け取った。


 アンナを巡る戦闘は真に膠着状態へと陥った。



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