落日-3
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リン・ラビオリは<リーグ>が支援するカサール王子の所領へ急ぐとのことで、意外にあっさりクルスと別れた。彼女のもたらしたビフレストやクラナドといった神話に繋がる話は、苦しむラクシュミをどうにか助けてやりたいクルスの心を惹き付けて止まなかった。
だが、アンナの身が獣人に押さえられており、人道的見地から彼女を見捨てるわけにはいかなかった。その為クルスは、エレノアと取引を交わした通りに条件の履行にかかった。
勘を頼りにギルヌ砦まで引き上げてきたダイノンと再会するや、クルスは半ば強引にカナルの新都バレンダウンへの御使いを頼んだ。話を理解したダイノンは怒ったように鼻息を荒くしたものだが、ノエルも必死に頼み込んだことで遂には折れて首を縦に振った。
出発前にダイノンがクルスへと忠告したのは第一・第二軍ら敗残の騎士たちの現状で、特にアンナを失ったイオスの精神状態は危ういと伝えた。ただでさえ貴重な騎士戦力をあたら無謀な突攻で玉砕させてしまうのは惜しく、その点の援助を急ぐようダイノンは聞かせた。
アムネリアやフラニルとの合流は、アグスティを失陥した今絶望的であった。保険として、アグスティ以外の都市を歩いた際に、クルスは<リーグ>の支部に言伝てを残しておいた。
ギルヌを出たクルスとノエルは、ミスティンの各市を回っては有力諸侯や落ち延びた騎士たちにギルヌと連絡をとるよう口説いて回った。これもエレノアの要請によるもので、彼女は自分が自軍以外の騎士たちの畏怖すべき対象となっていることを自覚していた。その為に、アンナ派でミスティンに縁のないクルスらを通じて懐柔を図る方が摩擦は少ないとの判断であった。
一方で、足でかき集めた情報からイオニウム公とクラウ・ソラスが共にアグスティにある可能性は高いと目され、クルスはまたも潜入の計画を練った。必要と思われる人材を新たに招聘し、会談が設けられた。
「確かに、俺は錠前破りや潜入行動に自信を持っている。だがなあ……おいそれと獣の巣に入り込んで、奴らの目鼻をあかせるかと問われれば、そいつは無謀だろう」
<リーグ>の支部に紹介されたワルド・セルッティなる人物は鼻を鳴らしてそう答えた。ワルドは落ち着いた手付きで酒を口にするも、目と耳で酒場内のあちこちへと注意を払っていた。
アグスティから北に一日半という近距離から、この町はいつイオニウム勢の侵攻に晒されるかピリピリしており、喧騒にまみれた夜の酒場とて滅多な話は出来なかった。
四十を過ぎたワルドはフリーランスの傭兵で、<リーグ>とは依頼の融通で共生関係にあった。見た目痩せぎすでのっぽの冴えない中年だが、頬や手指に刻まれた傷痕や時折瞳に覗かせる暴力の光が彼をただ者でないと感じさせた。果たしてその出自は盗賊であり、若い頃には相当の悪行に手を染めてもいた。
「<ジャックナイフ>だとかいう大層な通り名は、見かけ倒しってわけ?あなたも他の傭兵と同じね。獣人に喧嘩を売るのが恐いというだけ」
ノエルは嫌悪を露にして非難した。彼女はワルドのような得体の知れない人物を仲間に引き入れることへ抵抗があり、加えて<リーグ>の紹介する人材が押し並べて任務に気後れすることで苛立っていた。
「言うねえ、森のお嬢ちゃん。俺は獣人に恐怖なんて感じちゃいない。あんなのはただの犬っころさ。ただ、犬は鼻だけは利く。それをだまくらかすのが難しいと、こういうことさ」
ワルドは気を悪くした風でもなく飄々と答え、手元の酒をあおった。空になった杯を指でつまんでぷらぷらと揺するので、それを見たクルスは注文を追加してやった。
「それならば貴方の腕を貸して欲しい、ワルド・セルッティ。報酬は弾むつもりだ」
「クルス・クライストと言ったか。三人じゃ手が足らんぜ。一人は擬装に掛かりきりとなるだろうから、それがこのお嬢ちゃんの役目だとする。探索方はこの俺。どつきあいをあんたが一人で面倒見るってのは、獣人を相手に心許なかろう?」
「やっぱり恐いんじゃない。クルスはね、そこらへんの騎士や傭兵とは違うんだから。獣人の二人や三人、何てことないの」
「なら五人や十人ならどうだい?」
「……そんなこと、今から考えたってキリがないわよ」
「敵の拠点に潜入しようってんで、その答えはないわな。敵が十人二十人やって来てもそれなりに対応出来るだけの策を講じておかなけりゃ、無駄死にが目に見えてる。この男の腕を信用していないとか、そういう問題じゃないのさ。前衛が一人ぼっちだと、俺やお嬢ちゃんがいざという時に逃げる時間も稼げない」
理屈で返され、文句を言った筈のノエルが黙らされてしまった。ワルドの言いたいことは単純な要員の不足に関してであり、クルスはそれに対する答えを用意していた。
「<リーグ>の推薦でもう一人ここに来る。スコア800のベテランらしい。何やら曰くがありそうなことは言っていたがね」
「ま、騎士団を破った連中とドンパチやらかそうなんて任務、曰くのある奴しか乗らんだろうよ。おい、もう一杯頼んでいいか?」
「あなた、話を聞きに来てるんでしょ!いい加減にしなさいよ。べろべろになるまでお酒をたかるつもり?」
「だから話は聞いたろ。面子がきちんと揃うなら、俺は受ける。これで文句はないだろ?」
あっさりとアグスティ潜入任務を受諾して見せたワルドの反応に、ノエルは拍子抜けして口をぽかんと開けた。ここまで何人もの傭兵に袖にされてきたので、ノエルは彼にも断られるものとの先入観を持っていた。
態度こそぞんざいであるがしっかり仕事はしてくれそうだと、クルスは年長の元盗賊に期待を寄せた。そしてワルドがもう一杯空けても姿を見せない一人、本命視していた傭兵の到着を首を長くして待った。
ノエルは魔法によらぬ直感で悟り、その人物が間も無く入店することを告げた。その顔に何やら不明瞭な感情が込められているようで、クルスは不審に思った。入り口の戸が引かれ、酔客の注目を浴びぬ神妙な足取りでフードを被った人物が寄ってきた。
「遅くなりました」
「……<リーグ>の?」
「はい。ゼロと言います」
ゼロと名乗る女傭兵にクルスは自身も名乗りを返し、ノエルとワルドを紹介した。ゼロは頷くだけでそれ以上は語らなかった。
ゼロは旅装といった体のフード付きの外套を脱がず、飲み物をすすめられてもやんやりと拒絶した。そうしてクルスへと依頼の詳細を訊ねた。フードから垂れる栗色の長髪や澄んだ碧の瞳の他に、ゼロの特長はまるで掴めなかった。
(この人は……何かが違う。よく分からないけど、何かが……)
クルスがアグスティ潜入計画を説明している間、ノエルはじっとゼロのことを観察していた。ワルドはそんなノエルを面白がって眺めた。
「なあおい。話を割ってすんがな。ゼロさんよ、緑のお嬢ちゃんがあんたに興味津々みたいでね。ちょっとばかしそのフードを脱いでみちゃあくれないか?」
「馬鹿、あなたは……」
「分かりました」
ノエルのワルドに対する突っ込みを最後まで聞かず、ゼロは言われたままにフードに手をかけた。ゼロの素顔を見たクルスの感想は簡潔であった。
(確かに、曰くは付いていたか)
***
イオス・グラサールの荒れ具合は、普段の彼を知る者たちからすると人格の豹変を疑わんばかりであった。僅かな手勢と共にアグスティより南に位置するアンナの所領へ逃げ込んで以来、彼は四方に手を尽くしてミスティンの結束を企図した。全てはアグスティを奪回してアンナを助け出す目的の為であったが、事態はイオスが考えるより酷薄であった。
イオニウムの追撃を怖れたイリーナやカサールは所領にこもったきり沈黙した。第一軍のディッタースター将軍が戦死していたので、バラバラになった騎士団の内イオスの言葉に耳を貸すのは第二軍に所属した顔馴染みばかりであった。
諸侯に至っては、イオスの貴族としての格が低いことに拘り、積極的に彼を支持する流れは作られなかった。つまり、旧第二軍以外の人材が動くことはなく、イオスの独力でアンナを救出することなど夢物語という現実を突き付けられたのであった。
「だからと言って、何もしなくていいわけではないでしょう?第三軍がギルヌ砦に入っているというのなら、連携を模索するべきですよ」
会見場所は、アンナの館で一番奥まった場所にある書斎が指定された。部屋の澱んだ空気に堪りかねたフラニルが窓を開けても、こもった酒気は一向に晴れなかった。先程からフラニルがいかに鼓舞しようともイオスの意識は酩酊の世界から戻って来ず、いまだクルスやノエルの居場所も掴めていなかった。
フラニルを憂鬱にさせるのはイオスの体たらくだけでなく、同席のアムネリアが振るわないことも多大に影響していた。アムネリアは館に足を踏み入れてから何ものにも興味を示さず、イオスの様子にすら無関心を通していた。
フラニルらを案内してくれた女性騎士は、やはり駄目だったかと落胆した面持ちで主の様子を見守っていた。フラニルは暖簾に腕押しなイオスに見切りをつけ、女騎士へと質問をぶつけた。
「<リーグ>の傭兵たちとは、連絡を取り合っていますか?」
「はい。カサール殿下のお城へ使者を出したところ<リーグ>の部隊が詰めておりましたので、連絡系統は構築済みです」
「そこにクルス・クライストという傭兵がいたか、分かりますか?」
「分かりかねます。今は<花剣>が傭兵たちの指揮をとっているとのこと。ギルヌとの交信も確保されているようです」
そのやりとりからフラニルは、以降の対イオニウムの動きはギルヌの<北将>を中心として進められるものと理解した。この書斎で塞ぎ込んでいる将軍が表舞台から完全に消え去るかどうかは、あとは彼自身が奮起できるかにかかっているように思われた。
フラニルは考えた。彼は<リーグ>に所属している身であり、クルスらの居場所を求めるにせよイオニウムを警戒するにせよ、やはり<花剣>の下に身を寄せることが近道であると。
懸念材料は二つあり、イオニウムが再度の軍事行動を起こせば、王子王女の周りを彷徨いている自分たちも巻き込まれる可能性が高かろうということ。そして想像だにしたくないが、アンナやクルスが既にこの世の人ならざる者になっていた場合、フラニルとアムネリアの冒険は全て徒労に終わるのであった。
フラニルは女騎士に、自分が<リーグ>の傭兵で、アンナ王女の救出に向けて諸勢力とコンタクトをとるつもりであると伝えた。その上で、イオスがこの体たらくなため第二軍のパイプ役になって欲しいと頼み込んだ。
丁度フラニルらが館を出たところで、慌ただしく騎士の出入りが見られた。
(良くない知らせだろうな。アグスティの獣人軍団が動き出したとかだと危ないし、すぐに発とうか)
「フラニル!フラニル・フランだろう?」
緑豊かな前庭でそう声を掛けられたフラニルは、馬上の青年を識別して顔を綻ばせた。相手は<リーグ>の顔馴染みであった。
「ズワース!久し振りじゃないか。何でこんなところに?」
「カナルからミスティンへと移った矢先で戦乱だよ。今は第二王子の陣営に雇われてて、使い走りさ。君もここにいるということは、第二王女に買われた口か?」
「ああ。そんなものさ」
「……そちらの女性は?まさか、君のコレじゃないよな?こんな美女が……」
「残念ながら違う。傭兵仲間のアムネリアさんだ。アムネリアさん、彼は<リーグ>の傭兵でズワースと言います」
アムネリアは軽く頭を下げて挨拶したきり、傭兵同士の会話に口を挟まなかった。フラニルは知った仲であることを利用して、先程から館前を騒がす人の往来に関して訊ねた。
「ああ、あれは俺の持ち込んだ話に驚いた口だよ。ここだけの話だが、イオニウム公がアンナ王女との婚約を発布したらしい」
「何だって!ズワース、それはどういう経緯だい?」
「詳しいことは分からないけど、アグスティに入り込んだ密偵が市内に布告された内容を伝えて寄越したんだ。次の満月の夜に婚儀を執り行うんだとか。捕まった上に獣人の王の慰みものとは、お姫様も大変なことだよ」
ズワースは傭兵らしい他人事も同然な感想を述べたが、クルスにつられてアンナと関わりを持つに至ったフラニルからすれば、とても冷静ではいられない話であった。
「……それで、カサール王子はどう動くんだ?<リーグ>は、部隊を挙げてアンナ王女救出に回る?」
「まさか。俺達を率いる<花剣>は現実主義者だぜ?傭兵だけでアグスティに挑むような無謀な真似はしない。ましてやミスティンの後継がカサール王子に決まる流れをみすみす邪魔したりはしない筈さ」
旧友の言葉に唖然とするが、それは間違っていないとフラニルにも納得がいった。アンナが脱落すればカサール王子の王位継承の確度は高まり、彼を支持する<リーグ>の政治力も累進するというもの。
フラニルの感じている怒りは私的な感傷に過ぎず、一時でも<リーグ>を自分達に都合の良い戦力と捉えたことは恥ずべきだと分かっていた。
(……それでも。あの王女様が、侵略者である獣人に良いようにされることは納得がいかない!準備どころじゃないけれど、あの将軍の尻を叩いて蜂起するしかないのか……?)
フラニルは微かな期待を込めて相棒を振り返るが、クーオウルの女神官の目から輝きは失せたままで、そこにいたのは死んだ目をした生ける屍に違いなかった。




