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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第一章 賢者の石
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  刺客-2

***



 大森林はその名のままに鬱蒼と繁った巨大な林野で、中に足を踏み入れると全天が木々に覆い尽くされ、方向感覚や時間感覚を軒並み麻痺させられることで知られていた。一時は周辺の町村で林業こそ流行ったものの、エルフと対立するまでもなく、カナル帝国政府から自重を求める政令が発布された。それは、大森林を挟んで北にベルゲルミル連合王国の南端が接しており、この迷路のようにいり組んだ自然の要害が無ければ、両国はいつ戦端を開いてもおかしくない程に国交を悪化させていた為であった。


 クルスは緑黄色が延々と続く光景に飽き飽きしており、枝葉を掻き分ける動作は重くなる一方であった。アムネリアは彼の後ろにぴたりと付いて体力の温存を図っていたが、彼女とて変わらぬ景色の中で果たして自分達が森を踏破しているのか遭難しているのか、判断はつきかねていた。


「クルスよ、大丈夫なのであろうな?……ここでもしそなたが不安を口にしたなら、私は何をしでかすか自信が持てんぞ」


「アム。別に抱擁や接吻ならいつでも歓迎するが」


「たった今、剣の柄に指を掛けそうな心境になった」


「それは物騒な話だ。だが心配は無用だ。ノエルの持たせてくれた緑葉針は、いまだ元気に標となっている。これで迷ったなら、正直御手上げさ」


「それを言うでない!」


 剣の切っ先でつついてやろうかという邪心がアムネリアの脳裏を掠めた。


 まとわりつく空気に僅かに変化が見られ、クルスは足取りを慎重にした。アムネリアもそこは了解しており、無駄口を控えてクルスの後に続いた。


 少し開けた空間に出たと思いきや、クルスの目に大きな泉が飛び込んできた。水面は周囲の緑を余すところなく映し込み、小島には蝶やら鳥やら雑多な動物が休んでいた。


 先般までとは異なり風が感じられ、アムネリアは思わず深呼吸をして見せた。空気は澄み、草木の香りも幾分和らいだかのように錯覚され、クルスは地に座り込んで圧迫感からの解放を堪能した。


「ほう。水面が見事に透き通っている。水質は良さそうだ。クルス、飲んでみてくれ」


「いくらアムの頼みでも、それはちょっとな。責任を取ってくれると言うのなら」


「どうせ発狂した振りでもして、乳を揉ませろとでも迫るのであろう。そなた、そのようなことしか頭にないのか?」


「……おれはそこまで品がないか?」


 クルスは辺りを見回してから、手元の一葉に注意を向けた。ノエルの作った緑葉針はここへ来て活力に充ちてぴんと伸び、まるで生き返ったかのように見えた。


(安直だが、このあたりで採れた葉ということはないよな……)


「安直だが、ここで摘まれた葉だよ」


 突然の声掛けに、クルスとアムネリアは身構えた。木々の間から予告なしに現れたのは、双眸を落ち着きで湛えた男性のエルフであった。


「……心を読んだのか?」


「何百年と生きていればそのような芸当も出来ようというもの。……どうやらあの未熟者は、言い付けだけは守ったようだな。さしずめ汝らが人間社会の代表と言うわけか」


 見た目四十代になっていないものと映ったが、クルスはこのエルフと対するに先入観を持って臨むことは危険だと判断した。アムネリアはやはり動じずに真っ直ぐぶつかっていった。


「未熟者というのはノエルのことだな。一国の宝を盗ませて、徒に世を騒がせるは何故ぞ?」


「かの者から、何も聞いていないのか?」


「人間社会が内側から滅びるとだけ聞いた」


「それで分からんとは、やはり人間は浅はかよな。……まあいい。曲がりなりにも客人を庭先で歓待するのは礼を失した行為。ついて参れ。汝らには少し物を教えよう」


 言うなり、エルフは二人に背を向けて再び繁みの中へと消えていった。慌ててクルスが追いすがると、不思議なことにエルフの通り路では草木が自ずから脇に逸れ、丁重な出迎えをしているかのような事態が起こった。


 更に言えば、少しずつ斜面を上っているのだが、何故だかクルスもアムネリアも疲労を覚えることはなかった。ややして、森の中とはとても信じられぬ幻想的な景色を拝むこととなった。クルスは嘆息した。


 天高いところに空があるようなのだが、クルスは目を凝らしてそれが空とは違うことに気付いた。青や白に輝く天は凍りついた水面と似て静謐さを湛えており、それを支えるようにしてあちこちに屹立する大樹の荘厳たる様にはアムも圧倒された。


 後に二人がノエルに聞いたところでは、エルフの里は別次元に存在しており、そこは森の現実とは並行世界にあたるため、風景に意味を求めても分からないとのことであった。


 大樹の下には木製の建家が密集していた。それは木や風と共に生きるエルフの慣わしであり、大陸のエルフは木と同化した家に住み、窓という窓を開け放して風通しを良くすることを何より尊んだ。


(何十……いや、百以上は家がある。思ったより数がいるようだ)


「そうでもない。空き家が多い。いまこの森に住まう同胞は百とない」


「また心を……。どうせならアムの方を覗いて、おれに結果を教えてくれ。少しは不埒なことも考えていないのか、とか」


 アムネリアはクルスへと極寒の視線を突き刺した。


「誤解しているようだが、完全に他人の思考を写しとることなど出来ない。意識の表層に強く浮かんだ断片をすくいとっているだけだ」


「それで充分だとは思うがね」


 エルフが案内したのは、一際胴回りの太い大樹に隣接して建てられた素朴な家屋で、クルスの見た限り金属を一切使わない構造となっていた。立ち入って直ぐの居間に当たるであろう部屋で丸テーブルに着き、エルフの男はやおら自己紹介を始めた。


「私はこの里の長をやっている。ノエルをチャーチドベルンに遣わしたのも私だ」


「随分と若い長老だな。……いや、エルフの年齢は外見で判断のしようもないか」


「そう。私は四百年近くをここで過ごしている。それ故短命な人間たちよりも見えるものが少しだけ多い。人間たちが賢者の石と呼ぶ魔法結晶だが、あれは魔法力を無限に供給する非常識な代物だ」


 アムネリアはクルスの瞳に一瞬だけ灯った暗い炎を見逃さなかった。


「そんなものが、チャーチドベルンに?」


「そうだ。だが、個々の寿命に限りのある人間には、情報が正しく伝わらなかった。せいぜいが建国の象徴として、宮中祭祀に登場させられるくらいのものでな。あれを知る者であれば、何と勿体無いと二心を抱いてもおかしくはない」


「長よ。そなたはどうなのだ?カナルから取り上げて、この里に持ち帰るという野心を抱いてもおかしくはないが」


「私たちは野心などとは無縁だ。エルフが一体何年生きると思うかね?おおよそ七百年だ。人間と違って刹那を生きるわけではないのだよ。闘争や欲望など、暇潰しにもならん」


 長老は馬鹿馬鹿しいといった仕草で肩を竦めた。アムネリアなどは、何をするでもなく七百年を生きることに途方もない倦怠を想像し、背筋を寒くした。


 エルフは優秀なマジックマスターと同義であったが、それすらも天然の産物であり、彼ら彼女らは決して修練を積んでその地位にいるのではなかった。金銭や名誉にも執着がないのだから、エルフが人間社会に溶け込む下地はほとんど無いに等しいと言えた。


「それでは?」


「ああ。本題に入る。カナル帝国の支配層には悪魔が入り込んでいる。それもかなり上位の悪魔がな」


 クルスとアムネリアの表情が一気に険しくなった。


「なん、だと…!」


「目的までは分からないが、そうであると知った以上、賢者の石をチャーチドベルンに捨て置くわけにはいかない。それで未熟者を外へ出したのだ」


「……そなたはどうしてそれと知った?」


「ここはチャーチドベルンから程近い。人間ならいざ知らず、あれだけ禍々しい邪気を私に見過ごせという方が無理な話。ただでさえ強力な魔物が無尽蔵の魔法力を手にしているなどと、カナル帝国のみならず人間社会は身中に癌を抱えたようなものだ。そして、事はこの里にも及ぶ恐れがあった」


「フルカウル城で、仮面を着けた悪魔から賢者の石に関わらぬよう警告を受けた。チャーチドベルンに潜り込んだ悪魔というのは、そいつか?ゲヘナと名乗ったが」


 長老は目を瞑るなりゆっくりと首を横に振った。


「邪気はチャーチドベルンから一歩も動いていない。それに、この感覚は余程の大魔だ。お前たちも多少は腕に覚えがあるのだろうが、人間のパーティーアタックで凌げるレベルとは思えんな」


(あれとは別に、より厄介な悪魔が関係しているだと?これはどんな災難だ……)


「成る程。ノエルがここに帰ることを禁じたは、大魔の脅威を引き受けたくないからだな?そなたは同胞の命を何と考えるのだ?」


「非難される筋のものではない。まず実害があるのはお前たち人間の社会だ。それを除いてやっただけでは飽き足らず、この里を全滅の危機に晒せと?」


「……ノエル個人の犠牲はどう考える?」


「あれは私の娘だ。詳しくは話していないが、私の立場を理解した上で受諾している。未熟者とは言え余計な同情など欲すまい。お前も女だ。何れ親になれば分かる」


「……親になどならん」


 アムネリアがそれきり黙したので、クルスが話の後を継いだ。しかしエルフの長老から聞き出せた情報といえば、カナルの帝都チャーチドベルンに強大な力を有する悪魔が居座っているという事実と、そこから賢者の石を遠ざけねば人間社会に未曾有の悲劇が起こり得るという二点のみであり、事態を解決する奥の手を教授してくれるわけではなかった。


 そして、森を出たところでクルスらは悪意の追跡者と遭遇した。



***



「ハーイ、そこで止まる!君達、おとなしく賢者の石を渡すかここで死ぬか。少しだけ考える時間をあげよう……アレ?」


 語尾を上ずらせて疑問の声を上げたのは、水色の髪に濃紺の瞳を持った中性的な顔立ちの少年であった。彼が率いていたのは、重武装の騎士が五人とマジックマスター然としたローブ姿の中年男性。都合七人が丈の低い草の生い茂る草原地帯でクルスとアムネリアの進路を阻み、当然といった体で賢者の石を求めた。


「……御曹司。この者らから賢者の石の魔法力は感じられませぬ。これは残滓のみかと」


 黒のローブを羽織った三十代と思しきマジックマスターは、血色の悪そうな薄い唇を少しだけ動かして言った。それを聞いた周囲の騎士たちに軽く動揺が走った。


「そうじゃない、イグニソス。奇縁なるかな、彼女はかのアムネリア・ファラウェイ卿だよ」


「えっ?」


 イグニソスと呼ばれたマジックマスターと周囲に展開した騎士たちが声を上げた。急な話の流れに付いていかれないクルスも、敵中からアムネリアの名が出てきたことで息を潜めた。と言うよりは、ファラウェイという姓に驚きを禁じ得なかった。それであれば、クルスですら聞いたことがあった。


「こんなところで奇遇だね、ファラウェイ卿。貴女はどなたの命令で賢者の石を追い掛けているのかい?ソフィアの女王?まさか、大国王陛下だったりしないよね」


「……久しいな。ボードレール卿。私は誰からの命令も受けていない。既に全ての公職から退いた身だ」


「知ってるよ、ファラウェイ卿。訊いてみただけさ。で、石はどこだい?僕はあれを持ち帰らないといけない」


「さあな。こちらが教えて欲しいくらいだ」


「しらばっくれるのはお勧めしない、ファラウェイ卿。貴女たちがあの女エルフと接触したのは明白さ。何せエルフの里に近いという、こんなところにいるのだからね。まさか、僕らの天敵であるカナル帝国に肩入れしたりはしないよね?なら、斬るよ?」


「戦力差は把握しているつもりだ。十天君とマジックマスター、それに正騎士五人を相手に立ち回れるとは思っておらん」


 アムネリアは横目でクルスを一瞥した。


(あの小僧が、ベルゲルミル連合王国の最精鋭、大陸有数と名高い実力派・十天君の一人だというのか。……アムはおれに激発するなと言いいたいわけだな)


 ベルゲルミル十天君が一人、ファーロイ湖王国が誇る天才剣士ボードレールは、人懐こい柔和な顔に幾ばくかの迫力を漂わせてアムネリアを睨んだ。ただし剣を抜くことはなく、アムネリアが動じないと見るや傍らのマジックマスターへと問うた。


「本当に、この二人からは魔法力を検知出来ない?イグニソス」


「はい。マジックアカデミーより拝借したこの天魔鏡の反応が物語っております。賢者の石に類する魔法力こそ残しているものの、石そのものの存在が認められないレベルにまで低下しており……」


「ということだ、ファラウェイ卿。石をどこにやった?どうして関わっている?」


「知らないと言っておろうが。カナルではこの者とひたすら悪魔を狩っていた。ここに来たのも依頼の帳尻合わせに過ぎない。疑うなら、バレンダウンの<リーグ>に問い合わせてみると良い」


 アムネリアは頑として譲らず、ボードレールの追及にも怯んだ様子を見せない。クルスは敵が痺れを切らせた時に備え、人数差を補うべく<戦乙女>の召喚を念頭に置き事の推移を見守っていた。


 ボードレールはクルスをチラリと眺めやり、皮肉げに口許を歪めた。


「今度の男もやはり面構えは良いのだね、ファラウェイ卿。貴女が面食いだと証明されただけでも愉快な話だ」


「私の男ではないがな」


「そうかい?ファラウェイ卿。僕が暴発しないよう、彼が殺されないよう懸命に弁明を試みているじゃないか。その弁明が正しいかどうか、<リーグ>に照会はしてみよう。君、姓名を教えて貰える?」


「……クルス・クライストだ。バレンダウン支部に所属している」


「スコアは?クルス・クライスト」


「最新の発表では、750を超えていたはずだ」


 クルスは大人しく答えた。


「ありがとう、クルス・クライスト。ファラウェイ卿、今日のところは取り敢えず引き上げるよ。だけど、肝に命じて置くといい。次に賢者の石に係る疑惑が生じた時には、大国王の名において剣をとる。相手が貴女であっても容赦はしない。いいね?……イグニソス」


「はっ!」


「天魔鏡の走査に適したポイントまで移動するよ」


「承知しました。チャーチドベルン近辺にはそれらしき反応がありませんから、南へと動いた方が宜しいでしょう」


 ボードレールは頷くと、手勢を引き連れてその場を離れた。クルスは彼らの姿が視界から消え失せるまで一言も口をきかなかった。


「もういいぞ。クルスよ、よく我慢してくれた。ここは礼を言わせて貰う」


「熱い抱擁とかは……」


「調子に乗るでない」


「奴らは南に行くと言っていた。これからどうするにせよ、ノエルをバレンダウンに残してきた以上戻るしかない。何れ、かち合うかもな」


 言って、クルスは地面に放ってあった荷袋を担ぎ上げた。彼にとってノエルは顔馴染みとしては浅いかもしれないが、このような関わりを持った中でおいそれと見捨てるつもりなどなかった。


(美女に涙は似合うが、流させる奴は赦せん。おれの闘う理由など、所詮そんなものだ)


「……何も訊かないのだな。私はお前に何も語らないできたのだぞ?」


「話したいのかい?そうでないのなら別に構わないさ。アムが諜報員の類いだとしても、一介の傭兵に過ぎないおれには害もないしな」


「スパイではない。そなたと動けば、悪魔を狩れるものと利用していた」


「ならいい」


「……そうか」


「ちなみにボードレールというのは、あの<流水>のボードレールだろう?新進気鋭、ベルゲルミルの十天君最年少。さっき正面から斬り合っていたら、どうなったと思う?」


「死んだであろうな、二人とも。というのもイグニソスという連れのマジックマスターは、あの貧相ななりでマジックアカデミーを優秀な成績で卒業している。そなたと私でボードレールと騎士五人を止められたとして、一流のマジックマスターを自由にさせては勝ち目が薄い」


 ベルゲルミル連合王国のマジックアカデミーといえば大陸でも著名な魔法・学術機関であり、諸国からマジックマスター志望の若者の留学を広く受け入れていた。優秀な生徒を育成・輩出することと魔法研究に多大な功績があったことから、魔法を生業とする者以外にも畏怖される特別な存在であった。


 それにも増して威明を轟かすのが、ベルゲルミル連合王国に君臨する十天君であった。連合国家であるベルゲルミルには各構成国家より強者を招聘する習わしがあり、集いし精鋭こそが十天君と呼ばれた。


 クルスの知識では、<流水>のボードレールはファーロイ湖王国の王族にあたり、二十歳にも届かぬ若さながらにかの地に伝わる流型自在の柔剣を極めているとあった。そしてソフィア女王国の守護騎士の中に、ファラウェイという姓を見たこともあった。


 元よりクルスは、アムネリアの鬼神の如き剣腕には何か特殊な出自があるに違いないと考えていた。自身も過去を捨てて傭兵に身をやつしていたが為に、取り立てて彼女の身分に不審や関心を抱いたこともなかった。


(それにしても!まさかあの、ベルゲルミルの十天君が一柱だったとは……想像以上だな)


 クルスとアムネリアは身支度を調えると、ボードレール一行に妨害されて費やした時間を取り戻すかのように足を早めた。当面の目的地は帝都チャーチドベルンであり、二人が唯一面識のあるあの帝国貴族に助力を頼む腹積もりであった。



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