表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第三章 マジックマスター(上)
49/132

  落日-2

***



 ミスティン騎士団はイオニウム軍に敗れ、戦闘開始から一週間程でアグスティは獣人の軍団に占拠された。国王夫妻はダークエルフの王宮襲撃により落命し、ミスティンは王都と国主を同時に失った。アンナ王女は国権の代表代行者として王宮において捕縛され、彼女を盾にされた形のアグスティ市民はイオニウム公に従わざるを得なかった。


 ミスティン騎士団のうち戦に負けた第一軍と第二軍の残党は、未だ健在が明らかなイリーナ王女やカサール王子の所領に落ち延びた。第三軍はと言うと、北進してきたオズメイの群狼騎士団を跳ね返した後に行き先を東へ転じた。


 ミスティンのアグスティ失陥と体制の崩壊は瞬く間にアケナス各地へ広まった。ある者は獣人の蜂起に憤り、またある者はオズメイの変節に驚いた。それでも各国元首の出した声明はよくて中立、大勢としてはミスティンに批判的な内容へ傾いた。


 ミスティンの同盟国であるアウフェランドでは直ちにアグスティへ派兵することが検討されたが、その折に有力な将軍が何人も暗殺される事件が勃発し、それどころではなくなった。


 ギルヌ砦はミスティン王国の東端に位置した。東部国境の周辺を固める防衛施設ではあったが、ここしばらくはレーベンウルフと紛争状態にあるアウフェランドへ送る援助物資の積載基地と化していた。


 エレノア・ヴァンシュテルンと騎士団第三軍はこの砦に入った。<北将>壮健の報が出回ると、ミスティンの国中が歓喜の声に包まれた。あの群狼騎士団をも退けた<北将>が動き出せば、アグスティ奪還も時間の問題であると国民の誰しもが疑わなかった。


 しかし、エレノアは騎士団をギルヌに留め置いたまま、動かす素振りを見せなかった。人材や物資は国中から集まってきていたが、彼女の出す指示は偵察と補給、練兵に集中した。


「退け」


 クルスは扉の前に陣取る精悍な顔立ちをした騎士に凄んで見せた。ここへ辿り着くまでに十人に近い騎士を殴り倒していたので、この段において怒気を隠したりはしなかった。


 そんなクルスに対し、扉を守る騎士は黙って拳を握り締めて応じた。構えと目付きから、相手は相当の腕利きに違いないとクルスは踏んだ。


「バイ・ラバイ、通してよい。その者を中へ」


 扉の向こうから声が掛かり、騎士ことバイ・ラバイは主の命に従って扉を開いた。クルスは表情一つ変えずに室内へと踏み入った。


「王宮で会って以来ですね、クルス・クライスト。貴方が私を訪ねた意味は分かっているつもりです」


「<北将>。分かっているのなら、さっさとアグスティを解放しろ。獣の支配下にあるアンナを放って、いつまで黙っているつもりだ?」


 エレノアの執務室は、人二人の占有で手狭な程に質素な間取りであった。ギルヌは元々籠城用に設計されておらず、寝泊まりと補給が出来る以上の快適性は期待出来なかった。


 執務卓に着いたエレノアを見下ろすクルスの両眼には怒りの感情に加えて焦りがありありと浮かんでいた。エレノアはそれを指摘しようとして止めた。


「貴方がここにいるということは、アンナ様は自ら残られたのではなくて?占領下の市民の苦しみを思えば、王族の全員が地方へ逃れるという選択はあまりに卑怯。それくらいの気概はありそうですし、あの方の野心を鑑みれば、死んでも都落ちなど望まない。言ってみれば、己が招いた事態です」


 痛いところを突かれたクルスは口をつぐんだ。あの夜、ダークエルフの襲撃を凌いで後、アンナはクルスらの説得に耳を貸さず一人王宮に留まった。イオニウムとの向きあいがどうなるにせよ、絶えずその中心に身を置くことが自身の価値を高めるのだとアンナは言って聞かなかった。


 なまじ味方をしたものだから、クルスは自分の情がアンナに移りかけていると自覚していた。ノエルと二人こうしてギルヌを訪ねてきたのも、固有の武力としてはミスティンで最大を誇る<北将>だけがイオニウムに抗し得るという単純な判断に因った。


 エレノアは優しく微笑むと、生徒に教えて聞かせる教師の如き調子で語り始めた。


「いま私が国中の戦力を糾合してアグスティを目指したと仮定します。イオニウム軍とはいい勝負が出来るかもしれません。しかし、それだけです」


「それだけ?」


「ええ。東からはまたダークエルフの闇の刃が襲ってくるでしょう。群狼騎士団も北伐に動く。それだけならまだ可愛いもの。事と次第では……我々が勝ち続けたなら、次に参戦するのは聖タイタニアの率いる妖精軍団や巨人王国の最強部隊かもしれない。ベルゲルミル連合王国の十天君か、はたまた魔境から上位悪魔が飛んできても不思議はない。それが現実なのです」


「……なんだと。ミスティンはそんなにあちこちに恨みをかっているのか?いや……これが、リンの言っていた<フォルトリウ>の影響力なのか?」


「御存知なら話は早い。そう、イオニウムの破滅を望まぬ世界の選択がそうさせるのです。ミスティンが亡びたとて、人間種族それ自体の存亡とは無縁な話。しかしイオニウムは別です。獣人種族は今一度大敗を喫すれば、種としての命数を使い果たすも同然。後がないのですから、盟約によりイオニウムは守られる」


 クルスはエレノアの執務卓に拳を打ち付けた。エレノアは驚くでもなくそれを眺めていた。


「勝手な話だな。目的の為ならば多少の犠牲はいとわないという類いの、為政者にだけ耳障りの良いやり方だ」


「そう感じているのなら、貴方の思考は正常なのでしょうね。私が気付かされたのはつい最近のこと。気の遠くなるほど長年にわたってアケナスに不自然な調和を強制してきた盟約は、外の者が想像する以上に諸国の深部に浸透しているのよ」


「……一つ聞きたい。<フォルトリウ>とかいういけすかない連中は、あの大戦にもちょっかいを出していたのか?」


「それが魔境大戦を指すのであれば、その通りよ。……私はワーズワース王太子を見殺しにした。<フォルトリウ>は人間勢力が一丸となって悪魔の王や魔境に当たることを望まなかった。だから対魔防衛ラインの結束は乱れ、大国は表立っての出兵を渋った。それでもワーズワースやサラスヴァティ・レイン一味のような義侠心に溢れた勇者は立ち上がり、ニナ・ヴィーキナには<フォルトリウ>と関係性の薄い諸国から志ある騎士が集った。断言するけれど、諸国にもたらされたあの大きな被害は人災なのです。悪魔種族の急激な衰退を受け入れられぬ者たちの描いた絵図の通りに、事は運びました」


 エレノアはそう語ると、己の罪を悔いるかのように口を真一文字に結んだ。クルスは彼女の語った内容を何度も頭の内で反芻していた。思い出したくなかった当時を無理矢理振り返ると、エレノアの話は色々と腑に落ちなかった点に符合した。


(そういった世の歪みから生じた穴を、ヴァティは一つ一つ埋めていたんだな。……ふざけやがって。盟約とやらが招き寄せた災厄の皺寄せを、何でおれの家族ばかりが受けることになる。あの時、ニナ・ヴィーキナに集いし者たちをただの道化と嘲笑っていたというのか?絶対に、許さん!)


 クルスの内心の怒りを察知してか、エレノアは一言「申し訳ありません」と口にした。その言葉の重みを理解したクルスは、ここではじめて椅子に腰を下ろした。そして、イオニウムとの間に戦が起きた発端について訊ねた。


「きっかけは、アンナ王女殿下がオズメイを電撃訪問されたことにあります」


 エレノアの語るところによると、アンナがオズメイに対魔防衛ラインへの協力を申し出たことで、宰相ラムダ・ライヴはエレノアの<フォルトリウ>離脱の意思をを嗅ぎとった筈とのことであった。事実、エレノアはワーズワースの形見である神剣をイオニウムから取り返す算段を立てていたので、<フォルトリウ>に先手を打たれる危険性が生じた。


「私がミスティン国内の政情を<フォルトリウ>の理に則ってリードする気がないと見抜いたライヴは、恐らく盟約に名を連ねた諸国に警鐘を投げ掛けたことでしょう。イオニウム公はその一人ですから、それを聞いて謀を巡らせたに違いありません。すなわち、ミスティンがイオニウム壊滅を目的として軍事行動を起こす故、盟約に従ってこれを迎撃すべし、と」


 どちらが先に剣を突き付けたかと問われれば、エレノアは自信をもってイオニウムだと答えられた。だが事実は兎も角二国間に衝突は起こり、<フォルトリウ>はその事象から判断して黒の森の暗殺者部隊と群狼騎士団を動かした。


「イオニウムに一杯食わされたというわけか……。かといって、からくりを公にしても国内の足並みは揃わない」


 クルスの指摘にエレノアは頷きを見せた。ミスティンにおいて<フォルトリウ>と関係があったのはワーズワースとエレノアだけであり、それの公開に踏み切れば彼女の軍統率にす悪影響を及ぼす恐れがあった。


 エレノアの頭の中にあった計画は三点。<フォルトリウ>を相手に一国で挑むことは自殺に等しいので、なるべく戦力を温存したまま上手に負けること。敵の工作にかからぬよう、敢えて王族に真実を伝えず泳がせておくこと。それにおいては、王族の全滅以外の犠牲は止む無しと決断した。そして最後に、<リーグ>のような<フォルトリウ>と関わりのない戦力を活用して、スペクトル城からクラウ・ソラスを取り戻すこと。


 それらを聞かされたクルスは低い声で唸った。


「だから、王位継承権者の争いをも利用したというのか。……待て。貴女もリンも、何故神剣の入手にそこまで拘る?あれに、剣としての耐久性以上の特殊な力が秘められているとでも?」


「クルス。神具の存在を?」


「知っている。ラクシのグングニル、ラファエル・ラグナロックのアイギス。悪魔の王アスタロトからウェリントンへと渡ったダーインスレイヴもそうだな」


「そう。他にベルゲルミル十天君は<雨弓>のイシュタル・アヴェンシスが天弓フェイルノートを所有しています。まだありますが、神具に共通するのは組成と内に宿されし魔法力です。現在のアケナスでは存在の確認されない素材から造られていて、大変に強度が高く劣化しないことで知られています。それ以上に驚異な点は、神具の秘めたる魔法力が有限ならぬと見込まれていることです」


「なに……ということは、神具は賢者の石と同等の力を?」


「あれとて神具。何らおかしな話ではありません。私が<フォルトリウ>で得た知識では、賢者の石は魔法力供給に特化したマジックアイテムですから、剣や盾と比して一度に取り出せる力が桁違いということでした」


 クルスがまず頭に思い浮かべたのは、ウェリントンが賢者の石に加え魔剣ダーインスレイヴを持ち去ったことであった。どちらも無限の魔法力を内包しているとあらば、これ程危うい組み合わせは他に考えられなかった。


 そしてクラウ・ソラスにも魔法力供給装置としての側面があるとすれば、その有用性は如何様にも想像出来た。


「儀式魔法でどでかい幻獣を召喚するにせよ敵陣に隕石を降らすにせよ、魔法力はいくらあっても足りない。そういうことか」


「そういうことです。マジックマスターの数が戦力に積算されるとすれば、神具はその戦力を何倍にも飛躍させるもの。イオニウム、引いては<フォルトリウ>に抗うに神剣クラウ・ソラスの奪還は急務と言えるのです」


 クルスは納得し、<北将>が話の通じぬ奇人でないと知るや頭を下げてこれまでの非礼を詫びた。その上で共闘を提案した。クラウ・ソラスはクルスと仲間たちで取り返すので、その間にエレノアは対イオニウムの態勢構築に専念すること。クルスは互いに利得がある話だと思っていたが、エレノアはそこに条件を付加した。


「カナル帝国と同盟を結べるよう、取り計らって欲しいのです」


「カナルと……?距離があり過ぎやしないか?直線でいえば、ベルゲルミルを挟んでさえいる」


「だからです。旧カナルで<フォルトリウ>に参加していたのは、先帝とウェリントンだけです。新たにネメシス帝の立った今がチャンスと考えられます。ベルゲルミルやオズメイへの牽制には大国の助力が必須。貴方には、ミスティンと新生カナルの架け橋になっていただきたい」


 エレノアの話では、ベルゲルミル連合王国からはマジックアカデミーの重鎮・アンフィスバエナ他、実力者が幾人も<フォルトリウ>の実務に携わっているとのことであった。クルスはネメシスやフィニス、アムネリアといった大国の雄より盟約について聞かされたことはなく、実感に乏しかった。


 クルスはふと気付いた疑問を口にした。


「おれの仲間にダイノンという神官戦士がいる。やつはドワーフ王の片腕とうそぶいていたが、それほどの地位にあっても盟約に接しないことはあるのか?」


「当然あります。<フォルトリウ>の理念は言ってみれば利権の塊。盟約に従い続ける限りは、その個人にも加盟諸国から便宜が図られる。地位や名誉に固執する者からすれば、種族維持などという理想は話半分に聞いておき、盟約を自身の地盤固めに使うことも可能です。それ故、高潔な人格を有する人物や理念に賛同し得ない思想の持ち主を巻き込む手法は取れませんし、いたずらに構成員を増やすこともありません」


「ドワーフは政治的な駆け引きを望まない、か」


「そう。ドワーフ族のみが<フォルトリウ>に一人の代表をも送り出していないのです。昔日に勧誘したことはあれども、ドワーフ王からは自然の摂理に逆らうつもりはないという一辺倒の返答があるばかりであったとか」


 クルスはさもありなんと思わず笑みを溢した。ドワーフ族は実直かつ頑固で、<フォルトリウ>が何を弄したとして動かされはすまいと思われた。


 エレノアからもたらされた情報は仲間内で共有するとして、クルスが考えるべきは、カナルにいるネメシスにこの降ってわいた同盟の話をどう切り出すかであった。


(カナルの旨みがどこにあるか……。内戦からの復興途上にあるカナルが、北域の動乱に手を出して得られるものは果たして何か)


 考え込むクルスの内心をほぼ正確に捉えていたエレノアは、生真面目な仮面を取り去って柔和な笑顔を浮かべて助言した。その内容はとんでもないものであったが、世間話でもするのと変わらない調子で言葉は紡がれた。


「カナル帝国の利得は十二分にありますよ、クルス。アグスティ奪還への協力を申し出れば、カナルは労せずしてミスティンを属国に出来るかもしれないのですから」


「……何を馬鹿な。どんな夢想だ?それは」


「私のネットワークによれば、アンナ王女はイオス・グラサールに次いで貴方に信頼を寄せています。ここで貴方の働きで神剣を取り返し、貴方の主導で私と騎士団を動かしてイオニウムを撃退する。そうして貴方に身柄を救われたなら、アンナ王女は自然と貴方を伴侶に、そう……次代の王に選ぶ可能性が大いにあります。さすれば、ネメシス帝は遠く離れた地よりベルゲルミルに目を光らせているだけで、ミスティンを自由に出来る。このストーリーで説得するというのは如何です?」


 クルスはただただ絶句した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ