4 落日
4 落日
アグスティ西方に展開していたミスティン騎士団は、獣人軍団を相手に予想通り苦戦を免れなかった。種族として個々の戦闘力に差があることに加え、イオニウムの弱点とされた魔法戦闘に一分の隙も見られなかった。
騎士団第一軍・第二軍共に、日に日に疲弊の色が濃くなった。第二軍の将イオス・グラサールは、ダイノンの助力を得ながら軍容を鼓舞し抵抗を続けていたが、そこに絶望的な情報がもたらされた。
それは、オズメイ北王国の群狼騎士団がミスティンの南部国境を侵犯し、北上を続けているという報であった。魔境を囲む対魔防衛ラインの双璧として知られ、アケナス中北部で繁栄を謳歌するかの国が兵を出してきた理由に、ミスティンの重臣たちは度胆を抜かれた。
オズメイはミスティンの武威に頼んだ暴走を戒める為、イオニウムの陣営に立って参戦すると宣した。獣人への不当行為を堂々非難するその声明は直ちに拡散し、広く人々に知られることとなった。古くは対獣人戦で連帯した人間諸国が類似の状況で二手に分かれたことは、アケナスの世論に議論を巻き起こすに十分であった。
軍事大国にして北方の勇・ミスティン王国が一転、危機的状況に追い込まれたことで、諸国は確かな動乱の兆しを感じ取り戦慄を覚えた。
先見の明はエレノア・ヴァンシュテルンにあった。彼女と傘下の騎士団第三軍はアグスティ南方に布陣を完了していて、群狼騎士団がアグスティに到達したとて直ちに攻め込まれる危険性を排除することに成功した。
イオスなどは単純にエレノアの機転を喜んだものだが、彼女がディアネ神殿と繋がってミスティン内に隠然たる支配力を有していると知るダイノンは、それほど単純に受容できなかった。
一方、鐵宰相の命で行軍を指揮する群狼騎士団のブルワーズ将軍の心中は混乱していた。ラムダ・ライヴの勅命に従った形だが、ミスティン王国と戦う意味はほとんど理解できず、まして相手は人間種族共通の敵とも言える獣人の軍と交戦中であった。
おまけにイオニウム方面を哨戒させていた小隊が先ほど戻り、あろうことか獣人から攻撃を受けて犠牲も出ているという始末。これで此度の戦に乗り気になれという方が無茶であった。
ブルワーズは疲労の色濃いアストレイを速やかに本国へと返した。彼はイオニウムで様々な情報を掴んでいたが、その内容はブルワーズの意向で秘匿された。
先年に齢五十を迎え、実績も十分なブルワーズは騎士たちからよく慕われていた。魔境との小競り合いで騎士であった息子を二人亡くしており、その分配下の若手を我が子のように慈しみ鍛えていた。
生粋の軍人であったので、ブルワーズは宰相決定へ異を唱えるという選択肢をそもそも持ち得なかった。ただ、悪魔を相手に戦う際の燃え上がるような情動が今回は沈黙していた。
一千に近い騎士を動員しており、ブルワーズは扇状の陣形を組んで軍を進めた。やがて、アグスティから南へ一日という地点でエレノアの軍と対面した。
(横に長いか。あれが単純な横陣であれば、中央突破を図れば切り崩せそうに見えるが)
ブルワーズはマジックマスター部隊に魔法抵抗の徹底を指示した。数で優るとは言え、魔法戦闘で押し込まれては逆転を許す下地になると警戒した。
そうして旗を持ってこさせ、敵陣に交渉の申し込みを伝達した。双方が旗を用いて遠距離で会話し、ややして将軍同士の馬上会見が成立を見た。
共に背後に大軍を控えさせ、ブルワーズは平地にてエレノアを迎えた。彼女の容姿に心動かされるものはあったが、任務を優先して余計な感情は外に置いた。
「群狼騎士団将軍のブルワーズだ。お目通り感謝する。願わくは、多数の犠牲者を生む前に降伏を申し出られたし。こちらにはそれを受け入れる用意がある」
「ミスティン王国のエレノア・ヴァンシュテルンです。御気遣い痛み入りますが、承服は出来ません。いざ尋常に勝負を」
「そうか……。貴殿に国を守護する責務があるように、私にも下された命令がある。アグスティを陥落させるまで帰れぬ故、悪く思わんでくれ」
「どうぞ御手柔らかに」
馬首を返しかけ、手綱を握るブルワーズの手に迷いが生じた。それに気付いたエレノアは、そのまま場に留まっていた。
エレノアへと注がれるブルワーズの視線に不明瞭な熱が込められ、それが発火をしようかという寸前にエレノアの方から打診がなされた。
「何事か、私に訊ねられたいようですね」
「……貴殿の配置、予め我らが介入するのを心得ていたように思える。ついぞ今まで確執もなかった相手の動きを、どうして知り得たのだ?」
「理由を聞いたら貴方は戦い辛くなりましょう。そして凱旋した後、胸中に火種を抱える羽目になる。そのお覚悟があって?」
ブルワーズの眉間に皺が寄った。彼の危惧した通り、今回の出兵には歓迎されざる裏があるのだと確信した。
初見の敵将の言葉をこうも簡単に信じたことは不思議であったが、ブルワーズは目の前の飄々とした麗将が嘘偽りを言っていないと肌で感じていた。
「……教えて欲しい。我が国とイオニウムの間には何の密約があるのだ?」
「<フォルトリウ>。旧くから盟約はそう呼ばれています。アケナスの如何なる種族をも滅びから救うこと。それが理念。手段は暗殺から誘拐、戦争、政争、協商と問わず何でもあり。種族間の平和を維持する調整会議が発端だと言われていますが、昔のことはわかりません。重要な点を教えます。この盟約には、人間以外の種族も交えた諸国の代表が軒並み名を連ねています。国家や国民、場合によっては君主の意向に背いた人選であったとしても、必ず一定数の構成員が輩出されているのです」
「なんと……そのような組織体が?では、我が国やイオニウムにも代表が……」
「ええ。貴国ではラムダ・ライヴ。あちらはトップであるイオニウム公が構成員です。何故私がそれを知るものかと問われれば、私もまたかつて<フォルトリウ>の一員だったからです」
エレノアの告白にブルワーズは固まった。話は彼の常識を凌駕しており、その現実を承知することを遅らせた。だが真に彼を恐怖させる現実の有り様が、無情にもエレノアの口唇からもたらされた。
「そして、私がこの歪な盟約から離れた理由。それこそが、<フォルトリウ>に魔境も参加しているという残酷な事実に因るのです。そう……大国の対魔構想は全て裏で政治的に処理されている。それと知りつつ私は協力してきました。その結果、神剣と次代の王が失われた。アケナス全土の平和を人質にされたことで、ミスティンの未来を葬らざるを得なかった私。取り返しのつかぬ事態を招いて、はじめて目が覚めたのですよ」
***
クルスとノエルが足を踏み入れた時には、王宮は酷い惨状を呈していた。あちらこちらに近衛の騎士や文官・女官が倒れており、どの者も剣で一突きにやられているか、魔法で生命を奪われていた。
闇に紛れた刺客に攻め入られたことは明白で、二人は現状の把握に努めた。敵の遺体を一つ発見すると、ノエルが全身の毛という毛を逆立てるようにして、怒りを前面に出した。
「ダークエルフ!あのおぞましき種族が暗躍していると言うの?」
エルフ族は枝分かれしたダークエルフを忌み嫌っており、一般的に悪魔と並んで駆逐対象と定めていた。ノエルから発せられる嫌悪感を肌で感じつつ、クルスは慎重に辺りを見回した。
「血の臭いがまだ新しい。どこに敵が潜んでいるか分からないな」
クルスはダークエルフが魔法戦士として優れているとを知っていたので、警戒の意識を緩めることなくアンナを探した。殺気立つノエルの魔法探知は、その魔法力に触れるだけで怪我をしそうな程に鋭く張り詰めていた。
ノエルが何事か察知したようで、急に足を速めた。クルスはその背に食らいつくようにして必死に走った。階段を駆け上がり、三階奥の広間に突入したノエルを、不意の一撃が襲った。
ノエルは小剣による突きをかわし、自分も細剣を抜いて応戦した。そこは大人数を収容できるホール状の間となっており、離れた位置では座席に紛れて近衛の騎士が別のダークエルフたちと交戦していた。その背後には、状況に脅えるアンナの姿が見られた。
「ラクシ!ダークエルフの連中をやれ!」
クルスは飛び入るなり<戦乙女>を召喚した。ほぼ同時に最後の近衛騎士が胸を貫かれ、アンナは四人のダークエルフに肉薄されようとしていた。
クルスの剣がノエルと斬り合っていたダークエルフの肩を裂いた。怯んだそこにノエルの追撃が炸裂し、首を一突きされたダークエルフが膝から崩れ落ちた。
二人は直ぐ様アンナの下を目指した。ダークエルフたちは<戦乙女>の槍の投擲を前に足留めされていたので、クルスは迷うことなくアンナを背後に庇った。
「……遅いぞ!どこで道草を食っていた?」
「すみません。御叱りは後程。まずはこやつらを片付けます」
その時、クルスの眼前で、あろうことか<戦乙女>が吹き飛ばされた。そこにはダークエルフたちを護るような態勢で、首の無い騎士が槍を突き出し立ちはだかっていた。
四人のダークエルフのうち、薄手の白い装甲服を身に着けた女性が口を開いた。
「<戦乙女>など小賢しい。我が<デュラハン>にかかれば赤子も同然!そこな緑の同胞よ、死にたくなければ王女を渡して消えなさい!」
「ふざけるんじゃないわよ!ダークエルフ!」
ノエルは風を操り室内に無形の刃を現出させた。起き上がった<戦乙女>は、グングニルの槍を構えて<デュラハン>へと仕掛けた。ノエルの魔法には敵が二人がかりで対処へと当たっており、クルスは残った一人のダークエルフに戦いを挑んだ。
剣に魔法に、ダークエルフ二人を相手に善戦しているノエルに対して、<戦乙女>の旗色はすこぶる悪かった。<デュラハン>は首の無い馬ごと重量を無視して中空を舞い、高速で飛翔する<戦乙女>の強みを打ち消した。繰り出される槍は重く、グングニルで弾くも<戦乙女>は目に見えて力負けしていた。<デュラハン>に打たれる度、<戦乙女>の纏う青銀の鎧が粉雪のように飛散して、彼女の全身は少しずつ霞んでいった。
隣で剣を振るうクルスは、敵の召喚した凶悪な精霊に並々ならぬ脅威を感じ、その影響で十分な実力を発揮し得ないでいた。ダークエルフの剣速は想定以上で、クルスは経験と勘に頼って凌ぎ続けた。
「ラクシュミ!」
ノエルの上げたその声にクルスは危急を悟り、ダークエルフに突撃を仕掛けた。小剣で左足の太股を斬られたが、代わりに力任せの袈裟斬りを見舞ってダークエルフを左肩から両断した。
視線を転じると、透明になりかけた<戦乙女>が片膝を着いて<デュラハン>に対していた。クルスは腰袋に入れられた魔法石の状態を確かめるが、魔法力の残高を示す発光はまだ維持されていた。
(魔法力の欠如ではない?だとすれば……敵の召喚したあいつが、従神たるラクシの生命力を削ったとでもいうのか!)
クルスは痛む左足を引き摺るようにして<戦乙女>の下へと加勢に赴いた。相対すると、<デュラハン>の放つおどろおどろしい幽気や痛いほどのプレッシャーにあてられて、クルスですら足がすくむのを抑えられなかった。
「……下がって。あなたの剣では、精霊である<デュラハン>に傷を付けられない」
「ラクシ……!」
「まだ大丈夫」
<戦乙女>は天井付近まで飛翔すると、グングニルの槍を連弾のように投げ放った。<デュラハン>は尽く長槍で受け止めるが、続く<戦乙女>の突進への対処が一拍遅れた。
<戦乙女>の攻撃が<デュラハン>を捉え始めたところを見届け、クルスはノエルが相手しているダークエルフの一人を狙って動いた。ただ剣を投げつけただけであったが、ダークエルフの意識は逸れ、ノエルに付け入られる隙を生じさせた。
風の刃で一人がずたずたに切り刻まれると、残った一人はノエルから距離をとって大きく目を見開いた。
「エスト様!このままでは全滅です!」
エストこと白い装甲服を着た女ダークエルフは舌打ちをし、下がりながらに踊って<デュラハン>を引き上げた。肩で息をしながらもノエルの追撃を易々と防いで見せ、言葉を残すことなく広間から退いて行った。
ノエルは追い掛けんとしたが、クルスの怪我や<戦乙女>の様子が気になり追跡を断念した。魔法でクルスの足の傷口を塞ぎ、喚いているアンナを無視してひざまずく<戦乙女>に目を向けた。
「どうだ?」
「魔法力の消耗ではないわね。現世に存在する力そのもの……つまり、魂が壊れかけているような状態よ」
「魂……」
ノエルの指摘にクルスが茫然としているそこへ、階下から複数の足音を引き連れてリン・ラビオリが現れた。
「クルス!……アンナ王女も、御無事で!」
「……リン・ラビオリか。そのなり、汝がダークエルフの暗殺部隊を防いでくれていたのだな。礼を申します」
リンの全身は血で染められており、連れの傭兵たちも誰一人として無傷な者がなかった。皆鎧は砕け手足は傷にまみれ、得物も折れるか歯こぼれし、もはや継戦能力は零に等しいと言えた。
しかし、リンだけは、自分の身形は返り血を浴びただけだと無事を主張した。余裕のある足取りでクルスらの側に駆けつけると、<戦乙女>を一目見るなり次のように診断した。
「ここまで傷ついた神霊を、そのまま現世に繋ぎ止めておくのは不可能よ。手があるとすれば、魂が完全に消滅してしまう前に、拠り所となり得る器に移してしまうこと。そして、神や精霊の器となれるのは、霊格の高い古代種のみということになる」
「……汝、何を言っている?」
「私の二親はマジックマスターと学者でした。ラビオリ家といえば東部で知られた魔法の一門です。母方のシェンマ家はセントハイムの三賢に数えられます。小さい頃から、古代史や神学・魔法学などを広く深く、学ばされていましたから」
リンの告白にピントがきていないアンナであったが、場の空気からクルスのピンチは承知していたので、ノエルに主導権を渡した。
「ラクシュミの魂を移す……。神官がやるような一時的な憑依ではなく、融合させるというの?ラクシュミは<戦乙女>よ。戦神の従者とはいえ、立派な神。その力に耐えきれる肉体なんて……」
「そう。だから古代種。エルフやドワーフ、妖精なんかよりも旧き種族の体が必要となる。器は現世に汚されていては駄目。巨人族は厳密には古代種だけれど、アケナスで生きてきた以上霊格が一段落ちるわ」
「……一体何を指して霊格が高いと言っているの?アケナスにそんな種族がいて?」
「いるわ。天使と呼ばれる高位の種族が。神に仕え、神の代行者としてアケナスを見守っていると伝わる天使。そして天使の住まう世界が、天上の楽園クラナド。楽園へと至る道がビフレスト。……そのビフレストを探して、私は長いこと傭兵を生業にしてきた。どう?説得力がそこそこあるのではなくて?」
ノエルにそう答えると、リンはクルスへと向けて片目を瞑って見せた。リンの意図はさておき、クルスはビフレストに関して考慮の余地を認めた。クルスは<戦乙女>の容態を何よりも気にかけており、彼女を助ける為であればどのような手段も選べた。
依然苦しそうにしている<戦乙女>へと気遣いの言葉をかけ、クルスは静かに召喚を解除した。項垂れるクルスの隣には、ノエルがそっと寄り添った。その光景を、アンナとリンが暗い目で見つめていた。