壊れ行く世界-3
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クルス・クライストの姿はスペクトル城地下の倉庫にあった。イオニウム公やクラウ・ソラスに到達する迄にアストレイら群狼騎士団の面々が捕らえられた為に、慌ててノエルと潜んだのであった。
天井近くに換気孔があり、僅かに光が漏れてくるので倉庫スペースは完全なる闇というわけではなかった。魔法感知を警戒してノエルは明かりも灯さずにいた。樽や木箱に軍用の酒や携行食が収められていたが故に食料に不足はなく、二人は日々恐る恐るといった足取りで城内を偵察し行動範囲を広げていった。
「急に慌ただしくなったかと思えば、今度はやけに静かになったな。外で何か動きがあったか?」
「クルス、行ってみましょう。探索のチャンスかもしれない」
「よし」
二人は石造りの城内を駆けた。人影が明らかに少なく、警備の獣人は要所に一人ずつ張り付いているだけと思われた。
クルスは手近な一人と斬り結び、強烈な打撃を首筋に叩き込んで朦朧とさせると、ノエルの手を借りて物陰へと引きずった。剣を獣人の喉に突き付け、獣化に備えつつ尋問を開始した。
分かったことは、ミスティンとの戦が始まり、イオニウム公を始めとした主だった戦士は皆出陣したということ。そして、神剣クラウ・ソラスはイオニウム公が携えているという口惜しい事実であった。
瞳に落胆の色を浮かべたノエルに対し、クルスは剣を握る手に力を込めてアストレイらの所在を質した。それへの返答は予想の斜め上をいった。
「……オズメイは同盟国らしいから、陛下の命令で解き放った。あやつらの一人も殺していない」
「なに……?どうして獣人が人間の国家と同盟なんぞ結ぶ?」
「……知らぬ。我らはそんなことは聞かされていなかった。賊の首など、即座に落とす気でいた」
潮時かと、クルスは相手の鳩尾に拳を叩き込んで気絶させた。
「クルス……ミスティンとイオニウムが戦争になるの?」
「そうらしい」
「私たちのせいかしら?アンナ王女の頼みで神剣を狙って忍び込んだから……」
不安気に訊ねるノエルへと、クルスは軽く首を振って答えた。
「いや、そうとも言えない。おれたちは今も捕まっていないのだから、アストレイたちが白状しなければ存在しないに等しい。本気で捜索された節はないし、何より奴はそこまで無慈悲な男でもない気がする」
「そう……よね。でもこれからどうする?獣人の軍隊と戦ったら、幾らミスティンが大国でも油断は出来ないんじゃ……」
「それどころか、一国の武力ではむしろ危ない。こいつが言っていたオズメイの件も気にかかる。すぐにアグスティへ戻ろう」
クルスとノエルは来た道を辿って帰路についた。何事もなく地下水路を抜け、擬装した出入口を通過してイオニウムの近圏から立ち去った。
馬の調達が出来なかったので徒歩行軍となり、途中の小村に一端腰を落ち着けて改めて買い付けの交渉を行った。クルスは相場以上の値を提示し、決して良質とは言えないまでもアグスティまでは持ちそうな馬を手に入れた。
アグスティへの直線上にある中堅規模の街を通り掛かると、戦争の様子が漏れ伝わってきた。既にアグスティ西方で獣人の軍団とミスティン騎士団が激突したとのことであった。
小休止をとっていた二人は帰還経路の再設定を迫られた。
「このまま南東に進めば、あと二日でアグスティだ。だがアグスティの西で大規模な戦闘が行われているとすれば、そちらに近付くのは得策じゃない。敵味方の区別無く巻き込まれると最悪だからな」
宿場で割り当てられた部屋は一室しかなく、クルスとノエルは狭いベッドに横座りになって相談していた。互いの吐息が肌をくすぐる程に近く、ノエルは顔が火照るのを必死に抑えていた。
「そうなると、アグスティの北側から東回りに迂回するわけね。でも時間のロスが気になるわ……」
「ミスティンは一千を超える騎士を擁する軍事大国だ。早々の敗着はあるまい。多少のロスは覚悟の上で、まずは王宮を目指すとしよう」
「了解。……残ったダイノンは大丈夫かしら」
「律儀な御仁だからな……。イオス・グラサールの第二軍が出ているのなら、帯同していておかしくはない。おれたちはアンナの依頼で動いているわけで、納得のいく理由にはなる」
「マイルズの神官は常に強敵との戦いを望むとも言うわよね」
「信教上の特性というより、それはドワーフの習性というべきなんだろうな」
クルスはダイノンの意気をよく理解していた。ベルゲルミル入りしているアムネリアやフラニルとの合流は当面難しかろうが、そちらは心配の対象として捉えていなかった。
(アムは大丈夫だ。戦と聞き付ければ慎重に動くだろう。問題は、何ら収穫のないままにアンナが亡国の憂き目に遇ってしまった場合の、おれたちの身の振り方か)
<福音>のラーマに話をつけ、カナル国内における四柱の封印を正常化させる目的は今や遠退いていた。アムネリアらが朗報を持ち帰る可能性は捨てきれなかったが、どちらにせよアンナの助力が不要となる目算は高かった。
傭兵の常識に照らせば、雇い主に支払い能力がなくなった時点で契約は自動的に白紙になると考えられた。クルスの理性はダイノンの安否以外でミスティンに拘る必然はないと訴えており、それであればアグスティ行きは控えるのが定石と言えた。
「今後、アンナ王女とどう向き合うべきかな……」
態度を決めかねたクルスは、珍しく迷いを露にした。話を向けられたノエルは自信あり気に答えてみせた。
「もちろん、助けてあげるんでしょう?自分を頼りにする女性を見捨てるなんて、クルスらしくないわ」
「……だがな。獣人相手に無茶をすれば痛い目を見るかもしれない。カナルや四柱と何ら関係のないところで犠牲を払うというのも、馬鹿らしい話じゃないか?」
「そんなの、私が何とかしてあげるわ。クルスは堂々としたいようにすればいい。アムネリアだって分かってくれるでしょうし」
ノエルの瞳を見るに嘘偽りや躊躇いは感じられず、クルスは頼もしい相棒に向けて頷きを返した。元より、クルスはサラスヴァティやラクシュミといった女性に護られて今の自分があると自覚しているので、関わった女性の不幸を見過ごせる性分ではなかった。
(戦況次第になるが、アグスティに着いたらまずアンナ王女を探す。事態が悪化の一途を辿るなら、アンナ王女を逃がすことを第一に考えるとしよう。そうと決まれば話は早い。<リーグ>にも筋を通して、アシストを頼むべきだな。いざとなれば、<花剣>に借りを作ってもいい)
決断して後のクルスにはいつもの大胆さが戻り、ノエルは至近からその表情の変化を慈しんで見守っていた。
そして夜は更けた。
***
暗殺者たちの刃は夜の闇によく馴染んだ。銀閃は視界に映らず、空気を裂く僅かな音のみを伴って傭兵の喉笛を容赦なく裂いた。
「ぐ……!がっ?」
また一人、手練れの傭兵が路上に崩れ落ちた。流石にリン・ラビオリだけは闇からの攻撃をも防ぎ、剣を返して襲撃者を撃退していた。
「足を止めては駄目よ!ダークエルフの剣を、力で押し返して!」
見えない風の刃がリンへと打ちかかるが、マジックマスターたちに張らせておいた魔法抵抗の結界に阻まれて霧散した。リンは魔法を繰り出してきたダークエルフへ接近すると、流れるような剣の一撃で即座に斬り伏せた。
ダークエルフを一人倒す間に、傭兵が三人四人と犠牲になっていった。リンが奮戦しようと敵の勢いは止められず、<リーグ>の一党は郊外からアグスティ市内まで押された挙げ句、街中であわや全滅かという気配すら漂わせていた。
「リン、これじゃ無理だ!レオナルドまで殺られた!奴ら、マジックマスター狙いに切り替えてきたぞ……」
<リーグ>アグスティ支部の副支部長が焦燥を隠さずに注進してきた。高い敏捷性と夜目を誇るダークエルフに魔法まで使われては凌げるわけもなく、リンは作戦の変更を余儀なくされた。
黒の森の戦力に、ミスティン騎士団の後方を撹乱されるのではないかというリンの懸念は当たったが、それを防げなかったことで彼女の思惑は崩れた。
(これでは何のために<リーグ>の傭兵を配置したのか……。<フォルトリウ>を相手に一国で抗うのというのは、つまりこういうことなのね)
剣を振るいながらにリンの命じた応手は、基本マジックマスターを護りながら王宮まで退くこと。王宮であれば強い魔法抵抗や常夜灯の存在が、ダークエルフへの対抗手段に成り得ると考えられた。その分要人の暗殺される危険性も増そうというものだが、市街で賊を見失い好き勝手王宮を目指されるよりは余程ましだと、リンは腹を決めた。
傭兵たちは数を減らしながらもバラバラに散って、それぞれが王宮へと急いだ。襲撃した側のダークエルフたちはアグスティの市内で一か所に集い、長たるエストの指示を仰いだ。
闇に淡く浮き上がる金髪と碧眼は神霊に接したかのような神々しさを思わせ、しなやかで張りのある肢体や凛とした振る舞いもまたエストのカリスマ性を増幅して見せた。一族の中でも比較的若い部類に入る彼女が長の役目を負っているのは、実力や血統への使命感もさることながら、他者の羨望を集めて止まない造形美の極致がその根本にあった。
エストは、黒の森で隠れて生活するダークエルフたちの崇拝を一身に集めていた。
(被害が少ないとは言え、こちらにも犠牲は出た。奴らを追って王宮に乗り込めば、正面からの斬り合いとなり具合は良くないだろう。王族の首級を一つでも挙げられればと思ったが……潮時か)
エストが撤収を申し渡そうとした矢先、横合いから不穏な空気と共に甘い誘いが舞い込んできた。
「アグスティ王宮の結界、私が解いてやってもいい」
ダークエルフたちが声の聞こえた方向を向くと、建物の陰から白い甲冑を着込んだ偉丈夫が姿を現した。ダークエルフの誰一人にすら気配を感じさせずに接近したことで、その人物の技量の程度が知れた。
エストはその者の顔に見覚えがあり、暗殺用の小剣を握る手に力を込めた。
「<白虎>か……。どの面を下げて私の前に現れた?盟約を忘れ、暗黒の世紀を復活させんと企む貴様は、もはや迷いなしに我らが敵!ここで引導を渡してくれよう!」
エストの怒声に反応し、ダークエルフたちは闖入者・ウェリントンを取り囲むように動いた。ウェリントンは剣を構えることもなく、悠然とした態度でエストに向き合っていた。
(元カナル帝国白騎士団のトップにして、カナル最強の騎士ウェリントン。騎士団長が<フォルトリウ>の考えに賛同していたから、カナルは代々魔境討伐に乗り出して来なかった。大戦の折も形ばかりの義勇軍を派遣しただけ。……それが国を出奔し、あまつさえ<フォルトリウ>との連絡を絶って不穏な動きをとり始めた。よりによって、あの四柱を復活させようというのだからたちが悪い)
「エストよ。私はお前たちを裏切った<北将>とは違う。袂こそ分かったが、敵対する意向なぞ微塵もない。それが証拠に、ミスティン崩しに手も貸してやる」
「ほざくな!四柱の封印など誰が解かせるものか。貴様に借りを作るくらいなら、相討ちを覚悟して突攻でもかけるというもの!出でよ!」
エストは両の腕と腰を回し、官能的に舞って見せた。間を置かず、彼女の前方に首の無い巨馬に跨がるこれまた首の無い重甲冑の騎士が降臨した。不吉な容貌の騎士は、荘厳且つ禍禍しいプレッシャーを周囲に発散した。
これにはウェリントンも顔色を変えた。
「……死を宣告するもの<デュラハン>か。幻獣・神獣にも匹敵する実力を持つ最強精霊の一角を、よくもやる!」
<デュラハン>は予告無しに馬上から長槍を突き出した。ウェリントンは迷わずダーインスレイヴを抜き放ち、水平に走らせて槍を撃ち返した。
二者は激しい攻防を繰り広げたが、途中ウェリントンが防戦に追い込まれたことで周囲のダークエルフたちも始動した。
ウェリントンは小さく口上を唱えたきり背後に飛び退き、「王宮への道筋は勝手に切り開いておく。利用するもしないも、好きに選ぶがいい」と言い残してその場を離れた。
エストは<デュラハン>の使役を中止し、再び舞い踊って召喚魔法の解除を行った。舞い終えたエストは、全身からただならぬ疲労感を漂わせていた。最高位に認められる精霊は、今しがたの短時間の召喚において、莫大な魔法力を誇るエルフ族にすら消耗を強いたのであった。
ダークエルフたちは、そんなエストの様子を心配そうに見守っていた。
(奴は一体何のために姿を現したのだ?最後の言葉が嘘でないとして、私を助けて奴に何の得があるというのだ……)
懸念は解消されることがなかったが、エストは同胞の一部を王宮へと偵察に出した。どんな御膳立てがなされたとして、彼女にとっての第一目標はミスティンの重要人物を殺害することに他ならず、その芽を自ら摘むような真似はしなかった。
夜のアグスティを、またもダークエルフの影が疾駆した。大国ミスティンの中枢は、今まさに命数を失おうとしていた。




