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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第三章 マジックマスター(上)
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3 壊れ行く世界

3 壊れ行く世界


 姿見の表面は丁寧に磨かれており、ラーマのウェーブのかかった黒髪の艶を余すところなく反射して見せた。映る肌は雪のように白く繊細で、茶色がかった黒瞳の潤んだ様をも清らかに再現した。


 身支度をする間に見慣れた顔と接し、ラーマは自身の生命力が未だに衰えぬ事実を喜んだ。


(先の降臨で、私の魂は傷付き朽ち果てるとばかり思っていた。神はまだ、私に使命をお与えになるのですね)


 来客があると知っていたので、ラーマは朝から粗食と清拭を済ませ、こうして髪をとかして聖衣に着替えていた。透明かと疑うほどに薄く細い絹で織られた聖衣は魔法で浄められし聖水によって洗われていて、ラーマはその下に肌着はおろか下着も着けていなかった。


 聖女と称えられしラーマは整った容姿もさることながら、聖衣を纏うことで現れる体のラインが女神の如く艶やかで官能的と噂されていた。男好きのする凹凸と丸みを有した体型は、ラーマの起こす奇跡が彼女に処女性を要求するが為、その肉体に男を近付けることは叶わなかった。


 ベルゲルミル連合王国のその神殿にラーマを訪ねし者もまた、彼女と接するや大なり小なり内なる衝動に抗わねばならなかった。


「まるで私が来ることを分かっていらしたかのようなご歓待ですな」


「はい。昨日の内から存じ上げておりました。何となく……胸騒ぎがしたのです。ですから、こうして初摘みの茶葉を準備することが出来ました」


 ラーマは急須を手に自ら客へと茶を振る舞った。長い睫毛が動くたびに震え、向かいに腰掛ける客の目線を釘付けにした。


「ほう……ならば何故御隠れあそばさなかった?表に置いてきた私の仲間など、貴女から見れば不浄の塊でしょうに」


「あなたは……確かに邪気ふんぷんなれど、当代の勇者と見ました。しっかり応対すべきと思っています」


「それは有り難き話。早速で申し訳無いが、ビフレストへの扉の鍵が何処にあるか、ご存知であれば高説を賜りたい」


「天へと至る道、虹の架け橋ビフレストのことですか?あなたは神にでもなりたいと?」


「そうとって貰って差し支えない。この大国ベルゲルミル然り、今のアケナスには真なる支配者が不在だ。誰かが強力なリーダーシップを発揮して、無知蒙昧なる民を導かねばならぬと考える」


「……為政者の力不足は分かります」


「ヘイムダルという門番を討ち果たせば、ビフレストを渡る資格が得られるというところまでは突き止めた。しかし、ヘイムダルの居場所が皆目分からない。古文書の類からは、扉の鍵を探せという思わせ振りな一節までが飛び出す始末。追えば追うほどに幻惑される、迷宮のような伝説だ。故に、私は羅針盤を求めてここに来た。アケナスでも神性が高く聡明な貴女なら、そのことに気付いていよう」


「何故私にビフレストの伝承が分かるとお思いですか?私は二十年足らずしか生きていない弱輩の身。アケナスの理を隅々まで知るには、到底時間が不足しています」


「年数ではない。貴女の神性はこうして面と向かったことで理解できた。似非の占星術師などとは纏うオーラが圧倒的に異なる。ディアネ神をも降臨させるという<福音>の二つ名は、伊達ではなかったわけだ」


「……ディアネ神との同調から、私には通常知り得ない知識が流れ込んでくることはあります。ビフレストに関しても、あながち無ではありません」


 ラーマは目を伏せるようにして客の視線を切った。客は茶の入ったカップを手に取り、香りを楽しみながら喉を潤した。それは話を続けろという無言のプレッシャーに他ならなかった。


「神々の住まう楽園に通ずるというビフレスト。守護するヘイムダルは古の巨人とされています。そしてヘイムダルへと至る鍵は七つ。アケナスを守護する七つの鍵と、ビフレストを守護する巨人ヘイムダル。私は、鍵とは強力なマジックマスター、ないしは魔法力を秘めたマジックアイテムを指すと認識しています」


「ほう。では七人の強力なマジックマスターを伴えと?或いは強力な魔法力を秘める、神具の如きマジックアイテムを手にすればよいのだな。それで、どこを目指せばよいのだ?」


 場の主導権はいつの間にか客へと移っており、言葉遣いもまたそれに倣って変化していた。


「他に知り得ることはないのですが、推測は出来ましょう。ヘイムダルは巨人なのですから」


「巨人の王国……東に行けば何か分かる、か。結構。では私の要求は一つだ。マジックマスターとしてアケナスで有数の才を誇る貴女に、同行をお願いしたい」


 客は真っ直ぐにラーマの瞳を見詰めた。その目には力があった。暗く澱んだ沼の奥底にほんの僅かな太陽の欠片が潜み息づいているかのような、何とも言えぬ不思議な感覚にラーマは囚われた。


 ラーマはベルゲルミルの十天君へと抜擢され、連合王国の剣となり盾とならねばならぬ身であった。また、神をも降臨させるという奇跡の力を有することから、ディアネ神殿の大司祭という高位にも就いていた。そんな彼女が、突然訪れた無頼の客、それも紛うことなき闇の眷属に説かれて心動かされようとは夢にも思わない事態と言えた。


(これも天の啓示……なのかしら。ディアネ神はビフレストにこそ触れられなかったけれど、アケナスの行く末を案じておられた。常々大地をそこに住まう者たちに託すとも仰有っていた。そのタイミングでこのお客人が現れた。私にまだ何かのお役目が残っているのなら、この方と無縁ではないのかもしれない)


「……分かりました。行きましょう。もう一件来客がありますので、その間中でお待ちいただけますか?」


「仲間を待たせているのでな。それに神殿というのは空気が悪い。徒に心を騒がせたくないので、外で待つ。着替えもあるだろう」


 客は自分の動作に合わせて席を立ったラーマの全身を一瞥し、早足で退室した。汚してはならぬラーマの神性や美貌には背徳をそそられ、これから彼女の力を借りることになる客には目の毒以外のなにものでもなかった。


 神殿の外では悶着があった。客の仲間二人、<鬼人(オーガ)>のように厳つい外見をした大柄な女性と、対照的に痩せぎすの陰気な中年男性が旅の者らと諍いを起こしていたのだ。


「ベルディナ!騒ぎを起こすなと言っておいた筈だ。……エドメンド、貴様がいながらなんたる様だ?」


「あっ……お頭」


 ベルディナと呼ばれた女戦士は振り上げていた両手大剣を下ろして神妙にした。傍らのエドメンドは血気盛んな連れに辟易した様子で、鼻息も荒く主に報告した。


「ルガード様。この女の脳味噌は筋肉で出来ているようで。世に五万といるにも関わらず、自分より器量良しな女とすれ違う度喧嘩をふっかけます。私の手には負えません」


「何であたしがお前みたいな蛇面に監督されなきゃならないんだい?あたしを従えるのは、お頭みたいな強い男だけさね」


「そのルガード様の言い付けを守らん類人猿はどこのどいつだ?」


「あんた、お頭が来たからっていい気になるんじゃないよ。その気になりゃあ、あんたみたいなひ弱な男の首なんて一瞬でへし折ってやれるんだ」


 ベルディナは筋肉で逞しい二の腕を見せつけるようにして迫力のある笑みを浮かべた。しかしエドメンドは怯むことなく、蛇面と揶揄された細い目を鋭く光らせて上目遣いに応えた。


「……やれるものならやってみろ。私の使い魔が先にお前の喉笛を切り裂く光景が見られるぞ」


「そこまでだ。これ以上私の手を煩わせるのなら、貴様らの首をまとめてはねる。黙って矛を収めよ」


 お頭・ルガードと呼ばれた客は背負う長剣の柄に手をかけた。何を隠そうそれは咎人の剣と銘打たれた魔剣であり、ベルディナとエドメンドの威勢は一瞬にして沈静化した。


 ルガードが顔を向ける前に、ベルディナがちょっかいを出していた旅人の一人が声を上げた。エドメンドなどは、その声音からひどく切迫したものを感じとった。


「ルガード……!」


「ほう、懐かしい顔だな。久しくしていた。壮健か?アムネリアよ」


 撫で付けられた漆黒の髪や切れ長の鋭い目。黒衣に透けて見える引き締まった長身体躯に凛とした風格。旅人・アムネリアの目の前に立つ青年はまさしく、彼女の知るかつての恋人・ルガードその人に違いなかった。


 アムネリアとルガードがソフィア女王国で別れたのは三年以上も前に遡った。二人して、政治に真摯に取り組まないと見られた女王ウィルヘルミナへ闘争を仕掛け、敗れた。その後ルガードは絶望のあまり悪魔を呼び寄せた。理想は果てなき憎悪へと転じ、そこになまじ実力と叡智が伴ったことで、ルガードは悪魔の力を取り込んで制圧して見せた。


 アムネリアはソフィアを去らんとしたルガードについていけなかった。悪魔を受け入れることは、慈悲で己が身を生かしてくれたウィルヘルミナやクーオウル神への信仰を裏切るものと思え、俗世の縁を断つには至らなかった。


 ソフィアを離れて以降もその存在を忘れることは片時もなく、動静を気にし続けていた相手が目の前に現れたことで、アムネリアの心は千々に乱れた。


 かつて見たことのないアムネリアの動揺に接し、同伴のフラニルはただ呆然と二人のやりとりを見守るしかできなかった。ルガードの口調や態度に特段の変化はなく、アムネリアを気にする風でもなしにベルディナらを振り返った。


「<福音>は我らと共に行くを承諾した。しばし準備に時間を要する故、ここで待つ」


「へえ……さすがお頭。聖女様と言っても女だねえ。ねえ、エドメンド。あんたと違ってお頭のカリスマは世の女を惹き付けて止まないのさ」


 ベルディナの挑発には乗らず、エドメンドはラーマの真意をルガードに問おうとした。しかしそれはアムネリアによって阻まれた。


「ルガード!あれからどこで何をしていた?オルファンや皆がどれほど貴方の安否を気遣ったか……。ウィルヘルミナ様とて、あんなことがあっても貴方の無事を祈念されていたのだぞ!」


「私が無事かどうか、そして会えてどう思ったのか。お前の目にはどう映っているのだ?オルファンにせよ誰にせよ、立派な成人が他人の生死に執着するなどみっともない所業。外野の意見ではなく、お前の忌憚ない言葉を聞かせてくれ」


「私は無論……貴方に会えて、嬉しい」


「ならばそれだけが真実で良いではないか。お前も共に来るか?アムネリアよ」


 ルガードは左手を差し出してアムネリアに恭順を促した。アムネリアはじっとその手を見詰めてから、ルガードの背後に控える二人の伴を眺めやった。


(……凶状持ちとしか思えぬ。おそらくは蛮族の狂戦士と、魔道に堕ちたマジックマスター。ソフィアの長史をも務めた身で、どうしてここまで……)


 アムネリアの警戒心を余さず見抜き、ルガードは早々に手を引っ込めた。アムネリアの耳にベルディナの嘲笑が届いた。


「その気は無いようだな。ならばどこへなりとも行け。私は自ら望んだ道を突き進むこと以外念頭に置いておらん。……馴染みもある。邪魔さえしなければ、お前を斬るいわれはない」


「<福音>をどこに連れて行こうというのだ?彼女はベルゲルミルの十天君が一人。誘拐騒ぎなど起こせば、例え今の貴方にどんな力が具わっているにせよ、刺客の刃がその胸に突き立てられる」


「ふむ。元十天君の有り難い御言葉だが、傾聴には値しないな。私の力はお前が想像しているレベルを遥かに凌駕している。このベルディナやエドメンド、他に私に力を貸す勇者たちは皆十天君と同等以上の手練れ。ベルゲルミルの刺客など怖れるに足りん」


「ルガード……悪魔の力を得て、ラーマ殿をも虜にして一体何を成そうと言うのだ?それが真にアケナス全土の安寧を願うものであれば、迷うことなく私も手を貸そう」


 アムネリアの言葉に本気を感じたフラニルが目を見開いた。それでも彼は動けず、その一因にルガードの後ろを固めるベルディナとエドメンドのまとう不穏な気配が挙げられた。


(奴等……僕が妙な動きを見せれば、すぐにも掛かってきそうな殺気を放っている。上等だけれど、アムネリアさんに闘う気概がないのなら、軽々しく喧嘩は買えない)


 ルガードは隠すでもなく己の目的を語った。


「私は神と呼ばれし存在が居座る楽園へと赴きたいのだ。そして、神々と同等の力を手に入れる」


「何を……。それで神として君臨し、アケナスに平和でももたらそうというのか?」


「何を言っている?私は単純に、力による永続の支配を目論んでいるだけだ。アムネリアよ、為政者や民衆の裏切りを通じてお前は何を学んだのだ?愚者を説き導いてやるのが知恵者の義務と信じ、理想や正義を掲げた私たちはどんな結末を迎えた?政治など所詮くだらない数の論理に過ぎなかったではないか」


「待て、ルガード。その結論は早急だ。まだ一度失敗しただけで……」


「一度で十分なのだよ。私はもう敗北を甘受しない。倫理観の欠如した愚物や自己を律することを知らぬ愚民に接して目が覚めた。かつて旧き神々が辿ったという道を私も辿る。ビフレストを渡り、天上を目指すのだ。<福音>には案内人、果ては鍵となって貰う」


 そう言うと、ルガードは話は終わりとばかりにアムネリアに背を向けた。エドメンドは頷き、ベルディナはアムネリアを邪険にするように手を振った。


 説得に失敗した形のアムネリアであったが、直ちに短慮を起こすことはなかった。自分がベルゲルミルに舞い戻り、この地の神殿を探し当てた意義を忘れてはいなかったからだ。そしてそれ以上に、アムネリアは自分の力ではルガードを止められないのだと、心のどこかで納得してもいた。


 かつて全霊でもって愛した男がウェリントンと似た方向へ狂ってしまったことに、アムネリアは憂慮を募らせた。


(片や四柱の封印を解いてアケナスに破壊をもたらそうと企図し、片や神にならんとしてビフレストを目指す。どちらも悪魔の洗礼を受けていて、これでは人間と悪魔のハイブリッドによってアケナスが踏みにじられてしまう。クルスよ、この事態をどう収めれば良いというのだ……)



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