ミスティンの<北将>-3
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クルスはアンナに呼ばれるがまま王宮に顔を出した。サロンで騎士団第二軍の将軍というイオス・グラサールを紹介され、そのままアンナに手を引かれる形で会議室へと連行された。
ミスティンの王宮で最も格式の高いその会議室には、既に十近い出席者が揃っていた。入ってきたアンナ一行は一斉に視線を浴び、わけもわからず連れ込まれたクルスはただ呆然とするばかりであった。
「……何の会議だ?」
「いいから。汝は黙って私の隣に座っておればよい」
アンナが席についてしまったので、クルスは不承不承その右隣に腰掛けた。イオスがアンナを挟んでクルスと逆隣に座ると、丸テーブルの向こう側に座した初老の男が厳かに会議の開催を告げた。
「諸氏諸卿におかれてはよくお集まりいただいた。此度はヴァンシュテルン将軍の提起により、王位継承権者とその推薦人二名ずつの出席を願い、その意が果たされたことを嬉しく思う。今日のこの場にて王太子の立脚に関して語り合い、取り決めを成し、決して後世に血塗られた玉座を継がぬよう処置したいと思う」
男に続いて、同じく年嵩の婦人が発言した。
「オランド公と私は共に王位継承権を放棄した身の上故、此度の会の議事進行を行わせていただきます。王位継承権者各位には予め御了承をいただきたいのだけれど、私達二名は公正・中立を約し、誰の支援も致しません」
年長者二名の宣言に、第二王子のカサール、第一王女イリーナ、第二王女アンナの三者は険しい顔付きを見せた。クルスは誰が誰やら分からないままに列席者の顔色を窺っていたが、やがて視線は一人の女性に釘付けとなった。桃色の長髪を背に流したその女は、軽装ながらに甲冑を身にまとい、宝石のように光る紺碧の瞳は真っ直ぐにクルスを見返してきた。
(<花剣>?リン・ラビオリが、こんなところに……!)
クルスは思わず立ち上がり掛けたが、何とか自制して姿勢を正した。
そんなクルスの胸中などいざ知らず、議事進行役の王弟・オランド公爵と王妹・リスキール侯爵は話を進めた。各王位継承権者に覚悟を問い、歩み寄りが求められぬ際には王太子となるに条件を付与しようと言うものであった。
「条件を設定するにあたり、ヴァンシュテルン将軍の意向を参考とさせていただいた。それであれば諸氏諸卿にも異存はなかろう?」
「ちょっと待った。ヴァンシュテルン将軍は下位とはいえ王位継承権を有しておられる。それを自ずから放棄されるというのか?」
「カサールよ、急くものではありませんよ。まずは継承権二位のイリーナに伺います。貴女は王太子たるに不屈の覚悟がおありか?私やオランド公のように、国王陛下を補佐し奉る生き方もあるかと思われますが」
「このミスティンを導くに、私心を捨てる覚悟はとうに出来ています。王位継承権者の内、軍務はともかく政務への実績は叔父上や叔母上に次ぐものという自負もあり、亡き兄に代わるは私であると確信して止みません。国を富ますには経験と知識が物を言います。何れ殿方を迎え入れても、王位は直系たる私が継いで参りましょう」
「よくわかりました。カサール、貴方は如何です?」
「兄上亡きいまミスティンの長兄は私だ。十七で国務省高等参事官に就任して以来、世事にかまけず国事に邁進してもきた。そして軍事大国の舵をとるには、男の力強さと決断力が不可欠だ。イリーナ姉とはいえそこだけは断じて譲れん!王太子の座は私が貰い受ける。オズメイやベルゲルミルに好き勝手をさせないだけの強兵策を直ちに講じて見せよう」
イリーナとカサールは共に気性のベクトルが生真面目・高潔に傾いていた。二十六と二十四という具合に歳も近く、若い頃から政府の要職に就いていることもあって競争意識は並外れて高かった。
母系の血が濃く現れて二人の髪は赤茶けており、瞳はやや朱の差した碧眼を為していた。それは魔境大戦に倒れた兄や末妹アンナの光輝く金髪や透明に潤う碧眼とは似ても似つかなかった。
リスキール侯に代わり今度はオランド公がアンナへ質すと、彼女も兄や姉と同様に栄達への野望を隠さなかった。その発言は、陰でオズメイと交渉し地力をつけようといった暗闘の終わりを意味した。
「私が王太子を拝受します。イリーナ姉様もカサール兄様も頭は固いし人望が薄いわ。柔軟な思考が閃きを生み出し、民の崇拝が団結を促す。私でなくば、ミスティンは近い将来バラバラに崩壊してしまうでしょう」
三者は激しく睨み合った。視線の交錯に巻き込まれた形のクルスはうんざりして顔を背け、そこではじめてエレノアと目が合った。エレノアはこの時点でクルスを意識しておらず、王子王女の意見が出揃ったことに満足げな笑みを浮かべていた。
オランド公に促されるまでもなく、黙っていたエレノアが口を開いた。これには場に居合わせたクルス以外の全ての人間が息を止めて傾聴した。
「私も立候補させて貰います。この場には、王位継承権者とその推薦人に集まっていただきました。その面子で陣容の知れようものですが、どの顔をとっても相変わらず、私の予測を超えていません。イリーナ様は仲良しの第一軍。フフ。そこなディッタースター将軍、私と戦り合えて?カサール様はまたぞろ<リーグ>の幹部を伴われて。傭兵風情に夢幻と忠義を求めますか?アンナ様は公私混同甚だしくも第二軍。グラサール将軍よ、卿には恥も外聞もないと見えますね。……この体たらくでは私の課す条件に敵う筈もありません。そう、各々方は大国ミスティンを背負うにあまりに未熟と見ました」
痛烈な批判はしかし、どこからも反意を迎えなかった。ミスティンに生きる者は皆エレノアと第三軍の実力を知っていたからだ。
王太子と直属の騎士団が悪魔の王に叩きのめされた当時、ミスティンは未曾有の危機に見舞われていた。国家の戦力と戦意の低下は目を覆わんばかりで、悪魔や近隣諸国が騒がしくなっただけでなく、遂にイオニウムまでもが侵略へと行動を始めた。
かつてアケナスで人間種族と戦った獣人たちの強さは知れており、諸国が魔境に掛かり切りとなっていたことからミスティンの蹂躙される姿は容易に想像出来た。しかしながら、そこは若き<北将>が評判通りの活躍を見せた。
王太子は自身に何かあったときの為にエレノアと一軍を国内に残した。期待に応え、エレノアは国境を脅かした隣国や悪魔を速やかに追い払うと、アグスティ西部の山岳地帯においてイオニウムの先遣隊を伐って国中の動揺を鎮めたのであった。
エレノアの舌鋒を前に騎士団の将軍たちすら俯き加減となるは無理もない話で、カサールの連れ立った<リーグ>幹部の内、リンだけが未だ正面きってエレノアの視線に立ち向かえていた。
(エレノア・ヴァンシュテルン。正直なところ、彼女が何れ程王権に興味を持っているか分からない。動静がほとんど伝わってこないからだけれど、爵位や待遇面での不満は聞かない。本気で王族たちを敵に回すというのかしら?それと、彼……)
奇しくもリンとエレノアの注視する先がクルスに一致を見た。エレノアの得ていた情報では、オズメイに向かうアンナを護衛する傭兵の一隊があり、悪魔の襲撃を退けるだけの力を有しているとされていた。
クルスを眺めるエレノアの瞳が妖しい色彩を帯びた。
「アンナ様。差し支えなければ御隣の御仁を紹介願えませんか?見たところ、騎士団に属する騎士ではないようですが」
「……ええ。私の方針に賛同してくれた傭兵です。これで上位悪魔を狩る技前と、エルフ王やドワーフ王との交誼を保持しているのですよ。ヴァンシュテルン将軍のお眼鏡に叶うかは分かりませんが」
その台詞で魂胆が読め、クルスは不敬と知りつつアンナの脇腹を肘でつついた。その行為には予想通り激しく睨み付けられたが、場の空気は明らかにざわついて見えた。
「貴公、名を尋ねても宜しいですか?」
「それには及びません。彼はクルス・クライスト。<リーグ>バレンダウン支部が自慢の傭兵で、かのカナル新帝の信頼厚い勇者です。ねえ、クルス?」
すかさずリンが口を挟み、女三者の思惑は錯綜した。
「リン・ラビオリ。<リーグ>はカサール様を支持しているのではなくて?」
「少なくとも、アグスティ支部と私はそうです。ですが<リーグ>の基本理念は国家からの自主独立にあります故、構成員が独自の判断を採ることもありましょう。アンナ殿下がどのような経緯でクルスを囲い込んだかまでは存じませんが」
「彼は私と共にクラウ・ソラスをスペクトル城から奪還してくれましょう。リン・ラビオリよ、私は兄様とは違う。<リーグ>の傀儡にはならないし、神剣の所有権は手放さない」
「左様ですか。しかしカサール殿下が王太子になられれば何も問題はございませんね。私共が求める報酬は、クラウ・ソラスただそれのみなのですから」
「ちょうどよかった。話は早い」
そう述べたエレノアの麗顔に柔らかい笑みが広がった。アンナやリンはそれを凶事と悟った。
「私がミスティンの王太子たるに求めた条件こそ、まさに神剣クラウ・ソラスを手中に収めんことなのですよ。少なくともカサール様とアンナ様の陣営はあれを目的としているようですし、些か難度が高いかと躊躇も致しましたが無用の心配でしたね」
***
アンナは約束を守ってディアネの大神殿に話をつけた。クルスはアムネリアとノエルの二人を伴って登殿し、大神官たるホッジスとの会見に臨んだ。
白亜の神殿においては応接間とて例外なく白壁・白床が徹底されていて、調度も白か銀に塗られたものばかりが集められていた。クルスはそれを気持の悪いものと感じたが、口に出すことは憚られた。ホッジスの白髪混じりの黒髪と顎髭ですら、真っ白なその空間にあると異質なものとして浮かび上がった。
申し訳程度に隅に飾られた小鉢の観葉植物が無ければ、ノエルは癇癪を起こしたに違いないとクルスは考えた。そんなノエルはホッジスの話に退屈してか、黙り込んで動かずに透き通るような白い肌を背景と同化させていた。
「……それで、<福音>のラーマ殿を紹介していただけるのか、いただけないのか?」
アムネリアは苛立ちを声に出さぬよう抑えながらも、目付きに漂わせる剣呑な雰囲気までは隠しきれなかった。
(アムもそろそろ限界だな……)
「それはだな……私が親の立場で書状をしたためたとして、それが政治を持ち込んだと見なされるといたく都合が悪い。ミスティンとベルゲルミルの関係性は中立以外の何ものでもなく、神殿同士の結び付きは大陸ネットワークが整備されているものだから強固だ。必然、神官の身として伺いを立てる方が摩擦の生じる可能性は低かろうと思う。しかし、そうなると手続き上の問題が新たに浮上する。そもそも国家を隔てた神殿と神殿の関係性というのは、ここ十数年の両国の政教施策から鑑みるに……」
アムネリアの眉が痙攣するかのように小刻みに動いた。クルスはホッジスの持って回った言い回しが彼独特のセンスなのか芸術的な嫌がらせか、判定する意欲そのものを失っていた。
ベルゲルミル連合王国でディアネ神殿の高位にあるラーマ・フライマに会いたいが為、クルスらは彼女の父たるホッジスへの目通りを望み、今日それが叶ったことは好事であった。だがホッジス大神官の威勢は兎も角、語る内容は要領を得ず、クルスやアムネリアがどういう角度から切り込んでも曖昧模糊で冗長な答えが返ってきた。
黙示録の四騎士が封印された遺跡で遭遇した奇妙な術者の残したヒントは、「四柱の封印を調べたくば<福音>の娘にでも当たるがいい」というもの。クルスはそれを頼りにすることと決めたが、<福音>のラーマはベルゲルミル十天君の一人であり、おいそれと接触出来る身の上ではなかった。
それでわざわざラーマの父たるホッジスを訪ねてきたものの、収穫は芳しくなかった。
「あなたは、ディアネ神の施した四柱の封印に関して何か知っているのか?」
クルスは駆け引きなしに直球を放った。ホッジスの目に初めて真剣な火が灯った。
「何故それを?前時代史は表に出されていない。神学を深く修めねば、四柱にすら行き着かぬと思うが……」
「カナルを襲った悪魔が四柱の封印を解くと宣言してね。何のことやら調べ上げて、こうしてあなたの下に辿り着いたと言うわけだ」
「悪魔が……」
「知りたいことは二つだ。四柱の封印された正確な場所と、封印の効力を強める方法。悪魔がやろうとしていることの逆の手を打たなければ、取り返しのつかない事態を招く恐れがある」
「ううむ……それが本当だとして。残念だが、四柱の封印に関して伝わるのはおおまかな位置と御伽噺のような経緯だけなのだ。その悪魔とやらがカナルに現れたということは、ともすると魔境により詳しい知識や情報が集積されているのかもしれん。アケナス西部のカナル、東部は黒の森、南端の凍結湖、一切が不明な万魔殿。この四ヵ所に四柱が封じられているという以上の伝承はない」
「<福音>のラーマであれば、カナルのどこに封じられているのか絞れると思うか?」
「ベルゲルミル連合王国のディアネ神殿だけが特別な情報を秘匿しているという事実はない。卑しくも私は大神官の地位にある。信仰上私の預かり知らぬ秘義を娘が抱えているとは考えにくい。ただ……」
ホッジスの眉をひそめたその表情が、クルスには何事か困っているもののように思われた。アムネリアは間を空けずに二の句を迫った。
「大神官殿。ただ、何です?」
「あれの……ラーマの力は本物だ。私や他の神官たちとは異なる。ベルゲルミル広しとはいえ、連合王国内に二桁にも上る神殿を建立出来たのは、あれが持つ神性や徳の高さが成せる業だ。治癒や退魔の魔法を修めただけのマジックマスターとは、娘の力はそもそも次元が違う。或いは、神の代行者たるあれの奇跡をもってすれば、四柱の封じられし地点を見出せるのかもしれん。私には想像もつかないことだが……」
「……ラーマ殿の実力は承知しているつもりです。しかし、事がカナルの領土に属する話故に、正面からお訪ねすることは憚られます。重ねて申しますが、ラーマ殿にわたりをつけていただきたい」
アムネリアの黒瞳がホッジスの瞳を正面から射すくめた。彼女はソフィアのディアネ神殿で遊説途上のラーマと接したことがあり、<福音>と畏れ敬われる聖女のまとう神性を体感済みであった。
(ラーマ殿であれば、神の施した封印を感知できる可能性は十分にある。問題はあの方の所在だ。それが分かれば忍び込む手も打てようが、ディアネ神殿は連合王国内の諸国にまたがって点在している。闇雲に突っ込んでも見つかる保証はない)
ホッジスが変わらず即答を避けていたので、クルスは別の話題を振ってみた。
「大神官殿は、どの王位継承権者と懇意にされているのだ?おれたちに貴方を紹介してくれたアンナ王女か?」
「……そのような繊細な問いにおいそれとは答えられん。ここミスティンでは神殿勢力は政から距離を置いておる。私はイリーナ様やカサール様とも親交があるのだ。アンナ様の遣わしたそなたらにだけ便宜を図ることは出来んぞ」
「別におれたちはアンナ王女のシンパではないけどな。<北将>はどうなんだ?王太子の地位を狙うと堂々表明したが」
「聞いている。ヴァンシュテルン将軍の身分や実績は申し分ない。……だが、王子王女の方々を差し置いて至尊の座を得ようと声を上げるは、臣下の道に外れた行為と言わざるを得ない。諸手を挙げて同意は出来ん」
「そうかい。獣人管理区からクラウ・ソラスを取り返す算段があるような口振りだったし、他の王位継承権者の顔色を見れば彼女の優位は揺らがないように思えるがね。貴方は<北将>になびかないというのだな?」
「何度も言わせるな。神殿勢力は誰にも与しない。私はただ、ディアネ神とミスティンの安寧を願うのみだ」
ホッジスは自らの発言が政治的に利用されることのないよう言葉を選んでいた。やがて根負けしたクルスらは諦め顔で神殿から退散した。残されたホッジスは室内に未だ風の精霊が漂っていることを察知した。
ホッジスは窓を開け、指で軽く印をきって魔法解除を発動した。ノエルの置き土産たる精霊は外へと追いやられ、それを見計らってか隣室に待機していた別口の客が顔を覗かせた。
「帰ったようですね」
「はい、ヴァンシュテルン閣下。盗聴用のトラップまで残して、食えない傭兵たちでした」
「風の精霊……いいえ、それはフェイクです。大神官、合体で魔法解除しますよ!」
言うやエレノアは天井を睨み付け、対魔法の波動を叩き付けた。少し遅れてホッジスの魔法解除も重なり、その威力は天井を貫いて上層階の部屋を直撃した。
二人はそこに何か魔法的な手応えを感じた。
「……逃げられましたか。召喚獣の類いかとは思いますが、この距離で発現に気付かせないとは」
「お恥ずかしい……。私など、彼らと面と向かっていたものを」
「いいえ。相手がそれだけの熟練を有していたというだけのこと。クルス・クライストが一流であり、高潔な理想を抱くと分かっただけでも良しとしましょう」
言って、エレノアは流れるような所作で空いた椅子へと腰を落ち着けた。彼女にとってのアンナは政敵としていたって弱く、イオスなど競争相手として張り合いがなかった。そうして国内で無敵を誇ってしまえば、例え王位継承権の争いと言えども臨む心持ちはゲーム感覚に等しかった。
自分がディアネ神殿の勢力すら手中にしているとこの段階で明かすつもりはなかったが、クルスという登場人物がこの情報と状況をどう活用するものか、願わくは想像し得ない働きでもって楽しませてくれないかとエレノアは密かな期待を寄せていた。
(クルス・クライスト……つまらない男でないことを祈らせて貰うわ。アンナ王女とイオスの二人に、国を背負うことの重責と狂気を欠片でも理解させてくれると有り難いのだけれど)