2 刺客
2 刺客
クルスとアムネリアがバレンダウンを出たのは、ノエルが賢者の石を隠してから二十日ほど後のことであった。それまでの間クルスは、<リーグ>の依頼で古代遺跡の捜索隊に参加をし、当座の路銀を報酬として得ていた。他に、現場で魔法結晶の原石を入手するという恩恵にも預かっていた。
副都バレンダウンはカナル帝国の南部に位置しており、一方目指す大森林は北部一帯に広がっていた。一週間程度の行程と見られたが、クルスはついでに要人警護の任務に着きながら北へと向かった。
と言うのも、帝国の聖都にして帝都、チャーチドベルンもまた北部にあった。帝都と副都を行き来する貴族や役人、商人は数多く、<リーグ>にはその隊列の護衛依頼が毎日のように舞い込んできていた。
クルスらと行動を共にするのは、天蓋付きの豪華な馬車が一台と、同行の騎士が四騎。そしてスコア600以上の<リーグ>の傭兵が五人という大所帯であった。馬車の中には貴人と侍女がいるため、馭者にクルスとアムネリアを加えて総勢十四名にも上った。
馬車の小窓が内側から開かれ、側を歩くクルスへと声が掛かった。
「クルス。変わりはありませんか?」
「何もありません。平和なものです、姫様」
「それは何よりです」
依頼主であるネメシスはにこりと笑みを形作った。これで何度目かのやり取りになるが、周囲の騎士は面白くない顔をしていたし、他の傭兵たちは何で<疫病神>にだけ声が掛かるのかと訝った。
クルスからすれば、ネメシスの艶やかで芳しい金髪や奇蹟の造形美とも呼べる整った尊顔を直接に拝し、聞き心地の良い美声を傍で拝聴し続けることは、単純に活力の増加へと繋がった。彼が進んでバレンダウン総督代理の護衛を選んだわけではなく、むしろ指名で任務が入ったこともあり、特別な待遇にも何ら引け目を感じることはなかった。
ただし、不機嫌な人間はもう一人存在し、それはクルスにとって無視し得ない者であった。アムネリアが無表情のままにクルスとネメシスの会話を眺めているだけで、決して混ざってこようとはしなかったのだ。
(女同士。さらに言えば極上の美女同士、やはり関係は難しいものなのか……)
「クルスよ。私の顔に何か付いておるか?」
「いや……目の保養にと思って」
「その淫靡な邪眼で、恐れ多くも姫君を汚していたかと思ったが」
アムネリアはそうクルスを邪険にし、始終近寄り難いオーラを発散させていた。
道中三日目、昼下がりの街道で、クルスの一行はとある一味と遭遇した。見た目は馬に跨がった傭兵たちといった風情だが、アムネリアが「人相が悪い」と評する程に、漂わせる気配には険悪さの色が濃かった。
その数は十騎。既に抜剣しているので、対応に迷いが生じようもなかった。
「クルス、前に出よ。私は援護に回る」
「思うのだが、アムが前衛を務めた方が早く終わる気はする」
文句を言いながらも、クルスは隊列の先頭に躍り出た。地上で騎馬を相手とするに、後手に回る事態は避けねばならなかった。騎馬による突撃はまともに受けては怪我無しに済まされない、脅威の戦法であったのだ。
迎撃側ながらに、クルスは馬を進発させて突進した。
味方の騎士や傭兵からは「死ぬ気か?」との罵声を浴びせられたが、十もの敵騎馬による突撃を喰らわば、ネメシスの馬車がただでは済まないとクルスは睨んでいた。それを防ぐためには自ら進み出ることで敵との接触点を前方に移し、それでいて速度の乗った敵の攻撃をいなして、瞬時に防御から反撃へと転じる必要があると考えた。
小型ではあったが丈夫な金属盾を携帯していたので、クルスは相対した騎馬の威力を伴った突きを盾で巧みに滑らせ、空いた胸元に鋭い斬撃を放った。革の胴当てを裂かれた敵は、血を噴出させながらに落馬した。
クルスは次に突っ込んできた一騎にも上手く対処し、腹を剣先で突いて馬上から転げ落とした。もう一騎の剣を盾で受け止め、そのまま力任せに押してこれもバランスを崩させて落馬を誘った。
四騎目と斬り合い始めたところで残りの敵には抜かれ、互いの馬足が止まったところで背後を振り返ると、アムネリアの両脇に二人程転がっている光景が飛び込んできた。二人で都合半数の敵を撃破した計算となった。
敵の一人が下馬し、勢いのままに傭兵の間をすり抜けて行き馬車へと肉薄した。間の悪いことに、丁度馬車からネメシスが降り立つところであった。
「ネメシス様!お逃げを!」
四騎目を斬り伏せたクルスは久しく上げたことのない大声をもって警告し、全力で駆けた。アムネリアも疾走するが、別の敵に立ち塞がられた。
ネメシスの周囲に鮮血が散った。
「邪魔だ!」
アムネリアの剣が横に一閃し、彼女の進路を阻んだ敵を沈めた。先程の血飛沫に絶望していたアムネリアの横を、クルスが疾風のように駆け抜けていった。
「姫様……ッ?」
「どうしました、クルス?大活躍だったようですね」
ネメシスは平然とした顔でそこに立ち、手には金の小剣が握られていた。純白のローブは血で赤く染まっていたが、それは彼女の足下に倒れている敵の返り血を浴びただけのようで、クルスは胸を撫で下ろした。
「姫様が、これを?」
「フフ。私はこれでソロス流の目録持ちなのです。一対一で賊などに引けはとりませんよ」
「……こいつらはただの物取りではありませんね。こちらに騎士がいると分かっても、怯むことなく突っ込んできましたから」
言って、クルスはまさか賢者の石が目的で、自分を狙ってきたのではなかろうかとの疑いを抱いた。
「狙いは私です」
「は?姫様を、ですか……」
残敵を味方の騎士が下したと見て、アムネリアもそろりと近寄ってきた。
「この国はいま闘争の最中にあります。貴族たちは皆権勢欲という病魔に冒され、見境無しに競争相手を弑する非道を続けている。私の父はバレンダウンの総督であり、伯爵位を有します。御存知の通り不肖この私も末席ながら帝位継承権を持つ身でありますし、このような目に遭うこともはじめてではないのです」
「左様でしたか。それでスコア600以上の傭兵を召し出されたのですね」
「そうです。危険は承知の上でした」
<リーグ>で任務の達成ごとに付加される得点がスコアであり、任務の難易度や貢献度を加味されて数字は毎回変動した。傭兵たちの査定をするため、此度もクルス以外に五人いる傭兵の内、一人は監視官がその席を占めていた。
通常500から800程度のスコア保持者を中堅と見なし、依頼が集中するのはこの階層に対してであった。スコアが800を超えてくると傭兵として上級と見なされ、<リーグ>の所属支部を超越した高度な任務を斡旋されたり、どこぞの国家にレンタルされて騎士の待遇を受けたりという事例もあった。
「アムネリアさんも、御苦労様でした」
「この者らの素性を調べないでもよろしいので?」
「結構です。証拠自体が偽装の可能性すらある世界です。疑心暗鬼に陥る愚は避けねばなりません」
「承知しました。クルス、日用品は回収するがよかろう」
「汚れ仕事はお任せあれ」
傭兵たちは斬り倒した敵の懐や荷物袋を漁り、当然のように戦利品を分配し始めた。ネメシスに仕える騎士や馭者はそれを汚物でも見るかのような冷たい目で眺めていた。
「卑しい所業だと思われますか?」
残ったアムネリアはネメシスへと質問した。
「いいえ。人が生きることに懸命になるのは当然で、そこに貴賤はありませんから」
「ネメシス様は、権力闘争にのめり込む貴族階級の人間のことをどうお考えなのです?何もカナルだけの話ではありますまいが」
「そうですね……統治者としての責務を全うした上で権勢を求めるのであれば、好きにすると良いでしょう。しかし、地位や財貨にのみ目を奪われた者に治められし土地と領民には、同情を禁じ得ません」
「御父君は如何?」
「難しい質問ですが、努力して客観視したなら、真面目な統治者であるように思えます。政治に特別な才覚があるとも思えませんが、分を弁えて最善を尽くそうとしているのは伝わりますね」
「では、ネメシス様は?」
「私は……自分事ですので、向き不向きは分かりかねますが、為政者となるならば最後まで義理と人情を忘れずに在りたいと考えます。無論、総体としての領邦なり国家なりといったものの舵取りに、過度な私情の介入や優柔不断が招く躊躇いは禁物です。ですが、構成要素の最小単位たる一市民を蔑ろにして成り立つ冷酷な政体などに存在意義があるとは思えません。システマチックな思考に偏らず、政治の場にもある程度は情を持ち込めたら。市民の声を掬い上げることが出来たのなら、それは良いことのように思われます」
「無礼な問いにお答えいただき、ありがとうございました。……一つ、返礼ではありませんがお話し致します」
アムネリアは表情を変えることなく、ネメシスの顔を見ずに中空を見据えて言った。ネメシスはそこに頑なな防御本能を感じ取り、黙って聞いていた。
「ベルゲルミルには幾人もの王がおります。言わずと知れた連合王国ですから、それは当然です。誰が見ても賢王という好人物から、愚鈍の極みのような悪王まで、人格は種々様々。そして近来連合王国の盟主に選ばれたのは、不名誉なことに世にも暗愚で有名な王でした。お蔭で賢王の所領をも含んでベルゲルミル全土が今なお悪政に晒されております」
「………」
「賢王の臣下の中には、猟官行為を推進してでも盟主の座を獲るべきと進言した者もおりましたが、清流を好む王には容れられませんでした。その結果、民は圧政に虐げられる格好となりました。たとえ理想が立派でも、行動を伴わなければ何一つ実現しないという実例になったのです」
「賢王に進言した者はどうなりましたか?」
「……噂ですが。正義への思い入れが強すぎたばかりに、あまりの絶望感から悪魔に魅入られたそうです。一番近くにいてそれを止められなかった者は、悪魔に魅入られた者の近親者から手酷く呪われたのだとか」
「……状況が分からないので無責任な感想にはなりますが、救えませんね」
アムネリアは軽く頷いたのみで、それ以上語ろうとはしなかった。
***
クルスは悪魔に強烈な怨みを抱いてはいたが、現実主義者でもあった。悪魔の巣窟である魔境に単身挑みかかるだとか、魔境と接する対魔防衛ラインの諸国に仕官するだとかいった前のめりな思考パターンからは距離を置き、優先順位の一番を<戦乙女>の維持へと定めていた。
アムネリアに背中を押されるまでもなく、<リーグ>の依頼においては悪魔と対する任務をよく選択していた。<リーグ>もその点と短期間でスコアを積み上げたクルスの実績を高く評価していて、彼を支部付の幹部にと推す声は少なくなかった。
クルスは一貫してその手の話には興味を示さなかった。彼が喜んだのは、勤労表彰で<リーグ>本部から多くの魔法結晶を授与された時と、バレンダウン中の男傭兵が憧れを抱いているであろう<花剣>のリン・ラビオリ直々の指名で任務に同行した時くらいのものであった。
「先に言っておく」
チャーチドベルンの郊外でネメシスらと別れ、クルスとアムネリアは更に北辺の村で宿を取っていた。
「無理矢理襲ったりとかいうは信条に反するのでね。ご心配なく。何より、アムの方がおれより強い」
小さな村で、外来の者を迎えられる宿は飯場を兼ねた一軒のみ。寝所に至っては二階の一室だけという有り様であった。夕闇がすぐそこに迫っていた為、アムネリアも妥協せざるを得なかった。
クルスは部屋に入るなり荷物を放り、隅に一つ置かれた粗末なベッドを無視して床に座り込んでいた。
「そのことではない。そなた、そこまで自分に信用が無いと言い切るのは、些か自虐的に過ぎるのではないか?」
「美しい花を愛でたいという男の願望と、まとわりつかれる花の側の迷惑とは常に一致を見るものではないからな。アムがおれの愛を受け入れてくれるまで、気長に待とう」
「生涯待つのだな。……真面目な話だが、お互い腹を割っておきたいことがある。あの仮面の悪魔だ」
「うん?」
クルスは壁に寄り掛かったまま、少しだけ居住まいを正した。
「次にあの手の上位悪魔が襲ってきたら、恐らく私が戦力になるのはほんの十合といったところだ。魔法ならただの一回」
「魔法?アムはマジックマスターだったのか?」
「そうだ。だが使えないも同然だから敢えて言わなかった。私の身体は全力で闘うことに物理的制限を課せられている。理由は……聞くな」
ちょうど前髪がハラリと落ちてアムネリアの目許を隠したが、クルスの位置からはベッドに座る彼女の表情までは読み取れなかった。
クルスには思い当たる節があり、アムネリアが戦闘直後に時折見せていた疲労の色こそ、いまの告白と結び付くものだったのだと合点がいった。
(病ならそう言いそうなものだからな。多分、呪いの類いか)
「つまり、上位悪魔が相手だろうと短期決戦を仕掛ける他にないというわけか」
「そうだ。だからこそ、そなたの<戦乙女>に関しても把握しておきたい。あれはどういう理屈だ?」
「……確かに、<戦乙女>を召喚・使役することは出来る。ただしおれはマジックマスターでないから、魔法結晶の残量がそのまま使役限界ということになる」
クルスは誰にも明かしたことのない奥の手について語った。相手がアムネリアであれば構わないという、信頼の萌芽がそこには確かにあった。
「とは言え、彼女の維持にも魔法力は費やされるから、魔法結晶を使い切ることは許されない。今の手持ちで、そうだな……アムの活動制限と似たり寄ったりな気はする」
「そうか。<戦乙女>のことを彼女、と呼んだか?」
「……」
「言いたくないなら良い。気になっただけのこと。話を戻すが、やつが出現したならはじめから全力でもって勝負を決めるぞ」
「承知した。まあ、得てしてやつらは人間を相手にすると盛大に油断する。速攻で片付けさせて貰おう」
アムネリアは小さく頷くと、「ときに、ここの料理は期待できるのか?」と話題を百八十度転換した。クルスは小さな農村にただ一軒ある飯場を過大評価してはおらず、曖昧な笑みを浮かべるに止めた。
ネメシスを護衛する道中は野営も二日程含まれており、それと比べればあばら家と言えど天井や壁があるだけましで、元々クルスは衣食住の環境にうるさい方ではなかった。一方のアムネリアも野宿に際して平然としたもので、某かの武門の出に違いないという素性を匂わせた。
「賢者の石をどうする?エルフの戯言に過ぎない可能性もある」
「その時は、そなたがこっそり姫様にでも返却すればよかろう?」
「……ネメシス様の言っていたことが気にかかる。国宝の紛失が副都の主にすら伝わっておらず、奪還部隊についても預かり知らぬと。おまけに正騎士団たる白騎士団は動いていない。妙な話だ」
「権力争いが勃発しているとは仰られたが。石を巡って何やら鞘当てがあるのかもしれんな。下手に動くのは得策でないとも言えるか」
「まあ、先ずは大森林のエルフだ。……実のところ、どちらかと言えばエルフ族は苦手な部類に入る」
アムネリアは目を丸くした。クルスは総じて人当たりが良く、特に女性を相手にした場合初見から遠慮がなかった。それがエルフだからとて物怖じするとはアムネリアには信じられなかった。
「クルスよ。ノエルを前にして、随分と鼻の下を伸ばしていたではないか?」
「あの娘はいいのさ。結果論だが」
「どういうことだ?」
疑問符を浮かべるアムネリアを尻目にクルスは鼻の頭を掻き、ばつの悪そうな顔をして言った。
「口説いた相手がもしかしたら百以上も歳上かもしれないと考えるとだな……これほどに恐ろしいことはない」