1 ミスティンの<北将>
クルス・クライストの四女神とカナル帝国記
第三章 マジックマスター(上)
1 ミスティンの<北将>
悪魔の群は馬車の一行を容赦なく追い立てた。二頭立ての箱馬車が二台連なっていたのだが、既に一台は脱輪した上馭者の上半身が吹き飛ばされて無惨な姿を晒していた。
随伴の騎士は皆<人喰い>と交戦して道を外れており、もう一台の馬車が打ち倒されるのは時間の問題と思われた。遥か遠くに連なる山々の稜線を遮るものもない平原で悪魔に襲われることは、充分な準備をしていない限りは死を意味した。
数匹の<黒犬>が馬の足にかじりつくのと、横から騎馬の一団が到着したのは同じタイミングであった。馬が暴れたことで馭者は制御を失い、馬車は音をたてて盛大に倒れた。
「不味いぞ。ノエル、フラン!<人喰い>を頼む」
言うが早いか、クルスはノエルを残して馬から飛び下りた。そして駆けながらに剣を抜いた。
接近するクルスに気付いた<黒犬>の群は、一斉に標的を改めた。クルスは向かってきた一匹目を一撃の下に沈めると、横にステップを踏んで続く二匹の突進をやり過ごした。
クルスに遅れて到達したダイノンがドワーフらしい剛力にものを言わせた斧撃を叩き込み、<黒犬>を二匹まとめて砕いて見せた。
「クルス、後ろだ!」
その艶やかな美声に酔いしれつつも警告には耳を貸し、クルスは背後から飛び掛かってきた<黒犬>の牙を剣で受け止めた。そのまま力任せに押し切ると、縦横の十字に斬って捨てた。
クルスとダイノンがもう一匹ずつの<黒犬>を退治する間に、ノエルとフラニルのマジックマスターペアが視界に映る<人喰い>を一掃していた。そこでようやくアムネリアが馬を下り、地に転げた馬車へと駆け寄った。
「無事な者はおるか?」
馭者が絶命していることは一目瞭然で、アムネリアは迷わず箱の扉を開いた。中で若い女性がぐったりしており、上等な絹のローブをまとっていることから貴人と窺い知れた。アムネリアは神官たるダイノンを呼び寄せ、治癒と気付けを依頼した。
クルスらは馬車一行の生き残りを助けて回った。二名の騎士の無事が確認され、ノエルとフラニルが慣れぬ治癒を施した。
「助かりました……まさか、こんなところで悪魔の襲撃に遭うとは……」
齢三十前後であろう騎士が弱々しく言った。聞けばアケナス北域の盟主ミスティン王国の正騎士で、とある使者の護衛に当たっていたところ、悪魔に襲われたとのことであった。
「馬車は……殿下は……御無事ですか?」
もう一人、小柄な中年騎士が慌てた素振りで護衛対象の安否を気遣った。クルスは答えに窮し、確認へと向かったアムネリアとダイノンに視線を飛ばした。
ミスティン王国の第二王女たるアンナの容態は回復し、騎士二名は平身低頭してその無事を喜ぶと共に護衛の失敗を懺悔した。アンナは流石に笑顔とまではいかなかったが、平静を装って騎士らの献身を労った。クルスはその様子をじっと眺めていた。
(おれたちの目を気にしての、パフォーマンスのようだな。あのお姫様は見た目以上に気が強いのかもしれん)
二十歳を過ぎたばかりというアンナの目元は不自然に痙攣しており、クルスやダイノンといった観察力に優れた者からすれば、金髪碧眼のか弱い令嬢といった外見からはかけ離れた気性の荒さが透けて見えた。それを肯定するかのように、二人のミスティン騎士は一向に頭を上げなかった。
不意にアンナはクルスへと向き直り、気丈な声音で問いを発した。
「汝がリーダーか?」
「リーダー?その表現には語弊がありましょう。おれたちはただの旅人で、皆対等な関係なのです。強いて一番偉い者を挙げるとすれば、まあアムでしょうが……」
「どの者がアムとやらか?」
クルスはアムネリアを指差して問答の主導権をあっさりと譲り渡した。面倒事を押し付けられた形のアムネリアはクルスをひと睨みするが、貴人に対するに相応しい礼儀を弁えた形で応答した。
「アムネリアと申します。お耳汚しを失礼致します、王女殿下」
「……アムネリアよ、命を救って貰った礼を言う。礼ついでに、一つ頼まれてはくれまいか?私をオズメイ北王国の王都ビスコンシンまで連れて行って欲しい」
「オズメイ、でございますか……。かの国は対魔防衛ラインの北翼を担うもの。近付けばそれだけ悪魔に狙われる恐れは増しますが」
「構わぬ。今しがた襲撃を受けたのだから、一度が二度になっても同じだ。……ビスコンシンに無事に到達した暁には褒美をとらす。引き受けてくれるな?」
アンナの瞳は真っ直ぐにアムネリアの瞳を射た。
アケナス北部の大国ミスティンの第二王女が、対魔防衛ラインの中核国家たる中北部のオズメイを訪ねるということが何を意味するものか、アムネリアには推測するに足る情報がなかった。しかし彼女らも暇をもて余しているわけではなく、クルスの決定によりミスティン王国の王都を目指していた。
「我々はディアネ神殿のホッジス大神官を訪ねて急ぐ身なのです。大変心苦しいのですが……」
「あら、私ならホッジス宛の紹介状を出してあげられるわ。ミスティンで最高位にある神官に、まさか徒手空拳で会えるとは思っていないでしょうね?」
アムネリアは直感でアンナの言葉を真実と認識し、クルスを向いて意向を確認した。クルスがすんなりと頷くのを見て、アンナの要求を受け入れる旨申し伝えた。
馬車は二台とも故障しており、アンナはアムネリアの馬に相乗りすることとなった。ミスティンの二人の騎士を加え、クルスの一行は総勢八人と一神という具合に膨らんだ。
オズメイの国土はアケナス中央に広がる魔境から真北に位置し、王都ビスコンシンはその北東に栄えていた。アンナを拾った地点はアケナス北部の南寄りにあたり、中北部のオズメイへは馬で三日というところであった。
クルスらを驚かせたのは二つの出来事で、一つは南下を始めて最初の夜にアンナが野宿を拒否したこと。ミスティンの騎士やフラニルらが必死に捜索して小集落を発見するまで、気分を害したアンナは一言も口をきかなかった。
「人間のお姫様ってみんなああなのかしら?自分は苦労をせずとも、周りがみんな御膳立てしてくれるって顔をして」
ノエルは馬を寄せて、然程声量を気にすることなくダイノンへと愚痴を溢した。彼女と同様の感想を抱きつつも、人生経験が豊富な分ダイノンの回答は刺々しさが薄まっていた。
「教育した側にも責任は求められるべきだな。ネメシス様はそうではなかったのだろう?」
やれ寝床が固いだの食事が貧相だのと夜を通して文句を言ったもので、アンナの相手は騎士に任せてクルスたちは離れて夜を明かした。
もう一つの出来事は大事で、アムネリアの予言の通りに一行は幾度となく悪魔に襲われた。クルスとダイノンが前衛を務め、ノエルとフラニルで魔法支援を行う布陣は堅く、悪魔の攻撃を悉く跳ね返した。
オズメイまで半日と迫ったところで遂に上位悪魔と思しき個体までもが出現したが、そこはアムネリアとラクシュミの参戦によって危なげなく撃退するに至った。クルスらの高い戦闘力にはアンナもただ目を丸くするばかりであった。
***
オズメイ北王国は元々騎馬民族の国家であり、アケナス中北部一帯から北東部にかけてを縄張りとして酪農と交易で威勢を強めてきた。特定の神を崇めることはなく、ここ二十年の間に工業革命を興して近代化を急速に推し進めたことで知られていた。
工業化は軍事力の強化を伴い、地理的に魔境に近いこともあってオズメイは対悪魔共同戦線の構築へと尽力した。政治力をあまねく発揮し、国家の財をも惜しげなく投じてセントハイム伯国らと主導する形で対魔防衛ラインは誕生を見た。
それでも前回の魔境大戦の折は悪魔の王アスタロトらの突破力を防ぎきることが叶わず、大国の威信に傷が付いた。結果的にニナ・ヴィーキナが相討ちの形で大戦を収めたことで、対魔防衛ラインは取り敢えずの存続を果たした。
オズメイは立憲君主制を敷いていて建前上は国王が君主となるが、政治の舵を握るのは宰相と宰相府に設置された官吏、それに国民に選ばれし代議士たちの集まる議会の三者であった。アンナの面会を申し込んだ相手こそがまさに宰相で、ビスコンシンの中心部に建つ鉄筋製の庁舎が面会場所に設定されていた。
庁舎内部は壁から床から白色に塗装の施された落ち着いた造りになっており、背筋を伸ばした詰め襟姿の職員たちが忙しなく行き来していた。
「ラムダ・ライヴ。宰相にして著名な学者でもある。十年来この国を実質的に仕切っている大物政治家で、実物を拝める機会など滅多にないぞ」
「……そうですか」
クルスは返事に困り、当たり障りのない肯定表現に止めた。謁見の間は広く、アンナと二人椅子に収まっているだけでは所在なかった。
(何でおれがここにいる?オズメイの鐵宰相なんかと会ってどうする)
他国の余計な政治に干渉するべきでないとクルスは思うのだが、アンナは強引に彼を付き人として会見の場に捩じ込んでしまった。やがてオズメイの宰相と政治家と見える随伴の二人が入室してきた。
(あれが……鐵宰相ラムダ・ライヴか。確か五十は超えていると聞いたが、若いな)
ラムダ・ライヴは細身に燕尾服を着込んだ紳士然とした人物で、口髭と顎髭の黒さが彼を実年齢より若く見せていた。ダークブラウンの瞳は落ち着いた光をクルスたちに投げ掛けた。
「ようこそ御越しくださいました、アンナ王女殿下。小生は宰相職にありますラムダ・ライヴです。国王は静養中にて、御話は小生と宰相府にて承ります」
「はじめまして、ラムダ・ライヴ閣下。ミスティンの国王が二女アンナです。突然の訪問にも関わらず寛大なご対応、まことに痛み入ります」
挨拶もそこそこに、大物二人は具体の話に切り込んだ。口を挟まぬと決めていたクルスは黙って二人の掛け合いを眺めた。
「お願いがあって参りました。我がミスティンを正式に、対魔防衛ラインの一員に加えていただきたいのです
「……まず確認させていただたいのですが、殿下は如何なる政治権限をもってその提案を持ち込まれておりますか?」
「私は第二王女です。それでは不服ですか?」
「貴国は軍閥が政治に強い発言力を有していると聞き及びます。失礼ながら、殿下を遣わされたのはどこの閥となりましょうか?小生としては、ミスティンを挙げての提案で無ければそもそも検討に値しないと考えます」
「……宰相閣下はミスティンの戦力を必要としないと仰有られるか?」
「いいえ。当国と防衛ラインがミスティンの派閥抗争に絡めとられることを恐れているに過ぎません。アンナ王女。貴女の後ろ楯はイオス・グラサール将軍の騎士団第二軍でいらっしゃる。その政治力を正当に評価したからこそこうして小生が参りました。しかし第二軍だけが当方と手を結んだとて、ミスティンの悩みは解決致しますまい?」
「我が国は……北域は絶えず悪魔によって脅かされています。魔境から離れているとは言え、奴らは神出鬼没です。広いアケナスで今のように諸国が個別に対抗していては、何れじり貧になるのが目に見えましょう?私はそこを打開したいのです」
「仰有る話は分かります。当国が対魔防衛ラインを提唱しここまで築き上げたのも理屈は同じですから。ですが、殿下の私案に当国を挙げて同調するのは難しかろうと存じます。既にある連帯が貴国を新たな同志として受け入れることを是とするかという問題。例えば貴国と同盟関係にあるアウフェランドは、防衛ラインに所属するレーベンウルフ王国と国境線を巡って紛争中にあります。また、話は戻りますが、防衛ラインへの加盟が貴国の統一された意思でなくば後々必ずや揉め事を招きます。無用な火種を持ち込まれては、それこそ対する魔境の思う壺。それで失礼を承知ながら殿下の身許を伺わせていただきました」
「……閣下のご指摘の通りです。私はイオス・グラサール卿と謀って参りました。グラサール卿は義に厚く、北域の民が落ち着かぬ現状を憂えております。貴国をはじめとした、悪魔に抗う気概を持ち合わせた列国と志を共にし国土を安堵したいと願う者で、私もそれを支持します」
アンナの横顔はどこか誇らしげで、クルスは彼女の気の強そうな眉や長い睫毛に目を留めた。
「<北将>は関与されていないのですか?」
ラムダの口からその異名が出たことで、アンナの緊張が明らかに増大して見えた。クルスもここで始めて話の内容に興味を抱いた。
ミスティンの誇る名将で、軍閥の一つを率いる女傑エレノア・ヴァンシュテルンを指して人々は<北将>と呼び讃えていた。
「……ヴァンシュテルン卿が何を考えておいでかは誰にも分かりません。あの方は滅多に心の内を表に出されませんから。ただし、これだけは確実と言えます。王が裁可を下しさえすれば、例えヴァンシュテルン卿と言えど異を唱えることは許されません」
「……小生としては、殿下の御意見が貴国の総意ないしは大勢を占めるものであるとの保障をいただきたいのですが。無礼とは存じますが、貴国で一番信用を置けるのは第三軍を束ねる<北将>と言わざるを得ません。悪魔を伐ちたいという殿下やイオス・グラサール将軍の心意気には小生感服致します。しかれども、こと国家間の外交というものは真摯なだけでは物事を進められません。お分かりでしょうか?」
ラムダはアンナの碧眼を覗き込むようにして態度を探った。その眼光は一瞬だけクルスの顔を掠めたが、そこに深い意味はないように思われた。
(……ここまでか。王女様は隠し球を持っているわけではないようだな。王族外交を買って出たものの、老獪な相手にやり込められた形か)
「……かつて。かつて対魔防衛ラインが危機的状況へと陥った際に、貴国の王太子殿下は世論の反発も顧みず騎士団を率いて救援にいらした。そう……魔境大戦時の話です。結果的に目的は果たされなかったものの、我々はその決断と行動に最大限の敬意を表し、依然大恩を忘れておりません」
「ラムダ・ライヴ宰相閣下……」
某かの譲歩を期待したアンナに対して次にラムダの見せた表情は、傍らのクルスからして鬼の形相と形容出来る程に迫力のある代物であった。
「ですから御忠告申し上げます。殿下の御訪問と御提案は、当国にとって何ら益をもたらすものではありませんでした。殿下と結べばイオニウムが敵に回る。貴国とかの国の緊張状態をよもや小生が存じ上げないとでも?だとすれば当国の諜報力も見くびられたものです。次からはいま少しましな論客と、当国が動くに値する手土産を持ち込まれることですな。小生も暇ではない身の上故、これほど稚拙な交渉はもうこりごり。敢えて手の内を明かさせていただくと、対魔防衛ラインはミスティンはおろか新生カナルの力をも必要としておりません。そう、力を付け過ぎた存在は多くの敵を作る。敢えてその高みに挑戦する馬鹿はいないと言うことです。……神剣クラウ・ソラスとかつての恩義に報いるため、苦言を呈させていただきました。殿下、それでは小生はこれにて」
颯爽と退室していくオズメイの背に、アンナは一言も掛けられなかった。代わってクルスが初めて声を発した。
「ニナ・ヴィーキナに集った最後の騎士たちは皆、政治やエゴイズムとは無縁な者ばかりだったがね」
ラムダは足を止め、振り返りはせずに返答した。そこには特段感情の込められた様子はなかった。
「真に危機的な状況を迎えるまで、人間というのは互いの足の引っ張りあいを止めないものだ」
「浮かばれない話だな。ドワーフやエルフが人間不信に陥るのにも頷ける。獣人や妖精が何を考えているのかは知らないが」
「まるでドワーフやエルフと親しいかのような口振りだな」
「かまをかけているつもりか?相手方の随伴員を調べていない<鐵宰相>じゃないだろう。あれは大陸エルフ族の姫と、ドワーフ王の片腕さ」
「ふむ。それでは小生は亜人種族にとことん嫌われることになるのかもしれないな。……クルス・クライストと言ったか?」
「ああ。<疫病神>と人は呼ぶ。今は王女殿下の護衛を仰せつかっている」
「そうか。失礼する」
オズメイの宰相は去った。交渉に失敗した形のアンナは当然に沈んでおり、クルスはあまりの居心地の悪さに意味もなく身動ぎなどしていた。
さてどうしたものやらとクルスが退席の勧め方を模索している間に、アンナの目付きは険悪なものへと俄然変貌していた。
「あの下郎……。この屈辱、忘れんぞ……」
「……いい性格をしていらっしゃる」
きつく睨み付けられたのでクルスは視線を逸らした。たっぷり冷や汗をかくまでアンナの瞳の標的に晒され、クルスは己が置かれた状況の理不尽さをただ嘆いていた。