黄竜の旗が立つ-3
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剣士にエルフ、神官二人に傭兵が三人。戦闘バランスに優れた七人連れの目指した先は、ブルーシャワーから西に広がる古代の遺跡群であった。
ダイノンがチャーチドベルンのマイルズ神殿で聞き込みをした限りでは、ジャン・ミリアンが黙示録の四騎士の封印に興味を示し、あれこれ調べていたとのことであった。ジャンの末路がエヴァキリアとの人魔融合であったことから、ベンなどは四騎士の跳梁においてもウェリントンの暗躍を主張した。だが、ノエルはその意見に疑問を差し挟んだ。
「私は一年以上にわたってウェリントンを追跡してきたわ。ずっと所在が確認されていたわけではないけれど、カナルの中西部まで出張って儀式魔法にうつつを抜かしているような余裕があったとは思えない」
「うむ。ワシも同意見だ。お主らが隠し部屋で闘ったという上位悪魔の存在が気になる。いくら賢者の石で無限の魔法力を所有したからといって、元人間がそう簡単に上位悪魔を従えることなど出来ようか?」
ノエルとダイノンの言葉は経験に裏打ちされたものであり、それなりの説得力を有していた。一行は答えの出ない敵の正体をあれこれと討議しながら、アイザックとマルチナの先導で地下水路を走破した。
目当ての隠し通路に達した折、ノエルが皆へと警鐘を鳴らした。
「ここには精霊がいない。風は通らないし水も枯れているわ。……だのに、空気がやたらざわついている。奥に、何者かがいる」
「……魔法探知をかけてみますか?目的の部屋はもう近いんですよね?」
フラニル・フランがおずおずと尋ねた。それにはクルスが首を横に振って応えた。
「わざわざこちらにマジックマスターがいることを知らせてやる必要はない。陣形を維持したまま先へ進もう」
「はあ。前みたいのは御免だよ。監視官がいなかったせいで、上位悪魔を倒したって申告しても結局査定に含めてもらえなかったんだから。ねえ、アイザック?」
マルチナに水を向けられたアイザックがゆっくりと頷いた。上位悪魔と戦わされた上にそれではあまりに悲惨だと、同業のフラニルも腕組みをしてうんうんと首肯した。
フラニルはクルスと面識こそなかったものだが、彼と彼の仲間たちの活躍にある種羨望を抱いていた。敬愛するアムネリアが一目置くクルスという人物を観察してみたいという単純な欲求に抗えず、無理矢理同行を申し出てここにいた。<リーグ>の所属でありマジックマスターでもあるので、クルスはその加勢の申し出をすんなりと受け入れた。
「今更、前と同じような番人をけしかけては来んだろうよ」
ダイノンが言って、肩に担いだ戦斧を握り直した。ここまでの道中において、彼は持ち前の剛力を活かした戦法で魔法生物を見事に退けていた。
「そういうことだ。本命がいるのさ」
クルスは自身が先頭に立って歩き出し、隠し部屋へと近付いた。先だってフィニスが魔法で封じた扉は開かれており、ダイノンやノエルの予感が的中した。
上下左右、見渡せる全ての方位が石で造られた空間に半ば崩れかけた祭壇が置かれていて、その傍らには奇妙な仮面を着けた法衣姿の者が立っていた。
「……そいつ!アリス・マリスやジャン・ミリアンからマジックアイテムを掠めた奴です!」
フラニルは指差し、ダイノンも「ああ」と短く応答した。
「何者だ?貴様が黙示録の四騎士の封印に悪さをした黒幕か?」
「……クリス・アディリスか。先に言っておく。私に<戦乙女>をけしかけることだけは止めておけ。<魔法消滅>の余波で現世への楔を失う」
混沌の君はクルスをかつての名で呼ばわり、手持ちのペンダントを前に掲げて見せた。即座にフラニルが反応した。
「それ……僕やフィニスさんの魔法を打ち消したマジックアイテムです!強力な魔法抵抗を持ってますから、みなさん注意してください」
「……魔法抵抗ではない。この鎖に繋がれた魔石が魔法力自体を余さず消滅させるのだ。クリス・アディリスよ、意味は分かるな?」
あくまで自分へと語りかけてくる混沌の君を目の前にして、クルスは不思議な感覚を覚えていた。殺気の類が感じられず、それどころか性別すら分からぬ奇妙な声音の内に、どこか懐かしさを思わせる響きが見え隠れしていた。
この正体不明の敵が言っていることは当然理解出来ていたが、自分の内情を知られている事実がクルスの動きを封じていた。
(あれにラクシをぶつければ、逆に魔法力の供給を断たれ実体を維持できなくなるということか。こいつ、何故だか知らんがおれの手の内を知り尽くしている!)
「クルス、鐘のお面を被った知り合いがいたことは?」
「……取り敢えず、面を剥ぐところから始めないと何とも言えんな。ノエルは下がっていろ。ダイノン!アイザック!」
「おう。分かっておるわ」
「……」
クルスの両隣へと戦士たちが進み出でた。マジックマスターたちは後ろに並び、背後からの不意打ちに備えてマルチナが殿を固めた。
「お前たちと闘うつもりはない。フェイニール・マリスは敗れ、白い悪魔も一先ずこの地を去った。私はこれを返しに来ただけなのだ」
混沌の君はペンダントを持たぬ手から指環を取り出すと、祭壇下方の床で口を開けている亀裂へと無造作に放り捨てた。指環を飲み込むや、激しい地震が室内を揺るがし、鳴動と共に亀裂は塞がれていった。
ノエルはその一連の流れをいかがわしい魔法儀式の類いであると判断し、迅速なる魔法攻撃を仕掛けた。だが風の刃は混沌の君を傷付けることなく消え失せた。
「止せ、ノエル!そいつは尋常じゃない!……おい。黙示録の四騎士の封印をどうしたんだ?」
激情を隠さないクルスに、混沌の君は涼しい調子で返した。
「元々封印は不完全であったのだよ。穴があったから、ジャン・ミリアンの神殿から持ち出した知識を利用して簡単な召喚システムを組んでみた。不要になったが故にそれを地の底へ返したのだ。クリス・アディリス」
「……もう一度だけ訊く。お前は誰だ?」
クルスの闘気が剣へと収斂し、それを見た仲間たちは戦闘の開始を意識して身構えた。ノエルにフラニル、ベンらは直接の魔法攻撃が通用しないとみて、戦士たちへの援護に専念すると決めた。
混沌の君は指環を捨てた姿勢そのままに、仮面をクルスへと向けてじっと立っていた。
飛び出したクルスの剣は目に見えぬ圧力に阻まれて届かず、横へと弾き飛ばされた。続けて向かったダイノンやアイザックも、混沌の君へ到達出来ず床に転がされた。その間に混沌の君が行ったのは軽く片腕を振ったのみで、その動きを注視していたノエルにもカラクリは読めなかった。
ベンは仲間を護る物理障壁を展開し、フラニルが無傷であるマルチナの武器に魔法力を付与した。
「反発の力。マグネティックフォースは失われし古代文明の超魔法。この不可視の盾はまさに神々が用いた奇蹟の一端だ。今のお前たちでは敵いようもあるまい?クリス・アディリス」
前に出て斬り掛かったマルチナもやはり目に見えぬ力によって弾き倒された。起き上がったクルスは、ノエルらに動かぬよう命じた。
「魔法力を打ち消すペンダントに物理攻撃を跳ね返す力……よくよくマジックアイテムが好きなようだな。だがそういった玩具の使い方にはおれも覚えがあってな。出ろ!」
クルスの号令に、青銀の光を舞い散らせながら<戦乙女>が出現した。<戦乙女>はグングニルの槍を撃ち出す体勢をとっており、ノエルたちは速攻を狙っていると判断した。
「……警告はしたぞ。<戦乙女>と言えどこのオハンの盾は破れない。近付けばイドの魔石に魔法力を根刮ぎ奪われよう、クリス・アディリス」
<戦乙女>が槍を投じた先は混沌の君よりかなり手前の床で、圧倒的な光の奔流が石床を砕いて突き進んだ。地響きがし、揺れにより誰もが姿勢の制御に難を来した。ノエルは風を作り出し天井から落ちてくる石片を払った。
ダイノンは斧を投じ、フラニルの掌からは火球が迸った。
辺りが粉塵に覆い隠された中でも混沌の君は不可視の盾と魔法を無効とする結界を維持していて、降り注ぐ礫やダイノンらの不意打ちにも外傷は見当たらなかった。
だが流石に崩れた足場には閉口したようで、混沌の君は軽々跳躍して祭壇から離れた。クルスはその着地点を狙わせた。<戦乙女>の投じた槍により破壊された地点へと着地することになった混沌の君は足を取られ、その拍子に起動されていたマジックアイテムの効果が薄れた。
一瞬の隙に、クルスの剣は釣鐘型の仮面を斬り裂いた。そしてノエルの放った風の刃が法衣へと突き刺さった。混沌の君は、起き上がるなり手の中に短剣を生じさせた。それは無から現れた。
「今のは効いたよ……クリス・アディリス」
仮面の前面に亀裂が入ったことから、混沌の君の声調に変化が見られた。依然複数の声音が重なった判別のし難いものではあったが、クルスの耳には女性的な側面が強調されたかのように聞こえた。
混沌の君が不気味な光を放つ短剣を軽く振るうと、その場にいきなり二足歩行型の悪魔が舞い降りた。緑色に光る体表は甲殻のように硬そうで、人間と比べて二回りは太い手足と角の生えた醜悪な頭部を有していた。
「こいつは……あの時の?」
クルスの驚きに、アイザックやマルチナ、ベンらが同様のことを思い浮かべた。対峙した悪魔こそ、先日ここを訪れた時に闘った上位悪魔と瓜二つで、この時点で目の前の仮面の奇人が黙示録の四騎士を引っ張り出した黒幕と断定出来た。
悪魔は顔だけで混沌の君へと振り返った。
「……ここはお任せを」
「うむ。だが念には念を入れる。クリス・アディリスよ、上位悪魔を二体、見事あしらってみせよ。四柱の封印を調べたくば<福音>の娘にでも当たるといい。さらばだ」
混沌の君の短剣がまたも妖光を煌めかせた。崩れた石床の上に先程と同型の悪魔が出現するも、クルスらの戦意は折れなかった。
混沌の君は、浮かび上がった魔方陣とそれが放つ燐光に隠れてその場から姿をくらませた。決して侮れぬ上位悪魔を二匹も置いていかれたので、クルスと仲間たちは混沌の君を追撃することが叶わなかった。
「ダイノン、アイザック、ノエル。お前たちは右のやつをやれ!マルチナとフラニルはおれと左だ!ベンは後方支援を!」
「了解!」
ノエルとフラニルの放つ魔法攻撃から新たな戦闘は開始された。戦士たちが接近戦で悪魔と斬り結び、ベンは肉体強化や治癒の魔法で支援した。
ノエルとフラニルは敵の強靭さに苦労しつつも少しずつ魔法抵抗に穴を穿った。殴り倒されて気絶したマルチナに代わりベンが槌を構えて前進した。
「ラクシ、背を撃て!」
「わかった」
必中のタイミングで<戦乙女>を召喚し、傷だらけのクルスはここが正念場と一歩前に踏み出した。<戦乙女>の槍撃と挟み撃ちにしたところへフラニルの衝撃波も炸裂し、とどめとばかりにベンの放った聖なる光が遂に悪魔を絶命させた。
一匹が倒されたことで形勢は一気に傾いた。ダイノンの戦斧が残った悪魔の首を飛ばす迄にそう時間はかからなかった。
二匹の上位悪魔を片付けたとあっても、クルスの心が晴れることはなかった。三つもの高度なマジックアイテムを操り、咄嗟の魔法で空間転移を成した正体不明の敵の存在を思えば、それも致し方なかった。
(おれをアディリス姓で呼び、悪魔をも操る程の敵……。間違いなく、奴はヴァティに縁のある傑物だろう。だが一体何者だ?)
委細を何一つ明かさぬままに消えた混沌の君が残したものは、「<福音>の娘を当たれ」という何ら保証のない助言だけであった。四柱に言及されたことで、クルスはその言葉の意味するところを吟味せざるを得なかった。
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<リーグ>の政治は時として大国の思惑に左右された。復興途上の要塞都市にはアケナス各地から幹部傭兵が集結しており、カナル帝国に誕生した新帝への向き合いが相談されていた。
要点は二つ。一つはサンク・キャストルを襲撃し暴虐の限りを尽くした白騎士団、引いてはカナル帝国へ求める損害賠償に関して。もう一つはカナルと並ぶ大陸西部の雄・ベルゲルミル連合王国からの大口の依頼をどう処遇するか。
本部庁舎の会議室には名だたる傭兵たちが顔を並べていて、各議題に意見を戦わせていた。議論をリードするのは丸縁眼鏡を掛けた白髪の人物で、<リーグ>で参謀の地位にある<脱兎>のエックスであった。
「カナルの新帝に対しては強気で交渉に臨む。皆さんの発言を集約するとそうなりそうですね。問題はベルゲルミルからの要請です。かの国は正当なルートで、正規の料金にプレミアムを上乗せしてまで戦力の拠出を求めてきました。表面上これを断る道理はありません」
物腰柔らかなエックスの言に対して、反論は剛を匂わせる野太い声でなされた。
「馬鹿な!ベルゲルミルの狙いはカナルへの復讐戦ぞ?奴等の要望通りに傭兵を派遣したなら、ベルゲルミル・傭兵総連盟の連合対カナルという構図が出来上がってしまうではないか!」
「それに何か問題でも?」
「大有りだ!如何なる理由で戦争が起きても、<リーグ>は勢力に関わらず公正に依頼を受ける。物差しは傘下の傭兵の損得のみ。その原則を忘れたか、エックス参謀?」
「ベルゲルミル連合王国の依頼に応えたならば、<リーグ>現有戦力の大半を差し出すことになる。カナルからも同様の依頼がくるかもしれない。その時は残った傭兵を貸し出す。話は意外と単純なのだと思いますが」
エックスの説明には矛盾がなく、列席者たちの中に我が意を得たりと頷く者は少なくなかった。だが傭兵たちの心情は若干カナルに同情的であった。皇帝と皇太子を悪魔に虜にされたばかりか騎士団長には出奔され、挙げ句ベルゲルミルの策謀により内戦は激化させられた。ようやく始末がついたかと思えばベルゲルミルの逆恨みで、<リーグ>を利用して更なる戦乱を招こうという目論見であった。
エックスの提示した受容論を核に話し合いは続けられた。そもそもエックスは一年前にソフィア女王国の女王と特別契約を交わしたことで知られており、それを知る反ベルゲルミル派の傭兵が簡単に折れる道理はなかった。
すらりと長い手が真っ直ぐ天井に向けて挙げられたのを、その場に座した誰もが注視した。エックスはその主を指名して発言を促した。
「ベルゲルミル連合王国には幹部傭兵が三名程派遣されていた筈です。翻って、カナル帝国は現状無仕官状態にあります。これでは何が公正で、どの道が構成員にとって最善かを判断する根拠に乏しいと言わざるを得ませんね」
「同志ラビオリの意見はごもっとも。ただし、判断の根拠が皆無とまでは言えない事情もあります。<リーグ>本部の不干渉命令を聞かず、内戦に際してにネメシス・バレンダウン帝に協力していた者達がいましてね」
「エックス参謀。差し支えなければ、その者らの素性を御教示願いたいのですが」
「バレンダウン支部の所属ですし、もしや貴女にも縁がありましたか?クルス・クライストです。<疫病神>の通り名で知られていますね。他に彼に感化されたか、フラニル・フランという若いマジック・マスターが参戦していたという情報も寄せられていますよ。同志リン・ラビオリ」
「クルス・クライスト……」
リン・ラビオリは御年二十六の妙齢の女で、バレンダウン支部へ所属する身ながらに傭兵総連盟の幹部傭兵でもあった。スコア1200超という驚異の数字は彼女を所属支部に留め置かず、いまは北部ミスティン王国で剣術指南にあたっていた。
傭兵という身分に似合わぬ繊細な美貌と洗練された技を有することから、彼女をして<花剣>と皆は呼ばい、その実力と容姿を等しく敬っていた。リンは悪魔退治に定評のあったクルスを指名して任務に当たったことがあり、その際に彼の腕前と飄々とした人柄に興味を覚えたことを思い返していた。
エックスは、クルスの助力を得たことでネメシスが玉座から悪魔を祓えたことや、チャーチドベルンやバレンダウン支部の傭兵を動員して白騎士団に対抗した一年以上前の事変を詳しく解説した。そして、一年の放浪を経てカナルに帰還したクルスがまたもネメシスを助け、マリス侯爵やベルゲルミル公国軍を破って見せたのだと公言した。
「此度のカナル内戦においてネメシス帝とマリス侯の力の差は僅かなものであったと思われます。クルス・クライストが戻る直近までの情勢がそれを物語っている。では一人の力が戦局を変えたのかと問われれば、無論そこには他の要因も介在すると答えざるを得ません。しかし、彼はもはや一傭兵という枠組みに収まってはいない」
リンはエックスの語るに任せ、彼女の持つクルス像を補強することに努めた。
(……もしかすると、私の見積りは甘かったということになるのかもしれない。世界の敵を伐つのに彼が頼りになるとしたら……)
「調べた限りでは、彼の知己は元ベルゲルミル十天君のアムネリア・ファラウェイに始まり、ドワーフ王の片腕たる神官戦士ダイノン。さらにはカナル大森林のエルフ族長の娘・ノエルという具合に多岐にわたる。かくいう私も彼の言に耳を貸した口であり、その人となりを多少なりとも理解しているつもりです。そう……クルス・クライストはスペシャルなのです」
ベルゲルミルの対カナル政策への対応を協議していた筈が、いつの間にやらエックスによるクルス談義の独壇場と化していた。この一件によりクルスの名が<リーグ>において相応の意味を持つことになるのだが、それはもうしばらく先の話であった。
寧ろ<脱兎>のエックスほどの人物にスペシャルと言わしめたことで、カナルの内戦に堂々と干渉したクルスを咎め立てしづらい空気が醸成された点にこそ真価があった。そのことに気付いていたのはリンくらいのもので、彼女は近い内にクルスと接触することを心に決めていた。
(エックス参謀がこれほど買っているとは。あの時見せてもらった剣が全力でないことに期待するとしましょうか。彼が共に、ビフレストへと歩める達者であらんことを……)




