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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第二章 カナル承継
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6 黄竜の旗が立つ

6 黄竜の旗が立つ


 ベルゲルミル公国騎士団六百は、レイバートンの銀翼騎士団が抉じ開けたルートを辿り、カナル大森林の東側を回った。レデンス共和国とトード伯爵国を無血で通過してカナル帝国に入った。遅れること半日、連合王国の構成国家が一つ、サイ・アデル皇国の騎士団百五十も合流を果たした。


 ベルゲルミル公国、ソフィア女王国、ファーロイ湖王国、レイバートン王国、サイ・アデル皇国の五カ国がベルゲルミル連合王国の主要構成国家であり、これにアルケミア伯爵国や大小幾つかの都市、独立区などが加わって連合王国の全容を為していた。


「ゲオルグ将軍、遅くなりました。サイ・アデルの騎士団百五十、ただいま到着してございます」


 肩上で切り揃えられた黒髪の青年騎士は、騎士の見本のような綺麗な動作で白馬から下り立った。側近と卓を囲んで軍議に花を咲かせていた壮年のゲオルグは鼻を鳴らした。


「確かにゆっくりな旅路でしたな、モンデ皇子。我々だけでチャーチドベルン攻略を為そうかと考えていたところだ」


「レイバートン勢はどちらへ?」


「奴らなら帰った。大国王陛下への義理は果たしたと言ってな。……フン。あの者らが説明してくれよう」


 ゲオルグが忌々しげに視線を送る先に、ジットリスとディロンという二将の姿があった。モンデはそれを認めるや手を振って彼らに挨拶した。


 モンデに気付いたジットリスらはゆっくりと歩み寄ってきた。それにつれてゲオルグの眉間に険しい皺が刻まれていくが、モンデは気付かない振りをした。


「モンデ皇子。御助力感謝致します。遠路御苦労様でした」


「ジットリス卿、ガフロン卿。御無沙汰しております。寡兵で恐縮ですが、サイ・アデルは公国の要請に従うものであります。我らに何なりとお命じください。<天軍>・<飛槍>と同行出来るなどと、これ程の軍事的僥倖はございません。ここは一つ、連合王国の名に恥じぬ戦を見せてやりましょう」


 サイ・アデルの皇子が下手に出るものだから、武辺のディロン・ガフロンですら恐縮して頭を下げた。ジットリスは味方の総数が七百五十であると勘定し、ネメシス・バレンダウンの組織的抵抗はその数を上回れるとの分析を披露した。その上で、マリス侯を破ったとはいえ国力の衰退著しい今がカナル攻略の絶好の機会であるとも説いた。


 モンデは頷くも、ジットリスへと素朴な疑問を投げ掛けた。


「レイバートンの銀翼騎士団は何故帰国されたのですか?それに、二軍のみでカナル征伐というのも解せませんが」


「はい。ラグナロック様とは私とディロンとが直接交渉にあたりました。あの方が言われるには、十天君二名を救出し、公国騎士団の通り路を作ったことで要請への義理は果たした、とのことでした。戦線に留まるよう依願したのですが、お聞き入れはいただけず……」


 ジットリスの言にディロンは口を挟まず、殊勝にも無言で佇んでいた。それとは対照的に、ゲオルグは苦虫を噛み潰したような顔で堂々と批判を口にした。


「敵前で怖じ気付きおって!それでよくも<翼将>などという大層な二つ名を名乗っていられるものよ。大敵たるカナルと戦わずして、どこで武勇を発揮するというのだ」


「ゲオルグ将軍、皇子の御前で口が過ぎるぞ。此度の作戦は連合王国に事前の了承を取り付けておらん。ラグナロック様のお立場からすれば当然の選択だ。寧ろ白騎士団と剣を交えられたことに驚きを禁じ得ん」


「ジットリス卿。ファーロイも動かず、ですか?」


 ゲオルグの頭に血が上りかけた点を察知し、モンデは話題を転換した。それが分かったジットリスは内心で謝意を示し、連合王国諸国の反応を語って聞かせた。


 ジットリス及びベルゲルミル公国からの緊急要請に対して、全面的な応諾を示したのはサイ・アデル皇国のみ。レイバートン王国はジットリスらの救助が済んだことで帰途につき、以降の参戦を見合わせた。ソフィア女王国はカナルとの全面対決を望まぬウィルヘルミナ女王が騎士団の派遣を見送る決を下した。これにはマジックアカデミーの第二位にあるアンフィスバエナが反発し、国内で激しい政治議論が闘わされていた。ファーロイ湖王国はというと、中途半端な侵略戦争では必ず失敗すると主張し、連合王国総体としての出兵でなくば与しないと宣言した。これにはボードレール公爵公子の意向が反映されていると噂され、ここにおいても十天君の参戦は幻となった。


 ちなみに歴史的にベルゲルミル公国と不仲なアルケミア伯爵国に至っては、返信すら発していない始末であった。


「成る程……見事に足並みが乱れましたね。そうは言ってもこちらには十天君が四名。弱り目のカナルに負けてやるわけにはいきません」


「モンデ皇子、それでは<烈女>を伴っておいでですか?」


「無論です。うちの騎士団の要は彼女ですから。私はマジックマスター小隊の長に過ぎません」


 モンデは柔和な笑顔をジットリスらに向けた。<烈女>は次期十天君の有力候補に挙げられる若き女騎士で、アムネリアが欠けたことで昇格を確実視された逸材であった。


 サイ・アデルの騎士団はモンデ皇子と<烈女>のレベッカ・スワンチカという実質二名の十天君を抱えており、ジットリスやディロンと合わせて四名が揃う計算となった。


 ディロンはモンデ皇子の言に力強い頷きを見せるが、ジットリスは手放しには喜べなかった。


(十天君が四人、一つの戦場に出揃うなど確かに豪勢ではある。しかしカナルにはアムネリア・ファラウェイがいると聞く。ディロンと互角に斬り合う素性の知れぬ剣士に、バレンダウン伯の片腕と呼ばれしマジックマスター・フィニスも健在であろう。それとラグナロック様が言い残した腕の立つエルフの小娘がいたとして、或いは十天君に匹敵する武将が集まりつつあるのを感じる……)


 既にベルゲルミルの公王は必勝を断言しているといい、本格的に戦端を開く前に撤退を選ぶことはジットリスにも出来ない段階にあった。バレンダウン伯の軍とは帝都チャーチドベルン付近でぶつかる目算であり、相手の疲労が濃いであろう緒戦で決着を付けるべきだと彼は判断していた。


 レイバートンの銀翼騎士団と交戦したという白騎士団の足取りは見失っていたので、ジットリス得意の各個撃破の策はとりようがなかった。狙いとしては白騎士団と諸侯軍の連携の綻びを突くことが考えられたが、ジットリスはゲオルグの率いる自国軍とモンデ皇子のサイ・アデル軍の融合にも同等に自信がなかった。前者・ゲオルグの統率力をそれほど信用出来ないところに彼の弱音が見え隠れし、いっそのことモンデに全軍の指揮を委ねたいとさえ考えていた。


 あれこれ考えるジットリスを無視する形で、ディロンは自分が先陣をきってカナル軍を粉砕して見せるといきり立った。それを聞いたモンデも「うちのレベッカも負けてはいませんよ。<飛槍>と<烈女>の勝負といきましょうか」と軽快な調子で応じた。


 この時ばかりはジットリスとゲオルグの心中が同調を見せており、立場の複雑さから反目せざるを得ない両者にとって歓迎されざる事態を生み出していた。


(せめて……ラファエル・ラグナロックと銀翼騎士団が残っていてくれたら……)



***



 ベルゲルミル勢の思う程にカナル側の迎撃戦力は整っていなかった。ネメシスがいくら慰撫しようともこれ以上の継戦に難色を示す貴族は少なくなかった。兵站の限界が近付き、レジミェール周辺各地の市民感情の昂りも捨て置けず、まとまった数の騎士を西部一帯やチャーチドベルンに張り付けざるを得なかった。


 ネメシスは軍列において自身のバレンダウン伯爵旗を大々的に掲げさせた。赤地の上に黄色い竜が意匠化され、背後には金糸で刺繍された一対の槍が隠れていた。


 残ったのはルカやフィニスの率いるバレンダウン騎士団を核とした戦力であり、彼らは自身が信奉する黄竜の旗を見て身体の内から力がみなぎるのを感じていた。


「マイルズとカナルの神官は三十かそこら残った。上出来だろうて」


「ふむ……クルスがいれば、チャーチドベルンの<リーグ>にも話を付けられたかもしれんがな。時間が足りぬ」


 ダイノンとアムネリアの姿は当然のようにネメシスの軍中にあった。ネメシスの抜擢により部隊の総指揮はアムネリアがとることとなっており、夜間にも関わらずこうして幕下で作戦を討議していた。


「アムネリア殿!白騎士団から伝者が着きました!合流地点はチャーチドベルンから真東に一日。クルス殿とノエル殿も参軍しているとのこと!」


 ベンの報告を受け、アムネリアは椅子から腰を浮かせた。


「……そうか。あの者は無事であったか。何とも悪運の強い男だ。では、銀翼騎士団は退けられたと?」


「それが……何でもレイバートン軍は自発的に退却したとか……」


 ベンは伝者から聞いた内容をまま伝え、アムネリアはそれによってベルゲルミルの事情を推察した。


(やはり一枚岩とはいかなかったな。レイバートンから騎士団が出張らないのであれば、こちらにも勝機はある)


 アムネリアは明朝からの行軍で集合のタイミングを合わせるとベンに申し渡した。ベンはルカとフィニスにそれを伝達すべく足早に天幕を飛び出した。


「お前さん、にやけとりはせんか?色男が生きていたと知ってさぞかし嬉しいのであろう」


「ふむ。それには違いない。相手がラファエル・ラグナロックと聞いて、あの者の死を半ば覚悟していたものだからな」


 アムネリアは平然と言った。彼女が冗談を言う性格でないことはダイノンも承知していたので、そこに<翼将>の実力の程を垣間見た。


 アルテ・ミーメの統べる白騎士団が対ベルゲルミル戦で最大の武器となる点は間違いなく、これによりアムネリアは下手な策を弄することなく戦術の考案に専念出来た。敵にベルゲルミル一の軍師ジットリスが在籍していると分かっていても、もはや謀がものを言う場面ではなかった。アムネリアは自軍の兵を基本に忠実に動かすことと決め、後は卓越した武将たちが十天君を相手にどれだけ真価を発揮出来るかに賭ける腹積もりでいた。


 テーブルに広げられた地図を睨み付け、模擬戦用の兵駒をあれこれと動かしているいるアムネリアへと、ダイノンは必要に応じて資料や助言を提供した。彼はここではあくまで補佐役に徹し、いざ戦場においては身体のままならぬアムネリアに代わって先鋒を任されるつもりでいた。


 アムネリアが目頭を揉んで一息付くと、折よくフラニル・フランが差し入れの茶を手に顔を出した。


「なかなか気が利くのう。……そなた、ベルゲルミル戦にも同行するのか?」


「ここまで来て、はいさようならというわけにはいきませんよ。スコアには影響しないかもしれませんが、アムネリアさんの好感度を上げるチャンスですからね」


「はっはっは。小僧、なかなか良い度胸をしておる。美しい花には刺があるというが、危険を避けては蜜は得られん。その心意気を忘れんことだ」


「はい、ダイノンさん。断崖絶壁の登攀を目指すことこそ男の浪漫ですから」


「うむ。良い心掛けだな」


「……何を男二人で通じあっている。美しいかはさておき、私に刺などない。断崖だの、ありもしない噂になる故物騒な物言いは控えてもらおうか」


 半眼で睨み付けて二人を黙らすと、アムネリアはカップに口を付けて茶の香りと味を楽しんだ。フラニルが世間話でもするかのようにアムネリアへと話し掛けた。


「そうそう。すぐそこでフィニス女史を見掛けましたよ。あの人も働き者ですねえ。兵に混ざって自分も資材を運んでいました」


「休むように言っておいたのだがな。若さというより、あの娘の性分であろう」


 同じ歳でありながら、アムネリアは年少者に対する口振りで言った。


「貴族様に仕えるのって大変そうですね……。僕にはとても真似出来ない。だから傭兵をやっているわけですが」


「フィニスは特別であろう。いわくは知らないが、見たところネメシス様への忠義に一点の曇りもない」


「へえ……。恋人とかいるんですかね?」


 ダイノンが欠伸をし、「ワシはそろそろ休むとするぞ」と言って席を立った。彼が気を利かせて自分とアムネリアを二人きりにしてくれたものと邪推して、フラニルは「御苦労様でした!」と溌剌と応答した。


 去り際に、ダイノンがアムネリアの耳許で一つ確認をした。


「……十天君というのは、敵として討ってしまっても良いのだな?」


「当然だ。私はもうベルゲルミルの武将ではない。何も遠慮はいらんぞ」


「分かった」


「案ぜずとも、十天君が出てきたら私が請け負う」


「指揮官の分際で何を言う。お前さんが前に出てきて良いのは、戦の風向きが定まってからよ。鉄火場の担当はワシや色男に任せておけ」


 手をひらひらと振って、ダイノンは大股に歩いて天幕から出ていった。人間と比べて重心が低く重厚感もあるので、アムネリアとフラニルはダイノンの踏み込むにあわせて小さく地面が揺れたように錯覚した。


 フラニルは空いた椅子に腰を下ろすと、十代の若者らしい感性でアムネリアに質問をした。


「アムネリアさん、いま恋人はいないんですか?」


「……そなた、軍中にあらざる空気よな。おらん」


「でもこれだけ綺麗だと、たくさんの男から言い寄られるでしょう?」


「否定はせんが、私がネメシス様に合流したのはつい最近だ。誰と親睦を深める暇もなかった」


「そうでしたか。ちなみに年下は嫌いですか?ずばり僕のことなんですが」


「恋の営みに年齢など関係あるまい。己の心に正直であれば良いと、クーオウル神も言っている。だが、私は今それにうつつを抜かすつもりがない」


 話は終わりとばかりに、アムネリアはカップをやや強めに机に置いた。フラニルも取材は充分と、念入りに挨拶してその場を辞した。


 残されたアムネリアは少しだけ軍略に思考を巡らせた後、クーオウルへの祈りを捧げて就寝した。その夜の彼女の夢には、共に祖国の政治の清流を志して通じあった男が懐かしくも登場した。翌朝のアムネリアの寝覚めは形容しがたいものとなった。



***



 大森林に近いこともあってか、針葉樹の林立したその一帯は直ぐに見付かった。チャーチドベルンへ向かうであろうベルゲルミル勢の通り道に陣立てをするにあたり、アルテ・ミーメは雨よけを考えて林野に目星を付けた。


 水の確保については精霊と交信の可能なノエルが協力を申し出た為、白騎士団とクルスらの関係性は目に見えて向上した。


 クルスは陣立ての様子から、連戦になるであろう騎士たちの人心をアルテ・ミーメがよく掌握していると知った。先の戦いでは、彼女の頭に血が上り指揮こそ見られたものではなかったが、少しだけ見直していた。


「なんだ?何をにやついている。気色が悪い」


 作業を手伝うことなく木陰から自分のことを窺っていたクルスに、アルテ・ミーメが険悪な態度を見せた。樹々を母とするノエルは率先して騎士たちと寝床作りに出ていて、クルスだけが暇をもて余していた。


「いちいち突っ掛かって来ないと気が済まないのか?おれは騎士じゃないし、黄竜の旗だけを仰ぐ身だ。……なんならここを出てネメシス様と合流するが」


「いまエルフの娘に出ていかれると困る」


「ノエルとセットであれ、一応は評価してもらえているようだな」


「貴様にも働いて貰う。……騎士団の先鋒としてな」


 アルテ・ミーメは忸怩たる思いを胸にそう告げた。部外者に栄光の白騎士団の先陣を任せるなど、プライドの高い彼女からして並大抵の譲歩では済まなかった。


 だがウェリントンだけでなくジル・ベルトまでも失ったことが白騎士団の突破力を大きく損ねている点は否めず、クルスやノエルの高い戦闘力はベルゲルミル勢と戦うにあたり必要不可欠なものとアルテ・ミーメの目に映っていた。まさに苦渋の決断であった。


「戦に紛れておれを始末でもする気か?先鋒なんぞを務めれば、確実に十天君とかち合うじゃないか」


「貴様が十天君と剣を交えたならば、それだけ伯爵閣下の身の上が危険から遠ざかるのと違うか?あの方の御気性からして、此度の戦列から外れるということもあるまい」


 アルテ・ミーメの言にはクルスも同意した。ネメシスが戦場に出てくる以上、彼女を害する策は全て潰して回らなければならなかった。


 アルテ・ミーメはそれきり言いにくそうにして、クルスが背を預けている樹の反対側に寄り掛かった。不自然な沈黙が続いた。二人の間に漂う妙な圧迫感に堪えかねたクルスは、先程の鍔迫り合いを忘れて自分から話を振った。


「何か聞きたいことがあるのだろう?話してみたらどうだ」


「……悪魔になるというのは、どんな感じであろうか?」


「なったことがないから答えようもない。ウェリントンのことを言っているのだろうが、そもそも奴が悪魔になったという確証がない。状況からそれしかないと導き出された推論でしかないのだからな。一人の人間が完全な悪魔に変態するメカニズムなど解明されていないし、思い込みは道を危うくするぞ」


「しかし、ウェリントン様は間違いなく宙に浮いていた。そして飛翔の際に通常の魔法力が感じられなかった。手にした剣からも禍々しい気が放たれていたし、あれで同じ人間とはとても……」


「……まあな。賢者の石に秘められている無限の魔法力を利用した詐術、という線も捨てきれないが。奴に関しては直接質さないと、目的を含めて何も分からないし進展はない」


「ふむ。国家騎士団に雇われている身でウェリントン様個人に執着している私は、指揮官に相応しくないのであろうな……」


「おい。面倒なことを言い出さないでくれ。ここで騎士団を頼むだとか言うのは無しだぞ。出来っこないんだからな」


 クルスは上半身を捻って向こうのアルテ・ミーメを見やるが、樹の幹に隠れて表情は知れなかった。


(戦の前に、こいつに感傷的になられては困る。騎士たちがついてくる筈もなし、おれが白騎士団の指揮をとることなんて不可能だ)


「ウェリントンという御仁はそんなに魅力的であったのか?おれの方がいい男だと思うがな」


 クルスはわざと軽口を叩いて様子を見た。彼は女あしらいには慣れていたし、進んで自分の下にやって来たアルテ・ミーメが話を聞いて欲しいと思っていること自体に間違いはないと踏んでいた。


 アルテ・ミーメはそれに応じて沈んだ声音で心境を語り始めた。ウェリントンの圧倒的な武力に憧れていたこと。毅然とした態度や常に余裕を失わない泰然自若な人格に惹かれていたこと。


 部下の失敗を冷徹に弾劾したかと思えば果断にも己が身体を張って失地を回復し、私心を明かすことなくしてそのカリスマは周囲の関心を引いた。アルテ・ミーメもウェリントンの熱狂的なファンの一人であり、彼に認められたいが為騎士として研鑽に努めてきた。


 先年、そうしたウェリントンとの関係性が崩壊した際にも、彼がいつ戻っても良いよう白騎士団の維持にひたすら尽力し、絶えず気を張っていたことで精神の恐慌に対抗した。それが彼と再会したことで気が弛み、今のアルテ・ミーメは精神的負荷の制御を失って身心のバランスを危うくしかけていた。


 ウェリントンへの想いを吐露しつつも、アルテ・ミーメは感情に任せて泣き崩れたりはしなかった。淡々と、自分がここまで積み上げてきた騎士としての経験が意味のないものに成り下がったという苦悩を告白した。クルスは彼女が口を閉ざすまで黙って聞いていた。


「……自分の生き方は自分で決めるといい。おれも全てを失ってカナルへと逃げてきた口だ。文句はない。お前が何を捨てたとして、誰に責められる筋の話じゃないさ」


 クルスは背中の樹越しにそう慰めの言葉を切り出した。自分の助言など必要とされていないと分かっていたが、あと一戦だけ奮起してもらう為敢えてそうした。


「だがな、ウェリントンはお前を助けに来たんだ。<翼将>とベルゲルミルにいいように遊ばれている白騎士団に我慢がならなかったのだろうよ。それが一時の気の迷いにせよ昔馴染みへの餞別にせよ、お前は奴の行動に報いる必要があるんじゃないのか?」


 この手の説法は卑怯であるとクルスは内心で自己批判をした。しかし今はウェリントンへの想いだけがアルテ・ミーメの士気を繋ぐものと確信していたので、手加減をするわけにはいかなかった。


「それに、ウェリントンは悪魔を除こうとしたネメシス様に抗った大罪人。奴と気脈を通じていたお前が贖罪を果たさずして、誰がカナルの汚辱を雪ぐというのだ?今を逃せば、お前も白騎士団の騎士たちも天上に召された暁に聖神カナンに約束された楽園へは招かれまいよ」


 宗教的に、カナンの信徒達は死後に楽園クラナドへ導かれると信じており、それに値する善行の蓄積を己に戒めるとされていた。白騎士団は篤信で知られ、クルスの脅しにアルテ・ミーメははっとさせられた。


 回り込んでクルスの正面に出たアルテ・ミーメが、悩みを吹っ切ったような清々しい表情を見せた。


「ありがとう。身の処し方を決めるのは、ベルゲルミルの奴らを追い返した後とする」


「そう願いたいな。本意じゃないが先陣は務めさせてもらう。危ないのはおれがやるから、大局を見て指揮に励んでくれ」


「……ウェリントン様程ではないが、貴様も充分にいい男だ。私が騎士で無ければ惚れていたかも知れんな」


「どうも」


 クルスは満更でもなさそうに笑みを浮かべた。


 その後白騎士団はネメシス軍と合流するまで陣中で英気を養い、万全に近い状態で布陣した。カナル帝国軍八百とベルゲルミル連合王国軍七百五十は、チャーチドベルンの東で無言のままにぶつかった。



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