散華-2
***
ウィグラフと斬り結んだ瞬間に、ラファエルの横薙ぎの一閃がクルスを斬り飛ばした。電光の如き高速の剣撃は、クルスの胸甲を破壊して彼の胸を強かに打った。
その動きと呼応して、フレスベルグは嘴から激しい炎を吐き出した。ノエルが風の魔法で懸命に威力を散らせ、<戦乙女>は怪鳥の額を狙ってグングニルを叩き込んだ。
「敵将が来るぞ!討ち取れ!」
クルスを退けたラファエルとウィグラフが前に進み出、アルテ・ミーメの指揮で白騎士団の騎士たちが迎撃を試みた。
先頭の騎士を剣ごとアイギスの盾で弾き飛ばすと、ラファエルは剣の一突きで相手の鎧を貫通させた。ウィグラフの剣さばきも秀逸で、立て続けに二騎の胴を斬り払って落馬させた。
「止めよ!……あっ?」
アルテ・ミーメは驚愕の声を上げた。猛威を振るう二騎に加え、頭上から広く影を落とされたことでフレスベルグの通過を確認したためであった。
クルスが気絶したことで<戦乙女>は姿を消し、ノエルただ一人ではフレスベルグの力を抑えきれなかった。
「炎の息吹、喰らわせてみせろ」
ラファエルの命令に即座に反応し、フレスベルグが高い位置から火炎のブレスを叩き込んだ。魔法による耐火の間に合わなかった騎士と馬がたちどころに焼かれ、難を逃れた馬とて恐慌を来した。統率の乱れた白騎士団など、ラファエルとウィグラフの目には脆い存在と映った。
(いけない……巻き込まれて、このままだとクルスともどもやられちゃう!)
クルスの下に駆け寄って、止めと向かってきた敵騎士を細剣で牽制しながらノエルは憂慮を募らせた。怪鳥に自由を許せばこの狭い道では対処に難があり、かと言って彼女一人の魔法で制するには荷が勝ち過ぎていた。
ラファエルが全騎を突撃させる素振りを見せ、アルテ・ミーメは劣勢を悟った。
(私は馬鹿だ!こうも簡単に敵に乗せられ、あろうことか腕っぷしで負けて全軍を崩壊へと導いた!ウェリントン様が築き上げた白騎士団の勇名と栄光を、こんな形で失うとは……)
一陣の風は鋭い轟音を伴った。
その剣閃は圧力を伴っていて、ラファエルはアイギスの盾をかざしてどうにか受け止めた。彼の周囲では拡散しても残った威力から地面が陥没し、それを目撃したウィグラフは信じられないといった面持ちで、予告なしに中空に出現した偉丈夫へと意識を奪われた。
「ダーインスレイヴの斬閃をも防ぐか。聞きしに勝る防御能力だ」
「……!ウェリントン様?」
人外宜しく鎧姿のままで虚空に浮かぶ男の背に、アルテ・ミーメはすがるようにして声を投げ掛けた。
「アルテ・ミーメ。お前たちの不甲斐無い様を見ておれず、つい手出しをしてしまったではないか」
「申し訳ありません……ウェリントン様」
「ラファエル様。賢者の石を持ち去ったとかいう魔人がのこのこと現れたようです。ソフィアのウィルヘルミナ女王陛下が指名手配をかけていたかと」
ウィグラフはウェリントンの登場にも慌てず、持ち前の冷たい瞳で敵を射抜いた。ラファエルはウェリントンの手に握られし歪な形をした剣に注目していた。悪魔の王アスタロトが所持していた神剣ダーインスレイヴは鞘から抜かれたが最後、易々とは魔法力を収めないことで知られていた。
「……それは我らが国王陛下の勅ではない。だが、あくまで敵対するようなら話は別だ。私が排除する」
ラファエルの言に揺らぎはなく、その場にいる誰しも両雄の立ち会いが始まる様を思い浮かべた。バトンを渡された形のウェリントンは口の端を歪め、短くくつくつと笑声を返した。
「賢明だよ、<翼将>。だが私からは注文を付けさせてもらう。今すぐにここから立ち去れ。さもなくば銀翼騎士団の歴史は今日で終焉を迎えることになる」
「話にならんな」
「だろう?私も自分の選択に驚いているところだ。カナルでは十分に血が流れた。四柱復活の下準備は整ったことだし。あとはただ立ち去るのみであったのだが……とんだ余興だ待っていた」
ウェリントンは目に見えぬ速度で神剣を振り抜き、その剣圧は白騎士団を強襲していたフレスベルグを一発で吹き飛ばした。聳え立つ岩壁に打ち付けられ、怪鳥と岩の破片が音をたてて落下した。
「ラファエル様」
「……待て」
黒刀を握り直し、今にもウェリントンへと仕掛けようとするウィグラフをラファエルが制した。自軍の後方から副将であるライカーンが進み出て、ラファエルへと注進した。
「後軍より狼煙が上がりました。ジットリス様とガフロン様の受け入れが完了した旨、確認!」
「分かった。……ウェリントンよ、聞いた通りだ。我等は任務を果たした故撤退する」
ラファエルは感情を表に出すことなく語り掛けた。軽く左手を動かすと、地に伏せったフレスベルグの全身が無数の光点を残してかき消えた。
「命拾いしたな」
ウェリントンの返しを無視し、ラファエルは踵を返した。ライカーンが銀翼騎士団全騎に退却を申し渡した。馬を進めるラファエルの背に、場違いな呼び掛けをする者がいた。
「待ちなさい、<翼将>!いまここであいつから賢者の石を取り返さないと、アケナスは滅びへと突き進むわよ!」
声の主はノエルで、言うが早いかノエルは風の刃をウェリントンへと差し向けた。ウェリントンは些かも動じずに不可視の障壁によって魔法抵抗をして見せた。
アルテ・ミーメがノエルの元へと駆け寄り、彼女の頬を張った上で腕を捻り上げた。
「何をしている!銀翼騎士団を追い返したは、ウェリントン様であるぞ!」
「……あんた!自分が何を……」
怒りに任せて反論をぶつけようとしたノエルへ、アルテ・ミーメが目だけで自制を促した。ノエルの腕を固めつつも間接にダメージがいかぬよう配慮がなされており、何より真摯な瞳の色がアルテ・ミーメの心情を物語っていた。
「くっ……!」
ノエルとて、ここでウェリントンを敵に回して銀翼騎士団がとって返せば破滅を迎えると分かっていた。それでも一年追い続けた大敵を目の前にして、それと互角に戦い得る人材までもが揃ったこの状況をみすみす逃すことは受け入れるに忍びなかった。
呼び止められた形のラファエルは興味深げにノエルとウェリントンを眺めていたが、続く反応が無いとみるや旗下の騎士団と共に北へと去っていった。それを見届けたアルテ・ミーメがウェリントンへと声を掛けんとするも、機先を制された。
「アルテ・ミーメ。次に会う時は敵同士であろう。だがいまの体たらくでは喰い甲斐がない。それまでに精進するのだな」
「ウェリントン様?お待ちを……」
静止の言は届かず、ウェリントンは生身で岩壁の頂上まで上昇してそのまま身を隠した。アルテ・ミーメは呆けたように黙って天を見上げていた。
ノエルの看病で目を覚ましたクルスは、彼女の口から顛末を聞きつけて情報を整理した。
ウェリントンが悪魔の王の思想を継いで四柱の復活を望んでいたこと。これはエヴァキリアを用いてカナル帝国の弱体化を図っていたことと繋がった。それに加え、封印の施されたこの地で多くの血を流させることも目的の一つであったようだと判明した。ラファエルがマリス侯の客将二人を迎えて撤退したことは、ベルゲルミルが連合王国総体として即座に全面攻勢に出る向きにないと判断する根拠となった。
(それにしてもあの撃ち込み……まともに斬り合っては勝てないか。やはりアケナスは広い)
胸の具合を確かめながら起き上がったクルスへと、心配そうな顔付きのノエルが寄り添った。アルテ・ミーメはいつまでも呆然としてはおらず、部隊をまとめ上げるとトード領からの退却を指示した。
「……賢者の石を取り返すチャンスだったのに」
「そうでもない。もし銀翼騎士団が味方してくれたとして、ウェリントンを討ち取ってもやはり石は持っていかれたことだろう。<翼将>がそう欲すれば、あの場の誰も止められなかった」
「でも……」
「ヒントは得た。それでよしとしよう。奴がカナルに封じられている四柱の復活を狙っているのなら、必ず次のアクションを起こしてくる。こちらはそれに先んじて対策を施せば良い」
ノエルの悔しさが分かる手前、クルスもそれ以上は言わずに彼女の肩をそっと抱いてやった。責任感の強いノエルは四柱復活の危機を自分の蒔いた種と曲解している節があり、そうした思い込みはときに彼女を過激な行動に走らせるとクルスは危惧していた。
「……あの騎士団、また侵入してくると思う?」
隠していた馬に跨がり、並走しかけたところでノエルが疑問を口にした。白騎士団の後尾からアルテ・ミーメがゆっくりと馬を下がらせてきて、二人の会話に耳をそばだてた。
「大森林の北辺を脅かしたベルゲルミル公国の騎士団は、遠からず経路を変えて侵入してくるだろうな。銀翼騎士団は……どうだろう。マリス侯の下に置いていた十天君の救出・保護だけが目的なら、これでレイバートンに帰還してくれるかもしれない。なにせ<翼将>のところの国主は不戦を信条とする穏健な人物として名高い。いくら敵国の内戦が激化していると言っても、徒に介入を企てたりはしない気がする」
「トード伯爵国の騎士団を倒しているのに?」
「……そうだな。人となりをよくは知らないが、<翼将>個人が好戦的であっても別段不思議はない」
アルテ・ミーメが横から口を挟んだ。
「貴様がここにいて、伯爵閣下は大丈夫なのか?」
「レジミェールを攻める諸侯軍の数は今や一千に届かんという勢いなんだ。今更フェイニール・マリスに負けたりはしない。アムとダイノン、それにフィニスやベンも置いてきた。アリス・マリスが不安定な黙示録の四騎士を召喚したところで対処に困ることすらないだろう」
「黙示録の四騎士が本物であるとすれば、封印を解術した輩がどこかにいることにはならんか?」
「それこそ、マリス侯についたマイルズの神官かウェリントンの仕業と睨んでいた」
「ウェリントン様にそこまでの魔法知識はなかったように思うが。……そう、ウェリントン様が悪魔と化したであろう経緯は伯爵閣下から伺っている。だが先程言葉を交わした限りでは、あれはウェリントン様の人格そのものに思えた。魔法力こそ賢者の石で増幅されているのかもしれないが、悪魔に転生したとしていきなり古代遺跡の儀式封印にまで精通するものか?」
クルスは馬を進めながらアルテ・ミーメの指摘した事項を検討した。確かにウェリントンが黙示録の四騎士を部分的にとはいえ復活させたと考えると、おかしな話でもあった。彼が遣わした魔獣エヴァキリアは、ネメシスとフェイニールが互角に戦っている内は中立的立場で両勢力を攻撃していた。対して黙示録の四騎士は当初からネメシスを敵として一方的に猛威を振るっており、カナルを弱体化させる方針とは趣旨が違って見えた。
(フェイニール・マリスを援助していたベルゲルミルの十天君の仕業か?……いや、奴らがカナルの遺跡で地下水路の奥まで捜索出来た筈がない)
「カナルのマイルズ神殿に、教義に反して魔性を使役しようと考える不届き者がいたと思うか?」
「私が知るわけがない。……が、聞き及んでいる範囲では、思想は兎も角魔法技術がそこまで及んでいないと思われる。古代史や悪魔の専門家などこの国には数える程しかいないのだから」
「そう。だとすると、おれたちのまだ知らないプレイヤーがカナルにちょっかいを出している可能性がある。腹立たしいことにな」
クルスの言葉にはそれなりに怒りが込められていて、ノエルとアルテ・ミーメは少しだけ気圧された。そして彼のいう第三者に思いを馳せるも、推量の限界を察して深く考えることを諦めた。
クルスと白騎士団はトード伯爵国からカナルへと帰還し、ベルゲルミルの次なる進撃を妨げるべく防御体制の構築を急いだ。
***
クルスだけがその存在を嗅ぎとった対象は、失意のままレジミェール付近を放浪していたジャン・ミリアンと接触していた。銀色の仮面で素顔を隠し、濃緑の衣で全身を覆った正体不明のその人物は、自らを混沌の君と名乗っていた。
道端に這いつくばり、息も絶え絶えな程に衰弱しているジャンの腕にはまった腕輪を指差して、混沌の君が不思議な声音で言った。
「その魔獣を制御・維持するのは、お前の魔法力では無理な相談だ」
「混沌の……君よ……。助けて、くれ……。私は……死にたくない。……私はカナルの、支配者と……なる……」
「何故<白虎>の口車に乗せられた?アリス・マリスを使いこなすだけで、誰にも後れをとることはなかったろうに。黙示録の四騎士は無敵ぞ、ジャン・ミリアン」
ジャンの瞳からは急速に光が失われていき、土気色に染まった顔は生気に乏しかった。それでも慈悲にすがるように震えた手を混沌の君の足下へと伸ばしていた。
ウェリントンが何をもってジャンに魔獣の召喚器を貸し与えたか、正確なところは混沌の君にも分からなかった。内戦を拡大させるにしてはエヴァキリアを使役するのに必要な魔法力は頭抜けて高く、消耗が先にきて今のジャンのような結果を招くこては明白であった。
(あの男……自分が白騎士団に属していた頃の未練を引きずっているのではあるまいな。力を得た者が、それを持たざるものへと分配した。単なる余興だが、矛盾した行動はそれでしか説明がつかない)
混沌の君としては、ウェリントンがカナルを去ったと確認のとれている以上、協定の方針に則るのであれば急進派であるネメシスに不利に運ぶよう工作を施せばよかった。ここでジャンに力を与えることは、彼がネメシスに敵意を抱いている限りは有効な筈であった。
「許さん……ネメシス……バレンダウン!許、さん……アリス・マリス……!」
(見境がない、か。これも一興。我らを母なる神の下へと誘う導線は決して一本ではない。この男がカナルにどのような惨劇をもたらそうとも、広いアケナスの大地にあってはほんの一滴に過ぎない)
混沌の君は奈落の腕輪をジャンからもぎ取ると、そこに新たな魔法を上書きして再び彼へと戻した。また、己の生命力をジャンへと付与して危急を凌がせた。
ジャンは混沌の君を救世主かと仰ぎ見るが、釣鐘型をした仮面はその視線の全てを拒否するかのように陽ごと反射して寄せ付けなかった。
「急ぐのだな。ネメシス・バレンダウンとフェイニール・マリスの決着は一両日の内にはつこう。その場にいなければ、お前は一生日陰者となる命運が決するのだから。ジャン・ミリアン」