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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第二章 カナル承継
31/132

  活路-3

***



「黙示録の四騎士ではなく、こっちが出てくるとはな。どうやらマリス侯へと宗旨を代えたようだが」


 アムネリアは魔獣エヴァキリアの前足による一撃を剣で受け止め、屈んで溜めを作ってから勢いよく斬り上げた。その斬撃を起点にして、フィニスとフラニルの放った炎の矢がエヴァキリアへと収束した。魔法抵抗を貫いて刺さった矢の衝撃にエヴァキリアが咆哮を上げ、そこへ戦斧を抱えたダイノンが突っ込んだ。


 斧による大旋回の攻撃を跳躍することで避け、エヴァキリアは離れた位置から魔法の起動態勢に入った。


「魔法抵抗いきます!皆さん固まってください!……我敬虔なる御身の使徒が請い願う。魔を退けし不可視の盾を賜らんことを」


 カナンの神官・ベンが対抗魔法を構築し、エヴァキリアの冷気魔法に備えた。彼は護衛の傭兵アイザックやマルチナと連れ立って二日前に帰参したばかりであったが、直ちに従軍していた。<リーグ>の傭兵二人は、内戦への加勢を拒んだ為にその場でネメシスから追加報酬を得て後方待機となっていた。


 ネメシスとルカの率いる軍勢はエヴァキリアの現れるや戦場を移した為、猛威をふるう吹雪に被害を受けるはアムネリアら対決要員だけであった。


「ダイノン、そなたの速度では簡単には捉えられまい。魔法攻撃に専念してはどうか?」


「ふん!余計なお世話だ。ワシにはワシの闘い方がある。黙って見ておれ!」


「あまり長引かせたくないものでな。その闘い方とやら、なるべく早く見せてもらいたい」


 言って、ベンの魔法障壁がエヴァキリアの広範囲攻撃を防ぎ切るや、アムネリアは地を蹴り距離を詰めに掛かった。己に処置された麻酔術の限界までは猶予が残されていたものの、近接戦闘でまともに斬り合いをさせて貰えずアムネリアの焦燥は募っていた。


 アムネリアらがエヴァキリアの面倒を見ている内に、ネメシスの本隊は数で劣るマリス侯爵軍の制圧を試みた。対する女将軍ポーネリア・ハウに残された手駒は二つであり、一つはジャン・ミリアンと彼の使役する魔獣エヴァキリア。もう一つの駒である強騎士ディロン・ガフロンは、この日も既に孤軍奮闘を演じていた。ディロンが槍を繰り出す度にネメシス軍の騎士は押し切られ、陣形の維持を難しくした。


「くっ……あの男さえいなければ、今頃敵軍は撃滅出来ていたろうに!」


「ルカ隊長、どうか冷静に。あの者に拘らぬ戦陣を敷いてじっくり削れば良い。今やこちらが多勢。ここで数を減らせば、マリス侯に残されしは西方の自領の私兵のみ。焦りは禁物ですよ」


「……はっ!」


 白髪の青年騎士はネメシスの諌めに気を落ち着かせると、隊列を分散させてディロンとの接触箇所を限定させた。ディロンが小隊への対処に忙殺されている隙に、残りの戦力でポーネリアの部隊を攻めた。


 ポーネリアの本隊に匿われたジャンは右手首に嵌められた腕輪を握り締め、ネメシスへの呪詛を唱え続けていた。それでも魔獣は少数の敵を駆逐出来ておらず、あまつさえ自身の所属部隊が危機に晒されたことで、彼は恐慌を来す一歩手前まで追い詰められていた。


(こんな筈では……こんな筈ではない!私は氷結の魔獣を自在に操れるのだぞ!マイルズの神殿どころか、一国を統べる資格すらあろうと言うもの!こんな……こんな結末……)


 ポーネリアの近侍までもが斬り合いに参加を余儀なくされたその時、ジャンは馬を駆って一人戦場から離脱した。


「ポーネリア様!ジャン・ミリアンめが逃亡しましたぞ!」


「捨て置きなさい!魔獣が有効活用出来ていない以上、奴が離れたとて戦力評価に影響はない!」


 気丈に振る舞うポーネリアにも大勢が決したことは見て取れ、さらにはディロンが単身下がってきた時点で敗北を確信した。馬上よりハルバードを突き下ろして近場の敵騎士を撃破すると、ディロンはポーネリアへと告げた。


「幕だ。勢いに差があり過ぎる。私はこれから自軍へと合流する。貴殿一騎程度であれば連れても行けるが、どうする?」


 合図も約束もなかったが、ディロンは己が才覚だけで迫るベルゲルミル公国軍へと到達出来ると信じていた。ポーネリアへと声を掛けたのは酔狂に過ぎず、短い時間ではあったが戦を共にしたことで彼女の答えに想像はついていた。


「有り難きお言葉なれど、部下たちを見捨ててはおけません。こちらには構わずお出になってください」


「見事。公国騎士団が参戦した暁には、貴殿らの仇を討ってみせよう。さらば!」


 ディロンが退却して後、ポーネリア隊は程なくして壊滅した。ネメシスからの降伏勧告は無視され、ポーネリアと彼女の側近たちは剣に倒れた。まさしく忠臣といえ、ここでもカナルの有為な人材が失われたことにネメシスは暗澹たる思いを禁じ得なかった。


 ジャンの逃亡するにあわせてエヴァキリアも姿を消し、この一戦に勝利したことでネメシスは帝都チャーチドベルンを掌中に収めたといって過言ではなかった。


「またしても逃したか……」


 剣を鞘に収め、動悸の激しい胸に手をやりながらアムネリアは溢した。エヴァキリアを打倒出来ず、召喚主と思われるウェリントンの気配すら感じ取れなかったことで、彼女の自責の念は強まった。


「仕方あるまい。勝敗は兵家の常。戦に勝ったことで良しとするべきだろう」


 ダイノンは斧を地へと置くと、首や肩を回して全身の無事を確かめた。一度ならず突貫して魔獣の尾や足で払われていたが、装甲だけでなく肉体も頑健なドワーフには致命傷とならなかった。


「あれが壮健な内はネメシス様も枕を高くして眠れまい。軍事への影響のみならず民草への被害や、暗殺すらも警戒に入れねばならん。フェイニール・マリスを捕らえるのが時間の問題であっても、エヴァキリアの脅威は変わらんのだ」


「公国軍が来とるのだろう?まだ戦は続くだろうから、やつとの再戦も遠からず訪れるだろうて」


「……だといいのだがな」


 アムネリアとダイノンとは離れた場所で、ベンが勝ち戦にも余裕なく傍らのフィニスに詰め寄っていた。彼はチャーチドベルンに潜入して、カナン神殿や帝立図書館で黙示録の四騎士に関する情報を集めてきていた。途中、手のひらを返すようにしてマリス侯への協力を撤回したマイルズ神殿において重大な発見をし、急ぎ帰陣した次第であった。


「……あの魔性の封印は完全には解かれていない、と。つまり、少しの力が漏れただけであれだけの力を発揮している、ということですね?」


「そうなのです。司祭や一部の神官たちは、神殿の裏手に祀られたマイルズの霊木の様子から封印に干渉する存在があると察知し、マリス侯には報告を上げていたとか。まさか侯自身が関与しているとは思いもしなかったようですが」


 マイルズが残したとされる霊木は黙示録の四騎士の封印と霊的に接続されていて、その生育状態から封印の波動を読み取ることが可能だと伝えられていた。ベンは実際に霊木を見せてもらい、枝葉の一部が黒々と変色している様を確認した。だが変容部位はあくまで一部で、封印自体が破られたわけではないと司祭は言い切った。


「それで、封印の修復は可能なのですか?」


「それが……地下水路の封印の現状を説明したところ、四騎士を具現化するのに何らかのマジックアイテムを媒介としているだろう、と。封印されている四騎士とそのマジックアイテムを同調させるために祭壇や魔方陣を破壊したのではないかと……」


 ベンが言い淀んだところにアムネリアとダイノン、それにフラニルが歩み寄ってきた。アムネリアはベンの苦悩する様子を見て取り、発言を代弁した。


「聞いていた。召喚器の破壊が必須なのだな?無論、そのようなものを誰が何処に置いているか、そしてどのような形態をしているのかも分からない」


「振り出し、というわけですか。正面から倒してしまっては駄目なんですかね?神話に出る程の化け物を討伐したなら、スコアが物凄いことになりそうで……」


「理屈で言えば、本体を倒したわけではないので意味がないな。言わずもがな黙示録の四騎士の実体が相手では、そなたなど一秒とて立っていられまい」


「それはワシらも同じこと。解かれていないとは言え、部分的にでもアレを自由にしておくのは封印全体にとってよろしくない。復活すれば対処のしようがないのだから、ここで食い止めねば破滅だ」


 ダイノンの言に皆が気を引き締めた。四柱や魔獣と離れたところで思わぬ世界の危機に見舞まわれ、それでもここにいる者たちの顔に諦念は窺えなかった。


 議論よりも速度が優先され、フィニスが確立論で方針を提案した。


「実際に四騎士を召喚していたのはアリス・マリスです。先ずは彼女の確保が先決でしょう。他に関係がありそうなのは……」


「ジャン・ミリアン。マイルズ神殿で聞いたのですが、マリス侯やベルゲルミルと誼を通じていたのは神官位にあるその者のようです。マイルズの神官ですから四騎士の伝承も既知でしょうし、何か関係があるやも知れません」


 ベンの指摘に一同は納得し、フィニスの打ち出した内容と合わせてアリスとジャンを追うことで意見の一致を見た。このことはネメシスにも共有され、チャーチドベルンの占拠と並ぶ重点目標として全軍に指示・徹底がなされた。



***



 使用人たちの給仕をする手付きには何ら変化が見られなかった。彼ら彼女らは主の凋落を見聞きしていたが、それによって自分達の命が失われるわけではないと知っていたし、戦の話など範疇の外であった。


 入れられた紅茶には座の主以外誰も手を付けず、時間が惜しいとばかりに下座に腰掛けたジットリスが皆を見回して言った。


「チャーチドベルンを一時放棄致します。諸卿は直ちにご準備を。私はどうにかして森の北側に陣取る公国騎士団と合流する手筈を整えますので」


 その提言に、マリス侯旗下の大貴族や上級騎士らがほっとしたような素振りを見せた。アリス隊がカナル大森林の南端から逃げ帰り、今しがたポーネリア隊敗北の報に接した彼等にとって、帝都の維持はもはや負担以外の何ものでもなかった。


「そう急くな、ジットリス卿。折角入れた茶が冷める。皆も銘茶の香りを楽しんでくれ。逸品だぞ」


「侯爵閣下……」


「ジットリス。何度も言わせるな。それとも何か?卿は旗色が悪くなった者の出す茶など飲めないとでも申すか?」


 ジットリスは探るようにしてフェイニールの目を見返した。その眼光は狂気を孕んでおらず、一先ず安心したジットリスはカップに口を付けた。


「それで良い。ここで焦ったところで状況が覆りはするまい。ジットリス卿の言に従って皆で西に移るとしよう。我が所領にはまだ無傷の兵が二百と控えている。アリス、引き払いの指揮をとってくれ」


「……はい」


「ジットリス卿。それで、公国騎士団を引き連れてどのように巻き返しを図る?」


「はっ。大森林の突破・直進はエルフ族の抵抗に遭い困難を極めております。そこで東回りに迂回してレデンス共和国とトード伯爵国を通過し、北東部からカナル入りを目指すよう仕向けます。ヴィトウスから白騎士団さえ出張らなければ、そのままチャーチドベルンに進軍する線も採用可能かと」


 言葉を操っていて、自身の提示する戦術行動がまさに画に描いた餅に過ぎないとジットリスは承知していた。


 まず第一にそもそも彼が公国騎士団と合流出来るのかという点。第二に公国騎士団の進路に立ちはだかる二つの国家への外交工作が未だ為されていない点。第三に筋書き通りにいったとして、果たしてマリス侯がネメシスと諸侯軍の攻勢に耐え得るものかという点。以上の三点から、マリス侯の再起は難しかろうというのがジットリスの導きだした現時点での予測であった。


「ふむ。公国軍が北東からチャーチドベルンを突いてくれれば、我が私兵との挟撃が成立する余地もあるのだな。アリスよ、レジミェールの防備を固めてジットリス卿の帰還を待たねばな。出来ればジャン・ミリアンの魔獣も手元に置いておきたいものだ。かの者の行方は何処に?」


 その場にフェイニールの問いに答えられる者はなかった。敗れたポーネリア隊は離散しており、ジャンの行方を誰も把握していなかったのだ。


 アリスは体調の優れぬ中で無理を押して席に着いていたのだが、ジットリスの戦略を聞かされて目眩を悪化させていた。フェイニールと二人きりになるまで堪えきれず、彼女は挙手して発言を求めた。


「何か?」


「侯爵閣下……ジットリス卿の策は不確実性が高すぎるかと存じます。援軍が無ければ、我らは破滅です。今もって公国軍がカナル入り出来ていない以上、戦力として計算に組み入れるは都合が良すぎるというものでしょう」


「アリス様。それは私が公国騎士団を制御出来ていない点を指して仰られるのですか?」


「そうです。レデンスとトードをどのようにして通過すると?仮に西回りに経路を再設定しても他国領を避けて通れない条件は同じ。そして……レジミェールは戦闘に特化した城や都市ではない。二百足らずの兵で、ネメシス・バレンダウンの全軍を止められるわけがない」


「お待ちを。これは確率の問題ですが、私は連合王国諸国にベルゲルミル公王、すなわち連合王国国王の名義で使者を出してあります。公国騎士団援護の為にカナル入りを要請するという内容です」


「それで?」


「連合王国南端のレイバートン王国が動けば早いのですよ。距離にして十日とかかりません。既にカナルに軍を展開していても不思議はないかと」


「そんなこと!たらればでしかない!レイバートンのあの銀翼騎士団が出て来たところで、ヴィトウスの白騎士団とかち合えば戦力は相殺される」


「それもたらればの話です。白騎士団は動かないかも知れない。動いたとして、銀翼騎士団に蹴散らされるかも知れない。そこまでの仮定を潰していくのは無意味です。現実的に考えましょう。レジミェールの防備を強化する方策です。それこそ、黙示録の四騎士の力を強めれば済むことではないのですか?」


「馬鹿な!あれは……」


「あれは、なんだ?アリスよ」


 言葉を失ったアリスに対して、ジットリスではなくフェイニールから問いが発せられた。兄の表情には猜疑がありありと浮かんでいて、ここで弁舌を弄するのは得策でないとアリスは判断した。実の兄妹ではあっても、二人の間には明確な上下関係が成立していた。


「……力を引き出す余地はあります。ただし、顕現したが最後、私や近衛のマジックマスターたちで抑えきれるものか分かりません」


「そのくらいの力がなくばバレンダウン勢は止められますまい。侯爵閣下、アリス様におかれましては弱気が過ぎるご様子。折角本国から騎士団が駆け付けても皆様が膝を折られてしまっていては、我々もお助けのしようがありません」


 決して大袈裟に装ったりはせず、ジットリスはいつもの淡々とした口調を崩さずに説いた。フェイニールはそれを良しと受け取って、ジットリスに至急に発つよう申し渡した。


 その場からジットリスが立ち去り、身内と呼べる者達だけになってもフェイニールはアリスを慰めたりはしなかった。代わりに皆へと覚悟を促す訓辞を垂れた。


「毒食らわば皿まで。ことここに至って出し惜しみはせぬ。真にカナルの民の未来を思わば、徒に魔境と事を構えようとするあの復讐者の小娘に政を委ねるわけにはゆかぬ。ジットリスは食えぬ輩だが使える男だ。奴が連合王国へと要請を出していることや大森林の北まで公国騎士団が出張ってきていることは事実。時間を稼ぐことで巻き返しの芽があるというのなら、帝国貴族の誇りをなげうってでもそれにすがるとしようではないか。各自、ここが正念場と心得よ!」


 皆が怖々と頭を下げる中、アリスは一人フェイニールを凝視し兄の心中を推し量っていた。彼女にとってマリス侯家の近い敗北は疑いようもなく、むしろ抵抗を重ねれば重ねる程にカナル帝国の国力を損なうのではないかと危惧していた。政治家である兄がそこに考え至らぬはずはなく、アリスとしては真意を質したい気持ちでいっぱいであった。


(もし……ベルゲルミルの軍勢が次々と侵入してきて事が上手く運んだとして。バレンダウン伯を打ち果たした後も残った我らが寡兵な点は変わらない。フェイにはカナルの独立を維持する秘策でもあるのだろうか?それとも……)


 アリスがふと思い浮かべたのはネメシス・バレンダウンの穏やかな微笑であった。アリスに兄を裏切る気など毛ほどもなかったのだが、ネメシスであれば平身低頭して非を認めれば兄妹の命だけは助けてくれるような気がしてならなかった。


 首を振り邪念を払う双子の妹のその仕草を、フェイニールは哀れみの込められた暗い瞳で見詰めていた。



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