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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第一章 賢者の石
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  疫病神-3

***



 アムネリアが謁見の間に飛び込めたのは、幾つかの偶然が重なった為であった。クルスに付いてフルカウル城まで足を運んだものの、同行は許可されずに城門内中庭辺りに留め置かれていた。


 ところが、爆発音と共に地震かと疑う縦揺れが発生するや、騎士や役人たちは各々が職責で発信源を探しに持ち場を離れていった。アムネリアはその流れに乗って人の波を掻き分け、ほぼ正確に最短経路で謁見の間へと辿り着いた。これは彼女の聴覚と空間認識能力が優れていたが故の神業と言えた。


「クルス!……ッ?」


 アムネリアが目にしたものは、彼女の戦歴でも極めて異能の戦闘状況であった。白い仮面を被った悪魔と思しき黒翼・黒装束の敵とクルスが激しく斬り結んでおり、彼を援護する形で青銀の鎧兜を着付けた騎士風の女が天井付近から槍を投下していた。


(マジックマスターか?……いや、あれは実体ではないな)


 アムネリアは取り敢えず疑問を忘れることとし、剣を抜き放ちつつ仮面の悪魔へと突撃した。悪魔は刃と化した片腕を急速に伸ばしてアムネリアを刺し貫かんとした。


「アム!」


 アムネリアは身体を捻って迎撃の刃を紙一重でかわすと、そのまま床を蹴り低空で突っ込んで斬りつけた。クルスは攻撃の手を緩めておらず、さらに頭上からは浮いたままの女騎士が魔法で具現化した戦槍を投げ込み続けた為に、悪魔は翼による防御も間に合わずアムネリアの一撃をまともに浴びた。


(手応えあり!)


 アムの見立てた通りに仮面の悪魔はよろめき、後方へと大きく跳躍した。


「貴様ら……!」


 突如黒翼が大きく拡がって竜巻状に回転し、悪魔の全身を覆った。クルスとアムネリアは回転の余波を浴びぬよう注意し、悪魔の出方を待った。


「この借り、何れ返すぞ……」


「逃げ帰るなら名乗れ。おれはクルスだ」


「……ゲヘナ」


 黒の竜巻は威力と大きさを少しずつ減じていき、クルスの指示で女騎士より放たれた槍をも弾きつつ、この場から綺麗さっぱりと消えた。アムネリアはしばらく警戒を解かないで周囲を窺っていたが、悪魔の気配が完全に消失したと見て深呼吸をし、剣を収めた。


 アムネリアの下へとクルスが小走りに寄ってきた。


「アム。青い顔をしているが、大丈夫か?」


「そなたを案じたせいで城内を走らされたからな。少し疲れただけだ。それより、あれは何だ?」


 アムネリアは頭上高いところに留まっている女騎士を指差して言った。その声音は、我が子の隠し事を咎める母親のように回答を強制する空気を帯びていた。


「ああ。おれの切り札、<戦乙女(バルキリー)>さ」


「見れば分かる。だが、そなたはマジックマスターではあるまい?蚊ほどにも魔力を感じぬぞ」


「そうだな。天は二物を与え給わず、というわけだ。女を慈しみ、女に愛される人生を送るも、魔法とは生涯無縁であった……」


「それにしては制御が行き届いている」


 アムネリアはクルスの軽口を無視し、ずばりと切り込んだ。


「気分次第だろうが、大抵の命令は聞く」


「……召喚こそすれ、神々の端に列なる<戦乙女>を統べることができるなどと、寡聞にして私は知らない」


 アムネリアの執拗な追及にクルスは苦笑いを浮かべた。


「現にできているからなあ。……ラクシ、御苦労様」


 ラクシと呼ばれた<戦乙女>が頷き、青銀の兜を脱いで頭を振った。長い銀色の髪がこぼれ落ち、さらさらと流れた。アムネリアはその仕草を見て、ひどく人間らしいとの感想を抱いた。


 <戦乙女>の全身が靄のかかったように薄れゆき、そのまま中空に溶けて失われた。


 クルスは胸元のペンダントを握り締めており、どうやらそこに<戦乙女>が封じられているようだとアムネリアは推察した。


 騎士やマジックマスターが慌ただしく入室してきて、遅ればせながらにネメシスの下へと殺到した。当のネメシスは負傷したルカへの早期治療を依頼するなり、クルスの側へと歩み寄ってきた。


「傭兵クルス。お見事でした」


「いえ。御身が無事で何より。あの野郎……ゲヘナとかいう悪魔の注意も私に向いたことでしょうから、ネメシス様におかれましては御安心ください」


「あの悪魔の狙いは何だったのしょうか?」


「分かっているのは、ゲヘナが我々を賢者の石に近付けさせまいと欲しているということだけです。チャーチドベルンの帝宮から石を持ち出したとかいう女エルフとの関係性は不明。ゲヘナがはじめ非好戦的であった理由も不明です」


「賢者の石が盗まれたという大事ですら、報がこの城に届いたのはつい最近のことですから。何が起きているのか、私も詳しく知る必要があります」


 ネメシスは澄んだ碧眼で真っ直ぐにクルスを見つめた。果たして高貴な血の為せる業か、クルスはネメシスの美貌と威厳とに抗いようのない強大なカリスマを感じ、その場から動けなかった。


「上位悪魔をも退ける貴方の力量、バレンダウンの騎士には無いものと見受けました」


「帝国には栄光の白騎士団がありましょう?」


「チャーチドベルンにはあります。しかしここはバレンダウンです。総督代理として、この地にも優秀な騎士は必要と考えます」


 クルスは「はあ」と生返事をした。おかしな話の流れになっていると分かっていながらも、調子が狂ったのか辞去の台詞は口から出てこなかった。


 そんなクルスの金縛りを解いたのは、アムネリアのただの一言であった。


「クルス、帰るぞ」


「……ああ。ネメシス様、これにて失礼させていただきます。剣はお返し致します故。では」


 クルスはルカの剣をネメシスに預けると、先を行くアムネリアの隣へいそいそと駆け寄った。白い外套を翻して颯爽と歩み行くアムネリアの姿に、すれ違う騎士や役人たちが次々と目を奪われた。予約のない来訪者ながらに、帯剣すらしているアムネリアの素性を審問する者はついぞ現れなかった。


 ネメシスは、去り行くアムネリアの背まで垂れた蠱惑とも言える漆黒の美髪を眺めやり、自らの記憶の底を辿っていた。


(どこかで見たことはある。カナルの者ではないようだが……)



***



 <銀の蹄亭>に戻ったクルスらを迎えたのは、神々しさをすら漂わせた金髪の女エルフであった。アムネリアは珍しく頭を抱え、深く息をついてから女エルフの隣、カウンター席へと腰を下ろした。


「お帰りなさい、アムネリア殿。何になさいますか?」


 マスター兼<リーグ>バレンダウン支部副支部長の挨拶に、アムネリアは「パンチの効いたやつを頼む」と簡潔に応じた。その支払いを命じられることの確定しているクルスはと言うと、女エルフを挟む形でアムネリアとは逆側のスツールに寄り掛かった。そして、まるで宝石のように煌びやかなエルフの紫紺の瞳と相対するや、刹那の内に魅入られた。


(アムにネメシス・バレンダウン。そしてこの女エルフ。絶世の美女が三人も、どうして立て続けにおれの前に現れる?前世・今世・来世と分かれてくれたならなあ……)


 クルスは女好きを公言して憚らないが、女性に不誠実というわけではなかった。礼節を弁えていたし、何より見目という意味では男としてかなり上等な部類に入る為、実際彼の方が誘いを受ける事は多かった。


 クルスは家庭を持ったり、ひとつところに落ち着いたりといった考えは露持ち合わせておらず、それをだしにして女を口説くというような詐術とも無縁と言えた。


 女エルフはそれと見抜いたわけでもあるまいが、つっけんどんな物言いで名乗った。


「私はノエル。見ての通り、カナル大森林のエルフよ」


「ここの名を覚えていてくれたようだな。前にも自己紹介はしたが、おれはクルス。そっちの綺麗な顔をした剣士がおれのアムだ」


「誰のものでもない、私はアムネリアと言う。おれのアムとやらはその男の妄想の産物であろう」


 アムネリアはクルスの言に取り合わず、大した荷も持たないノエルを一瞥した。


「そなた、石とやらはどこに隠しているのだ?」


 ノエルが目付きを険しくした。危うく腰の細剣に手を伸ばしかけたので、クルスが慌てて弁明とばかりにフルカウル城で起きた出来事を説明した。駆け足での語り様ではあったが、ノエルは状況を理解したらしく、再び座り直すと目の前に置かれた果汁飲料にそっと口をつけた。


「……そう、悪魔がね。これで三勢力目。いい加減、どいつが正義でどいつが悪か、はっきりさせて欲しいものだわ」


「ノエル、その三勢力というのは?ゲヘナという仮面の悪魔。街中で立ち塞がった男たち。まだいるんだな?」


「ベルゲルミル」


「なにっ?」


 ノエルの出した固有名詞にクルスは声を荒げ、アムネリアですら杯を強めにカウンターへと叩き付けた。ただでさえ美しい女性二人の同席に衆目を集めていたところに、クルスらの反応は火に油を注ぐ結果となった。


 店内で酒を飲み交わす客たちが一斉にクルスらへと視線を向けた。ノエルはクルスとアムネリアをひと睨みしてから、声の調子を若干落として話を続けた。


「あなたたちが加わったら、四勢力目になるわね」


「今のところ、おれたちは仮面の悪魔としか因縁はない。……そんなことより、何で賢者の石を盗み出した?カナル帝国の秘宝である以上、それこそ白騎士団が地獄の底まで追い掛けてくるぞ」


「……長老の命令よ。カナル帝国に賢者の石が在り続ければ、人間社会は内側から滅びを招く。だからチャーチドベルンの帝宮に忍び込んで持ち出せって」


「エルフの長老だって?」


「そう。うちの長老は大陸エルフの総領でもあるわ。だから、長老の命令は絶対」


 ノエルは気の強そうな切れ長の瞳を威圧的に光らせた。エルフ族の真意を量りかねて黙るクルスとは対照的に、アムネリアは手加減なしにノエルの事情へと突っ込んだ。


「それで、このままカナルに留まっているつもりか?何れ遠からずお縄になろう。森へ逃げ帰るなら早い方が良い」


 賢者の石の不正取得を責められる節もなく、むしろ自分の身を案じてさえいる二人を相手に、ノエルは出鼻を挫かれたと感じた。それが為か、話すつもりのなかった本音が漏れた。


「森へは帰れない。石を持ち込めば、災いをも森へと呼び込むから。長老からは帰還の無期限禁止を言い渡されていて、いまの私はそう、根無し草よ」


「そうであったか。そなたも辛い立場よな」


 アムネリアがあっさりと納得しているようで、クルスは意外に思った。


(決して物分かりのいい女ではないと思ったのにな。人は見掛けによらないものだ)


 逃げる先にあてがあるでもなく、ノエルは素直にクルスの残した言葉へと従ったのだと言う。クルスとアムネリアは両者共にカナル帝国に仕えているわけではないので、この場で彼女をどうこうする気がなかった。しかし、帝国の宝物を不法に手にしたノエルを匿うことの危険性は重々認識していた。


(白騎士団なんぞに追い回されるのは流石にごめんだ。早いところ、エルフの長老とやらの意図を聞き出す必要があるな)


 クルスが自らの考えを披露する前に、ノエルは少しだけ寛いだ様子でアムネリアに訊ねた。


「アムネリアは、どうしてクルスとコンビを組んでいるの?」


「ひたすら悪魔を退治したいというこの者の志に感じるところがあり、及ばずながら助力を申し出ているまでだ」


「へえ。悪魔と闘えるなんて中々ね。私たちエルフだって、正面からは挑まない」


「こう見えてクルスは戦闘経験が豊富でな。そこそこには、やる」


「ふうん。信頼してるのね。仲が良いんだ?」


「まあ、おれが養っているのだから、アムは実質おれの嫁だと言って差し支えないだろう」


 クルスは真面目な顔をしてそう割り込んだ。アムネリアが反射的に冷たい目をして対抗した。


「……誤解を通り越して、もはや伝説や伝承の類いに近い言いぐさだな。それは」


「これで当面は三人分の食い扶持を工面しなければならない身だ。それくらい言っても罰は当たるまい?そう、魔法結晶も補充の必要がある」


 三十路にも届かぬ身で遣り繰り上手などにはなりたくないものだと、クルスは今の境遇を顧みて少しだけ溜め息をついた。アムネリアに加え自分を頼ってきたノエルを世話するくらいでは大して懐も痛まなかったが、魔法力を蓄積した天然の魔法結晶を手に入れるには相応の資金が必要とされた。


 先の仮面の悪魔との闘いにおいてクルスが切り札として用いた<戦乙女>の召喚・維持には魔法力が不可欠で、マジックマスターとしての素質を持たないクルスでは自身の力でそれを賄うことは出来なかった。


「倹約は苦手でな」


 アムネリアはあらぬ方を見やりうそぶいた。


「知っている。別に、アムに貧乏暮らしを我慢しろとまでは言わない。旅に出るまで、しばらくの間は高額報酬の依頼を選択するだけのことさ」


 クルスは軽い調子で言った。ノエルが「旅に?」と不安そうに訊ねると、アムネリアがそれを補った。


「そなたが大森林に帰れぬとあらば、私たちが行って長老とやらに目的を質す他あるまい。このまま一生逃げ隠れしたくはないであろう?」


「そういうことだ。差し当たり、石を求める連中を何とかしないとな。恐らく、石から漏れ出る魔法力をターゲティングして追跡しているのだろうから……」


「駄目よ。魔法で処理を施すことも、長老からは堅く禁じられている。賢者の石に直接関与してはならないの」


 クルスとアムネリアは難しい顔をして思案した。放っておけば白騎士団やら悪魔やら、帝国の秘宝を狙う輩が端から押し寄せてくる羽目に陥り、命が幾つあっても足りないように思われたからだ。


 やがてクルスが一つの奇策を提案した。黒い物なら闇夜に紛れさせればよいという定石に従っただけの策であったが、それにはアムネリアも大人しく同意した。


 クルスはノエルだけを伴って、バレンダウンの街路を東区画の方面へと流れた。帝国の副都だけのことはあり、道行く市民や露店商の数も多く、ノエルは物珍しげにあちらこちらを眺めていた。


 目的の地、直線的な外形をした石と鉱物で造られた建屋は立派で、機能面からして堅牢この上なかった。広大な敷地に聳え立つ直方体の校舎全容を視界に収めたノエルが目を見張った。


 カナル帝国で随一を誇る、バレンダウン中央魔法学校であった。


「ベルゲルミルのマジックアカデミーには一歩譲るだろうが、近隣諸国では最高峰という触れ込みのマジックマスター養成所兼研究施設だ」


 クルスは堂々敷地に足を踏み入れると、正門脇の詰所で気さくに守衛へ話し掛け、手招きをしてノエルを呼んだ。


「以前ここの教師を手伝って悪魔討伐に赴いた。それ以来上得意で、知己もいる」


 感心しているノエルの手を引き、クルスは校舎裏へと回った。そして賢者の石を適当な箇所に埋めるようノエルに促した。


(……いいのかしら。でも、この男の言うことには一理ある。白騎士団や上位悪魔、それにベルゲルミルのあいつらまで出てきたら、私一人じゃ対処なんて出来ない)


 ノエルは言われた通りに胸元から輝石を取り出すと、それをクルスが剣先で掘り返した浅い窪みに置いた。クルスは上から土をかけ、踏み固めることすらしないでノエルに離れるよう忠告した。


「少し不自然なくらいの方が却って目立たないものさ。ここなら絶えず高い魔法力を放出しているから、生半可な探知には引っ掛かるまいよ」


「信じるわ。<疫病神>クルス」


 少しも嬉しくない通り名で呼ばれたクルスは、この美しい女エルフに余計な入れ知恵をしたのは<銀の蹄亭>のマスターに違いないと断定した。しかし<疫病神>であるからこそ、ノエルが自分の周囲をうろつこうとも誰も近付きたがらない点は好都合だと、クルスは前向きに捉えていた。


(もう何年も頼れる仲間なんてラクシ一人だった。アムと知り合ったのは、ノエルを助ける運命に導かれてのことだったのかもしれないな)



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