4 活路
4 活路
ルカの本隊がフローレンの占拠に成功した頃、ネメシスとアムネリアはカナル東部のヴィトウスに到着していた。ヴィトウスはカナルにおいても市民の信仰が篤い街で、皆が聖神カナンの教えである清貧と功徳を心の支えに地味に暮らしていた。
カナン神殿の関係者が合議で政を司っていたところに白騎士団が合流したもので、文武ともに宗教色の強い独自勢力としてそれなりに隆盛を誇っていた。
カナル帝国の正騎士団たる白騎士団は聖神カナンの信奉者以外に門戸を開いてはおらず、構成員には神官位を有する者も少なくない。そのことから<神聖騎士団>の異名を持つことでも知られていた。失踪したウェリントンに代わり指揮をとっているアルテ・ミーメからして神官見習いをしていた時期があった程で、ヴィトウスに駐留して以降特にトラブルもなく街に溶け込んでいた。
ヴィトウスの主要産業は穀物と毛織物の製造で、近隣の姉妹市が畜産や工業を手掛けていることから、中央の内戦から距離を置いてもここ一年交易で食い繋いでこれた。ヴィトウスを所有する地方領主は白騎士団の武威を恐れてここいら一帯への同調圧力を放棄し、名実ともに独立した勢力圏が形成されるに至った。
ネメシスの名は内戦の首謀者としてではなく、敬虔なカナン信徒としてヴィトウスでも人気を博していた。街の政治家はネメシス一行を好意的に迎え、白騎士団への仲介要請をすんなりと受け入れた。
行動の自由も保証されていた為、ネメシスはアムネリアとフラニル・フランの二人を伴って街を散策することとした。
「呆気ないですね。僕はてっきり騎士団とドンパチになると予想していたのに」
フラニルは残念そうに口を尖らせて言った。まだあどけなさを残した顔は嫌味を感じさせず、アムネリアに軽くたしなめられて舌を出した。
魔獣エヴァキリアの捜索が頭打ちとなり、傭兵であるフラニルは本来お役御免となる筈であった。だが好奇心と功名心の旺盛な彼は、そのままアムネリアの雇われという形で諸侯軍に残った。
マジックマスターの手が増えることはネメシスからして有り難い話であったが、<リーグ>はカナルの内戦への参加を禁止する方針を掲げていた。そこでフラニルは、対マリス侯の戦争に参加するのではなくあくまでアムネリアに付いて悪魔や魔獣の討伐に注力するのだと支部を説得していた。
ネメシスは露店や通行人の様子を然り気無く観察し、この街が平時の落ち着きを維持していることに感嘆していた。白騎士団が鎮座することで近隣の安全が担保されていることの証左であった。
「私はもう騎士団と戦うつもりはありませんよ。いつまでも国内で分裂しているのでは不毛ですからね」
「でも、バレンダウン伯爵閣下。降りかかる火の粉は払わないと。政治屋は保身があるから閣下を厚遇するでしょうが、武人は何より面子を重んじます。急に顔を出した我々にあれこれ要求をされたら、爆発して襲って来ないとも限りません」
フラニルの物言いに、アムネリアは意外そうに彼を見直した。
(一応は考えているのだな。ただの無鉄砲なマジックマスターというわけでもなさそうだ)
「その通りだ、フラン。何が起こってもネメシス様を守れるよう、そなたと私は常に注意を怠らずにあることが肝腎。街中と言えど気を抜くでないぞ」
「分かっています。アムネリアさんのことも守りますから」
「……期待するとしよう」
クルスに言われたのであれば反発して言い返したであろうが、フラニルの無邪気な笑顔を前にアムネリアは素直に頷いた。そんな二人のやりとりをネメシスが微笑ましそうに見守っていた。
ややして、法衣を纏ったカナンの信徒が駆け付け、白騎士団の幹部との会合のセットを申し伝えた。三人は案内されるがままに道を行き、そのままカナンの神殿に入場した。
五十も入れば満員となるであろう中規模の礼拝堂に騎士が五人揃っていた。ネメシスとアムネリアは、その内の一人、中心に立つ水色の髪をした小柄な女騎士をアルテ・ミーメと認めた。
「アルテ・ミーメ卿、久しいですね。此度は面会に応じていただき感謝の意を表します」
「ご機嫌麗しいようで何よりです、伯爵閣下。して、御多忙にあらせられる閣下が、我ら白騎士団に何の御用でしょうか?」
貴族同士の私戦には関与しないと表明しているが為、アルテ・ミーメは強気な態度を見せた。彼女の両脇に控える騎士たちは黙って直立し、二人の会話を邪魔する様子はなかった。
相手が妙な動きをしたならば斬り捨てるまでと、最悪の事態すら覚悟しているアムネリアは既に自身に麻酔術を施してあった。
ネメシスは単刀直入に話を進めた。
「アルテ・ミーメ卿。貴女は白騎士団全軍を指揮下に置いていますね?」
「はい。正式な任官ではありませんので、団長代行としてまとめております」
「では要請します。侵入してくるベルゲルミル公国軍を相手に、本来の職務である国土防衛の任に着いていただきたい」
情報は入っているであろうというネメシスらの予想の通りに、アルテ・ミーメ以下の騎士たちに動揺は走らなかった。
「私の命令を聞いていただく必要はありませんし、私とフェイニール・マリスの戦いに参じろとも申しません。お聞き及びでしょうが、マリス侯はベルゲルミルの十天君を幕下に置いたばかりか、聖神カナンが封じた古の魔性をも復活させました。かの者への罰は私が下します。ですが、敵がベルゲルミル本国の騎士団となれば話は異なります。二分され、正騎士団不在の現有戦力では敵の排斥は困難です。アルテ・ミーメ卿、これはカナルの一市民としての切なる願いです。騎士団を率いて、どうかカナルを守護してはくれませんか?」
「ベルゲルミルの介入を招いたは、閣下たち貴族が始められた私戦にあると理解しておられますか?」
「無論です。マリス侯だけを責めるつもりは毛頭ありません。彼等と穏便なる決着を付けられなかった私の未熟さが今回の事態を呼び起こしました。平に御容赦いただきたい」
「閣下は……ウェリントン様を逆賊と考えておいでですか?悪魔に仕え、国と人間種族を裏切った愚かな謀反人と」
「ウェリントン卿は……才覚に恵まれたが故に野心家でもあったのでしょう。行動それ自体は理解に苦しみますが、それで過去の功績が色褪せるものではありません。以後赦すことは出来ずとも、彼が長年にわたりカナルを護ってくれたことへの感謝もまた消すことは出来ません」
「……騎士団戦力は昨年の戦で半減しております。武具や糧食といった補給から後方支援の体制まで万全な点は何一つありません。ベルゲルミルが連合王国が全軍で戦争に乗り出してきたなら、まず勝機はありますまい」
「仰る通り。物資や人員は出来る限りこちらからも出させていただきます。当然ですが、戦闘部隊も派遣します。連合王国が正式に宣戦を布告してきた場合は……我が身に聖神カナンを降ろしてでも抗いましょう。それがエドワード様の意を継ぐ私の使命ですから」
ネメシスは真摯な姿勢を崩さず、自らの言葉でもって語った。そこに偽りはなく、傍らで聞いているアムネリアは胸が熱く感じられた。苛烈な反論を想定していたフラニルなどは、神妙な面持ちで話を聞いている相手の態度に困惑を覚えた。
「……神の器とならば御身は滅しましょうに。閣下が掌握されている全都市の通行権と徴収権を御貸しいただきます。それと、交戦権は私にあると布告ください」
「アルテ・ミーメ卿!それでは……」
アルテ・ミーメは敬礼し、剣を胸元から上方へと縦に構えて儀礼の姿勢をとった。連れの騎士たちもそれに倣った。
「ベルゲルミルの野蛮人どもには早々にお引き取りいただくとしましょう。カナンの聖地を土足で踏みにじらんとする輩には、<神聖騎士団>が裁きの雷を落とてくれます。任務、確かにお受け致しました」
「……よしなに」
ネメシスは深々と頭を下げた。その目からは涙が零れんとしていた。
アルテ・ミーメ率いる帝国白騎士団がヴィトウスを出発したのは五日後のことで、対ベルゲルミル公国軍の軍容は一路チャーチベルン方面を目指した。
一年以上もの間音信を閉ざしていた白騎士団が中央に復帰したとの報は、カナルだけでなくアケナス各地の興趣を誘った。対ベルゲルミルの宣戦を布告したネメシスの下には、いっそうの義兵や寄進が相次いだ。
***
「正気なのか?……よもや、私からの上申書が届いていないのではなかろうな?」
ジットリスは、進軍中のベルゲルミル公国騎士団から届いた連絡文書にある不可解な内容に憤慨した。文を持ち込んだ密偵に聞き返すことを躊躇わせる程の剣幕であった。
チャーチドベルンの帝宮内に借り受けている私室にはジットリスと密偵の二人しかなく、ディロンはアリスと共に、北上してくるネメシス諸侯軍への防戦にと出撃していた。
「如何なされましたか?ジットリス様からの信書は、確かにゲオルグ将軍に手渡してありますが……」
「そのゲオルグが、カナルの大森林を焼き払って近道をするなどと宣いおる」
「何か問題でも?援軍の到着が早まるのであれば渡りに船ではありませんか」
「……貴様と話しても時間の無駄だ。返信をしたためる故、そこで待て」
「ですが、既にゲオルグ将軍と待ち合わせるポイントが有りませぬ。連絡の内容がカナル大森林の直進であるならば、こちらは南から森に入らねばなりませんが……」
ジットリスは忌々しいとばかりに机を叩いた。密偵の主張は当然であるが、大森林はエルフ族の居住区であった。一人の通過を見逃してくれと頼もうにも交渉のチャンネルはソフィア女王国にしかなく、おまけに北から寄せる公国軍の戦略は大森林を焼こうというもの。南から大森林を突っ切るなど、エルフ族と戦闘状態に入ったならば自殺行為でしかなかった。
ジットリスは全体戦略の破綻の兆しに感付いていた。公国軍本隊が大森林に害を為すと分かればエルフ族はたちどころに抵抗を選択するであろうし、例えそれに勝ったとしてもソフィア女王国のウィルヘルミナが政治的に黙ってはいまいと思った。
そもそも短時間の内にエルフ族を制することは可能なものかと考えて、ジットリスはそれには南北からの挟撃が必要不可欠であると結論付けた。
(アリス・マリスの黙示録の四騎士は欠かせぬであろうな。高い魔法力を持つエルフを相手に、正面きって集団戦を挑むは愚の骨頂。魔性に暴れるだけ暴れてもらい、火を放ったところで騎士団に突入させる。これしかあるまい。だがアリスらを前線から返さば、対バレンダウン伯爵の侵攻は止められぬ)
ジットリスが瞬時に編み出した状況の打開策は三通りであった。ディロンや子飼いを連れてチャーチドベルンから脱出すること。この場合はマリス侯の亡命を段取るか否かでその後の展開は分岐を見、カナルへの関与度も上下すると思われた。
次に、ベルゲルミル連合王国総体としてのカナル出兵を認めさせること。連合王国全軍をもって南下するのであれば、国境を接する他国とて抗議こそすれ行軍自体は黙殺する他なく、公国軍が大森林で足止めを食ったと仮定しても戦力的にネメシスの打倒が可能となる計算だ。
最後に、当初の予定通り公国軍を迎え入れ、ネメシスとの決戦に持ち込むこと。この場合は先のシミュレートにより、一旦ネメシス軍を止めるだけの策を急ぎ講じなければならなかった。<リーグ>を用いることや失った神官勢力の信頼を回復させた上で戦力を再配置すること。他にネメシス派の諸侯に調略を仕掛けるといったような腹案もジットリスにはあったが、何れも時間的に厳しいことは疑いようもなかった。
(それに、我が国が動いたと知った白騎士団の対応も気にかかる。まさか静観することもなかろうし、ウェリントンがいないといってもあの部隊が脅威なことは変わらない)
ジットリスは考え込み、机上で筆を手にしたままで固まった。自軍の将帥が勝手な行動をとったが為にこのような苦労を背負い込むことは全く本意ではなかった。
この男にしては珍しく即断を避けて思考を回らせていると、予期せぬ来訪者があった。密偵を隣室に下がらせて招き入れると、それは法衣姿のジャン・ミリアンであった。
「ジャン・ミリアン殿。姿を見かけぬようだったから心配したぞ。このような危急の時に如何なされた?」
ジットリスの発言は言葉遣い程には熱意を帯びておらず、それもその筈彼はマイルス神殿の信用を失ったジャンに一片の価値をも見出だしてはいなかった。それどころか、ジャンに投資した分の見返りはあっただろうかと収支に疑問すら覚えていたのだ。
目の前の男に興味もなければ時間もないということで、ジットリスは早めに話題を切り上げるつもりであった。
「ネメシス・バレンダウンは私が倒そう」
「……ジャン・ミリアン殿。まさか兵を貸せとでも仰るまいな?」
「いま迎撃に差し向けているアリス・マリスの部隊をそのまま置いてくれれば良い。指揮官は誰でも構わない。私が帯同出来れば、それで済む」
「それは、一体……」
ジットリスがこの会話を打ち切らなかったのは、話の筋が奇妙なこともあるが、ジャンの瞳の内に狂気の光を見付けたからであった。
ジャンは細腕を前に突き出すと、手首に嵌められた腕輪をジットリスへ誇示して見せた。ジットリスは植物柄の装飾が施されたそれに、ありふれた安物の腕輪であるとの感想を抱いた。
「奈落の腕輪だ。これで魔獣エヴァキリアを召喚する。ネメシス・バレンダウンは私が倒す。そして、アリス・マリスを我が伴侶とする!」
「なんと!エヴァキリアというのはまさか、例の冷気を操る魔獣のことか?」
「左様。天は我に魔獣を制する力を与えたもう。今後は女どもに好き勝手などさせん!絶対にだ!」
「魔獣の召喚器……そんなもの、どのようにして入手したと?安定した使用が可能な代物か?」
「天の配剤よ。マイルズ神の加護がある以上、何も心配はいらない。」
「……そうか。魔獣を召喚出来るとあらば、前線での活躍をお願いしたくもなる道理」
ジャンの言うことが真実であるならば、アリスを戻さずとも彼をそのまま大森林攻略に差し向ける手もあるとジットリスは考えた。しかし、彼は直ぐにその発想を見直した。
(森を焼くのに氷結の魔獣を用いては不都合か。それにこの男は信用がならない。我が国の軍を補助する大事な作戦の中核に据えるわけにはいかんな。それにしても……)
「ジットリス卿。宜しく図ってくれるか?マイルズ神に誓って奮戦を約束する」
ジャンの重なる申し出に、ジットリスは一度召喚を見せることを条件に応諾の意を示した。ネメシス軍の北進を阻むにエヴァキリアの活用はもってこいであったし、何よりジャンを手元近くに置いて召喚の方法を探る必要があると考えた。
ジャンは勇み、フェイニール・マリスにも宜しく伝えてくれと言い残して大股に立ち去った。貧弱な体躯に似つかわしくない足取りで、見ているジットリスの苦笑を誘った。
マイルズ神は仇敵を使役する信徒をも加護する程に寛容なものかという意地の悪い質問が喉の奥にまで出かかっていたが、結局ジットリスはそれを飲み込んでジャンの背を見送った。そして隣室に逃がしていた密偵を呼び戻した。