干渉する者たち-3
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<天軍>のジットリスが駆け付けねば、アリスの軍はバレンダウン勢の追撃で全滅していたものと思われた。そして主力が大損害を受けた上、あらゆる宗派の神殿勢力から三下り半を突き付けられた形のフェイニールが正気を保っていられたのもまた、ジットリスの助力に因った。
ベルゲルミル公国動くの報は、大国の軍事行動故に直ぐ様カナル全土に広まった。これはジットリスの筋書であり、ネメシスに味方をする諸侯への圧力を期待しての広報戦略であった。
「黙示録の四騎士に対するものと思われる封印は、少なくとも表面上は滅茶苦茶に壊されていた。記憶にあるヴァティらと訪れた時に見たものとは雲泥の差だ。おまけに上位悪魔まで居座っていたのだから、何者かが意図的にやらかしたと見ていい」
「上位悪魔はそこで何を?」
クルスの説明にネメシスが問いを挟んだ。ネメシスのシンパは皆天幕に集結しており、その場で今後の対策が練られていた。
「再度の封印を妨害する為だろうな。ベンが断片的に分析してくれたんだが、封印自体は元来霊的なもので魔方陣やマジックアイテムの有無はそれほど重要ではないらしい。それが分かっていたから敵は悪魔を配置して守らせていたのだと思う」
「ふむ。筋は通っているか。だがそうすると、敵はまだあれを召喚することが出来るというわけだな。されば我々には早急にやらなければならないことがある。封印を元に戻すことと、犯人を打倒することだ」
「犯人は……マリス侯や妹のアリス・マリスではないのか?」
アムネリアのまとめに、ルカはそう疑問を呈した。それにはダイノンが横から否定的な見解を放った。
「それはあるまいて。お主らの話を聞いている限り、アリス・マリスとやらはマジックマスターとしては優秀でも古代の魔法技術に通じた賢人ではなかろう?ただの人間に上位悪魔は操れんし、黙示録の四騎士の封印とは決して生易しい代物ではない。……まあ、マイルズの神官が何かしら便宜を図ったに違いなかろうがな」
代々黙示録の四騎士の封印を見守ってきたのはマイルズ神殿であり、ダイノンの推測にはそれなりの根拠があった。監視の為に造られた街も今となっては遺跡と化し直接の繋がりこそなかったが、神官たちには四騎士に関する口伝が継がれていた。同じ神を奉ずる身として、悪の片棒を担いだ神官がいるかもしれないという見立てはダイノンにとって到底許容の出来ない話であった。
不機嫌な顔をして黙ってしまったダイノンに視線を送ってから、クルスは封印に関して弱気な発言を続けた。
「封印に関しては現状打てる手立てがない。それこそソフィア女王国のマジックアカデミーに支援を仰ぎたいくらいだが、公国の動き出した今それも難しかろうし。とりあえずは無理を言ってベンをチャーチドベルンに向かわせた。カナンの本神殿で何かヒントが見付かればいいんだがな……」
「敵の本拠地でしょ?準備もなしに行って、大丈夫なの?」
ノエルの心配に対してはクルスに代わってネメシスが答えた。
「カナルの神官という身分は例え敵味方に分かれたとしても丁重に扱われることでしょう。戦場で対するのでなければ、いきなり殺されるようなことはありません」
クルスはブルーシャワーで雇った腕利きの傭兵二人を保険の為にとベンに付けていた。遺跡調査とは異なるが事が事だと説得すると、アイザックもマルチナも最後には折れてくれた。
「当面は、敵が四騎士を出してきたら前回と同じ布陣で対処する線で行きましょう。皆さん、宜しいですか?……では次に魔獣の件です。先にお伝えした通り、ノエルさんとダイノンさんの情報から、あれがウェリントンの手によるものと判明しました。あの者がどのような目的の下カナルに害をもたらせようとしているかはさておき、魔獣エヴァキリアの跳梁は喫緊の課題です」
アムネリアの指示で、この件にはマジックマスターにして傭兵のフラニル・フランが当たっていた。しかしデジット村を出て以降のエヴァキリアの足取りは一向に掴めていなかった。
ノエルが「あれで召喚された魔獣なのだから、ウェリントンの意思で出すも消すも自由なはず」と、敵の厄介な特質を解説した。エヴァキリアが元から存在している拠点を叩けないかというフィニスの意見はしかし、ノエルやダイノンによって否定された。
「それが分かれば苦労はないのだけれど。現時点で、本体の居場所は全くの不明よ」
「十中八九、魔境だろうがな。もしワシが総大将であっても、魔獣一匹如きを捜しにあそこへは入らん」
神出鬼没なエヴァキリアへの有効な対策は見当たらず、ネメシスは議論を一旦打ち切りとし、さしあたっての諸侯軍の方針を打ち明けた。
まず驚いたのがルカとフィニスで、ネメシスの語る仰天計画に真っ向反対を表明した。
ブルーシャワー・ガゼルと奪還し、ジットリスの救援部隊が到着するまで破竹の勢いで進撃したバレンダウン勢は、支配地域を拡大してマリス陣営に奪われた要衝フローレンを眺望出来る位置につけた。野戦陣には続々と兵士や物資が集められ、フローレンの街を守備するマリス侯側の騎士はいつ総攻撃があるものか戦々恐々としていた。
フローレンを失陥することは補給ルートの断線を意味し、バレンダウン勢がチャーチドベルンを目指して北上した場合、マリス侯爵の戦力は西部一帯とチャーチドベルンに分散してしまう末路が見えた。それ故フェイニールとジットリスの行動は早く、カナル北部から程近いベルゲルミル公国に援護の出兵を要請したのであった。
「伯爵閣下御自らヴィトウスに出向かわれるなど、私は反対です!白騎士団の連中とは昨年ぶつかって以来没交渉なのですぞ?」
「ルカ隊長。それでは……我々の戦力で連合王国の軍列を退けられるとお思いですか?マリス侯は全ての兵を失ったわけではありません。黙示録の四騎士もいる。両軍にとって敵と見られる魔獣エヴァキリアも健在。この状況下でベルゲルミルの騎士団までも相手にすることは不可能と断言します。手をこまねいていれば、カナルという国家が消失する危険すらあるのです」
「たがらと言って、何も閣下が……」
「代理の者を差し向けて白騎士団が動くというならそうします。そうなっていない以上、私が一命を懸けて説得に当たります」
ネメシスの物言いは自信に溢れ、彼女の決意を引っくり返すことは出来そうにないと一同が共有した。クルスは気になった点を隣のアムネリアへと小声で質した。
「アム。動いたのはベルゲルミル公国だと聞いている。あの槍使いの所属国だろう?」
「そうだ。マリス侯に味方する<飛槍>のディロン・ガフロンと<天軍>のジットリス。二人はベルゲルミル公国の軍籍を持ち、連合王国の十天君に数えられている」
「これは連合王国の総意としての出兵なのか?他の十天君まで出張ってくるなら、いくら白騎士団が参戦しても総力戦は厳しいものになってしまう」
「想像に過ぎないが、公国単独の軍事行動のように思われる。連合王国の中にも対外穏健派は少なくない。例えばレイバートン王国の老王は不戦の君主で知られ、アルケミア伯爵国はベルゲルミルの大国王と反駁している。連合王国全軍が他国に出兵するというのは、そう簡単な話ではないのだ」
「ウィルヘルミナ女王の国は……ソフィアはどうなんだ?あの方が短慮に走るとは思えないが」
「あそこはあそこで複雑な事情があってな。女王陛下はマジックアカデミーの総領でもある。当然十天君の一人なのだが、マジックアカデミーの首席もまた同格の十天君でな。マジックマスター・アンフィスバエナ。全盲ながらに博識で、実力・権力共に女王陛下に比肩する。そんな彼は出自がベルゲルミル公国なものだから、ソフィアの政治は公国の影響を色濃く受ける。今回のようなケースでは……五分であろうな」
クルスとアムネリアの会話には場の全員が聞き耳を立てており、ベルゲルミルという集合国家の仕組みの不可思議さに首を捻った。そんな中ノエルだけはベルゲルミルの話に露興味を抱かず、久しぶりに席を等しくしたにも関わらずアムネリアとばかり絡むクルスに苛立ちを募らせていた。
(なんで私の両隣がダイノンとルカ隊長で、よりによってクルスはアムネリアとネメシス様に挟まれてるのよ!……あの二人、一年間一緒に旅をして新密度が増したんじゃないの?)
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チャーチドベルンの郊外に、人の出入りがなくなって久しい石造りの庵があった。エヴァキリアの魔力がもたらす冷気の影響を受けようはずもない場所であったが、寂れた雑木林の真ん中にぽつねんと座した様は立ち入る者の心に底冷えを感じさせるように思われた。
建物の裏手には大河の支流が細々流れており、都会の喧騒とは無縁のこの静寂の庵に住まうとせせらぎさえも鼓膜を震わせた。そうした侘しい環境にたった一人身を置いた男の我慢は限界を迎えていた。
男はいつ果てるとも知れない涙を流しながら、自分をこのような苦境へ追いやったと信じる者たちへの呪詛を並べ立てていた。
「混沌の君よ!何故出てこない!我はお前の言う通りにやった!マイルズの秘術を駆使し地下水路の封印は解除して見せた!だのに……あの小娘が下手を打ったせいで目論見の殆どが失敗したぞ!ジットリスの間抜けは何故あの小娘の首に鈴を付けておかなかった?洗いざらいからくりを漏らしおって……あの小娘!ネメシス・バレンダウンなどに出し抜かれて!この仕打ち、ただ八つ裂きにしても飽き足らん!私の奴隷にして、考え得る限りの恥辱を与えてくれる!……そもそもジットリス如きの口車に乗ってマリス侯に肩入れをしたことから間違いであった。この私が、こんな屈辱……!」
マイルズの神官、ジャン・ミリアンは猛り狂った。先にノエルの策略によりアリスの告白が拡散され、それを伝え聞いたマイルズ神殿の司祭はフェイニール・マリスらを悪魔に通じた背信者として弾劾した。直ちに侯爵への協力を取り止める通達を発したばかりか、バレンダウン伯爵への帰順をも表明したのであった。
マリス侯爵と司祭を繋げたジャンの立場は相当に危ういものとなり、またマイルズ神殿と縁浅からぬ黙示録の四騎士の復活に、よもや神官が加担しているのではないかと関係者の内部調査も開始された。当然彼は真っ先に疑われ、不正蓄財の発覚も時間の問題となりこうして打ち棄てられし庵に隠れる身と成り果てた。
奇しくもそこは、悪神として忌み嫌われるシュラク神を密かに崇めた背教者たちの隠れ家で、ジャンはそれと知らずにここへ逃げ込んだ。
ジャンの嗚咽と恨み節は観覧を伴わない予定であったが、気配もなしに彼の背へと人影が被さった。板張りの床が軋むこともなかったので、ジャンがそれに気付いたのは声が掛かって後となった。
「ネメシス・バレンダウンを倒すのに、手を貸してやろうか?」
「なっ?ななっ……な、何者だッ!貴様……混沌の君の手の者か?」
振り向いたジャンの背後には、白の甲冑を着込んだ体格の良い騎士が佇んでいた。チャーチドベルン住まいの長いジャンにはそれが誰だか一目で分かった。
「……ッ!ウ、ウェリントン卿……なのか?」
かつて白騎士団を束ねていたカナル最強の騎士を目の前にして、ジャンは完全に萎縮した。彼の下に届いている情報では、悪魔がウェリントンに擬態して秘宝賢者の石を持ち去ったとあり、現れたこの男の真贋がどちらにせよ自分にとり歓迎し得る事態ではないと思われた。
室内に点されていた蝋燭の火が消えた。木々の陰となっているのでほとんど日の射さない庵の内部は、明かりが失われたことで完全な闇に包まれた。
視界が閉ざされた中、水の流れや枝葉の囁きだけが五感へと働きかけを続けた。ウェリントンと思しき人物は最初の一言を発して以来口を開かず、勝手に思考を重ねるジャンの頭は次第に混乱していった。
(我に力を貸すと言ったか?いや、この者がウェリントン卿である保証のないばかりか、報道では悪魔の化身だと言うではないか。関わりをもって良いことなど何もない……。だが混沌の君がここに姿を見せることの方が確度が低いのであれば、我の救われる道は……)
ジャンの全身からは汗が噴き出し、顎を伝って床にもこぼれ落ちた。呼気も荒くなり、手のひらは頼り無げに中空を泳いだ。
ジャンの瞳に狂気の光が宿りつつあることは明らかで、己以外に責を求める傾向にあるこの神官は、執拗に保身を願い続けるあまり正常な判断力を失いかけていた。
「我に……力を……」
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ネメシスを欠いた諸侯軍の指揮はルカがとっており、クルスとノエルは堂々行軍の最前列に混じっていた。これは黙示録の四騎士や魔獣エヴァキリア対策の一貫で、ダイノンやフィニスも遠くない位置で馬を操っていた。ダイノンが馬に乗れることでクルスは驚いたものだが、「ドワーフの全てが馬に乗れないというわけではない!」と息巻かれ、謝罪する一幕があった。
クルスはノエルが前に出過ぎることを嫌ったが、ノエル自身が彼の傍への配置を望んだ為にルカはそれを無下には出来なかった。
「直にフローレン入りだ。敵は街の外に布陣していないから、自動的に市街戦へと移行することになる。……ノエル、今ならまだ後軍に移れる」
「しつこいわよ。アムネリアはよくて、なんで私を遠ざけようとするの?」
「アムはあれで武闘派だから……。ノエルはエルフだし、あまり人殺しをさせたくはない」
「男の身勝手な理屈ね。私だって剣は扱えるんだから。ネメシス様の役に立ちたい気持ちも人並み以上にあるわよ」
クルスは説得を断念し、対人戦闘ではせめて自分が前に出ようと決意した。
アムネリアはネメシスと共にカナル東部のヴィトウスへと移動中で、諸侯軍はその間にフローレンの街をマリス侯一派から奪取する計画を実行に移していた。
「……アリス・マリスと黙示録の四騎士は出てくるかしら?」
「どうだろうな。偵察の情報だとフローレンに籠る敵は二百もいない。アリスはあれで向こうの大将の一人。負け戦に掛かりきりになる余裕はないと思うが」
「ベルゲルミル軍を迎える準備とか?」
「それもある。……が、そもそもベルゲルミル公国がカナルと領土を接するのは大森林の北辺だ。どこからカナル入りをするつもりやら」
クルスの疑問を受けてノエルは頭の中に地図を思い描いた。ベルゲルミル連合王国は国家の集合体であり、ベルゲルミル公国の領土は最西端に位置した。軍隊を南下させるにあたり、西から大森林を迂回すると隣国にぶつかり、東を通るにせよ連合王国内の友邦だけでなくやはり他国が障害となった。
(確かに。普通に考えたら経路がない。だからこそ二大国の間で決定的な大戦が起きていないのでしょうけど……)
ノエルの考える横顔を、クルスはじっと見詰めていた。元来エルフは、肌のキメの細かさや目鼻立ちの整列が人間的な美醜の価値観から非常に優れているとされていた。他聞に漏れずノエルの容姿は抜きん出て整っており、クルスはこの金髪のエルフを眺めているだけで調子が上がるのを自覚した。
ベルゲルミル公国軍の進路について、クルスは突飛な考えを思い付いていた。それは政情を加味すれば有り得ない選択肢であるのだが、アムネリアの言う連合王国ならではの論理を踏まえると強ちないとも言い切れなかった。
カナル大森林の直進。だが、大森林は無数の植物が気ままに群生していて、大軍が進むに全く適していなかった。
(ベルゲルミルの公王。連合王国の盟主でもあるその男が噂通りの暗君であるならば、森を焼き払うくらいの暴挙に出ても不思議はない)
大森林のエルフの長老・ネピドゥスが仲間のエルフを引き連れてレイ・フェニックスを訪れた件は、アケナスでもそれなりに話題になった。人間嫌いで通るエルフ族がベルゲルミルと誼を通じたのかと、諸国は大いに興味を示した。
クルスやノエルにしてみれば、あれは対悪魔の強硬姿勢を諸外国とベルゲルミル連合の構成国家にアピールする狙いであり、ウィルヘルミナとネピドゥスが仕掛けた策だと知れた。表面上はソフィア女王国と大森林の蜜月を示すものだからこそ、普通であればベルゲルミル公国がそれを壊すような行動に出るとは思い辛かった。
しかし、アムネリアの私見は連合王国の内部抗争を示唆していたし、何よりマリス侯の現在の立場を思えばカナル大森林の排除に共同歩調をとっておかしくはなかった。クルスはそうなった時の自軍の作戦行動を定める権限を持たず、この着想が杞憂に終わることを期待していた。
(もしベルゲルミルが大森林のエルフに危害を加えようとしたなら、ノエルはここを飛び出して助けに行くだろう。その時、おれはどうするべきか……)




