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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第二章 カナル承継
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3 干渉する者たち

3 干渉する者たち



 ブルーシャワーに陣を張ったネメシスの軍が更なる後退を強いられたのは、ひとえにマリス侯爵軍の増強が原因であった。マイルズの神官戦士たちが加わったことで布陣は厚みを増し、加えて圧倒的な攻撃力を誇る不気味な四騎がまたも戦場に降臨したのだから、クルスやフィニス、ルカにアムネリアをも欠いた本隊では抵抗のしようがなかった。


 攻撃を指揮したアリス・マリスと女将軍ポーネリア・ハウの名声は一気に高まった。逃走したネメシス軍の行き先は副都バレンダウンからそう遠くないジ・ロンド砦であり、お世辞にも堅牢とは言えない小砦に籠ったネメシスの運命は風前の灯火と噂された。


「マリス侯の妹君は急戦を主張するのではありませんか?それでカナルの内戦は終結を見る。マリス侯を皇帝に戴いた、新政権の誕生と言うわけです。侯は魔境への手出しを控える消極路線を打ち出していたことですし、悪くない展開かと思いますね」


 薄暗い部屋の中でも手元に難儀することなく、男は杯に果実酒を満たして乾杯の姿勢を取った。そして向かいと窓際に居る知人への配慮も何のその、一人で杯を掲げて即座に干した。


「旨い。バレンダウン産の葡萄酒です。卿らも嗜んでみたら如何です?祝杯というのは、いついかなる場所で上げても良いものですからね」


 陽気に誘う男とテーブル越しに向き合う人物は静かに首を横に振り、窓際で壁に背を預けて立つ女は無表情に黙りを決め込んだ。男はつまらなそうに鼻を鳴らすが、その瞳に諦念や不快の色が浮かぶことはなかった。なぜなら彼の両の目は閉じられたままで、それは金輪際開くことのない盲目の証であったからだ。


 肩の上で切り揃えられた黒髪は色艶から手入れの行き届いた様がよく分かり、若い身空で着こなした燕尾服も仕立ての上等さは隠せないでいた。男の立ち居振舞いには高貴な血を匂わせる気品と武人を連想させる隙の無さが同居していて、同席する二者に軽視させないだけの雰囲気を持ち合わせていた。


 男とは対照的に、椅子に掛けた人物は銀の釣鐘のような奇怪な仮面を被り、おまけにその仮面には物見の隙間も空気穴も、彫り物以外の何ものも見当たらなかった。男に言わせると趣味の悪い濃緑色の法衣を着込み、その下には鎖帷子が覗いていた。性別どころか人間であるかすら不明な出で立ちで、この人物は今日この会合において未だ一言も発していなかった。


「混沌の君よ。黙示録の四騎士の封印。あれの解法を介添えしたのは卿ですね?カナルの魔法技術では到底解ける代物ではないし、第一リスクが大き過ぎる」


 窓際の女が身動ぎし、壁から背を離した。女は露出度合いの高い白の装甲服に身を包み、豊満な肌を惜し気もなく晒していた。その肌色は褐色よりも暗く、瞳は闇よりも濃い漆黒をしていて、先端の尖った耳と優美な金髪が無ければエルフとは分からないように思われた。


「……詳しく話せ。こいつが全てを灰塵へと還すつもりなら、協定は今ここで破棄だ」


「まあまあ。卿一人がいきり立つものでもないでしょう。私の調べでは、バレンダウン伯の軍を一方的に攻め立てる人ならぬ四騎がいると言います。馬の色がそれぞれ白、赤、黒、青白だと聞いていますから、まず間違いはありますまい。混沌の君よ、あれは魔神の僕。チャーチドベルンに眠る遺物にどんな作用をするとも限らない。そして、マリス侯には行き過ぎた玩具だと思いますが、如何?」


 男の問いに、混沌の君と呼ばれた仮面の人物がくぐもった声で答えた。


「……マリス侯には白き悪魔を止める術がない。彼の魔獣エヴァキリアだけなら兎も角、神獣や不死の王でも呼び寄せられては敵うまい?」


「成る程。悪意の第三者に対する抑止力、ですか。混沌の君よ、卿が白き悪魔と同じ穴の狢でないことを祈ります」


 一人納得した男に対して、エルフは敵意を隠すことなく苛烈な言葉を吐いた。


「何を勝手に収めている。私はこいつの介入を認めるつもりはさらさらないぞ!あの掃き溜めで唯一話が通じると思って引っ張り込んでみれば、これだ。やはり悪魔なんぞに意思の疏通を求める貴様の考えが愚かであったのだ!」


「何も全否定しなくとも……。混沌の君がいなければ、人界の私と黒の森の卿しか代表の集まらぬ非常事態になっていたのですから。卿こそ、アケナスの秩序を守る為のこの重大な会合に、ユミル王や聖タイタニアを招聘する役を担っていた筈ですよね?イオニウム公の勧誘に躓いた手前、私も大きなことは言えませんが」


 役目に失敗していたエルフは、男の指摘に口をつぐんだ。底無しに暗い瞳は視線で男を焼き付くさんばかりに怒りの炎を湛えていた。


 男は杯をテーブルに置くと、まるで閉じた目が見えているかの如く混沌の君やエルフへと顔を向け、両手を広げて融和の文句を口にした。


「種族間の力の均衡を崩してはならない!神話を再現されては困る私、絶滅を回避したい卿ら。ここに利害は一致を見ているのです。急進的な武力行使の潮流や扇動政治家の出現は、この協定がその芽を摘む。アケナスの支配構造に興味のないドワーフを除いた七種族間の安寧を保障することこそ、ここに集いし我らの崇高な使命であり協定を結んだ意義なのです!」


 異論は出ず、三者は改めてテーブルに着いた。詰めなければならない議題は多く、忙しい身の各々からすれば、いさかいばかりに時間を費やすことこそ無駄の極致であると了承していた。


 日の射さぬ特異な一室において、秘密めいた談合は粛々と進められた。



***



「ジットリス卿、どうして戻ってきたのだ?ジ・ロンドを落とせば、バレンダウン伯の野望を断てるのだぞ」


「侯爵閣下。私は軍略の基本を情報と捉えております。より新しく、より精緻な情報を有することが戦争に勝つ第一歩。それ故、閣下に御聞きしたいことがあり前線を離れた次第です」


「何を聞きたい?卿に隠し事はせん。遠慮せずに申せ」


 同志の急な来訪に、フェイニールは私邸のサロンを開放して出迎えた。夜分が為に寝間着にガウンを羽織っただけという姿ではあったが、至尊の地位にあと一歩で手が届くという大侯爵が対応している点だけ見ても、ジットリスに寄せられている期待や信頼の深さが表れていると言えた。


(あと僅かで私の勝利なのだ。多少難癖を付けられようと、勝ち切るまでこの者を遠ざけるわけにはいかん。帝位を獲得できるというのだから、いくらでも下手に出ようじゃないか)


「戦場に踊る魔性の四騎士。あれは閣下の差し金ですな?剣に優れ、魔法に打ち勝つ強力な手駒ですが、あれの制御は果たして万全なものでしょうか?」


「あれはアリスに命じて召喚させた生霊よ。説明不足は認めるが、戦局を左右する程の魔法ではないと考える。ジットリス卿はあれが気になると?」


「計算に組み込めておりませぬ故。一つの不確定要素が大きな失敗を招いた例など枚挙に暇がありません。今後の戦術に活かしたいと考えますので、どうか詳細をご開示いただきとう存じます」


 直球で探りを入れてきたジットリスに対して、フェイニールは内心その胆力を誉めこそすれ、対ベルゲルミル戦の切り札になり得る黙示録の四騎士についてどこまで話したものかと案じた。ジットリスほどの知恵者に下手に取り繕っては逆に手の内を明かすだけの結果となる恐れがあり、フェイニールは思い切った行動に出た。


「帝立図書館で古文書を解析させたのだよ。それで出てきたのが、あの四体の生霊をこの世に留まらせる魔方陣ということだ。あとはアリスが単純な召喚魔法としてあれらを使役している。具体の条件はマジックマスターでない私には分からぬが、今はアリスの命令しか受け付けないようだ。……種を明かせばそんなところだ」


 嘘だ、と出かかった反論をジットリスは喉元で堪え、情報が共有された事態に一先ず頭を下げた。カナルのマジックマスターや研究者に古の封印を解くなど出来はすまいと冷やかな物の見方を貫くは、ジットリスが本国とのやり取りの内に、フェイニールすら把握していないからくりを知らされていた為であった。


「チャーチドベルンの遺産、というわけですね。流石です。聖神カナンが守護したもう大都にこれだけの魔法技術が眠っていたとは」


「いや、貴国のマジックアカデミーの研鑽には負ける。帝宮の宝物庫や貴族所有の財産を当たれば、我が国では解読の出来ぬ古代の魔法遺産が続々発掘されるは必定。何れ近い内に卿を通じて鑑定を依頼することにもなろう」


「有り難き御言葉。……では、あの四騎士の起動に際してはアリス様に御頼み申せば宜しいでしょうか?」


「うむ。そうしてくれ。さして難しい魔法ではないと聞く。敵の前面に出せば力押しにも陽動にも使えよう。後は卿の差配次第だ」


 遠からずベルゲルミルの騎士たちもその威力を思い知るのだからと、フェイニールは鷹揚に構えた。ジットリスはそんなフェイニールの心理をすら承知した上で畏まって見せた。


 二人の掛け合いは実際のところ心理戦にもなっておらず、ジットリスが提唱する通りに情報集積の差がそのまま事態の有利不利を決していた。


(これで侯が何も理解していない、ないしは把握していながらに目を瞑っているという事実が浮かび上がった。アンフィスバエナの見立てでは、取り憑いたあれらを召喚器から引き剥がすには相応の代償を必要とするとか。アリス・マリスの限界と共に制御不能に陥るのが落ちだが、その兆候が現れたら即座に対応せねばなるまい)


 最後に、ジットリスはしれっと自身の立場の保全と弁解を試みた。


「ディロン・ガフロンを置いてはきたものの、アリス様とポーネリア将軍にお任せしたジ・ロンド攻略の行方が心配です。私は速やかに戻ります故、侯爵閣下におかれましては玉座にて吉報をお待ちください。お預かりしている私の中隊は伴っておりますので、例え前線で何事かあったとしても、必ずや挽回して見せまする」


「……委細了解した。頼んだぞ」


 ジットリスは白の手袋をはめ直し、非の打ち所のない敬礼を残してサロンから立ち去った。妹の敗戦を匂わされた形のフェイニールは、ジットリスとの会見に臨む前の高揚が薄れかけていることに気付き、独り歯軋りをした。


(魔神ベルゲルミルが従わせていたという触れ込みの魔性と、才あるマジックマスター。忠義の将に数も勢いも十分な兵。これならネメシス・バレンダウンに負ける道理はない!カナルを統一するのはこの私だ。いち軍師の脅しに心を乱されている場合ではない。組閣に新たな領邦割りにベルゲルミルの排除にと、考えるべきことは他にいくらでもあるのだからな……)



***



 物見からの報告を受け、ネメシスは自ら門前まで出迎えた。ジ・ロンド砦は戦闘配備中にあり、騎士や後方要員が至る所で忙しなく動き回っていた。すれ違う将兵は皆ネメシスの壮健な姿を拝することで黙って頷き、心中に活をみなぎらせた。


「ノエルさん!」


「ネメシス様、お久し振りです。遅くなりましたが、私も陣営に加わりとうございます」


「ありがとうございます。よくぞ無事で……」


 先にアムネリアからの早馬でノエルの帰還を知らされていたネメシスであったが、クルスらに続いてエルフの少女とも再会出来たことは心底喜ばしかった。


 ノエルの背後より、引率のアムネリアと二人に付いてきたダイノンが歩み出た。


「バレンダウン伯爵閣下とお見受け致す。ワシはマイルズの神官戦士・ダイノンと申す。王命でノエルの旅を補佐しており、縁あって貴軍に加えてもらいたい」


「構いませんよ。ドワーフの神官戦士殿」


「感謝する。世話になる分はこの斧とマイルズ神の奇蹟で返そう」


「マイルズ神殿はマリス侯の支持を決めたそうですが……」


 ネメシスの言に、ダイノンはしかめ面をして答えた。


「ふむ。中央のへなちょこが何を先走ろうと知らん。ワシは王命で動いておるでな」


「ドワーフ王の、ですか?」


「そうだ。そうでもなければ、好き好んでエルフの娘などと旅には出ん」


「なんですって!」


 ダイノンの発言に、ノエルが反射的に抗議を表明した。ここ数日似たような場面に遭遇してきたアムネリアは、ここでまたドワーフとエルフの漫才を始められては堪らないと、先んじてネメシスへと声をかけた。


「ネメシス様。ルカ隊長たちも間もなく戻りましょう。敵の動きは如何です?」


「アリス・マリス率いる主力がブルーシャワーを出ました。五日以内にここへ到着する見込みです」


「では、こちらが退かない限りは総力戦となりますな」


「これ以上はもう引きません」


 ネメシスの瞳には力があり、それはこの小砦を抜かれればバレンダウンが裸も同然になるという危急の事態が呼び起こしたものだが、アムネリアはその決意を尊いものと受け取った。何れ勝敗が決するにせよ、アムネリアは年若いこの君主の戦いを最後まで見届けることに決めた。


(流れでこうなったものだが、それも悪くはないと思える。レイ・フェニックスを出た頃の自分からは考えられない心境の変化よな)


 ノエルがふとした拍子にネメシスに訊ねた。


「クルスはまだ戻っていないのですか?」


「アムネリアさんから聞いていますか?……彼はまだ遺跡から帰っていないのです。我々がブルーシャワーを失陥した為に、遠回りを強いられているものと考えます」


「なんとかの四騎士の封印を探っているのですよね?クルスで分かるものかしら……」


「そうですね。正直、フィニスの知識ですら当てに出来るものではありません。相手は神話の時代の存在ですから」


「あの者なら心配はいるまい。何せサラスヴァティ・レインやイビナ・シュタイナーのような傑物たちとつるんでいた過去を持つのだ。自ら遺跡探査を買って出た以上、何か狙いがあるのだろう」


 珍しくもアムネリアがクルスを擁護し、ノエルは目を丸くした。ダイノンが鼻息も荒く会話に加わった。


「黙示録の四騎士だなどと。物騒な輩を持ち出したものだ。どれ、人手を貸してくれたら神殿から対抗の為の戦力を募らせてもらうが」


「ダイノン、あなたにそんな権限があるの?あるならさっさとやってくれてたら、エヴァキリアを逃さないで済んだかもしれないのに!」


「何をとち狂っておる。封印された黙示録の四騎士を監視していたのは我らが戦神マイルズだ。神殿に関わる全信徒がその魔性の騎士を忌み嫌うのに、何か理由がいると思うか?」


「なるほどのう。では敵が黙示録の四騎士と判明しその封印を解いたのがマリス侯だと証明できれば、マイルズの神殿勢力を離反させることに繋がるやも知れんな」


 アムネリアの指摘にダイノンは相槌を打った。ネメシスはその計略に我が意を得たりと、何か実現に相応しい手がないか一同に質した。


 反射的にノエルの口にした案がそれなりに理屈に叶ったもので、一同の方針として取り敢えずの採用となった。


 それから三日後の夕刻。マリス侯爵軍が威勢も良く姿を現した。沈む夕日をものともせず、アリス・マリスは一斉攻撃を命じてジ・ロンド砦の攻略を開始した。



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