魔獣エヴァキリアと黙示録の四騎士-3
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ブルーシャワーに駐屯していたネメシスの本隊から百に近い数の騎士が離脱した。ルカ隊長に率いられたその一隊が目指したのは、馬で二日の距離がある東のデジット村であった。穀物の栽培と畜産を主要産業とするこの小村を魔獣が襲撃し、あろうことか居座り続けているとの情報が得られていた。話を聞くなり、ネメシスは討伐隊の派遣を即決した。
ルカは戦力の分散や消耗を良しとはしなかったが、自領の安堵を優先するネメシスの意向には逆らえなかった。アムネリアは魔獣の行動に違和感を覚えつつも、魔獣とマリス侯の軍とが激しく戦っていた事実から両者の結託を証明することは難しく、裏を考えることは止めた。
そうしてルカとアムネリアの二名が主体となって、対魔獣の部隊が編成された。そこにはブルーシャワーの<リーグ>からも十人程度の傭兵が参加していて、内戦とは関係のない悪魔討伐となれば彼らは俄然前向きであった。
「アムネリアさん。冷気を操る魔獣ということは、炎の矢で応戦するのはどうでしょうか?」
傭兵にしてマジックマスターのフラニル・フランがアムネリアの隣に馬を寄せた。フラニルは金髪を短く刈った利発そうな若者で、年若くして傭兵として五年以上の実戦経験を誇っていた。スコアも500に届かんとしており、<リーグ>期待の少年との触れ込みであった。
「当たるのであれば、な。見たところ敵の魔法防御は頑丈だ。敢えて攻撃に拘らずとも、敵の冷気攻撃を緩和する防御魔法を構築する方が部隊の役に立つ可能性はある」
アムネリアは横目でフラニルを眺めつつ答えた。今しがたまでルカから戦術の問い合わせを受けていた身で、続けざまの質問にアムネリアの吐息が重くなった。
「……でも、それだと僕の手柄にならないんですよね。魔獣に止めを刺せた功績なら、スコアの上積みも50は固いと思うので」
「そなたの実力で、逸れば死ぬぞ」
「無鉄砲な性分は承知の上です。挑戦しての失敗とあらば、例え結末が死でも甘受しますよ」
「それを無謀と言う。結果に偶然などない。原因があるから結果は訪れるわけで、不明を分かって動くのは挑戦でもなんでもない。……自殺願望があるならば止めはせんが」
「アムネリアさんは優しいんですね。分かりました。無茶をしないで皆さんの援護に回るとします。ええと……炎の壁を展開すれば、攻防どちらにも働きますかね?」
アムネリアは首肯した。上手く壁際に追い込めることが出来れば、魔獣の退路を断つことも叶うように思われたからだ。
(炎の壁は使い手の力量次第で絶壁にもなれば牢獄にもなる。年若い彼ではそこまで望むべくもないが、冷気を纏うあの魔獣相手に有効となるは疑い無い。あとは……この戦力で倒しきることが出来るかだな)
アムネリアの不安は即ち攻撃力の問題で、クルスの如き技前やラクシュミのような一撃必殺の攻撃力が不足した現状で、果たして魔獣に有効な打撃を与え続けることが出来るものかという命題であった。
デジットの村は建物が随所で崩され、何より寒波にでも襲われたかのように草木や家畜が凍り付いて酷い様相を呈していた。凍結した村。村に踏み込んだ魔獣討伐隊の誰しもの頭に、そういった呼び名が真っ先に浮かんだ。
村の奥から強風が吹き付けて来、続けて天地を貫く竜巻の暴れる様子が視界に飛び込んできた。それに臨んだ隊の面々は何が起こっているのかと慌てふためいた。
アムネリアは感覚を鋭敏にし、鋭い目付きで竜巻の方向を睨んだ。
「ルカ殿!向こうで魔獣と闘っている者がいる!我々も行くぞ!」
「……なんですと?よし、全騎突貫する!」
ルカの号令の下アムネリアを先頭に、騎士と傭兵の混成部隊は人気のない村中を駆け抜けた。肌を刺す冷気はますます強まり、全員が魔獣の存在をいっそう意識させられた。
魔獣は村の外れにいた。黒く巨大な全身をくねらせて敏捷に移動し、口元に白煙を燻らせたまま手足で殴打を重ねていた。相手は魔獣と比して小柄な、ただの二人。しかし、一人は魔獣の手数を機敏な動作で避けて、もう一人は全身程にもサイズのある大盾で凌いでいた。
「ノエル!」
「……えッ!アムネリア?」
不意の再会も二人が交わした挨拶はそれだけで、討伐隊は雪崩を打って魔獣へと挑み掛かった。ルカは自ら剣を取り、騎士を引き連れて突撃した。
魔獣のブレス攻撃にはフラニルをはじめとしたマジックマスターたちの炎の壁がこれを中和し、傭兵たちの弓矢が中距離から牽制の役目を果たした。
真打ちは華麗なる連係を披露した。アムネリアが疾駆し、重量感のある斬撃を魔獣の胴回りに叩き込んだ。仰け反った魔獣を、ノエルが使役する土の精霊の生み出した錐が串刺しにした。止めとばかりに、初老のドワーフが戦斧を豪快に投げ付けた。
(いけるか?……いや!)
アムネリアの淡い期待は破られた。フラニルの炎の壁による束縛も何のその、魔獣は軽快な飛翔でその場から退いた。ノエルは最後まで魔法攻撃を続行していたが、ドワーフに「無駄だ!もう届かん。落ち着け」と諭されて肩を落とした。
ルカは騎士たちを走らせて村の状況を探らせ、傭兵には周辺の警戒を命じた。幸いなことに村民は全滅しておらず、避難した先で百人以上が救助された。マジックマスターの解呪により凍結した施設や土地は整えられたが、凍え死んだ人間や家畜は戻って来ず、魔獣の襲来前と変わらぬ生活とまではいかなかった。
アムネリアは神官としての責務を果たすべく、生き残った村人への手当てや生活の相談にのることを考えた。穀物集積用の倉庫を間借りして、そこに机と椅子を持ち込んでクーオウル神殿の出張所を名乗った。
出来たばかりの出張所の一角で、早々に口論が勃発していた。
「ダイノン!何してるの?さっさと支度をして!やつを追うわよ!」
「馬鹿な!ワシは神官戦士だぞ?傷付いた村民を放っておけるか。しばらくはここに逗留だ」
「なんですって?話にならないわ!私一人でも行くから」
「待たんか。お前さん一人であの魔獣は倒せん。それにカナルに出没することは確実なんだ。ここを慰安した後で捜せばよかろう?」
「全てが終わってから後悔しても遅いのよ?よくもそんな呑気なことを言っていられるわね!」
連れのドワーフ・ダイノンの答えに憤慨した様子で、ノエルは掴みかからんばかりに詰め寄った。それをアムネリアがやんわりとたしなめた。
「ノエルよ、落ち着くのだ。この村には神殿もなければ神官もいない。ダイノン殿が神の慈悲を説き、魔法で怪我を治療されるのはまさに天分と言えよう。戦争の災禍を和らげることもネメシス様の統治姿勢にとって大事なのだからな」
「それは分かってる。分かってるけど……魔獣エヴァキリアを逃がすというのは、ウェリントンの足跡を見失うということなのよ!」
「ウェリントンだと!どういうことだ?そなたは何故あの魔獣の名を知っている?」
「……ウェリントンとは、この一年幾度となく交戦した。ボードレールやイグニソスと一度は魔境にまで追い詰めた。でも失敗した。賢者の石を使って、最後に奴の召喚した魔獣がエヴァキリア。奴がそう呼んでいたから、名を知ってるの。……もう手掛かりはエヴァキリアしかない。早く捕まえてウェリントンの居所を突き止めないと、何もかもが遅きに失してしまう!」
「ノエル……」
ノエルは、先年帝都チャーチドベルンを飛び出して以来の旅路をアムネリアへと語った。
ベルゲルミルの一党と魔境までウェリントンを追ったこと。その後アケナス東部にて追い詰めたが、エヴァキリアを召喚されたことで敗北を喫したこと。王命でボードレールらが帰国した後にドワーフの王国で一人エヴァキリアと交戦し、ドワーフ王よりダイノンの同行を打診されたこと。以降二人でウェリントンとエヴァキリアの痕跡を追い続け、後者の噂を聞き付けてこうして一年ぶりにカナルへ帰還したこと。
自分やクルスだけでなく、ノエルも賢者の石を捜し続けていたという事実はアムネリアの胸中に涼風を吹かせた。アムネリアはノエルを招き寄せ、胸元に美しい金髪を抱いた。
「アムネリア……?」
「……よく、頑張ったな。一年は長かったであろう。私はクルスと二人で奴を追っていたのだ。そなたには倍の苦労を背負わせたな。赦せ」
アムネリアの労りには真心が込められていて、抱き止められたノエルの瞳に涙の粒が盛り上がった。賢者の石を取り返すことを自身に義務付け、ベルゲルミルの一党やダイノンと共に旅をする間、一時たりとも気を抜かずにやってきたノエルであった。そんなノエルにとって、アムネリアが全てを理解し共感を寄せてくれたことは感無量で、ここまで我慢していた感情の堰が切って落とされた。
アムネリアの胸で啜り泣くノエルのことを一瞥し、ダイノンは穏やかな顔をして髭をしごいた。
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この日、チャーチドベルンの帝宮においてささやかなパーティーが催されていた。会場では舞踏が行われており、着飾った男女が対になって優雅に舞い踊って見せた。
一見して貴族と分かる身分の男女に混じり、白と赤を基調とした質素なローブに銀冠・銀の腕輪を装着した一団が相応の数を占めていた。
彼ら彼女らこそ、戦神マイルズの神官たちであった。
数日前、チャーチドベルンの司祭からカナル各地のマイルズ神殿へと出された通達が一大ニュースとなっていた。その内容こそ、カナルの内戦においてマイルズ神殿がフェイニール・マリス侯爵を支持するという決定であった。
赤い絨毯の上を摺り足で歩むは貧相な面に血走った両眼をぎらつかせた神官で、戦神の信徒らしからぬ痩身ではあったが、ローブには多くの勲章・記章が貼り付けられていた。チャーチドベルンのマイルズ神殿で有力者とされる、ジャン・ミリアンであった。
ジャンは三十三という年齢以上に老けて見え、それは頑健さとはほど遠い体つきや陰気な態度、嗄れ声などが相手にそう感じさせるのであった。
「……アリス・マリス殿、こちらでしたか。探しましたぞ」
アリスも例外なくジャンの実年齢に不審を抱き、ただの舞踏会場ですら息を切らせているようにも見えるこの神官を内心で卑下していた。
「何でしょうか?ジャン・ミリアン殿。ベランギーゾ司祭様とは先程御挨拶させていただきました。貴殿のお蔭で、それはもう友好的に」
「司祭と……それはそれは。ですが通達の出された今、あの男のことなど無視されて宜しい。神官戦士の派遣はもはや私の専権事項と言えますから」
「それはもう。重々承知しております。我が軍がバレンダウンの田舎貴族を打倒するためには、貴殿のお力添えが必要不可欠。この先もどうぞよしなに」
深々と礼をするアリスのドレスの胸元は深く空いていて、ジャンの目線はそこに吸い寄せられた。美姫として名高くマリス侯爵軍の象徴とも言うべきアリスの衣装は挑発的で、生地の薄い絹のドレスは清純さを顕した純白。露出度は極めて高く、目の保養となる柔肌には金粉がまぶされ、催淫性に優れた香も焚かれていた。麗しい金髪には控え目な白銀製のティアラが飾られ、ピアスも揃いの白銀でハートが象られていた。
なんのことはない色仕掛けであり、既にベルゲルミルによって買収されていたジャンを、フェイニールはアリスの色香で二重にたぶらかすことを目論んでいた。アリスは兄の命令に従った格好で、パーティーが始まって以来ジャンから寄せられる邪な視線には心底辟易させられていた。
「……万事私にお任せ下さい。精強なるマイルズの神官戦士たちは必ずやアリス殿の敵を駆逐することでしょう。マイルズ神とカナン神の栄光には一点の曇りも現れますまい」
なめ回すようなジャンの目付きに、アリスは全身が総毛立つのを感じた。相手がただの異性ならまだしも、ジャンはマイルズ神殿を謀略と政治でのし上がっただけの神官で、武術どころか魔法もろくに操れないとの噂があった。おまけにベルゲルミルと通じた逆賊で、高潔なアリスからして百八十度性に合わぬ相手と言えた。
(こんな男が……私との婚姻をフェイに要求してきている、ですって?増長するのもいい加減になさい!ネメシス・バレンダウンを倒した暁には、堂々その面をひっぱたいてやるんだから)
「……期待しております、ジャン・ミリアン殿」
「では一曲、御一緒に如何ですかな?末長き付き合いを祝して、一つ御相手をお願いしたい」
「そうさせていただきたいのは山々なのですが、今宵ガゼルへと出陣せねばなりません故。お先に失礼致します。ポーネリア!」
敢えてアリスが夜間に出発する事由はなく、兄からはジャンの機嫌を損ねぬよう厳命されていたものだが、彼女の忍耐はパーティーが終わるまではもたなかった。呼ばれて寄ってきたのはマリス侯爵軍でも指折りの指揮官、ポーネリア・ハウで、彼女は下打合せの通りに話を合わせた。
「アリス様。出陣の準備は整ってございます。下知をいただけますれば、直ぐにでも出られましょうぞ」
「よろしい。では急ぎ出発としましょう。貴女は先に行って、陣中で待機していなさい」
「はっ!」
ポーネリアは敬礼し、女性にしては長身と呼べる身を翻して颯爽と立ち去った。呆気に取られているジャンを尻目に、アリスは威勢よく辞去の句を述べた。
「ジャン・ミリアン殿、次は是非戦場で肩を並べましょう。では」
思ってもいないことではあったが、さも楽しみにしているといった風情で笑みを浮かべ、アリスはパーティー会場を後にした。残された形のジャンは拳を震わせて、アリスの出ていった先を睨んでいた。彼は他者の心情を洞察することに長けていたので、十も下の女子が己に向けた嫌悪感などとうに理解していた。
(我が力無くば田舎貴族の一人も律せぬ尻の青い小娘が!マイルズの神官を束ねる我を侮るならば、何れ痛い目を見せてくれよう……。高貴な兄妹もベルゲルミルの野心家共も、全てが我に平伏すことになるのだ。戦神マイルズよ、我に力を!)




