魔獣エヴァキリアと黙示録の四騎士-2
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前線基地であるガゼルを放棄せざるを得なくなったバレンダウン勢は全軍挙って南下し、主に観光産業で生計を立てるブルーシャワーの郊外へと駐屯した。ブルーシャワー一帯を治める領主は内乱にあたり中立を宣していたが、ネメシスサイドに物資を販売・供給することと、傷病兵の手当てに限ってはこれを黙認した。
ブルーシャワーは風光明媚な土地というわけではなく、寧ろ内陸にあることから気候的には乾燥がちで、水や緑に常に事欠いた。街中は砂っぽく、少し歩いただけで全身が埃まみれになる有り様であった。
「水浴びを所望する」
「公衆浴場が二、三あった気もするが。アムの裸が見られるというなら喜んで案内しよう」
アムネリアの呟きにクルスは嬉々として答えたが、恨みの込められた眼差しを前にすごすごと撤退した。二人と並んで歩くネメシスがフードの下でくすりと笑った。
三人はブルーシャワーの執政官と会談した帰路にあり、騎士団は街中への駐留が認められていない為、陣立てを外にしてあった。ネメシスはローブで隙間なく全身を隠し、フードを目深に被って素性を隠していた。一年近く内戦状態が続いたことで、二大勢力の一角を占める彼女の名と容姿はカナル中に知れ渡っていた。
アムネリアが常時の軽装であったことから、三人はネメシスの知名とは別の意味で、通行人から興趣の視線に晒されていた。
「ああ、すれ違う男が皆垂涎を堪えて振り返っていくものよ。アムの威光は、麗しのブルーシャワーにおいてなお色褪せることなく全天を照らすものか」
「気でも触れたか、クルス?……それより、この街のどこが麗しいというのだ。砂埃で黄色く見える風景はみな幻か?」
「知らないかい?この街自体はベッドと補給の為にある。観光する先はここから西。そこには古代王朝の宮殿跡や大神殿跡といった遺跡が目白押しなのさ。壮大なるかな。悠久なるかな。それがカナルの大遺跡だ」
「そうか。中南部にあるというカナルの遺跡群がここに。そなたは訪れたことがあるのだな?」
「<リーグ>の任務で遺跡荒らしの討伐隊へ参加したことがある。忘れもしない、部隊編成が脆弱で担当範囲のあまりの広さに難儀した。……それと、放浪していた年少の時分にも一度足を運んでいる」
アムネリアがクルスの瞳を見詰めた。クルスは黙って頷くが、ネメシスにはその仕草が二人の親密さを表しているように思われた。
(クルスが語りたがらない過去の話。アムネリアさんはそこへ踏み込み、ことの是非を彼に訊ねたのだわ)
もやもやした気分を抱えながら、ネメシスは遺跡にまつわる伝承をアムネリアへと語って聞かせた。
霧の魔神ベルゲルミルとの何度目かの闘いにおいて、聖神カナンは従神たちや盟友たる戦神マイルズと共に一計を案じた。それは霧と化して神々の追撃を逃れんとするベルゲルミルを抑え込むべく、豊穣と大地の女神ディアネが土の大釜を精製し、マイルズと<戦乙女>たちとでそこへと追い込みカナンが封じるという連係であった。
決行とされた場所がブルーシャワーの西方、遺跡群よりもさらに北に進んだ古戦場で、神々と魔神の一戦は十月十日にも及んだ。危機を迎えたベルゲルミルは秘術により黙示録の四騎士と呼ばれる従者たちを召喚し、ディアネや<戦乙女>を苦しめた。カナンがベルゲルミルの代わりに四騎士を封じ、この闘いは終わりを告げた。
「この話には続きがありまして、黙示録の四騎士は魔神ではないが故に、カナンやディアネの封印が期待程の効力を発揮しなかったそうです。古戦場の地下深くでディアネの大釜により囚われてはいるものの、四騎士の復活を危惧したマイルズは、封印の状態を監視させる目的で近場に都市を造りました。その都市の跡地がカナル大遺跡に当たると伝わっています」
「よくわかりました。ネメシス様、ありがとうございます」
「いえ。アムネリアさんにもカナルの歴史を知っていただきたいと思っていましたから。良いきっかけであったかと」
「……ネメシス様」
クルスの声音に不穏な気配を感じ取り、ネメシスとアムネリアは周囲を見回した。異常は見当たらず、二人は改めてクルスと向かい合った。
「クルス?どうしました?」
「先の戦で剣を交えた騎士の風体をした魔性ですが、あれは四体で現れました。場所も古戦場からそれほどに離れてはおりません。まさかとは思いますが……」
「……あれが黙示録の四騎士だと?それはないでしょう。ディアネやマイルズに仕える神官たちにはこの神話が継承されていると聞きます。監視機構が失われて久しいとはいえ、何事かあれば司祭なり神官なりが訴え出てくるでしょうから」
「その者らの訴え出る先は、バレンダウンかチャーチドベルンか。それともヴィトウスか……」
クルスの指摘に、ネメシスは痛いところを突かれたと感じた。目下内戦状態にあり、カナル中に点在する神殿勢力への命令系統は寸断されていた。そもそもが聖神カナンへの信仰を国教とする為に、他の宗派はほそぼそと活動しているに過ぎず、第二勢力を誇る戦神マイルズの神官とて国内に百とはいなかった。そのマイルズの神官勢力の幹部とは、現状ネメシスは没交渉に近くもあった。
(カナンの神官ならば兎も角、マイルズの神官たちがヴィトウスの白騎士団を頼ることはないでしょう。そうなると、黙示録の四騎士の封印に関する情報がフェイニール・マリスの下だけき入るという可能性も、理屈としては確かに有り得る)
ネメシスは起きている事態を客観的に振り返ることとした。先日アムネリアの策の通りにマリス侯爵の軍と衝突した際、件の魔獣が降臨し、クルスらは一気に決着を付けようと動いた。そこに、騎士然とした正体不明の四騎が姿を現し、クルスやアムネリアらを相手に戦闘状況に突入したのであった。
四騎は明らかにネメシス側の騎士のみを標的としていた。異様であったのは、魔獣が誰彼構わず、マリス陣営からバレンダウン陣営、果ては乱入した四騎にまで攻撃を仕掛けていた点。クルスの投入したラクシュミの奮戦もあり初日をどうにか痛み分けに終えたものだが、翌日の分隊の合流前にマリス侯の軍勢は後退してしまった。
それは魔獣が執拗にマリス侯の本陣で暴れたからに他ならず、フェイニールやジットリスは部隊の再編が急務であると判断し、継戦を断念したことに因った。以上のことから、魔獣は自分にもフェイニールにも味方をしない第三の派閥に属し、謎の四騎にこそフェイニールの息がかかっているとの解をネメシスは導き出した。
「ベルゲルミルの十天君が付いていることから見ても、向こうが形振り構わず仕掛けてきていることは事実かと」
アムネリアは戦場で相対した<飛槍>のディロンを引き合いに出して言った。彼と、フェイニール陣営に参謀として入っていると思われる<天軍>のジットリスとは、アムネリアは当然に旧知であった。
ベルゲルミル連合王国は複数国家の集合体で、例えばアムネリアの出身はソフィア女王国となるが、同じ十天君でも出身母体が違えば主義主張も異なるわけで、ディロンとジットリスはベルゲルミル公国の出が為に対カナル帝国の強硬路線を掲げていた。連合王国の現国王にはベルゲルミル公国公王が就いていることもあり、連合王国全体の意思はカナルに対して攻撃的にならざるを得なかった。
そんな公国の騎士、それも連合王国を代表する十天君を二名も旗下に置いているのだから、フェイニール・マリスは狂気を孕んでいるのではないかとアムネリアは疑っていた。
「そうですね。私を倒すためであれば、仇敵に援助を頼むことも惜しまない。或いは古代の災厄を持ち出してもおかしくはない……ですか。クルス・クライスト」
「はい」
「フィニスを伴い遺跡の探索をお願い出来ますか?カナルの神官と、必要なら傭兵も集めましょう。黙示録の四騎士に関係したあらゆる事案の調査をしてきていただきたいのです。封印の状態から、もし四騎士が放たれているならその対策まで探し出して欲しい」
***
戦時下ということもあり、クルスの動きは速やかであった。自身で<リーグ>ブルーシャワー支部の傭兵を雇うなり、本陣から来たフィニスや神官と合流して西へと発った。
日中のほとんどの時間を馬での強行軍に費やし、夜間は岩場や雑木林の陰に寝所を設けて休んだ。ブルーシャワーから西に二日を駆けた翌朝、クルスらの目の前に古代の街の遺跡が拓けた。
一行はクルスの先導で、崩れかけの石畳に覆われた砂煙る遺跡に馬を入れた。
「ここが中央広場だ。そこの、円形に石積みのされているあたりが噴水だったらしい。向こうの外壁だけの建物が監視塔の残骸だな」
「クルス様。それで、我らはどのように動くのですか?この広さです。目的なく動き回れば遭難も有り得るかと存じますが」
マジックマスターの正装の上からカーキ色の煤けた外套を着込み、赤髪に三角帽子を載せたフィニスが問いを発した。フィニスの横で危なっかし気に馬を操るカナルの神官・ベンも低い声でそれに同調した。
「遺跡はあらかた探査されているのでしょう?今更何かが出てくるとも思えませんが……」
齢三十を過ぎたばかりのこの大男は、ここにきて生来の弱気が顔を出しはじめていた。神話にある神々の戦いに一枚噛んでいたとされる黙示録の四騎士。実在するとなれば危険極まりないその存在を調べて回るなど、聖神カナンの敬虔な信者に過ぎない自分には明らかな重荷であると考えていた。
「目指す地点はある。アイザック、マルチナ。地下水路の入り口まで案内してくれ」
クルスは傭兵二人にそう命じた。筋骨隆々、戦士の中の戦士といった外見をしたアイザックは黙って頷き、踊り子と見紛うひらひらした薄手の衣装に身を包んだ褐色の肌のマルチナが「あいよ」と適当に応じた。
ブルーシャワーで雇われたアイザックとマルチナは慣れた様子で馬を進め、クルスらはその後に続いた。やがて比較的真新しい造りの煉瓦塀に囲われた一角が目に留まり、一同はそこで馬から降りた。
塀の周囲には馬を繋ぐ器具やら水場、さらには休息のとれそうな土豪まで準備されていた。これらはかつて自分の冒険者仲間が拵えたものだとクルスは説明した。
「この地下水路から秘密の通路を辿って、不自然に広い空間に出た。儀式用の祭壇や魔方陣も見掛けた記憶がある。……当時のおれには皆目見当のつかない代物だったが」
クルスは遠い目をして皆に語って聞かせた。勇者サラスヴァティ・レインやイビナ・シュタイナーらとアケナス各地を回った冒険の記憶が、彼の脳裏に鮮明に蘇った。今にして思えば、ここの地下水路を訪れた時や幾多の遺跡・名勝を回った際、先達たちは深刻そうにやり取りをしていたものだと気付いた。どこの国家にも属していなかったあの冒険者たちは、どうやらアケナス全土を脅かす巨大な災厄を相手に奮闘していたようだとクルスはようやく確信に至った。
(あの爺にも言われたよな。お前がヴァティの後を継ごうというのか……と。そんな気は、全くなかったんだがな)
一年前、チャーチドベルンに隠された四柱の封印に関する情報を求めてアケナス北端にイビナを訪ねた折、苦戦の末に石塔を走破したクルスとアムネリアは彼に会うなり一喝された。
「お前たちのような門外漢が、封印の所在を知ったところで打てる手立てなど何もない!小僧……お前がヴァティの後を継ごうというのか?そうでないのであれば、早々に立ち去るがいい」
アムネリアが萎縮したクルスを庇い、取りなしたことでイビナは少しだけ態度を軟化させ、カナルを出奔したウェリントンを追って賢者の石を取り戻すよう二人に忠告した。封印を強めるにせよ四柱や魔境に対抗するにせよ、話はそれからだとイビナは語気を強めたのであった。
以来、クルスとアムネリアはウェリントンの足取りを追い続けた。一度は魔境へすら立ち入り、アケナスを東奔西走した。しかし、ウェリントンと賢者の石に関しては僅かな情報も得られなかった。
地下水路自体は十数年前から調査が進められ、枝葉が別れるようにして遺跡周辺に跨がる広大な経路も七割方が踏破されていた。それでも古代より徘徊する魔法生物や、深淵の闇を好む悪魔が潜んでいる為に、探検することは命懸けと言えた。
フィニスが光源を生成して天井付近を追走させたので、一行は地下を行くのに視界に不自由することはなかった。水路は完全に渇れており、大人四、五人が並べるだけの幅と、人間の背丈の倍程度の高さをした空間が広がっていた。
「ここでもう三年は稼がせて貰ってるけど、そんな通路があるなんて聞いたことないよ」
隊列の先頭を歩くマルチナが隣のクルスに向かって語りかけた。松明を持たずに進んでいることから、手持ち無沙汰なのか左手の平を握っては開いてと繰り返していた。
「ああ。おれも知らなかったなら絶対に発見できない自信がある。……今は、その場所まで辿り着けるかどうか自信がない」
「方角はこっちでいいんだね?」
「うろ覚えだ。確か右手に梯子があって、前方は格子で遮断されていたような……」
「格子で……行き止まりのどこかなんだろうけど。アイザック、分かる?」
マルチナはフィニスとベンを挟んで最後尾を行く相棒に訊ねた。
「……候補は二ヶ所だ。梯子の上の出入り口が潰された扉の場所ならそう遠くはない。地上へと繋がっている方だと、二日がかりだろう」
アイザックは淡々と答えた。二日という単語にフィニスやベンはぎょっとした。日の光は届かず、人外の生命体が闊歩するこの地下で夜を明かすというのは、随分と愉快ではない経験ができそうだと覚悟した。
「それなら近い方だろう。ここで寝泊まりした記憶はないからな。……さて、敵さんのご登場だぞ!」
クルスは気配だけでそれと察知し、素早く剣を抜いた。そして、背後のベンに援護を促した。
「……我敬虔なる御身の使途が請い願う。魔を打ち祓いし恩寵を賜わらんことを。聖神カナンの光あれ!」
ベンが口訣でもって魔法を発動し、クルスの剣身が目映く発光を始めた。カナンの神官による武具強化で、聖神の加護は退魔の力を倍加させた。それは対悪魔だけでなく、物理攻撃の効きづらい魔法生物にも有効な技で、クルスは剣を頼りに前に出た。
現れたのは天井ぎりぎりまでの全長を有する石作りのゴーレムと、獅子の体躯に蝙蝠の翼、蛇の尾を合成されたキメラの二体であった。クルスは力任せにゴーレムへと斬りつけ、マルチナがキメラと相対した。
フィニスの指示でベンは後方への警戒に回り、代わって長剣を手にしたアイザックが前に出た。マルチナは自身の魔法力を剣に付与していたので、フィニスはアイザックの剣に魔法による強化を施した。
前衛の剣士三人は危なげなく魔法生物を相手に攻め、ベンは微弱ながらに三人を護る結界を構築した。フィニスが中距離からの援護攻撃を開始すると、間もなく敵の制圧は完了した。
秘密の通路へ到着するまでに都合三度の戦闘を経験し、彼らは見事に敵を駆逐した。流石にスコア700を超える傭兵は頼りになるとクルスは感心したが、それ以上にネメシスの遣わしたマジックマスターと神官の働きぶりに賞賛を覚えてもいた。
十数年ぶりに祭壇の間へと帰ってきたクルスは、かつての光景を思い返すまでもなく、異様な変貌を遂げたそこを前に立ち尽くした。