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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第二章 カナル承継
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2 魔獣エヴァキリアと黙示録の四騎士

2 魔獣エヴァキリアと黙示録の四騎士



 ネメシスの率いる諸侯軍は各地で敗退を重ねた。マリス侯爵の軍勢は高い機動力を武器に東から西へと絶えず居場所を変えて攻勢に出、数で劣るバレンダウン伯爵派の軍をよく破った。


 勢力比だけで見れば依然ネメシスの兵数がフェイニールのそれを上回ってはいた。だが、軍師たるジットリスは兵力を集中運用させることに専念し、敵であるバレンダウン派諸侯軍の各個撃破を狙った。


 マリス侯爵家が旗下の諸侯を完全に掌握し兵を一元管理出来ていたのに対し、ネメシスの統率は緩やかな連帯によって為されていたので、諸侯は独自の部隊運用を好んだ。そこを突かれた形で、大物貴族の相次ぐ戦死はネメシスに与する有力者たちの心境に不穏な影を落とした。


 ジットリスが直接対決を避けたことからネメシスの本隊は未だ健在で、ルカとフィニスの率いる部隊がカナルの中部一帯をどうにか押さえて、支配地域の後退を阻んでいた。副都バレンダウンをはじめとする南部一帯は食料生産や鉱物資源の産出に一長があり、当座は補給面の心配は必要なかった。


 満を持して、アムネリアがネメシスへと献策したのは本隊による陽動作戦であった。


「ネメシス様の隊を敢えて前面に出します。ルカ隊とフィニス隊、それに諸侯軍は敵の油断を誘うために一日以上の距離をとること。本隊は大将首を狙って現れた敵と一日だけ交戦し、翌日に全部隊の集結を待って包囲殲滅するのです」


 十面埋伏の計略と呼ばれたこの作戦がマリス侯爵側の軍師に直ぐにも見抜かれるであろう点は計算に入れられていた。それでもなお、一発で勝負の決まるこの罠にフェイニールは乗るに違いないとネメシスの肝いりで採用された。


 フェイニールとアリスが決戦を主張した折、ジットリスは目付きを殊更に厳しくし、訥々と二人を戒めた。曰く、小さい勝ちを積み上げれば何れバレンダウン伯爵は音を上げる。こちらから火中の栗を拾いに行く必要などないのだと。


 だが最後にはネメシスの首を獲ると息巻く高貴な兄妹の圧力に屈し、手持ちの兵力の統合を了承した。自身も戦いたがったディロンであったが、ジットリスの態度に不審を抱き、フェイニールの座から退出した流れで彼の腕を掴まえた。


「どうしたのだ。貴様の策が否定されたのだぞ?坊っちゃん嬢ちゃんに押し切られるなど、<天軍>らしからぬ采配だ」


「私の言う通りにしていれば、マリス侯は一年とかからずにカナルを平定したであろう。だが、侯の完勝で終わるのは我等にとって好ましくない。そう、どこかで痛い目を見てもらうことは元々予定にあった」


「……負ける為に決戦を飲んだと言うのか?」


「この方針が侯の口から出たこと。これが何より重要なのだ。私の献策で敗戦に見舞われれば侯から私、引いてはベルゲルミルへの信用を貶める。逆に侯が自身の選択で負け、それに私が反対して見せていたとなればこちらの株は上がろうというもの。警戒心の強い侯であるが、より懐深くに入り込めよう」


 ジットリスの述懐にディロンは嘆息した。よくもそこまで物事を難しく考えられるものだと、生粋の武人たる<飛槍>のディロンは同僚への理解を益々遠くした。


 はたと気付いたディロンが警句を投げ掛けた。


「マリス侯の手勢を集結させて、回復の見込めぬ大敗を喫したらどうするのだ?」


 ジットリスはゆっくりと首を横に振り、血色の悪い顔面を強張らせた。


「それを許す私ではない。退路を切り開けるだけの遊兵と間は作ってみせる。後はむしろ、貴殿が暴れて盛り返せば良い話だ。違うか、ディロン・ガフロン?」


「違わない。俺のハルバードでネメシス・バレンダウンの柔首を飛ばしてやってもいい」


「……よしてくれ。計画が水の泡だ。マリス侯とバレンダウン伯には共倒れしてもらう位がちょうどいい」


「時に、あの魔獣は出てくると思うか?」


 ディロンの問いに、充分な証拠を持たないジットリスは明言を避けた。この内戦において彼に予想の付かないことがあるとすれば、まさにディロンのいう魔獣こそが最たる存在であった。


 今のところ合戦に介入するも、マリス・バレンダウンを問わずに襲撃することから、カナルの地力を弱らすというジットリスらベルゲルミル勢の思惑と一致を見ていた。しかしジットリスからすれば、自身やディロンを害する可能性や、マリス侯やネメシスら敵味方の要人を不意に失う出目もあることから、手放しで歓迎するような事態とまでは言えなかった。


(賢者の石に絡んだ何れかの魔性の仕業であろうがな。ウィルヘルミナの失態で魔境が騒がしくなったとも聞く。あの女、大人しくアンフィスバエナに実権を譲って、楽隠居でもしておれば良いものを)


 他方、フェイニールはベルゲルミルの二人を下がらせたところで、マリスただ一人へと密命を下知した。はじめそれを伝えられたマリスの顔色は青ざめ、次いで猛烈な抗議を唱えた。


 基本兄に従順なマリスにしては珍しく、それというのも彼女は大貴族の中枢に生まれながらにして世間ずれが然程見られず、魔法学校での寄宿生活が長かったことで常識という一点において兄と感性を異にしていた。


 落ち着くことなく身振り手振りで兄を説得しようと試みたマリスの行為はしかし、実を結ぶことはなかった。


 フェイニールは病的に白い面に酷薄な笑みを浮かべ、鋭利な眼光でもって妹を撫でた。


「古びた帝立図書館がよもやこのような形で役に立つとはな。チャーチドベルンを押さえたことや、侯家に逆らえん旧弊な官僚機構が私に味方をしたのだ。それにあの神官。何の下心があってこちらに近付いてきたかは知らないが、これだけ有意な情報を提供してくれたのだ。それなりの厚遇を約してやるとしよう」


 上機嫌そうにクツクツと笑声を上げるフェイニールへ、マリスがやんわりと釘を刺した。兄が言を翻す気のないことを知った以上、彼女は自分が率先して体制の綻びを繕わねばと気負った。


「せめて……隠蔽工作はきっちりしないと。カナンやマイルズの神殿に気付かれたらただではすまない。ヴィトウスへの情報漏洩もそう。フェイ、実行と作戦指揮は私にとらせて」


 面倒臭そうに頷くフェイニールを、マリスが心中で叱咤した。


(フェイ……分かってるの?これは猛毒の剣よ。敵を斬りつければたいそう効果があるわ。でも一度刃がこちらを向けば、何もかもが反転する。抗う術はない。バレンダウンかマリスか。どちらか一方が滅びるまで、この毒が消えることは決してない……)



***



 フェイニール自らが率いる一千にも及ぶ軍勢は、ガゼルの北に広がる湿地帯でネメシスの部隊へと襲い掛かった。兵力で五倍する多勢の敵を前に、ネメシスは予定通り防御行動に徹した。


 馬は湿地に脚をとられ、また重量級の全身甲冑の騎士なども地に降り立つや行軍に難儀した。遠目から放たれる魔法の攻防は膠着状態で、ネメシス隊が事前に仕掛けた陥穽の罠や火線防御の策も効き、誰の目にも戦が短期的には決着しないように思われた。


 まず動いたのはディロンで、彼はマリス侯選りすぐりの精鋭十数騎を借り受けて最前線へと出張った。手近な敵をハルバードの一閃で斬り倒し、威風を見せ付けた。


 マリス陣営に凄腕の槍使いがいるとの噂は広まっていたので、ネメシス隊の騎士たちの間に若干の動揺が走った。それを収めるべくクルスが単身徒歩で進み出た。


「ん?何だ、貴様は」


 ディロンはクルスを無謀な猪武者と決め付け、敵に合わせて鞍から下りた。騎士としての利点である高低差を捨て、ハルバードの穂先を真っ直ぐにクルスの喉元へと向けた。


 クルスは足下のぬかるみを確かめ、慎重に間合いを詰めた。槍との手合いで射程距離を測り違えれば即敗北となるは必定で、目先の槍使いが練達の士であることも了解の上で歩を進めた。


「生意気ッ!」


 何も応えぬ相手に痺れを切らせたディロンが必殺の突きを繰り出した。クルスは半身になりながらそれをかわすと、溜め込んでいた脚力を爆発させて一気に間合いを狭めた。


 ディロンは即座に敵の技量を認め、戦法を切り替えた。突いた槍をそのままに水平に薙ぎに掛かり、接近したクルスを払わんとした。全力で振るわれたその攻撃に対し、クルスもまた全霊を込めた斬り落としで応戦した。


 両者の得物同士が噛み合い、力は拮抗した。しかしそれは一瞬のことで、二撃目はクルスが速度で上回った。斬り落とした下段からの斬り上げがディロンの上半身の装甲を削った。


 剣身が肉体にまで達することはなかったが、撃たれた衝撃でディロンの動きが鈍った。クルスの追撃は容赦なく、上段・中段・下段にとディロンを追い込んだ。ディロンはクルスの猛攻をどうにか凌ぎ切り、大振りの反撃で距離を稼ぐと、腰だめにハルバードを構えた。仕留め損ねたクルスは舌打ちをした。


(今度は……簡単には近寄らせてくれないだろうな)


「貴様……只者ではないな。名乗れ」


「知りたいなら自分から名乗ったらどうだ、槍使い?おれは別に男の名など知らんままでも結構だが」


 ディロンの全身から殺気が発散され、クルスは腰を低くして来襲に備えた。


「生意気!」


 ディロンの繰り出した突きは迫力に充ちており、クルスは後ろに下がることでどうにかかわした。撃ち合ったり横に避けたりしたのでは、次に接続する薙ぎ払いに対処できないとの判断に因った。


 畳み掛けてくるディロンの槍に、間合いで劣るクルスは防戦がやっとという有り様になった。それでも奥の手を持ち出すことは躊躇われ、何より駆逐優先順位が高い魔獣の出現を待っていた。


 ディロンがクルスに抑えられたことで一先ずフェイニール勢の猛攻は一服し、ネメシスは徹底した防御陣の展開を継続した。弓矢や魔法による中・長距離の迎撃を主体とし、力押しに対しては散開と集合を繰り返す高機動戦でもって応じた。


 アムネリアが指揮するその戦術は敵方のジットリスすらも認める程に完璧で、彼から勝ち過ぎないよう手加減して臨む意識を取り払わせた。


 日暮れが近付いた頃、前衛部隊を助けるべくネメシスの全隊がひとつところに集まった。クルスとディロンは休み休みにではあったが、半日近くを一騎打ちに費やしていた。


「……御迎えが来たようだ。女性を待たせるのは性に合わないのでね。ここは一つ、痛み分けとしないか?」


 ディロンの槍と撃ち交わしながら、クルスが水入りを提案した。


「……ほざくな。貴様の遺体と対面させてやるわ!」


 ディロンはそう断じて攻め手を強めるが、決定打とまでは至らなかった。そこにネメシスの本陣から白馬が一騎飛び出してきた。


「クルス!陽が落ちる前に退くぞ」


「ああ。この御仁がなかなかしぶとくてな。アムからも言ってやってはくれないか?」


 槍の間合いから抜けて振り返ったクルスは、近付いてくるアムネリアの表情にみるみる変化が生じるのを目の当りにした。その視線を追うと、今度はハルバードを引いた姿勢のまま全身を強張らせたディロンの姿が目に留まった。


「アムネリア・ファラウェイ卿か……」


「ディロン・ガフロン卿……やはりな。ということはマリス侯の軍略を変えたのは、さしずめ<天軍>のジットリス卿であろう?」


 ディロンとアムネリアは互いを視認するなりそう呼び合い、動きを止めた。やり取りを眺めていたクルスは、昨年のアムネリアとボードレールの会話を思い返していた。


「ファラウェイ卿、貴殿がネメシス・バレンダウンの側に付くはウィルヘルミナ女王の指図によるものか?そうであれば、我等が合争う理由は皆無ぞ」


「ベルゲルミル公国の大国王の立場から見ればそうであろうな。連合王国の意図はカナルの弱体化にある筈。ネメシス様が勝つにせよフェイニール・マリスが勝つにせよ、より多くの血が流されればそれで良い。……卿らが遣わされた理由はそんなところか」


「気でも触れたか、ファラウェイ卿?カナルの騎士がいる前で、公に大国王陛下の名を出すなどと。ソフィアの女王には相応のペナルティを覚悟して貰うぞ!」


「そのような心配は無用だ。私はソフィアからもベルゲルミルからも離れた身なのだからな。そして、ネメシス様と敵対するそなたにはここで退場して貰う。死の(デス・ペナルティ)というわけだ」


 アムネリアが馬から下りて剣を抜くと、剛胆をもって鳴るディロンと言えど後退りした。ここには自分と互角に闘うクルスがおり、アムネリアはベルゲルミルの十天君でも最強クラスの実力者として知られていた。


 ディロンは血の気こそ多いが決して狂戦士などではなく、戦力差を冷静に捉えていた。アムネリアに続いてクルスもにじり寄って来て、ディロンの退路を断たんとした。


 再び闘いの火蓋が切って落とされんとした時、騎士たちの肌を冷気が突き刺した。クルスやアムネリアは瞬時に敵の襲来を悟った。


「アム!」


「ああ。一気に片を付ける!」


 状況を察したディロンもハルバードを握り直し、三者がともに魔獣の襲来を待った。


 バレンダウン・マリス両陣の間に現れたのはかの魔獣で、八つ足を踏ん張らせて立ち、天を仰いで大きく吠えた。魔獣へと挑もうとしたクルスの足を止めさせたのは、突如地中よりせりだして来た四つの人影であった。


 その四者は一様に漆黒の全身鎧に身を包み、円形盾と長い長槍を手にして馬に騎乗していた。馬はそれぞれ白、赤、黒、青白色の毛並みを有しており、不思議なことに手綱や鞍といった馬具の類は見当たらなかった。


(これは……まっとうな騎士の雰囲気ではないが、悪魔か?登場の仕方は召喚魔法のそれと酷似する)


 ディロンの様子を盗み見たアムネリアは、彼にもこの謎の四騎士の素性が知らされていないものと看破した。そして出現位置と向きからして、四騎が自分達に好意的な存在ではないと確信した。


 四騎士は無言のままに槍の穂先を持ち上げた。


「来るぞ!」


 クルスは叫び、迷わず全力を発揮した。<戦乙女>を降り立たせたのであった。



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