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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第二章 カナル承継
21/132

  マリス一門-2

***



「ネメシス様が出撃なされた?総大将御自ら、前線に向かわれたと言うのか?」


「はい……。連日の敗戦に全軍の士気が低下していると御懸念され、ルカ隊長と共に中部フォーディラントへと部隊を進められました」


 クルスが詰め寄ると、バレンダウンの騎士はばつの悪そうな顔をして答えた。ネメシスがバレンダウンを発ったのはクルスらがここフルカウル城に到着する前日とのことで、僅差ですれ違っていた。


「フィニスも一緒か?」


 アムネリアの質問に騎士は頷きを返した。


(主力を率いてはいる、ということか。だがネメシス様が討ち取られればそれで終わり。何とも分の悪い賭けではないか。それほどに追い込まれているのか……)


 考え込むアムネリアに対し、クルスは即座に後を追うことを主張した。ネメシスの父、バレンダウン伯爵は半年ほど前に戦傷から第一線を退いており、今はネメシスが伯爵位を継承していた。混乱が続くカナルを掌握せんと躍起になる勢力は二つあり、ネメシスが名実ともに片一方の首領となっていた。ここで彼女を失うわけにはいかないと、クルスは鼻息も荒く急いた。


「マリス侯爵の軍が既に布陣しているなら、今から行っても乱戦に巻き込まれるだけであろう」


「なら放っておくと言うのか、アム?……おれは一人でも行くぞ」


「落ち着くのだ、クルス。短気は損気。有効な策は必ずある。例えば……援軍を連れていくというのはどうだ?」


「援軍?そんなもの、あてはどこにある?」


「<リーグ>はどうだ?」


 アムネリアの思い付きはしかし、応対している騎士がきっぱり否定して見せた。対白騎士団戦ではネメシスに加勢をした傭兵総連盟であったが、カナルの内戦には本部の指示で不干渉を貫いているとのことであった。


 クルスは口利きの出来そうな傭兵の顔をいくつか思い浮かべたが、それでも彼らが<リーグ>本部の意向に逆らってまでネメシスに忠義を尽くすものか、自信は持てなかった。


 アムネリアの伝で言えば、ベルゲルミル連合王国という線が真っ先に挙げられたが、カナル帝国と長年敵対関係にある上、彼女自身袂を分かって久しい故に論外であった。次いでクーオウルの神殿関係者が想起させられ、これをクルスへと相談してみた。


「クーオウル神の信徒が聖神カナンを宗是とする国家の内戦に、どういった理由から参戦するかが問題だ。カナル国内の神官に限ったとして、神殿への寄進やら免税やら、人参をぶら下げれば或いは可能性もあるのだろうが……」


 クルスは言葉を濁したが、アムネリアにはその内容が手に取るように分かった。カナル在住のクーオウル信徒は小勢であり、戦神マイルズの神官などと異なって戦闘力に秀でているわけでもなかった。つまり、投資対効果が悪いと見なされたのだ。


 クルスはクルスで<リーグ>以外の自身のネットワークを考えるに、亡国となったニナ・ヴィーキナの関係や冒険者時代の仲間たちを検討するも、そのほとんどは消息が知れなかった。


 新たに兵を募ってはと言い掛けてアムネリアが口を閉ざした。当座の用事が済んだ二人は応対してくれた騎士に礼を言い、フルカウル城を辞した。


 カナル帝国に戻るにあたり、クルスとアムネリアは内戦に係る主義主張についても出来るだけ細かく取材を重ねていた。ネメシスは何を訴えて兵を率いるのか。マリス侯爵の一門は何を寄る辺として兵を挙げたのか。


 ネメシスの行動指針は怒りと慈しみを基底とし、対悪魔強硬・対外融和を優先と定めた国家の再建に主眼が置かれていた。マリス家はそれに真っ向受けて立ち、魔境と関わるに消極的な専守防衛と富国強兵に因る帝国主義を掲げた。


 皇帝と皇太子が同時に崩御したことで、皇位継承権者たちは一斉に自己の権利を主張したが、程無くして門地と実力を兼ね備えたバレンダウン伯爵とマリス侯爵の二流に集権された。


 フェイニール・マリスはそれに際して大貴族たちに、自派入りの暁には国政において厚遇するという空手形を乱発していた。外面の悪い強引な手法であり、下策と知って踏み切ったは、勢いがネメシスにあると認めていた為であった。少なくともこれにより、マリス一門を支持する貴族の数だけは倍増した。


 ネメシスの立場は門閥思想から程遠く、従来頻繁な慰問に地方巡察、身分を問わぬ人材登用や公正な裁きを心がけており、カナルの市民に広く受け入れられていた。市民、それに続いて平民出身の騎士が「公女」と聞いてまず連想するのがネメシスであり、伯爵閣下と相成った今も彼女の人気は不変であった。またネメシスの美貌は老若男女を問わず羨望を集め、善政からくる声望の高まりに拍車を掛けた。


 国内を二分する権力争いは簡単には決着がつかなかった。一年を経ても両勢力は戦力的に拮抗を見、それは両者の主張に隔たりが大き過ぎる為、仰ぐ旗を変え辛い点も作用しているとクルスやアムネリアの見解は共通していた。


「悪魔は嫌いだが、進んで魔境に手出しをするのは避けたい。隣国との交易を活性化することには賛成も、親子数代にわたって血で血を洗い戦ってきたベルゲルミルだけは許すまじ。……そういうことだと、バレンダウンとマリスのどちらか一方を絶対的に支持するのは難しい。相反する事柄を内包するのが人間であって、何もかもに白黒を付けられるとしたらそれはもう人間ではない何か別の生き物だ」



***



 後軍を率いたネメシスは丘陵から戦場を睥睨し、突入の機会を窺っていた。周囲を固める近衛の騎士たちは、あまり身を乗り出さぬようしつこく彼女を諫めた。


 バレンダウンを出陣した四百の騎士は、直線距離にして帝都チャーチドベルンとの中間付近にあたるこの地で、三百のマリス侯爵軍と会敵した。両軍は向き合ったままで夜を過ごした後、翌朝激突した。


 ネメシスの腹心、ルカ隊長率いる前軍百五十はあっさりと敵前衛を突破し、横陣を見事に切り裂いた。傍目にはそう見えた。


 分断された横陣の両サイドが突如機敏に動き出し、それは瞬く間に二つの独立した機動部隊と変じた。攻めていた筈が一転して挟撃の窮地に立たされたルカ隊は動揺し、騎馬の足が止まった。敵軍はそれを見越してか高速で反撃に出た。


 あわや一方的な展開に陥るかと思われたそこへ、マジックマスター・フィニスの中軍百五十が鋭意加勢した。ネメシスが眺めていたのは、この一連の流れであった。


(ルカ隊はどうにか救われたようですが、これでは我ら後軍が動けない。今更突入しても敵味方の入り乱れた戦場では、まともな援護など期待はできないですし……)


 だがネメシスだけでなく誰もが見立てた常識的な展開は、この戦においては再び覆された。ルカ隊にフィニス隊が合流した時点から、挟み撃ちを意図していた筈の敵軍の動きにまたもや変化が付けられた。右軍は後退を始め、左軍との距離が開いた。


 ルカはそれを各個撃破の機会と捉え、フィニス隊と合わせて右軍に食らい付かんと全兵を差し向けた。その隙を突き、あろうことか敵左軍は全速前進を敢行した。三百の半数、およそ百五十がネメシスの後軍へと襲い掛かったのだ。


(狙いは……私!)


「全騎、横陣を組んで敵の突撃に備えなさい!来ますよ!」


 ネメシスの号令でバレンダウンの騎士たちは横一列に並んだ。敵の突進に対して縦陣で臨めばぶつかった際の衝撃が伝播し易く、敢えてここは抵抗を薄くして敵に貫かせる算段であった。しかし、それも敵の指揮官には見抜かれていた。


(……なんと!足を緩めて陣形を再編するというの?こんな即応性の高い部隊指揮が……)


 ネメシスの布陣の意図を察知した敵はおもむろに前進速度を落とし、錐行陣を三列縦陣へと組み替えた。それは攻撃の起点を三方に置くことで交戦ポイントを増やし、数で押し切る作戦に違いないとネメシスの目には映った。


 敵味方の距離が接近しており、ネメシスには再度の陣立てが許されなかった。そして敵左軍とネメシスの後軍がそのまま激突した。


 激しい斬り合いや突き合いが繰り広げられ、騎士たちは盛大に血を流した。つい一年前までは仲間であったことも忘れ、互いに殺し合った。軍容の薄いネメシスは、血路を拓こうと自らも剣を振るった。


「そこを退けッ!」


 その男の槍は強力無比で、バレンダウン側の騎士を幾人も突き倒していた。長身でがっしりした体躯の騎士で、カナルでは見慣れぬ黄土色の全身鎧に身を包んでいた。


 男は近衛の騎士に左右を固められたネメシスの姿を認め、そちらを目指して突破を図った。立ち塞がったバレンダウンの一騎が、僅か二突きで撃破された。


(あの槍の腕前といい、先程の指揮といい……マリス陣営には相当の人材が集まっている。これを見逃したのは迂闊でしたね……)


 自軍の劣勢は明らかで、ネメシスは撤退の判断を下さんとした。しかし、目の前の槍使いはそれを容易に許してくれそうになかった。


 男はネメシスに近寄るなり、槍の穂先を突き付けて言い放った。


「ネメシス・バレンダウンだな?個人的な恨みはないが、ここで死んでもらうぞ」


 死を宣告されたネメシスが考えていたのはしかし、向けられた槍の形状に関してであった。


(先端に、斧部と鉤爪が備わっている?)


「下がれ……下郎がッ!」


 近衛の騎士が斬り掛かるも、槍の一閃で剣を跳ね返され、次の一突きで胸を貫かれた。男の実力は圧倒的で、ソロス流の剣を修めたネメシスから見ても最上級の騎士に思えた。


「無駄に部下を死なせるのがお望みか?そうでないと言い張るのであれば、御身の剣で掛かって来るが良い!」


「……仕方がありませんね」


 ネメシスはあれこれの思索を一時的に放棄し、黄金色に光る剣を上段に構えた。それを見て、男は勢いよく槍を回してほくそ笑んだ。


 ここで三度、戦況が移ろいを見せた。衝撃音と共に、地面が大きく縦に揺れた。


 ネメシスも槍使いの男も等しく、獰猛で邪悪なる気を周囲に発散させた異形なる化け物を視界に収めた。



***



 戦場に落下してきた獣は、見るからに悪魔の眷属と分かるおぞましい風貌を有していた。例えるなら、狼を十数倍巨大化させて毛皮をどす黒く染め上げ、目玉は六つに殖やして血を塗りたくり、足を八本接ぎ足した生物。密集した牙が覗く口元からは絶えず白煙が立ち上っており、この魔獣の影響からか辺りが急速に冷え込み始めた。


 ネメシスの部隊もマリス侯の部隊も、両軍が共にこの魔獣の降臨に面食らい、手出しを控えてただ注視した。そんな中でもいち早く反応を示したのはネメシスで、彼女は先日の戦闘報告にあった異常事態とこの魔獣とを瞬時に結び付け、状況を整理するに至った。


「気を付けなさい!その獣は冷気を操ります!迂闊に触れてはなりません!」


 ネメシスの警告に反応したわけでもあるまいが、魔獣は八本の足で地を蹴り、恐るべき速度でもって騎士たちに体当たりを見舞った。たちまちに十近い騎士が吹き飛ばされた。


 マジックマスターたちが散発的に魔法攻撃を仕掛けた。魔獣は敏捷な動きでそれらを悉く回避すると、反撃とばかりに咆哮を上げた。


 突風が巻き起こり、戦場を白い氷塵が覆い尽くした。広範囲を標的とした氷撃の魔法であった。


(先だって我が軍とマリス軍の双方が氷漬けにされた話。あれは、この魔獣の仕業であったに違いない……!)


 ネメシスは、己と対峙していた槍使いの男が魔獣へと挑み掛かる様を目撃した。男は雄叫びと共に高く跳躍すると、魔獣の背に槍を突き落とした。


 ダメージが認められたのか魔獣は暴れ、男は転げ落ちるようにして地面へと着地した。その間にも穂先の斧刃部で魔獣の体表を斬り付けているあたり、並の使い手ではないと知れた。


 魔獣は手近なネメシスを次の攻撃対象と定めたようで、一気に駆け出した。


(来た!)


 ギリギリまで引き付け、ネメシスは素早いサイドステップと同時に剣を水平に固定した。直線運動で仕掛けてきたぶちかましを紙一重で避け、ついでに魔獣の頭部から胴体部にかけてを浅く斬り裂いた。敵の突進の威力を利用した巧みなカウンターであった。


 だが魔獣と当たった剣を持つ手は痺れ、ネメシスは追撃を打てぬまま後方へと跳んで距離をとった。そこを魔獣の冷厳なる息吹が襲った。


 ネメシスの構築した魔法の障壁は辛うじて間に合ったが、魔獣は冷気攻撃に拘らずまたも飛び掛かってきた。障壁の解除を終えたネメシスもここは逃げられないと悟った。


(こんなところで……!)


 魔獣の前足がネメシスの眼前へと迫った。


 その時、ネメシスの身体が何者かに抱きつかれ、横へと転がされた。自分に覆い被さる者から薫る香料には覚えがあった。そしてネメシスに代わって魔獣の打撃を受け止めたのは、赤茶色の髪をした長身の剣士であった。


「……クルス!アムネリアさん?」


「御無事で何よりです、ネメシス様。アム、そのまま姫様を頼む!」


 クルスはアムネリアの返事を待たずに剣を返して魔獣の前足を払い除けると、横薙ぎに強烈な斬撃を放った。斬りつけられた魔獣は怯まず、鋭い爪を有する前足でクルスを狙い、剣と爪の応酬が続いた。


 手数で劣るクルスは段々と押され始め、加えて魔獣の発する極寒の圧力に全身を締め付けられるような鋭い痛みを覚えていた。


(こいつは……この冷気!異常気象の正体見たりだ)


 クルスを侮り難しと考えたか、魔獣は跳躍して一気に後退し、大口を開けてのブレス攻撃に移行する素振りを見せた。クルスはそれを避けようと必死で走った。


 冷気のブレスを放つ寸前に、魔獣へと膨大な光の奔流が突き刺さった。


 クルスが振り返ると、ネメシスを背後に庇い、光撃の魔法を放った姿勢のまま肩で息するアムネリアの姿が視界に収まった。その顔色はたいそう悪く、今の一撃で彼女に活動限界が訪れたのだと分かった。


(このまま押し込む!)


 胸元のペンダントを左手で握り締め、クルスは魔獣との距離を詰めにかかった。アムネリアの魔法の直撃を浴びた魔獣は動きにやや精彩を欠くも、またもや周囲に寒風を撒き散らし、クルスをはじめとした騎士の接近を遮った。そして、燐光を残してその場からかき消えた。


 クルスやアムネリアの表情が険しくなった。魔獣は撤退したのであろうが、その作法は召喚魔法が解除された時のそれと酷似していたからであった。


(あの魔獣は誰かが意図的に送り込んできたというわけか。……そうなると、ネメシス様の行く先では常に警戒が必要となる。今やつを取り逃がしたのが悔やまれるな)


 クルスは剣を手にしたままで辺りを眺め回した。魔獣が荒らした戦地では敵味方の区別も曖昧に凍傷による負傷者が多発しており、継戦どころの騒ぎではなかった。


 ネメシスは残存の騎士を取りまとめるや、ルカ隊とフィニス隊の戻りを待ってフォーディラントからの退却を決断した。バレンダウン・マリス双方の軍で損害は軽くなく、何ら得るもののない戦いであった。



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