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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第一章 賢者の石
19/132

エピローグ

***



 ベルゲルミル連合王国を構成する主要国が一つ・ソフィア女王国と、王国内に鎮座する名門マジックアカデミーが同時に出した声明に、アケナス諸国は大きく揺れた。カナル帝国の国宝にして古代のマジックアイテムたる賢者の石が悪魔によって盗まれ、魔境を勢い付かせる結果になったと。その悪魔はカナル帝国白騎士団のウェリントンに化身しており、見付け次第征伐するべしと。近い将来の悪魔の再侵攻を予期し、対魔強化を推奨すると。


 事実を知る者には、発表へと踏み切ったウィルヘルミナ女王の苦悩が容易に見て取れた。徒に民草の恐怖心を煽ることに繋がったり、それほど貴重なアイテムと分かれば国家ぐるみで狙う謀略が立ち上がったり。そうした懸念以上にウェリントンの行為を危険視して情報を公開したわけだが、カナルへの配慮は忘れなかった。


 白騎士団の団長が率先して国を裏切ったとは明示せずに、悪魔がウェリントンに憑依したという体で注意は促された。実際のところ、ウェリントンがどのような状況の下悪魔となりおおせたのか誰にも分からなかった為、彼の意図や事の真相に関しては関係者の憶測の域を出なかった。


 カナル大森林のエルフの一団によるソフィア王都レイ・フェニックスへの訪問が実現したとか、<リーグ>がウィルヘルミナへ全面協力を申し入れたとかいう続報に接し、人々の心中に、このアケナスで何かが起こりつつあるのだという漠然とした不安が芽生えはじめた。


「こちらです」


 フィニスに伴われ、クルスとアムネリアはフルカウル城の一室に案内された。チャーチドベルンで悪魔の王アスタロテを撃破してから二月が経過し、バレンダウンの主城もようやく落ち着きを取り戻しつつあった。


 それでもカナル帝国は激震の最中にあり、それもそのはず今上皇帝と皇太子を同時に失い、あまつさえ国宝を騎士団長に持ち逃げされたのであった。次代の支配権を巡る貴族たちの闘争は激化する一方で、それと比例してウェリントン捜索への意欲は失われていった。


 バレンダウンはと言うと、伯爵父娘の懸命な説得と巡察が奏功して治安や経済は比較的安定を見ていた。対アスタロテ戦を先導したことも評判を呼び、宮廷におけるネメシスの発言力は日増しに強まっていった。


 応接室で待ち構えていたネメシスはクルスとアムネリアの姿を見るなり破顔し、手を取って歓待した。ネメシスは帝国でも一、二を争う多忙の渦中にあり二人と交遊を持てる時間は少なく、この二月は二度ほど書面でやり取りを交わしたのみであった。


 この日もあまり時間の取れないネメシスは、フィニスの退出を待つなり本題を切り出した。


「久しいですね、クルス。アムネリアさん。早速で申し訳ありませんが、調査の結果は如何ですか?」


「御壮健で何よりです、ネメシス様。御用命いただきました件は、マジックマスター・フィニスに報告申し上げた通りです。進展はありません」


「……そうですか。それでも、実際に足と目で捜索したあなた方の生の声を聞きたかったのです。チャーチドベルンにあるという四柱の封印とやらが、一体どのようなものか……」


 ネメシスの細面には憂慮が浮かんでいた。クルスは気品と健気さの同居したその憂い顔も魅力的だと再認識し、同時に自身の場違いな気分の高揚に呆れて溜め息を漏らした。アムネリアは相棒に軽く肘打ちをかますと、ネメシスへ厳しい現状を伝えた。


 アスタロテの残した、忌まわしき四柱の封印解除という高説。ソフィアの女王やエルフの長老が表立って動きを活発化させる程の事態に際し、ネメシスは当事国の皇位継承権者として黙っているわけにはいかなかった。クルスとアムネリアに依頼して、この二月チャーチドベルン中を探索させていた。


 経過は芳しくなく、それはただでさえ情報がゼロに近い上に帝都チャーチドベルンは広く、また非バレンダウン派の貴族や豪商、神殿勢力から抵抗や横槍も散見された。一筋縄ではいかない状況を打開するべく、クルスはこの日ネメシスとの面会を半ば強引に取り付けて馳せ参じていた。


「ノエルがいてくれたら、精霊の働きでいま少し情報を掴むことが出来たのたのかもしれません」


「アムネリアさん。ノエルさんからの連絡はないのですか?」


「はい。あの日以来、梨の礫です。無事だと良いのですが」


 賢者の石とウェリントンを追って帝宮を飛び出してから、ノエルの消息は杳として知れなかった。ファーロイ湖王国の公爵公子一行もまた同様で、あの時ウェリントンを追跡した者たちの安否が気遣われた。


 エルフの知恵を借りることは出来ないかとカナル大森林にも立ち寄ったクルスとアムネリアであったが、ノエルの導き無しにはエルフの里へと到達し得ず、ネピドゥスもまた二人を招き入れるつもりはないようで訪問は不調に終わった。


「本当に……無事を祈ります。カナルの政治的混乱が片付けば、国を挙げて封印もノエルも探すことが叶いましょう。それで、クルスの提案と言うのは?」


「はい。カナルを、出ようかと思います」


「……何故です?」


「見限るとか逃げるとかではありません。闇雲に動いても解決には至らないと結論付けまして。我々には知識が足りない。まずはそこから埋めていこうかと」


 ネメシスの瞳に不穏な光がちらついた為、クルスは早口気味で弁明した。これはアムネリアと話し合った上での結論であった。


「クルス・クライスト。私が主君では仕えるに値しませんか?いいえ、何も臣下の礼をとらずとも構いません。カナルや……私の為に力を貸してはいただけまいか」


 ネメシスは瞳を潤ませ、白い両の手をクルスの手に重ね合わせて懇願した。至近から美声を浴びせられたクルスは明らかに動揺し、「いや」とか「ううむ」とか意味のない言葉を断続的に発していた。


(……こういう男であった。女相手となると途端に見境がなくなる。ラクシュミ・レインは、この男のどこを見初めたというのだ?)


 たまらずアムネリアが咳払いをすると、反射的にクルスの背筋が真っ直ぐに伸びた。


「ネメシス様……一旦、カナルを留守にするだけです。私はまだ<リーグ>のバレンダウン支部に所属する傭兵。四柱やウェリントンへの対抗手段を手にしたら、直ぐに戻ると約束します」


「……あてはあるのですか?」


「はい。神話や古代史であれば、それこそ昔馴染みの専門分野です。今はアケナス北端の尖塔に隠れ棲んでいる、イビナ・シュタイナーという老人に会いに行きます」


「成る程……イビナ・シュタイナー博士ですか。かの賢人であれば、確かに何らかの指針を与えてくれるかもしれませんね。これは私からも御頼み申します、クルス。どうかチャーチドベルンを救う手立てを訊ねてきて下さい」


 ネメシスの哀願にクルスは力強く頷くと、片方の膝を床につき、右腕を胸の前で水平にして礼の姿勢をとった。それは騎士の如き流麗な動きで為され、クルスの過去を聞かされたアムネリアやネメシスに合点のいくものであった。


 ネメシスはふとアムネリアに視線を向け、平静を装って質した。


「アムネリアさんはどうなさるのです?ソフィア女王国にお帰りには……」


「私は国を捨てた身です。今更帰ったところで、易々と受け入れてはくれないでしょう。あの地に戻るには時間を必要とします」


「では、悪魔を狩り続けると?」


 その問いに、数ヵ月前のアムネリアであれば然りと答えたに違いなかった。彼女は人生に絶望しかけていたし、己の境遇を変革する気も失せて、怒りのまま魔境へと乗り込んでおかしくない心理状態にあった。


 だが、今のアムネリアには捨て鉢な思想は似つかわしくなかった。


(似た者同士というのは、存外同調してしまうものだな。それを傷を舐め合うだけの関係と捉えるかは、当人たちの勝手と言うべき問題か……)


「大事をクルスだけに任せておくわけにはいきませぬ故。私も同行して監督します」


 事前にそれと聞かされていたクルスはまだしも、ネメシスはえもいわれぬ衝撃を受けた。


「アムからそこまで想われていたとは、流石のおれも気が付かなかった。愛の告白、しかと受け入れようと思う」


「ありもしないものを、どう気付きどう受け入れると言うのだ。そなたのその勘の鈍さが心配だから、付いていくと言っている」


「別に照れを隠さないでも良かろうに。おれとアムの仲だ」


「安心せい。これっぽっちも隠していない。私は自然体そのままだ。むしろそなたこそ妄想を吐き出す癖を隠したが身のためであろう」


「……クーオウルの信徒というのは、慈しみが深いことで知られているように思うが。アムはちとおれに厳し過ぎるのではないか?」


「可愛い子には旅をさせよ。獅子は我が子を千尋の谷へと落とす。そういうことだ。何も甘やかすだけが育成ではない」


「おれはアムの子か……」


 恒例になりつつある二人の掛け合いを見て、ネメシスは心中複雑も笑声を発した。アムネリアは「ネメシス様の御前でくだらないことを言わせるでない」とクルスをたしなめた。


 ネメシスはクルスに大量の魔法結晶を授けると申し出、その代わりに<リーグ>を通じて定期的に連絡を入れるよう約束させた。賢者の石は失われ、<戦乙女>の維持に魔法力の持続的供給を求められるクリスにとって、ネメシスの厚意は有り難かった。


 別れ際に、ネメシスはクリスへと念を押した。


「必ず連絡を寄越しなさい。私がカナルを再建するに、貴方の助力は欠かせません。四柱への対処法を見付けた暁には無事に戻り、フィニスと共に私の片腕となって働いていただきます。いいですね?クルス・クライスト、どうかお気を付けて……」



***



「<疫病神>よ、もう行くのか?」


 副支部長の問い掛けに軽く挨拶を返すと、クルスは革袋を肩に掛けてスツールから下りた。根城にしていた<銀の蹄亭>ともしばしの別れになるわけで、バーテンたちだけでなく、柄の悪そうな傭兵連中からも激励の声が飛んだ。先の対白騎士団戦とそれに続く悪魔の王征伐は語り草となっていて、ネメシスをよく導いた傭兵頭としてクルスの名声も高まっていた。


 更新されたスコアが900というのは当人からすれば満足のいくものであったが、<リーグ>本部やチャーチドベルン支部からは、飛び級宜しく1000を付けてもまだ足りないとのお墨付きを得ていた。その話はバレンダウン支部を通じて丁重に辞退したものだが、それによりクルスを清廉な人物と捉え、更なる期待を寄せる動きが沸き起こった。


 中央魔法学校の顔見知りや縁のあった神殿、馴染みの店への挨拶は前日までに済ませていた為、クルスはやり残したこともなく<銀の蹄亭>の扉を開けた。遮るもののない陽光が直接に射し掛かり、クルスは眩しそうに目を細めた。


「別れの挨拶は済んだのか?」


 外壁に寄り掛かり、出て来るクルスを待っていたアムネリアが声を掛けた。動き易そうな短衣の上に紫紺に塗られた軽装甲を身に付け、生地の薄い袖無しの外套を申し訳程度に羽織っていた。然程大きくない荷物袋は地面に置かれていて、所有者ではなくその相棒に拾われることをじっと待っていた。


「おれは傭兵だ。惜しむべき別れなんて、そうそうない」


「方々の女にはどうだ?」


「まさかそれは、嫉妬して言っているのか?」


 アムネリアは凄味のある笑みを浮かべると、ついと向きを変えて無言で歩き出した。クルスは慌ててアムネリアの荷物を拾うと、彼女の背に続いた。


 カナル帝国の危機を救った二人は、こうして静かに副都バレンダウンを離れた。


 かつて国家の武力を象徴する立場にあった二人だが、出逢いは傭兵と放浪者という、互いに浮き世から遠ざかっていた時分に訪れた。悪魔を生涯の敵とするというただ一つの共通項はしかし、固い絆で二人を結び付けた。


 今日この日の二人の旅立ちは、アケナス全土を巻き込む激動の始まりを予感させた。そして、二人の未来が悪魔に翻弄されることになると運命付けるものに違いなかった。



第一章 賢者の石 完



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