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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第一章 賢者の石
18/132

  共闘-3

***



 ネメシスは棒立ちになっている二人を気遣い、掛けてやるべき言葉を模索していた。ベルゲルミルの面子とノエルは速やかに皇殿を飛び出しており、フィニスは昏倒状態のままであった。ウィルヘルミナとネピドゥスの二者もいつの間にか姿を消しており、玉座の間における騒動は拍子抜けがするほど静かな終焉を迎えた。


 それは誰も予想し得ない、驚愕の結末であった。


 まさにグングニルがアムネリアを貫こうかという瞬間、クルスの心は折れ、<戦乙女>の召喚が解除された。そうして無防備となったところへ、天井からまさかの闖入者が降り立った。何を隠そう、白騎士団のウェリントンその人であった。


 臨戦態勢にあったと見られる<白虎>は、放置されていたダーインスレイヴを拾い上げるや豪快に一閃し、剣圧だけでクルスら周囲の総勢を薙ぎ倒した。その上機敏にもクルスの足下より賢者の石を拾い上げ、その場からの逃走を図った。


 いち早く反応したウィルヘルミナやネピドゥスの魔法攻撃はウェリントンの魔法抵抗を突破出来ず、あっという間にその長身は皇殿の外へと消えた。


「あの男、悪魔に魂を売っておったのか……抜かった!」


 ウィルヘルミナの悔しそうな呟きにネピドゥスも同意せざるを得なかった。先に回廊で命を絶ったかに見えたはウェリントンに欺かれたものだと得心し、唇を噛んだ。


 苦心して悪魔の手から取り戻した賢者の石をみすみす目の前で奪われたことは痛手で、これではわざわざ森を出た意味もないとネピドゥスは珍しく込み上げてくる怒気を制するのに難儀した。おまけにどうやらウェリントンは悪魔として新生したようで、石を横取りした目的の一切が不明であった。


 石の譲渡を約されていたボードレールはこの超展開にも食らい付き、イグニソスを伴いウェリントンの気配を追った。何を考えてかノエルがそれに続き、残されたのはウェリントンの攻撃をまともに浴びて意識を朦朧とさせていたクルスとアムネリア、それにネメシスの三人であった。


(くっ……頭が痛い……。あの男、なんという剣さばきだ)


 頭を抱えて目眩が収まるのを待ち、アムネリアは床に座り込んでいる放心状態のクルスに手を差し出した。クルスは少しだけ迷ってからその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。二人は言葉を交わさず、そのまま彫像のように立ち尽くしていた。


 ネメシスの思考がようやくまとまり、吟味を重ね、心の底から出た本音を真っ直ぐ言葉にした。


「……まさか、ここでウェリントンが登場するなんて。でも心配は要りません。直ぐ様カナル全土へ指名手配をかけます。諸外国にも逮捕要請を申し入れ、早期に包囲網を構築しますから。御二人とも、本当によくやってくれました。帝宮の闇を暴き、それに止まらずかの悪魔の王を討伐せしめたのです。この働きはカナルのみならず、アケナス中から賛辞を受けるに相応しかろうと存じます。私が証人となり、必ずや大功に酬いる栄誉を授けると約しましょう。そして、何より……エドワード様の仇を奉じることが出来たことに、このネメシス・バレンダウン、伏して感謝の意を申します」


 深く、正真正銘深々と頭を下げ、ネメシスはクルスとアムネリアに謝意を示した。その礼はなかなか終わらず、見かねたアムネリアがネメシスの肩を抱いて起こしてやった。ネメシスは声を殺して泣いていた。


「どうなされました?どこか深手を負われましたか?」


「違うのです、アムネリアさん。……カナルの不手際のせいで御二人を争わせる結果となってしまい……誠に、申し開きのしようもありません」


 ネメシスの涙は彼女の本心から出たものに違いなかった。悪魔の王の侵入を許し、国宝を欲しいままにされたことで、あの仲の良かったクルスとアムネリアが対決するという悲劇的な構図を作り出してしまったこと。そして、剣を捨てたアムネリアに対して最後の最後でクルスが見せた誠意。アムネリアを想うが故の決断がウェリントンに付け入られる隙を形成したこと。どの事象をとってもネメシスの心を強く抉り、張り詰めていた彼女の感情の堤防は決壊した。


 アムネリアは頷きながらネメシスの背を優しく撫でてやり、普段通りの口調で返した。


「私とクルスが喧嘩をすることなど日常茶飯事。姫様が気に病む必要などありません。……そうだな、クルス?」


 それはアムネリアなりの手打ちの打診であった。クルスは理解こそすれ、軽く応じることが出来ずにぎこちない笑みを形作った。


「クルス?そなたらしくないぞ。一悶着あった女とも翌日には床を等しくする。それくらいは朝飯前であろう?」


 返事をする代わりに、クルスは未だ己が内に燻り続ける情念の残り糟を、アムネリアとネメシスに吐露した。


「……ラクシュミ・レインもおれも、古代の禁呪にある程度精通していた。それはラクシの姉、サラスヴァティ・レインの冒険者仲間に、イビナ・シュタイナーという異能の学者がいたからだ。ラクシは幼少期に。おれはヴァティと旅をしていた頃、各々別々にシュタイナー先生を通じて習得したものだ」


 アムネリアとネメシスは、クルスの口から出てきた人物の名一つ一つに心を揺さぶられた。十年前に魔境より来襲した魔竜を退治し、アケナス東端の古城を根城にしていた不死の巨人を封印した、伝説の女勇者サラスヴァティ。彼女の仲間で、求道者として知られたイビナ・シュタイナー博士。サラスヴァティの妹ラクシュミはニナ・ヴィーキナの英雄として名高く、何れも吟遊詩人が詩の題材に挙げる程の有名人であった。


「ウィルヘルミナ陛下が言われたクリス・アディリスとは……やはり、そなたのことであったか。クルス」


 クルスは敢えて否定をしないことでアムネリアの指摘を肯定した。ニナ・ヴィーキナで悪魔の王を撃退した決死隊の指導的存在。史に名を刻みしはラクシュミ・レインとクリス・アディリスで、激戦の末二人の命は失われたと伝わっていた。


「決戦の時、勝ち目がないと悟ったおれたち二人は下法を用いた。人間の昇華と進化に関する禁忌の魔法だ。人としての生を捨て、物理の制約から解き放たれし精神次元の個として新生する。イメージとしては、精霊や高位の神官が奇蹟の力で宿す神霊といったものに近い。苦肉の策ではあったが、それであればアスタロテとも渡り合えると思った。……だが、おれの魔法理解と習熟が不足していた。結果的に魔法はオーバーロードし、失敗したおれの魔法力を根刮ぎ持っていった。そしてラクシだけが……従神にまで強制進化させられてしまった」


 クルスの語ったところによると、<戦乙女>へと化身したラクシュミにはアスタロテも意表を突かれたようで、その隙を逃さず圧倒したとのこと。予想外の反撃に遭ったアスタロテは這う這うの体で退散し、戦地には人ではなくなったラクシュミと、一切の魔法力を失ったクルスが残された。そこで予期せぬ悲劇に見舞われた。


「人格の……崩壊?」


「そうだ、アム。<戦乙女>となったラクシが現世に在り続けるためには、絶え間無く魔法力の供給を受ける必要がある。しかし、おれの魔法力は根源から奪われてしまった。魔法力の途切れたそこから、ラクシの自我は少しずつ壊れていった……」


 <戦乙女>の異変とその要因に気付いたクルスは急ぎ魔法結晶を入手するも、その時点で<戦乙女>の感情の起伏は相当程度失われていた。以来クルスは、彼女を留め置く為の魔法結晶を常備することと、この結末を招いた根本原因に当たる悪魔の排除に邁進してきた。


「……クルス・クライスト。貴方が賢者の石を欲したのは、ラクシュミさんへ魔法力を与え続ける為……」


「それもあります。何より、賢者の石に無限の魔法力が潜むのであれば、某かの古代の超魔法を復活・起動させることで、ラクシを人間に戻せるかもしれない……そうも考えました。それこそ、あてがあったわけではありませんが」


 クルスの意志を確認し、ネメシスは天井を仰ぎ見た。


(結局のところ、アケナスの平穏は彼や彼女のような有志の犠牲の上に成り立っている。神の創り出した世界と言えど、完全なるものではないのですね……)


 ネメシスは嘆息し、自らが夢と描いていた国家観や英雄像に問題を提起した。魔境に居座る悪魔と対するに、誰もが平等に責務を負う仕組みの構築こそが急がれるべきではないのかと、突飛な考えまで浮かんできた。


 皇帝も皇太子も亡くなった今後のカナル帝国が大揺れとなることはネメシスも当然承知していた。事後処理と以降の統治に関して、今の今までは漠然とした展望しか持ち合わせていなかったが、ここでネメシスの志望が一定の形を結んだ。


 アムネリアはじっとクルスを見詰め、憑き物が落ちたように物静かな、或いは虚脱状態となった彼の心中を量っていた。そこにかつての自分の姿を重ねようとして、首を振って改めた。


(慰め合うのは楽だ。だが、それでは前に進めない。クルスよ。そなたや私に必要なのは、時間などではなく新たな生きる目標なのかもしれんな。……いや、それでも未練は消せんか)


 三者はしばらくの間その場に佇んでいた。意識を取り戻したフィニスが声を掛けてくるまで、寂漠たる時間が流れた。



***



「四柱の封印とやらは、少なくともカナルにおいては弱体化したと見ていいだろう。問題は、それと気付いた悪魔どもが次々と湧いて出て来ないかだ」


 森へと帰ったネピドゥスは、その足でアケナス北端の岬の石塔を訪ねていた。塔内には古代の魔法で配置された護衛用の魔法生物が彷徨いており、容赦なく侵入者を襲った。ネピドゥスは強大無比な魔法でその何れをも屈伏させ、頂上に居を構える旧友との対面を果たしていた。


「……小僧はどうなった?」


 木の椅子に腰掛けた白髪白髯の老人は、ネピドゥスを煩わし気に一瞥した。四柱のことなど知った風ではないといったその態度に、ネピドゥスは友の昔日と変わらぬ様子を確認して苦笑した。


 塔は上層階に上るにつれてだんだんと細くなる設計で、頂上のこの居住区画は狭い円形の一室にまで狭められていた。壁面の嵌め込み式の棚には書物が乱雑に詰め込まれており、床はあちこちに怪しげなマジックアイテムが散乱していて足の踏み場もなかった。


 一応ネピドゥスのことを客と認識していたのか、老人はしっかりした手付きと魔法の力で温かい珈琲を振る舞った。ネピドゥスはカップを丁重に受け取り、石壁に寄りかかった姿勢で老人の問いへと答えた。


「それが傭兵クルス・クライストのことを指すのであれば、彼は大丈夫だろう。クリス・アディリスについては私はよく知らない」


「謎かけのようなことを言う。いつからエルフは腹芸を好むようになった?」


「サラスヴァティの弟子が気になるようだな。あれはお前たちの道楽であって、私の知ったことではない。それこそ四柱復活や魔境大戦の再来を思えば些事であろうに」


 興味はないとばかりに、老人は自分のカップの珈琲を啜った。そして壁際の一冊の書物を指し示した。ネピドゥスがそれを手に取って頁を手繰ると、アケナスの歴史が古代語で記されていた。


「貴様なら読める筈だな?冒頭から流して見るといい」


 アケナス史は聖神カナンとカナンに同調する神々の国造りに始まり、魔神・神獣との激しい闘いを差し挟みつつ進んだ。時を経て現れるのが四柱と呼ばれし異形の存在で、元は他の下等種族と同等に力弱く、神々の庇護の下にあった。


 話は遡るが、死と夜を司る神シュラクは軍神マイルズ、愛と生命の女神クーオウル、商売と海洋の神リヴァイプ、賢神エリシオンらと同列の主神格にあった。だが霧の魔神ベルゲルミルの離間策に嵌まり、聖神カナンと訣別した。カナンは従神たる時空の神ディスペンスト、豊穣と大地の女神ディアネ、獣神ギルモアーを率いてシュラクと闘い、これを伐った。


 敗れたシュラクの四肢はアケナス各地に飛び散った。アケナスには神を敬い奉じる数々の種族があったが、シュラクの遺骸と遭遇し、それを取り込むことで変異した者たちがいた。それこそが四柱であった。


 シュラクの魂を継いでか、四柱は聖神カナンと従神たちに挑み、実に数百年にもわたって闘い続けた。そして何れも敗れ、その力を大地の底に封じられた。カナンの命でディアネが大地に強力な結界を築き、四柱の力が地上に漏れ出でぬよう処置された。


 ネピドゥスは不満顔で史書から目線を上げた。


「この経緯なら知っている。悪魔の王にも解説された」


「そうか。魔法王アークダインは知っているな?」


「ああ。シュラクの遺骸に心を盗まれ四柱へと堕ちた始祖エルフ。死と闇の精霊を従え、大陸エルフの王として君臨した」


「うむ。では魔境とはなんだ?」


「……なに?」


「四柱に施されたディアネの封印を解こうとする悪魔とかいう輩は、果たして何者であろうな?」


 老人は次に手近な位置に積んである書の山から一冊を取り出すと、テーブルの上へ広げて見せた。話を始める気配がないと見て、ネピドゥスは仕方なしに着席し、それに目を落とした。


 豊穣と大地の女神ディアネの緩慢たる死と、シュラクの使徒による神域の拿捕。書かれた内容はそのようなもので、読み進める内ネピドゥスの表情がみるみる険しいものへと変わっていった。彼は書の表紙を見返した。書名に「堕神系譜」とあった。


「イビナ・シュタイナーよ……これは?」


 老人こと稀代の知恵者として知られたイビナ・シュタイナーは旧き友のため、子供に語って聞かせるかの如く神話の外典を要約してやった。


「四柱の力は封じられてなお強く、大地を司るディアネは彼らの強力な呪いに浸食され続けている。女神と言えどやがて死に至るという仮説だ。事実としてディアネの力の後退は、アケナスの一部をシュラク神の一派に奪われるという始末を招いた。これがシュラクの神域、すなわち魔境。ではそこに潜伏している悪魔とは一体?そう。死んだシュラクの遺骸を直接取り込んだのではなく、四柱の側にあって影響を過敏に受けた者たちの成れの果てだ」


「……馬鹿な。では、奴等は……」


「元は人間。元はエルフ。元はドワーフ。元はフェアリー。元は精霊。元は巨人。元は動物。元は植物。神同士のいざこざの余波で今ある状態に落ち着いたわけだが、つまりは魔境との争いなど国家間の戦争行為と何も変わらん。極論、同種族間の殺し合いも発生していることになる。……さて、四柱の話に戻そう。そういう経緯である以上、封印は放っておいても遠からず破られる。何せ……」


 イビナの達観した態度に若干の苛立ちを覚えはしたが、ネピドゥスはそれ以上に懸念を持ち、続く彼の言葉を待った。この偏屈者の口から語られるであろう内容は、自分がエルフの長老になって以来の凶事であろうと推察され、実に暗澹たる思いに胸中を支配された。


 イビナの額の皺が深くなり、陰影を増した。この男にしては珍しく、言い出すまでに溜めを必要とした。そこまでの事態かとネピドゥスは息を飲んだ。


「聖神カナンをはじめとした主神たちは、既にアケナスを離れている」


「……ッ!」


「これは長年のフィールドワークで高位の神官を潰して回り、私なりに手応えを得ている結論だ。つまり、四柱と闘い得るはカナンの従神しかない。そんな危ういバランスの中で、豊穣と大地の女神ディアネが力尽きた時。その時こそ、我ら人間や亜人の築いた文明が終わりを告げるのだ」



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