共闘-2
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クルス以下総勢が飛び掛かって来るのを見て、アスタロテは勝利の姿を思い描いた。それはここまで闘い体感した敵の手数を計算した上での判断であり、この場に集いし人間のあらゆる攻撃手法に抗えると結論付けていた。
しかしながら、イレギュラーな襲撃への応手を残してはいなかった。
ウィルヘルミナが。ネピドゥスが。ノエルが。そしてフィニスが、美しい程の調和を体現した魔法の連鎖で畳み掛けた。クルスが。<戦乙女>が。アムネリアが。そしてネメシスが、力と技の神髄を垣間見るかのような斬撃の嵐を見舞った。そしてアスタロテはその全てに対し、極大魔法。破滅の黒翼。ダーインスレイヴ。果ては、持ち前の鋼の如き肉体で守りきって見せた。
ように、見えた。
「……オオッ?」
不意に吹き付けた厳寒の突風がアスタロテの肉体を半ば凍結させた。直後に一糸の斬閃が走り、黒光りしたアスタロテの東部を断裂した。
マジックマスター・イグニソスと、<流水>のボードレールの姿がそこにあった。
<戦乙女>がグングニルによる追撃で強打を炸裂させると、ダメージの余韻でかアスタロテの動きが目に見えて鈍った。
クルスとアムネリアが挟撃する形で前後から攻め立てた。ボードレール渾身の切り返しこそ自慢の黒翼に阻まれたものの、時間差で撃たれたネメシスの上段斬りが綺麗に決まった。
「グゥオオ……まさか……ッ!」
赤黒い体液を噴出させてよろめくアスタロテへと、何れ劣らぬ高レベルのマジックマスターたちが容赦のない射撃を殺到させた。
間も無くアスタロテの偉容は打ち砕かれ、先刻とは打って変わって、そこにいたのは息も絶え絶えな瀕死の悪魔であった。
「感謝するといい、クルス・クライスト。僕らが君の指図を受け入れたのは、単なる気紛れなのだから」
剣を構えたままで、ボードレールはクルスと目線を交わした。その仕草から、イグニソスは自分の主が上機嫌なようだと推測した。
ボードレールらは崩れかけて穴だらけとなった壁面の向こう側から回り込んで来たもので、ベルゲルミルの勇者二人による奇襲は、クルスがネメシスをはじめとした仲間にも明かしていない奥の手であった。アスタロテの対応能力を誰よりも高く見積もっていた彼ならではのペテンと言えた。
知らされてさえいなければ誰の顔にも表れようがなく、アスタロテに悟られないという道理。戦力評価を見誤ったアスタロテは、こうして己の防御限界を突破され尽くした。
(参戦してくれるか……いや、そもそも間に合うものかすら博打だった。このタイミングで壁越しに接触をはかれたというのは、それこそ奇蹟と呼んで差し支えあるまい!)
自分が叩き付けられた壁面の反対側にボードレールらが到着し、都合の良いことにアスタロテが暴れたことで至るところが破壊され、クルスはその隙間から彼らの存在を知り得た。偶然が呼び寄せた勝利でも勝利には違いないと、クルスはボードレールに笑みを返した。
(アムだけは、何かあると勘付いていたようだがな)
ウィルヘルミナとネピドゥスとで協力して編み出した魔法の光鎖が弱り目のアスタロテを巻き締め、行動の自由を完全に奪い取った。剣を水平に構えたアムネリアが正面に回り、アスタロテへと小声で語り掛けた。
「……という同族を知っているか?」
アムネリアの問いを正確に聞き取れた者はなく、ただウィルヘルミナだけが神妙な顔をしてそれを黙殺した。
歪み、砕かれた口を開きかけたアスタロテへと無慈悲な鉄槌を下したのは、図らずともクルスであった。横に振り抜かれた剣は見事にアスタロテの首を飛ばし、悪魔の王の遺骸はダーインスレイヴと賢者の石だけを残して粉塵と化した。
顔を向けてきたアムネリアの瞳には非難の色が滲み出ていた。クルスはそんなアムネリアを直視出来ず、それでも真面目に言い訳を試みた。
「倒せる内に倒さないと、奴は奥の手を幾つも隠し持っている。何千、何万という人間の命を奪った悪魔なんだ」
「……それは交戦経験のあることを認める発言だな?たいした戦術家だが、何か弁明はあるか?」
「それは……そういうことになるか」
「そうだ。よくもこれまで隠し通せたものだ。それに、もしそなたがニナ・ヴィーキナの決戦の場にいたと言うなら、あれだけの犠牲を出しておいてよくもぬくぬくと傭兵などやっていられる」
「……アムは手厳しい」
口振りこそ明るくあったが、クルスは暗い目をして灰へと還ったアスタロテに摺り寄った。それを見咎めたのはやはり眼前のアムネリアであった。
「止まれ!……クルスよ、動くな」
制止の声の大きさと声色の厳しさは、離れた位置に立つノエルやイグニソスの耳にも届いた。クルスとアムネリアの間に漂う緊迫した空気は、理由は分からずともネメシスやボードレールにも伝わった。
「……どうしたんだ、アム?」
「そこな賢者の石と神剣。どんな呪いがかけられているとも知れぬ。折角偉大なるマジックマスターもおわすわけだし、調べが終わるまでは近寄るな」
アムネリアの目は真剣で、それが証拠に彼女の手は剣の柄に張り付けられたままであった。
「冗談がきついな……アムネリア・ファラウェイ」
「クルス・クライスト。動けば斬る。これは脅しではない」
クルスはおどけた調子の一切を消した。
「止せ!」
一気に屈んだクルスへと、アムネリアは剣を振り下ろした。しかし斬線に常時の冴えはなく、クルスとの間に割り込んだ<戦乙女>の槍に呆気なく止められた。
「クルス・クライスト?」
声を上げたのはネメシスで、異変を知ったノエルも駆け付けた。クルスは賢者の石を手にし、<戦乙女>を盾にしてじりじりとアムネリアから遠ざかった。
思案顔で事態を観察していたボードレールの背に、場違いなほど冷静な声が掛けられた。
「ボードレール卿。貴方はベルゲルミル公王の命で、ここへ?」
「……ウィルヘルミナ女王陛下。まさか貴女様が、このようなところにお越しになられているとは。僕は大国王陛下の使いではなく、ファーロイの王命でここにいます」
「ならば余計な道草は控えて早々に帰りなさい。カナルの都にファーロイの公爵公子が関わるべき事案はもうない」
「そうは参りません。石を持ち帰る算段はついています。陛下こそ、ファラウェイ卿を遣わしてカナルで何を目論んでおいでです?」
ベルゲルミル連合王国がソフィア女王国とファーロイ湖王国を代表する二人が静かに鞘当てをはじめた。イグニソスは足音も少なにウィルヘルミナの側へと歩み寄り、深々と頭を垂れた。
「御無沙汰をしております。師匠」
「あら、誰かと思えば心配性のイグニソスではないの。私の機嫌を損なわば主君の身が危ういという、宮廷魔術師としての判断かしら?」
互いに三十代ながらに師弟関係にある二人は、ここで再会の挨拶を交わした。
「御曹司を危険な目には逢わせません。私が付いておりますから」
「口だけは達者になったわね。師として、貴方には主の客気を諫める勇気を育むよう勧めるわ」
ボードレールに続いてイグニソスまでもが加わった内輪揉めに、ネピドゥスがぼそりと控え目に釘を刺した。
「……いいのかね?向こうは一層深刻な事態になっているようだが」
ベルゲルミルの三者が一斉に振り返った先では、クルスと<戦乙女>を相手どる形で、アムネリアとネメシス、ノエルがそれぞれ得物を手にし陣形を組んでいた。一触即発という緊張状態の最中、必死の説得は続けられていた。
「クルス・クライスト!貴方は魔が差しただけなのです。全てを不問に付しますから、石をこちらに渡して下さい」
「それで、こいつをベルゲルミルの小僧に譲り渡すと?ネメシス様、そんな暴挙は見過ごせません」
「……無限に魔力を供給する魔法結晶。貴方がエルフの里で聞かされた話でしたね。今のこの乱れたカナルでは、そのような人智を超えたマジックアイテムを適正に管理することなど出来ません。またいつ巨悪に拐かされるとも限りませんし、一時的に連合王国へ貸し与えるのも一つの手です。あちらには、なんといってもマジックアカデミーがありますから」
ネメシスは努めて穏やかに論旨を展開した。しかしクルスの表情に変化は見られなかった。
「クルス!何やってんのよ?折角悪魔を倒したんだから、そんなもの放っておいてさっさと帰るわよ!」
「ノエル。こいつは、おれにとってそんなものでは済まされないんだ。……いや。悪魔の王などより、余程おれの方が石を欲していた」
ノエルは怪訝そうに眉をひそめた。
「賢者の石、何に使うっていうの?」
「……ラクシ。調子はどうだ?」
クルスは質問には直接答えず、自分を護りアムネリアらと対峙している<戦乙女>へと訊ねた。<戦乙女>の全身は色濃く且つ輝度を増して青銀の光を発しており、持ち前の美貌もあってとみに神々しさを感じさせた。
「力が……みなぎってくる。今なら、悪魔の王とて一対一で制することの出来るような」
「そうか……それは朗報だな。おれに感知することは出来ないが、魔法力は問題なく供給されているということだな」
「つまり、そなたの乱心の原因は彼女にあるわけか」
割り込んだアムネリアの声には怒気が込められており、全身から湯気でも立ち上らせそうな気概を感じさせた。ネメシスとノエルはそんなアムネリアに気兼ねをし、場の主導権を彼女へと渡した。
アムネリアが一歩近付くと空かさず<戦乙女>が反応を見せ、冷厳にもグングニルの穂先はアムネリアの胸へと向けられた。クルスの指令を待ち、<戦乙女>は無言でプレッシャーを撒き散らせた。
「引いてくれ、アム。おれは誰も傷付けたくない」
「盗人を前に、はいそうですかと言えると思うか?この私が?冗談は止めて貰おう」
「……ラクシ、待て!まだ動くんじゃない」
なおもクルスとの間合いを詰めんとするアムネリアに対し迎撃に出ようとした<戦乙女>を、クルスは鋭く戒めた。
「止めぬとも良いぞ。そなたもろともに彼女にも引導を渡してくれよう」
「アム……アムネリア。青い顔をして虚勢を張るな。麻酔術の効果などとうに切れているのだろう?その身体でおれやラクシと張り合うのは無謀だ」
「盗人猛々しいな。そなたらを黙らせるに、二太刀もあれば足りる!」
アムネリアが近接戦闘の射程にあと一歩の位置まで進み出ると、背後から厳しい抑止の声が飛んだ。
「止まりなさい、アムネリア!激情に身を任せてはなりません!あの時の苦痛を忘れたの?また繰り返すつもり?いい加減、貴女も自省なさい!」
声の主は無論ウィルヘルミナで、それに当てられた形のアムネリアはビクッと身体を震わせて立ち止まった。クルスは一先ず斬り合いを避けられたことで胸を撫で下ろした。
それも束の間、今度はボードレールとイグニソスの二人がクルスの凶行を封じるべく動き出した。
「クルス・クライスト。この面子を相手に愚かな真似をしたね。何なら僕の剣で沈めてやろうか?」
「喧嘩を売るのは構わないが、賢者の石がこちらにあることを忘れたのか?無限の魔法力を注がれた<戦乙女>と決戦に及ぶ覚悟があるのなら、四の五の言わずに掛かって来るんだな。おれに異存はない」
「……面白いよ!」
イグニソスはボードレールの暴発に待ったを掛けた。そして立ち尽くしたまま動かぬウィルヘルミナとネピドゥスに共闘を求めた。しかし、二人の回答は明確な拒絶であった。
「何故です?あの男は悪魔の王と変わらぬ道を選択したのですぞ!ボードレール様が石を持ち帰ることになるかはさておき、ここは皆で抑えに掛からねば……」
「あのね、私は四年前の決着を付けにここへ来たの。それだけ。後はそこの元守護騎士がもう少し人間的に成長してくれるといいなとは思うけれど、それも然程興味はない。もう帰るわ」
「元より人間同士のいさかいに手を出すつもりはない。上位悪魔が手にするのでなければ、あのように破格なマジックアイテムとてただ宝の持ち腐れとなろう。特に心配はいらない」
ベルゲルミルの二人が打つ手を封じられたことで、再びアムネリアがクルスと向き合った。先程とはがらりと印象が変わり、表情に悲壮感を漂わせていた。ウィルヘルミナの叱責に思うところがあったのか、訴える言葉に一層情念が込められていた。
「……私は短慮に走るきらいがある。そなたの行いを己が愚行と重ねてしまったようだ。赦せ。ここは一つ、哀れな女の話を聞いて欲しい」
「アム……」
「その女は、全身全霊をかけて愛した男が政治への絶望から主君を裏切ろうとした折、浅慮と盲目からそれを助長させた。男と女は分不相応にも闘争を引き起こし、そして惨めに敗れた。結果、男は苦悩や怒りの抑制を失い、あろうことか悪魔に魅入られてしまった。女はそれもまた止められなかった。男に付いていくことの出来なかった女は男の親類縁者から憎悪され、遂には報いとしてその身に呪いを受けることになる。報い、贖罪……そう言えば聞こえはいいが、ただの自業自得だ。女の判断はあらゆる角度から見て間違えていた。つまり、最初に身体を張ってでも男の無策を正さなかったこと。次に、男を焚き付けるだけそうしておいて、最後は共に歩まなかったこと。関係者の誤解を解く前向きな努力を怠ったこと。これが誰に赦しを請うことすら叶わぬ女の業。すなわち、私の犯した失敗だ」
言って、アムネリアは黙って剣を腰に収めた。
「クルス。そなたが<戦乙女>の維持に拘りを持っていることは聞かされていたし、魔法力の源泉となる石を欲することはある程度予想していた。だが、私はまたやってしまった。そなたを止められなかった。……もう後悔はしたくない。クルス、石をこちらに」
素手を差し出して、アムネリアはもう一歩前に出た。それを一突きに下す許可を求め、<戦乙女>はクルスの顔色を窺った。その仕草には仲間への遠慮が微塵もなく、命じられるがままにアムネリアを排除する意思のみが受け取れた。クルスは動けなかった。
「そなたの行いが道義的に誤っていると信ずる。私はそなたの相棒だ。だから、魂に誓って止めさせる。……言葉の通り、死んでも引く気はないぞ」
アムネリアがもう一歩踏み込むと、クルスは伏し目がちに言葉を紡いだ。
「止まるんだ。……ラクシ、アムがあと一歩近付いたら……撃て」
「分かった」
グングニルから光の粒子が溢れだし、辺りに星の銀河のような幻想的な光景を描いた。それを潤沢な魔法力の発露による作用と見抜いたノエルが、アムネリアを一喝した。
「アムネリア、駄目!あの槍の一撃は物理と精神の双方を削るわ。直撃を避けられても、衝撃波で……」
「もう、私は逃げないぞ。クルス!」
晴れやかな笑顔をクルスへと向け、アムネリアはクルスの前に出た。そして命令に忠実に、<戦乙女>が槍を突き出した。
ノエルとネメシスの悲鳴が重なった。




