6 共闘
6 共闘
皇殿を何度も往き来しているネメシスでさえ、はじめはその変化に気付かなかった。改めて注意を払ってみると、全身に絡み付く空気が冷たく不愉快な気配を纏っていた。
磨かれた床を靴底が打ち付ける度に乾いた硬質の音色が奏でられ、人気のない回廊を巡った。八人は余計な邪魔に遭うことなく玉座の間へと辿り着くのだが、そこで自分達が与った幸運の根拠を知ることになった。
玉座に居座るはネメシスの知る皇帝その人であり、しかしその顔に張り付いた薄ら笑いは彼女の記憶にある今上とは大きく異なっていた。一言で表すと、人外と疑うほどにおぞましかった。
「……父様!」
声を上げたのはノエルで、玉座から距離を置いた部屋の中央付近に、自らの父にしてカナル大森林の長老の姿を認めていた。そしてその脇には、紫のローブを着込んだ上品そうな女が佇んでいた。彼女を視界に収めたアムネリアは直ちに血相を変えた。
「女王陛下!」
「あら?アムネリアではないの。このようなところで会うなんて、偉大なるエリシオンの御導きかしらね」
賢神の名を持ち出して、ローブの女・ウィルヘルミナは軽く流した。その間も、視線は玉座の人物から片時も逸らされてはいなかった。
ベルゲルミル連合王国を構成する主要国家の一つ、ソフィア女王国の女王ウィルヘルミナと、アケナス中のエルフを統べるというカナル大森林の長老。二人の大物がこの場にいる意味を、クルスだけは朧気に類推していた。そして自分達の帝宮侵入を容易なものへと導いたのが、ウィルヘルミナらによる皇殿襲撃なのだと、ネメシスも遅れて理解した。
クルスは単身前に出、アムネリアやネメシスの諫めも聞かず、エルフの長老と肩を並べる位置にまで歩を進めた。
「……たった二人で、よくも生き延びられていたものだな。こんなところまで出張ってくるとは、宗旨替えでもしたのか?」」
あたりにもう二人ほど戦士が倒れているのを視認していたが、クルスの目から見て生命の灯は完全に消えていた。既にこの場が交戦段階にあることは明白であった。
クルスの問いに、エルフの長老は隣のウィルヘルミナへと顎をしゃくって見せた。
「旧い友の誘いでな。お前たちが賢者の石を失ったと聞かされ、こうして四年前の再現にと努めたわけだ」
「四年前……やはりな。あの後魔境に赴いた勇者たち。あなたもその一人だったのか」
「あの後?」
エルフの長老はクルスの言葉尻を捉えて訝った。長老は四年前、ウィルヘルミナをはじめとした人間・ドワーフの猛者たちとパーティーを結成し、魔境へと乗り込んでアスタロテとその側近たちを大いに伐った。世間では、魔境大戦の最終局面はニナ・ヴィーキナで行われた決戦であると認識されていたが、正確にはこの魔境での死闘が悪魔の一大攻勢を終焉に向かわせたのであった。
それでもウィルヘルミナたっての希望によりその闘いは喧伝されず、歴史上はなかったこととされた。悪魔の王・アスタロテを死の淵まで追い込みはしたものの止めを刺し損ねたこと。加えてそもそもアスタロテ一党を弱らせたのはニナ・ヴィーキナの決死隊だと認めていたことが理由であった。
クルスと長老の会話を聞き付け、皇帝のなりをした玉座の主がもったいつけた口振りで発言をした。
「……思い出したぞ。貴様にも随分と世話になったな。のこのこと余の前に出て来たあたり、あの忌々しい<戦乙女>も一緒なのであろう?」
「久し振り……などと無駄話をする気はない。外見は違えど、お前がアスタロテなんだな?」
「如何にも。ニナ・ヴィーキナで貴様の同胞を殺し尽くしたのは余だ」
固唾を飲んで展開を見守っていたノエルは、クルスの背から鬼気が立ち上り、陽炎のように空間を揺らしているものと錯覚した。アムネリアは腰の剣に手をかけた。
「……思わぬ助っ人があったことは上々な話。この時を、ずっと待ちわびたぞ!」
クルスはエルフの長老に視線を送った後、躊躇なく<戦乙女>を具現化させた。全身から青銀の輝きを放つ<戦乙女>は無言で戦槍を構えた。
それを目撃したウィルヘルミナの表情に暗い影が差した。
「……!ラクシュミ・レインだというの?では、貴方は……ヴァティに拾われた、あのクリス・アディリス?」
クルスは頷きもせず、後方に陣取る仲間たちへ向けて叫んだ。
「アタック!」
その合図を皮切りに、<戦乙女>の戦槍グングニルが火を噴いた。一瞬で玉座へと達するや、銀の残影を煌めかせて刺突を炸裂させた。ノエルとフィニスは合体魔法で場の魔法力の抑制に努め、残りの剣士はめいめいの間合いで斬り掛かった。
皇帝はグングニルに腹を貫かれたその瞬間から正体を明らかにした。全身が隈無くひび割れ、その下から黒々とした体表が露になった。そうかと思えば、腕にはおどろおどろしい瘴気を纏った大剣が握られており、その一振りで<戦乙女>は大きく弾き飛ばされた。
突撃したクルスと対したのは、往年のアスタロテそのものであった。金属のようにつるりとした全身は漆黒に染まり、赤黒く光る目玉が三つ、頭部の表面でぎょろぎょろと蠢いていた。口と思われる大きく裂けた器官からは牙が覗き、吐息代わりに灰色の煙が薄く漏れていた。
アスタロテは振り抜いた剣を引き戻した。
(ダーインスレイヴと撃ち合ってはならない!)
四年前、ニナ・ヴィーキナで多くの仲間の命を奪った神剣の威力を、クルスは実感を持って知り尽くしていた。それでもクルスは足を止めず、アスタロテへと接近した。
クルスと、やや遅れて飛び込んできたアムネリアに照準を定めたアスタロテへ、光もかくやという速度で<戦乙女>が再度飛び掛かった。だがグングニルの強撃は、間一髪のタイミングでダーインスレイヴに防がれた。
その間もアスタロテは平行処理で極大魔法を行使せんとしていたのだが、全て不発に終わっていた。これはノエルらの対抗魔法に因るもので、クルスの事前予想ではノエルとフィニスのみでは力が不足すると考えられていた。しかし、計算になかったエルフの長老とウィルヘルミナの協力により、対アスタロテの魔法戦力は底上げされていた。
魔法の素養を最大限に有する種族であるエルフの、アケナスにおける顔役であるところの長老が優れたマジックマスターであることは至極当然と言えた。加えて、ウィルヘルミナはベルゲルミル連合王国で魔法立国として名高いソフィア女王国のトップにして、マジックアカデミーの総裁をも務める大身であった。人間にして魔法の秘奥を極めていると称えられるウィルヘルミナとエルフの長老という二人が援護の手を差し伸べているのだから、いくらアスタロテと言えど徒に魔法力を解放することは出来ずにいた。
<戦乙女>のグングニルとアスタロテのダーインスレイヴがぶつかり合ったその横を、クルスとアムネリアが立て続けに駆け抜けた。その折、二本の斬閃がアスタロテの体を薙いだ。
バレンダウンの騎士らとネメシスも到達するが、<戦乙女>を斬り払ったダーインスレイヴの凶刃が近付いた者を一気に寸断した。
「ネメシス様ッ!」
崩れ落ちる騎士たちの中にネメシスの姿がなかったかとフィニスは取り乱し、魔法を解除してしまった。場の均衡は崩れ、アスタロテの魔法力を中和する力が弱まった。
「いけない!魔法抵抗しなさいッ!」
ウィルヘルミナの叫びはしかし、全員が対処出来るだけの余裕もなく発せられた。クルスは咄嗟にアムネリアへと覆い被さり、そんなクルスに<戦乙女>が防御結界を走らせた。
<黒の瘴撃>。
人間の精神と肉体を同時に破壊する衝撃波で、アスタロテを中心とした同心円状に放たれた。その威力は騎士たちを打ち据えるに止まず、玉座の間の壁や天井、さらには皇殿の随所を広範囲に崩落させた。
「……みんな、無事か?」
塵煙が充満し、頭上からバラバラと建材が降り注ぐ中、クルスの声掛けに対して反応は三つ。
「……そなたが重いだけだ。退くがいい」
「なんとか……魔法抵抗に間に合いました。こちらは大丈夫です!」
「私も平気よ。でも、フィニスが……」
三人が無事と知りほっとしたのも束の間、背筋を這い進んだ悪寒に、クルスは迷わずアムネリアを抱いたままで床を転がった。一瞬前まで二人のいた床をダーインスレイヴが斬り裂いており、クルスは自身の直感が正しかったのだと知った。全身が煤け、甲冑や装束の部分的に破砕された様相を呈する<戦乙女>が、戦意を失わずにクルスの側へと詰めて来た。
アスタロテは振り抜いた剣を正中に戻し、クルスへと向かって猛々しく吼えた。
「女々しいものだな!<戦乙女>に助けられっ放しとは。ならば、そこの女にも人間を捨てさせてみるか?二体の<戦乙女>に護られてなお、余に対して居丈高でいられるかな?」
「……黙れ」
「我がダーインスレイヴと一太刀でも斬り合えるならまだしも、たいした戦力でもない貴様を護らねばならぬ<戦乙女>の身になって考えてもみよ。自己犠牲の精神も空しく、不幸せなことよな!」
アスタロテの嬉々とした挑発に戦慄くクルスの両眼は血走り、そして火花が散った。
「黙れと言った!」
弾かれるようにして飛び出したクルスの足を、アムネリアが持ち前の超反応で掴まえて引きずり倒した。クルスの上半身があった空間をダーインスレイヴが高速で横に薙ぎ、空振りで体勢を崩したアスタロテへと<戦乙女>がグングニルを叩き付けた。
激しい打突を食らってよろけたアスタロテに、強力な光弾が雨霰と襲い掛かった。それはウィルヘルミナの攻撃魔法であり、その間エルフの長老とノエルの父娘はアスタロテの魔法を封じる技に全力を投じていた。
「おのれはっ!冷静になれぬのなら、今すぐこの場から立ち去るがいい!」
クルスを怒鳴りつけ、アムネリアもアスタロテとの間合いを詰めて<戦乙女>に加勢した。その足運びの巧さやアスタロテへと斬撃を見舞う剛胆さには、ネメシスやウィルヘルミナも驚嘆する他なかった。
しかし、<戦乙女>とアムネリア、それにウィルヘルミナに何度撃たれようともアスタロテの耐久力は未だ顕在で、ダーインスレイヴの強気な一閃により近接戦を挑んでいた二人は遠ざけられた。そして今度は呪詛と怨念の込められた咆哮でもって、アスタロテが反撃へと移った。
音速で全方位に放たれしその攻撃には、アケナスでも指折りの実力者たるウィルヘルミナやエルフの長老と言えど抗えず、皆が床に膝を着いた。アスタロテが追撃にと大出力の魔法を構築しかけたところ、やはり<戦乙女>が決死の突撃を敢行して再びダーインスレイヴとの撃ち合いを演じた。
グングニルを振るう度、<戦乙女>の全身は淡く色褪せていった。それは粒子の単位で消滅が促進していることを示し、幾度となく浴びたアスタロテの攻撃と、彼女に対する魔法力の供給量低下が要因となっていた。
「偽者とはいえ、神の眷属だけあってよくやる!だが、どうやら前回とは違った結末を迎えることになりそうだな」
アスタロテは余裕すら窺わせ、<戦乙女>のグングニルを順当にさばき続けた。
「……ラクシ、今行く」
クルスが歯を食い縛り立ち上がった。音波で脳を揺さぶられたショックから完全には立ち直っていなくとも、精神力だけで剣を手にとった。それを見たアスタロテは、大きく開かれた口と爛々と輝かせた目を陰惨に歪ませ、笑声も高らかに宣した。
「愉快!愉快だぞ!脆弱な蟲けらが生命の尽きんとする中、伴侶を救おうと健気にも立ち上がる。自己犠牲!博愛主義!玉砕の心意気!人間という輩は本当に愚かでみすぼらしく、死すべき瞬間を何度見ても厭きないものよ!」
グングニルを差し向けてきた<戦乙女>をダーインスレイヴの一撃で弾き飛ばし、アスタロテは高速でクルスへと接近した。クルスはダーインスレイヴの切っ先をだけ注視し、放たれた斬撃に身体の捻りでもって対抗した。
「馬鹿が!」
アスタロテの前蹴りがクルスの腹へとまともに入った。吹き飛ばされたクルスは壁に激突し、がっくりと項垂れた。<戦乙女>はクルスの状態を確かめに行くべきか逡巡したが、アスタロテを野放しには出来ないと戦槍を構えた。
二者が衝突する寸前に、アスタロテの全身を隙間なく魔法の鎖が絡め取った。不意を突かれた形のアスタロテは、仕掛人たるエルフの長老を殺意に充ちた視線で刺した。
「先に死にたいか?エルフの王よ」
「……私は王などではない。我らは君主を戴かない。悪魔風情の知識では、知る由もなかろうがな」
「無知を露呈したのは貴様よな。エルフに王がいない?フフフ…とんだお笑い草だ。余が賢者の石を手にして以来、ただ遊ばせていたと思うか?弱ったこの身の回復だけで数年を要するとでも?」
「……何を言っている」
アスタロテの言に長老が訝る中、ウィルヘルミナも起き上がった。緩慢な動作で頭に手をやって具合を確かめた。
「……で、石を何の企みに利用したというの?四年前に全ての側近を失い、ただの一匹の悪魔と成り果てたあなたが」
「女よ。威勢はいいが立っているのもやっとのようだな。余の側仕えを皆殺しにし、余を消滅間近にまで追い込んだあの時の勇壮さが見る影もないぞ」
破裂音と共に銀光が散った。三者の問答を無視して<戦乙女>が横合いから寄せたのだが、その槍を防いだのは宵闇を連想させる巨大な黒翼であった。アスタロテの背から急激に生え出るや、全身を戒めている魔法の鎖をも粉々に千切ってたちまちに自由を得た。
破滅の黒翼。ゲヘナこと変容させられし皇太子に貸し与えられていた翼はアスタロテの下へ戻っており、グングニルによる速攻をも自立行動で阻んで見せた。
「ラクシュミ・レイン。少しだけそこの悪魔と話をさせて頂戴。それとも、私のことなんてもう覚えてはいないのかしら?」
ウィルヘルミナの請願に対して<戦乙女>は黙したままで、一心不乱にグングニルを振り続けた。強烈な槍術はしかし、アスタロテの黒翼と固く噛み合い止められてしまった。
「フフ。人工の<戦乙女>に部外者が何を言っても無駄だ。こやつは宿主の命令しか受け付けまい」
アスタロテの口振りからほぼ全てを察したウィルヘルミナは、黒翼との力比べで動けぬ<戦乙女>を一先ず無視し先の疑問を再度ぶつけた。すなわち、賢者の石を用いてアスタロテがしていたことは何か。
「聞け!太古、貴様らが神と崇めし者共と争い続けた猛き王者があった。四柱と呼ばれしその者らを封印せしはカナンと従神たちよ。……なに、簡単な事だ。カナンの聖地にして帝国の首都たるこのチャーチドベルンにおいて、余がカナンの施せし封印を解き放ち、神をも堕とされんとしたあの神話の時代を甦らせようと言うのだ!」
アスタロテは意気軒昂に目的を語り、景気付けとばかりにダーインスレイヴを振り上げた。
「一気に胡散臭い話になったわね……。ネピドゥス、今の戯言、どう思うの?」
「残念ながら奴の言っていることは事実だ。長く続いた聖戦の元凶たる四柱。その一柱こそ我等がエルフの大祖、魔法王アークダインに他ならないのだからな……」
エルフの長・ネピドゥスは苦渋の表情を露にして言った。アスタロテの言う「エルフの王」が、まさかアケナスの神話の時代まで遡った話からきていたとは、聡明で鳴る彼も気付くことが出来なかった。さらに言えばアークダインは確かにエルフの王であったが、神々に反した睡棄すべき存在として忌み嫌われており、一般のエルフにとって王という認識は薄かった。
「……ここチャーチドベルンに、聖神カナンの施した封印があるというのですか?」
起き上がり様にネメシスが問いを発した。主の勢いにつられ、ノエルやフィニスも順次覚醒した。アムネリアは意図してか床に伏せており、その瞳は壁際で身動きのないクルスへと向けられていた。
「この地だけにではない。カナンの従神たちはアケナス各地へと散って、数百年にも及ぶ激しい闘いを四柱との間で繰り広げたのだ。豊穣と大地の女神ディアネ、時空の神ディスペンスト、獣神ギルモアーらが四柱と争った跡は、今も大地に深く刻まれている。封印は四方に分かたれており、余が干渉したのはあくまで一角に過ぎぬ」
「……十分に脅威な話だ」
ネピドゥスは唸るようにして感想を口にした。彼の知る限り、四柱と冠されし存在は神と同等の実力を有した規格外の魔性であり、ひと度現代アケナスに降臨すれば、全土の秩序を崩壊へと導くに相違ないと思われた。
アスタロテの封印解除がどこまで進んでいるものかは分からなかったが、その進行を止める術は無かろうとネピドゥスは事態を冷静に把握していた。
(こやつを滅するにやはり武辺の者が不足した。……ヴァティやペンドルトン兄弟、イーノ・ドルチェといった英傑を欠く以上、こうなると分かってはいたのだ。ウィルヘルミナはどう始末をつけるつもりだ?まさか、偶然居合わせた彼らに運命を託すとでも……?)
ネピドゥスは自らの考えにうすら寒いものを感じ、思わず娘であるノエルを凝視してしまった。父の視線に気付いたノエルが僅かに首を傾げた。
黄金の剣を下段に置いたネメシスの両眼に精神的な揺らぎが生じ、目敏くそれを見付けたアスタロテが嘲笑を重ねた。
「バレンダウン伯爵公女よ、死が怖いか?圧倒的な力に屈し、想像だにしなかった高次より滅びを迎える現実はどうだ?絶望しか残るまい?ククク……ただの小娘が一匹、どう足掻こうと微々たるものに過ぎん。……そうだな。乳繰り合っていた小僧の最期は如何であった?かの身は魔性に変われど良心の欠片が残っていた筈だ。あれは余のせめてもの慈悲よ。感動の再会と悲痛なる別れを経験したのであろう?エドワード・カナルの成れの果てとな。クゥーハッハッハッ!」
「……ペラペラとよく喋る。嗜虐性向のある分、クルスよりたちが悪いな」
怒気をよく抑えて立ち上がったのはアムネリアで、剣をしっかと握り締め、ゆっくり歩を進めた。その行動を制止するものはなく、彼女の元主君であるウィルヘルミナは興味深げにそれを見守った。
アスタロテは王と謳われるだけあって確かな実力者で、アムネリアの発憤一つをとっても決して軽視したりはしなかった。激したアムネリアの突攻を契機として人間たちの集中攻撃を浴びる可能性や、ソフィアの女王やエルフの長老といった何れ侮れぬ達人たちが何事か画策せんとも限らないと、警戒に余念がなかった。
何より、この上位悪魔は相手の心の機微を掴む技術に長けていた。いまこの場に立つ戦士の中に、自分を陥れられるだけの自信を保持している者はないと確信していた。
「相手をしてやるぞ、女」
アスタロテは魔法力を流動化させつつ黒翼を展開し、だめ押しとばかりに神剣を振りかぶった。
(……ここで止めねば、また取り返しのつかない結果を招く!二の舞は……ごめんだ)
アムネリアに特段策があったわけではなく、彼女はネメシスに対するアスタロテの態度に義憤を感じ、加えて世の悪魔を抹殺せんという己の私怨に身を任せたに過ぎなかった。これではクルスを叱りつける資格もないなとアムネリアは心中で相棒に謝意を表した。
アムネリアの剣より激闘が再開されるものと、アスタロテを囲む面々に緊張が走った。
「アタック!」
場に響いたその号令に誰もが意表を突かれた。それはクルスが事前に定めたたった一つの決めごとであり、総員攻撃を促したもの。
皆が無心に、一斉に動いた。