動乱-2
***
フルカウル城下に戻ったクルスは、夜更けにも関わらず市街の中心部に建つマイルズ神殿を訪ねた。応対に出たドワーフの神官は、しかめ面をしながらもクルスの顔を認めるや中へと招き入れた。
戦神を奉るだけあって、マイルズの神殿は石造りの重厚な佇まいをしていた。高い天井を支える柱や梁は太く、それでいて随所にドワーフの作と思われる繊細な彫刻や彫金が施されていた。
勝手知ったる風で、クルスは迷うことなく歩み進んで祭壇の前へと辿り着いた。そして棒立ちののままに黙祷した。逞しい肉体に男らしい豪快な髭を蓄えたドワーフの神官が背後に立つも、クルスは静かに祈り続けた。
やがて更なる来訪者を告げる呼び鈴が鳴らされ、ドワーフの神官が気難しげに鼻を鳴らした。
「千客万来。なんの物好きがこんな夜中に……」
「……大きな戦が近いからじゃないか?」
「ふん。尚更夜明けに来れば良いものを。マイルズ神が魔神ベルゲルミルの一党を討ち果たした神戦では、朝日の昇るを待って勝鬨が上げられたのだからな」
言って、ドワーフの神官はのしのしと肩を揺らして入り口へと戻った。クルスはもう一度だけ、祭壇の向こうに鎮座する戦神マイルズの彫像をしかと眺めやった。
(マイルズ神よ。どうか貴方の忠実な従者を護ってやってくれ。力を貸してやって欲しい。彼女は禁忌を破った報いを受けている。これ以上の罰を下すというのであれば、それはこの愚身が一切を引き受けよう。……その代わり、おれにやつとの決着を付けさせて貰いたい。それさえ叶えば、後は……)
用は済んだとばかりに踵を返したクルスが対面したのは、ドワーフの神官に連れられたノエルであった。「なんでエルフが……」とぶつくさ文句を言って、神官はそそくさと奥へ引っ込んだ。ひょっとして気を遣われたのであろうかとクルスは邪推した。
ノエルは柄にもなく神妙な顔付きで言葉を発した。
「クルス。帰りが遅いと思って、風の精霊に捜して貰ったの。そうしたらここにいるって」
「直に出陣だからな。マイルズへ祈りを捧げに来てみた」
「珍しい。熱心な信者だったかしら?」
「たまには験担ぎも悪くないだろう?それとも妓館にでもいた方が、似つかわしかったか」
「……あなたの心、ざわついている。酷く荒々しく、凶暴に」
「おれはまともだ」
「見た目はそうみたいね。……大丈夫?」
「……そうだな。いくらおれが能天気でも、今度ばかりは気負いもする。何せ敵はあの悪魔の王だ。魔境大戦を引き起こした災厄の主・大魔アスタロテ」
じっと見詰めてくるノエルの真摯な視線を、クルスは自分から切った。確かに彼は抑え難い衝動をもて余しており、ノエルにそれと指摘されることで苛立ちすら覚えていた。
ノエルはクルスの拒絶に負けじと訴えを続けた。
「私、頑張るから。森を出た私を助けれてくれたのはクルス、あなただった。だからあなたが悪魔の王を倒したいと願うなら、私はそれを叶えるべく全力でサポートするわ」
「ノエルが無茶をすることはないんだ。相手はただの悪魔じゃない。命の危険を感じたら、一も二もなく逃げろ」
「なんで?……やっぱり、クルスは死に急いでいるように見える。もっと私を頼って?力を貸せって言ってくれれば……」
「おれは……悪魔に怨みがある。決して晴れない積年の怨みが。その元凶こそ、まさにあの悪魔の王アスタロテなんだ。例え命を落とすことになろうとも、おれだけはここで引いてはならない。そのことに皆を巻き込むのは本意じゃない。ノエルの申し出には感謝するが、これはあくまで個人的な問題だ。だから、心配はいらない」
「……意地っ張り。どうして人間は非効率的な思考に立脚して行動を起こそうとするのかしら。大局的な視点でもって、自然の摂理と種族全体の安寧を第一に判断すればいいだけなのに」
「ノエルとおれは、種族が違うようだが……」
「そういうことを言っているんじゃないの!自分一人が死ねばいいみたいな、あなたのナルシシズムな幼児性が鼻につくだけ。クルス一人が頑張らなくたって、関係者総出で事に当たればいい。人間同士で争ってる暇なんてないのに、どうしてこの国は分裂しちゃってるのよ」
言って、ノエルは頬を膨らませてそっぽを向いた。クルスは苦笑を返し、「人間社会は何かと複雑でな」と中身のない意見を述べるに止めた。
ノエルの歩み寄りに心動かされたことは事実であったが、彼女に負担を強いたくないというのもクルスの偽らざる本心と言えた。悪魔の王を伐ちたいという決意は彼の個人的な怨恨に端を発していた。いくら傭兵が利己的とはいえ、クルスは己が目的の為にノエルやネメシスを犠牲に出来るような冷淡さとは無縁であった。
偶然にもノエルと関わったことで、悲願だった悪魔の王の足取りは掴めた。クルスは悪魔の巣窟たる魔境を走破する程に自殺願望を持ち合わせていなかったので、ここで悪魔の王へと辿り着けたことは奇跡であると信じていた。
(勝てる保証なんてない。だが、この機会を逃せば雪辱を果たすことなど夢のまた夢。一時でも気を抜くことは許されん。何より、やつと当たる前にまずは白騎士団を打ち破らねばならないのだから)
胸中で沸々と闘志を燃やすクルスを寂し気な様子で見守り、ノエルが消え入りそうな声で激励した。それは半ば、自身を叱咤しているかのようでもあった。
「みんなで、無事に帰ってきましょうね。私、まだ案内してもらってない場所がたくさんあるんだから。約束よ?帰ってきたら、カナル中を一緒に回るの。楽しみだわ……」
***
バレンダウン伯爵公女を旗頭とした諸侯軍はおよそ七百にも膨れ上がり、道中で諸兵が合流を果たして一路チャーチドベルンを目指した。その進路には、ネメシスの出兵を聞き付けて布陣した白騎士団約六百が待ち受けていた。
作戦では、諸侯軍と白騎士団の衝突したタイミングで、チャーチドベルンに集った<リーグ>の傭兵たちが白騎士団の後背を突くことになっていた。それは、時間差のある単純な挟撃戦法と言えた。
白騎士団にもネメシス直筆の書簡は届いていたのだが、何れも騎士団長ウェリントンの署名で同調せずとの返信が為されていた。全隊の六割もの騎士がチャーチドベルン防衛の任務に着いたことは、鉄の如き結束を誇る白騎士団の面目躍如ではあったが、逆にネメシスの発信した情報によって四割の騎士が態度保留にさせられたとも受け取れた。
カナル帝国においてネメシスの信奉者は多く、それは彼女の凛とした立ち居振舞いや、女神もかくやという美貌に対する憧れが強い要因となっていた。それに加え、彼女の為政者や貴人としての発言・実績に一定以上の信頼が置けると見た大衆の判断も捨て置けなかった。悪魔の牙城を崩さんとすべく動いたネメシスは、少なくとも数の上では優位を獲得したのであった。
「それで、そなたの読みではこの戦、どうなのだ?」
チャーチドベルンの裏路地を小走りに行くのはアムネリアで、先導するクルスの背に<水の精霊>の囀ずりを思わせる美声を投げ掛けた。クルスは周囲を警戒しながらも、顔だけで振り返ってアムネリアに返答した。
「もう一手なければ、確実に負ける。寄せ集めの諸侯軍では、白騎士団の一度の突撃によって粉砕される」
「同意だな。やはり、残った方が良かったのではないか?」
クルスは小さく首を横に振った。
「おれやアムが残ったところで、斬り倒す敵が五だの十だの増えるだけだろう。そうしている間にやはり味方は壊滅する。……何より、白騎士団ほどの陣容ならおれ程度の使い手はウェリントン以外にも必ずいる」
「ふむ……確かに。そなた程度であれば、な」
自分はそうではないと示唆したアムネリアの挑発的な物言いはしかし、彼女が半ば自嘲を込めて口にしていると分かり、クルスは敢えて返事をしなかった。呪いに蝕まれているアムネリアの身体は当然戦争には向かず、彼女がネメシスの部隊から外れてチャーチドベルンに潜入しているのは適性の問題からであった。
クルスは勝手知ったる様子で、白昼とは言え厳戒下にある街路を川の流れのように止まることなくすり抜けて行った。帝都の人の出入りは常時と比べて三割と言ったところで、その代わりでもなかろうが、司法省直轄の官吏や聖神カナンの神官戦士団が市内を哨戒している様子が二人の目に留まった。
<リーグ>チャーチドベルン支部の裏手に指定された集会所はあった。クルスとアムネリアはネメシスの使者として、傭兵団との連携の為に駆り出されていたので、時間を惜しんで中に足を踏み入れた。
そこは日頃市民が借り受けて使用している公共施設であり、防音や防備を全く考慮しないベニヤ造りの安普請であった。詰め込まれた傭兵は何れも中堅どころで、狭い中にむさ苦しい男たちがひしめき合う様を直視出来ず、アムネリアは目を背けた。
「バレンダウン支部の、クルス・クライストか?」
声を掛けてきたのは四十前後と思しき痩身の傭兵で、背には強度の高そうな大弓が覗いていた。彼がチャーチドベルン支部の副支部長で、ラーサー・ホマーと名乗った。
「四十六名がここに詰めている。他に市内に潜伏している七名と、市外で待機中の四名から作戦行動可能との連絡を受けているから、都合六十一の戦力を動かせる」
「ラーサー、スコア600は皆がクリアしているのか?」
「いや……面目ない。リストの照合までは手が回っていないんだ。携帯用の糧食と寝具を調達するのに手一杯でね」
「承知した。ネメシス様からの言伝てだ。<リーグ>傭兵団への指令は二点のみ。すなわち、諸侯軍よりも先に白騎士団に攻撃を仕掛けること。次に、戦闘状況下で敵の指揮官を討ち果たすこと。以上だ」
クルスの発言に、ラーサーだけでなくアムネリアも仰天した。彼女はそのような電撃戦を聞かされていなかったし、真っ当な戦力分析からはその指示が妥当だとは思えなかった。
(どういうことだ?ネメシス様は<リーグ>の傭兵たちを捨て石にでも使う気か……いや、これはクルスの独断か)
「驚くのも無理はない。だが今回敵に勝利するには、何を置いても機先を制し、敵中に乱をもたらす他にない。平地とは言えゲリラ戦を展開するのであれば、我ら傭兵が適任だろう」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつも、ラーサーはクルスの言に首肯した。彼もサンク・キャストルの惨事に怒れる身であり、白騎士団の鼻を明かしてやりたい気は満々であったのだ。
「それで、どうやって現場に急行する?」
アムネリアは現実的な落とし所を探ろうと問いを発した。
「今夜六十頭分の馬を盗む。前回訪れた際軍の厩舎には見当を付けているし、フィニスに裏も取った。白騎士団は全騎で出たわけではないからな」
「ちょっと待ってくれ。検問はどうするんだ?一人二人ではないんだ。六十もの騎馬なら門を素通りするわけにはいかんぞ?」
ラーサーが真っ当な疑問を差し挟んだ。
「アムが何とかするさ」
一瞬目を細めたアムネリアであったが、クルスが厩舎潜入を先導するとあっては役割分担上仕方ないと、渋々同意して見せた。あまりの安請け合いにラーサーは開いた口が塞がらなかった。
(何とかするって……。厳戒態勢の下で首都の城門を守る警備兵を、そう簡単に……?)
「で、首尾よく馬が調達でき、真っ先に戦地へ到達したとして。白騎士団の指揮官とやらにどうやって肉薄するのだ?まさか、そこを勢いだけでどうこうすると言うのではあるまいな?」
「道はラクシに作らせるさ。従神が真の実力を発揮すれば、それくらいの芸当は出来る。前もってこれだけくすねてきたしな」
クルスは腰に提げた革袋から剥き出しの魔法結晶を取り出して、アムネリアへと開示した。それらはバレンダウンの軍隊装備品から失敬したもので、そもそもネメシスの許諾を受けているのだから、くすねたという表現には当たるまいとアムネリアは思った。
(問題は敵の指揮官が誰か、という点だ。まずウェリントンが妥当であろう。奴が出てきたなら私が当たる。だが奴の力量はこちらが万全の状態であったとしても、勝負の転ぶ先も分からぬ程に底が知れん。クルスを前に出し過ぎては余計な心労が嵩みそうだな)
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白騎士団はカナル帝国の最精鋭部隊であり、帝国軍の要であった。騎士個々人の技量は元より集団戦の練度が非情に高く、近隣諸国と戦になった折には作戦行動の正確さから多大な戦果を上げてきた。騎士団長たるウェリントン個の知勇もさることながら、彼を補佐するアルテ・ミーメとジル・ベルトという二人の騎士もまた、部隊運用や戦闘力において稀有な才能を有していた。
しかし、この日はその内二者が陣容から欠けていた。六百もの総勢には幾多の勇者が控え、かつて怪鳥ベツレヘムを撃退して見せた練達のマジックマスターたちも従軍していた。しかし、今日彼らを率いるのは白騎士団に君臨する三次長の一人、ゲオルジア男爵その人であった。
アルテ・ミーメは、サンク・キャストルでの負傷から従軍が遅れ、ウェリントンは本隊の指揮をゲオルジア男爵へと任せて何処かに消えた。ジル・ベルトはと言うと、彼は戦争好きではあったがそれは司令塔としての役目ではなく、突き詰めて一戦闘単位としての話であった。それ故、ゲオルジア男爵より副将として半数の騎士を指揮するよう求められるも固辞し、ただの一騎士として陣中に身を置いた。
(クルスとか言ったな……あの野郎だけは、出てきたら俺が殺す!)
憤懣を溜め込んだまま、ジル・ベルトは来る諸侯軍との戦いで斬って斬って斬りまくってやるとの決意を強くしていた。そんな彼が敵の動きに違和感を覚えたのは偶然でなく、豊富な戦闘経験に裏打ちされた勘がそれを可能とした。
ジル・ベルトは手近な小隊長を掴まえて詰問した。
「おい!もうすぐ日が暮れる。だのにどうして会敵していない?確か、昼過ぎには接触する見立てだったろうが」
「偵察の報告によると、敵の行軍が思いの外遅くなっているとのことでした」
「なにィ?何でだ!いいか、反乱軍が持久戦を採用する筈はない!勢力で劣る奴等はここで俺達に勝って優位性を示さなければ、結束を維持することも同調者を増やすことも出来んのだ!時間が立てば、日和見を決め込んでいる地方領主や、陛下に忠誠を誓う義士たちがこちらに馳せ参じて来る。反乱軍は物資の補給一つをとっても難儀なわけで、足を弛めるにおいては計略の疑いが濃いぞ!」
小隊長はジル・ベルトの剣幕にこくこくと頷くと、「ゲオルジア男爵に注進して参ります!」と持ち場を離れた。ジル・ベルトはウェリントンに重用されるだけあって武力一辺倒の騎士ではなく、軍人として高い水準の戦略眼をも保持していた。しかし、この時の彼は敢えて一騎士であることを望んだが為、白騎士団全体に警戒を浸透させるに時間が不足していた。
ラーサー率いる<リーグ>の傭兵隊は、隊列こそ乱してはいたものの、充分な速度で白騎士団の側面を襲うことに成功した。騎馬による奇襲の第一段階が見事に決まった形であった。
六十騎余りの突撃は白騎士団に衝撃こそ与えたが、ジル・ベルトは直ぐ様敵を小勢と見破り、声を張り上げて味方の秩序の回復を狙った。だがそれが達せられる前に、クルスの胸元に下がるペンダントが強烈な輝きを放った。<戦乙女>の召喚であった。
「ラクシ!本陣までの道を切り拓いてくれ!」
クルスの要請に力強く頷くと、<戦乙女>は中空へと浮き上がりグングニルを振りかぶった。少しの溜めが設けられ、そこから撃ち出された攻撃は、マジックマスターが繰り出す衝撃波や電撃といった魔法攻撃と比較して、数十倍にも達するであろう規模と破壊力を実現していた。一見すると、ただ眩いばかりの銀光の奔流であった。
直撃を受けた騎士たちが激しく吹き飛ばされ、白騎士団の陣形に一直線に穴が空いた。それを逃さず、二つの騎影が疾駆した。
「アム、戻れ!ここはおれが行く!」
「馬鹿な。<白虎>がいたならそなたはアシストに回って貰うぞ、クルス?」
クルスとアムネリアの二騎はそのまま敵陣中央を突破し、最奥部まで侵入して指揮官の姿を捜し求めた。時を経ずして混迷を極める中枢にて、一際丁重に扱われている騎士を発見し、斬り結んだ。
すわ敵の奇襲かと反応して駆け寄った一騎は、アムネリアに一撃の下倒された。クルスの突攻は初撃こそゲオルジア男爵の剣に払われど、続けて放たれし強撃がその剣を封じ、三振り目で男爵を袈裟斬りに仕止めた。
大将を討ち取られたことで白騎士団は浮き足立った。その絶好の機会を逃さず、ネメシス率いる諸侯軍が攻撃を開始した。
陣の崩壊から立ち直る術を持たない白騎士団は脆かった。諸侯軍の攻勢に晒された最前線から順次綻びが拡大し、戦の鄒靖は決したに見えた。
「クルス・クライストォォォォォッ!どこだ?逃げ隠れせずに、この俺と闘え!」
ジル・ベルトは向かってきた諸侯軍の騎士を大剣の一振りで粉砕すると、自身の背後を狙って繰り出された傭兵の弓撃をも剣で叩き落とした。
この獰猛な巨漢の騎士を相手に、諸侯軍の騎士や傭兵は迂闊に手出しが出来なかった。ジル・ベルトの周囲には彼に倒された者たちの屍と剣が積み重なり、その墓標こそがまさに白騎士団の強さの一端を表していた。
クルスの名を叫んでは敵を屠る鬼人ジル・ベルトに対し、一人の騎士が堂々と相対した。
「ん?貴様は……サンク・キャストルで闘った小僧か!」
「世話になったね、デカブツ。部下をやってくれた礼をしに来たよ。こんな所が墓場になるなんて、自身の境遇を呪うんだね」
諸侯軍の中から現れたボードレールは、片手に剣を携えたままで馬を急発進させた。そのままジル・ベルトと激突し、剣と剣が火花を散らした。
ジル・ベルトが力強い大振りの剣を叩き付けるのに対し、ボードレールはそれを斜めに受け流して鞭のようにしなやかで俊敏な反撃を見舞った。ジル・ベルトは体格の割に柔らかい身のこなしで、ボードレールの必殺の剣を巧みに避けた。二人は持てる戦闘術を駆使して一騎打ちに興じた。
だが撃ち合いも十合を数えると優劣がはっきりと見て取れ、やがてジル・ベルトは防戦一方へと追い込まれた。ジル・ベルトが逆転を狙って大剣を切り返したところに、ボードレールの下段からの高速剣が炸裂した。
顔面を割られて動きを止めたジル・ベルトへと、ボードレールは容赦のない追撃を加えてその場で斬り伏せた。血達磨となって馬から転げ落ちた猛将の姿を見て、周囲で剣を振るっていた白騎士団の騎士たちは抗戦を断念した。
戦はネメシスの諸侯軍が始終優勢を保ちつつ進んだ。フィニスなどが苦戦必至と睨んでいた魔法対決に関しても、ノエルとイグニソスの助力によって諸侯軍の魔法力が大幅に底上げされ、白騎士団のマジックマスターたちと互角以上に渡り合えた。
白騎士団の側は大方の騎士が敗色濃厚と悟り降伏を願い出て、まだ剣をとっている者の方が少数派と化した。
「団長が……ウェリントン団長が、きっと助けに来られる!ぎゃあッ」
「ウェリントン団長万歳!アルテ・ミーメ様万歳!……突貫します!」
「ウェリントン様、まだですか?死にたくない……アルテ・ミーメ隊長!うおおおおおおおお……!」
討ち取られる度に騎士たちは敬愛する上官の名を叫び、ウェリントンやアルテ・ミーメが現れさえすれば幾らでも戦況を引っくり返せるものと盲信していた。しかし、白騎士団の総領は最後まで戦地で剣を取ることはなかった。
大勢は決した。ネメシスは馬を前に進め、諸侯軍と傭兵隊に攻撃を中止するよう命じた。そして残った敵陣営の騎士へと、改めて剣を引くよう懇願にも似た調子で要請した。敵味方を隔てず、その場に居合わせた者たちは皆、ネメシスの全身から悲痛さが漏れ伝わるようだと感じられた。
「白騎士団の騎士たちよ、聖神カナンの託宣は下った!勝敗は決したのです。これ以上、カナルの民同士が血を流させ合うことは赦しません。剣を収め、戦はこれきりで終わりとしましょう。……かくなるうえは、このネメシス・バレンダウンに悪魔を祓う責を担わせていただきたい!今日この日、この場所で犠牲になった騎士たちの無念は、全て帝都に居座る悪魔の所業に因るもの!例えどれ程の苦難が待ち受けていようとも、私は決して引くことなく使命を果たすと誓います。我が意に賛同し、我が剣となりて邪悪を伐たんとする勇者たちに、等しく聖神カナンの御加護があらんことを」
それは偶然であったのか、陽光がネメシスの背後へと射し込み、まるで彼女が後光を纏った聖神の使徒であるかのように厳かな光景が作り出された。然程離れていない場所からそれを目撃したクルスは、慈愛と威厳を併せ持ったネメシスの瞳の内に、君主としての確かな自信を感じ取っていた。
「どうやら、終わったようだな」
馬を寄せてきたアムネリアが神妙な顔つきで言った。クーオウルの神官に伝わるという麻酔術はまだ効いているようで、彼女の握る剣からは鮮やかな赤い色をした血液が滴り落ちていた。
「ああ。ウェリントンがいない時点で立て直しのしようもなかったな。……傭兵は大分討ち減らされたが、これだけの騎士を残せたなら上々だろうよ」
クルスは付着した血と脂を懐紙で拭き取るや、無駄のない綺麗な動作で剣を鞘へと収めた。<戦乙女>の具現化は早々に解除しており、彼はこの戦で将軍首以外にも十に近い首級を挙げていた。少しは誇っても良さそうなものだがと、アムネリアは近付いてクルスの顔を覗き込んだ。しかし、そこに彼女の期待した反応はなかった。
(……ほう。やはり感情は表に出さないか。味方の勝利に対してだけでなく、自身の活躍にすら関心がないようにも見える。クルス・クライスト……お前はチャーチドベルンの悪魔に、一体何を思う?)
クルスの左手は静まることなく、<戦乙女>を封じたペンダントを弄っていた。それは勝利を導いた先程の攻撃への労りか、はたまた来る悪魔の王との決戦において、存分に闘って貰うが為の鼓舞に当たる行為なのか。それとも単に彼女への愛撫に近いものか、傍目には理解出来ずともアムネリアは詮索を控えた。
それにしても、とアムネリアは考え込んだ。白騎士団の総大将たるウェリントンは、どこぞに消えたものであろうかと。
ネメシス旗下の騎士たちが降兵を問い質したところによると、ウェリントンは宮中に参内しているとのことであった。そして白騎士団が敗れたことで、今や帝宮までの道程にまとまった数の戦力が配備されていないことも判明した。
(まさかとは思うが、帝宮で悪魔の王とやらに殺されたのではあるまいな)
動きの分からぬことが不気味に思われながらも、ウェリントンが如何に強かろうと、一人の力で今更何を出来よう筈もないとアムネリアは結論付けた。
クルスとアムネリアは並んで馬を進め、諸侯軍の隊列へと合流した。
「クルス!アムネリア!」
目敏く二人を見付けたノエルが小走りに寄ってきた。目当ての仲間の無事を一つ確認し、クルスは胸を撫で下ろした。
はじめクルスは、ネメシスの要請に対してノエルの従軍を渋ったものだが、彼女は自身の判断で参戦を決めた。悪魔との対決を控えた前哨戦を回避することは彼女の矜持が許さなかったし、何より賢者の石を巡るこの騒動の引き金を引いたのは自分だと、ノエルははっきり自覚していた。
「怪我はないか?どこか調子の悪いところは?」
「大丈夫よ。クルス、なんだか気持ち悪い……」
やたらと心配されることで、ノエルは軽い戸惑いと気恥ずかしさを覚えた。クルスとしては、人間社会で過ごした経験の少ないノエルが、いきなり大規模な戦闘に巻き込まれたことで、外傷だけでなく心理的な傷を負ってはいまいかと案じたのであった。
「そなた。弱った女を慰めて、あわよくば口説こうと言うのであろう?女衒の常套手段よな」
アムネリアは無表情で茶々を入れたが、声色は発言の内容程に冷たくはなかった。聞き慣れない単語に注目したノエルがアムネリアへと質問した。
「女衒って、なに?」
「それはな、女を食い物にして……」
「アム!余計な知識を与えなくていい。何しろこの場合、明らかな誤用だ」
クルスの剣幕に、ノエルはある程度アムネリアの言わんとする意味を察したようで、野暮な追及を取り止めた。
固まっている三人の所へと、剣を肩に担いだボードレールとその一党が近付いた。ボードレールはアムネリア以外の面子には目もくれず、彼女の耳元で軽く囁いた。
「もうすぐ賢者の石が手に入る。後はチャーチドベルンに出向いて悪魔と決着をつけるだけ。なんとも拍子抜けのする話だ。まさかそれで、敵国の秘宝をファーロイに持ち帰ることが叶うなんてね。これで遠からず僕が十天君の筆頭に叙せられるだろう。実に愉快だよ、ファラウェイ卿」