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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第七章 神々の黄昏
131/132

  クルス・クライストの四女神-3

***



 ネメシス帝帰還す。その報にバレンダウンとカナル帝国は余すところなく沸いた。一足先に帰還したレイたちによって魔神掃討の功績は流布されていたので、討伐軍の立役者でもあるネメシスへの支持は絶頂を極めた。


 興奮が冷めない国民に冷や水を浴びせぬよう配慮しながらに、ネメシスは粛々と戦没者の慰霊祭を執り行った。討伐軍参加者で犠牲となった勇者らに弔意を捧げ、深く静かに鎮魂を祈った。


 政治的には、外交において戦後処理の調整に乗り出し、まずは友好国との歩調合わせから手を付けた。内政面では喫緊の課題は少なく、戦時下で統制されていた一部市場を解禁し、国民の税負担も極力低減した。さらに国庫からの積極的な支出により、戦没者遺族に対する補償の充実を実行した。


 軍政までは流石のネメシスも手が回らず、そこはバレンダウンが副都であった時代からの旧臣や、地方より召し出した予備役の元上級騎士らを仮任免して、白騎士団の整備・再生に努めさせた。


 ここ数年の戦禍はアケナス全土に及んでいた為、魔神が倒れて凶事が一つ失われたと言っても、地方の隅々までが祝賀の雰囲気に包まれたわけではなかった。現に南部地帯の小国群では、ベルゲルミル連合王国のカナル帝国への敗北と解体という国家消滅にも等しい事態を受け、隣国に対する疑心暗鬼が蔓延っていた。


 〈フォルトリウ〉という結社の暗躍の事実は何事もなかったかのように伏せられたままであった。アンフィスバエナやエストといった主力メンバーの逝去により活動実態が失われ、もはや脅威になり得ないというのが表向きの理由であった。ネメシスに言わせれば、「事実を公表して諸国の為政者が倒れることは、アケナス全体の秩序を鑑みると望ましくない」ということで、魔境大戦の折から被害の大きいミスティン首脳部だけはこの措置に遺憾の意を示していた。


 職業特性上の宿命とは言え、打撃の大きかった最上位組織に〈リーグ〉が挙げられた。本拠地たる要塞都市サンク・キャストルは破壊され、幹部傭兵は軒並み戦死していた。


 本部機能の麻痺により傭兵総連盟という看板は有名無実化し、実質的には各支部が独自に運営を行っていた。特にシスカバリやシリウスといった大所帯は盛況で、対魔防衛ラインを形成する諸国の依頼で、日々魔境の悪魔征伐に勤しんだ。


 その日は夕暮れ前に予定の作戦が終了し、参加した騎士や傭兵たちは魔境外縁部に仮設されたキャンプへと速やかに帰還した。後方支援の隊員たちが糧食に救護にと忙しなく動き出す中、アイザックは大剣を肩に担いだまま黙々と歩き、割り当てられた天幕へと滑り込んだ。


「アイザックさん、お帰りなさい。また会えましたね」


「・・・・・・交代制なんだから、好き嫌いに関わらず毎度顔を合わせることになる」


 笑顔の似合う白衣姿の淑女に迎えられたアイザックは、むすっとした態度で応じた。


「無事であればこそ、お顔を拝見出来るのです。アイザックさんの帰参を神に感謝します。明日はまた、私の番ですね」


「俺は祈ってやれん。・・・・・・神がいないと知っているからな」


「アイザックさんは無神論者なのですか?」


 淑女の首元にはロザリオが見えていた。施された意匠は明らかにディアネ神殿のそれであり、アイザックは興味が無さそうに淑女から視線を外した。


 ネメシスは諸国の首脳と謀って、旧神の不在を秘密情報とすることを決していた。既存の神殿ネットワークの維持が狙いで、今もってアケナスに根差した信仰を根本から否定するかのような真実は、この戦乱からの復興期にそぐわないものと判断された。


 アイザックは、目の前の女神官が、「ディアネ神はミーミルの泉で永き役務から解放され、消えた」と聞かされたならどう思うものかと思案した。それを口にする程短絡ではなかったが、彼が真実の秘匿に対して、自分たちが命を懸けて戦った行為への軽視ではないかという感情を抱いている点は否めなかった。


 それだけが理由ではなかったが、アイザックはネメシスからの再三に渡る仕官要請に、決して首を縦には振らなかった。


 口を閉ざしたアイザックを尻目に、女神官は手持ちの道具で一杯の茶を振る舞った。この時世でわざわざ魔境まで出張ってきているのだから、女神官にも事情がありそうなものだが、アイザックは身の上話を聞くこともなかった。


(旨い茶だ。こんな稼業についていなければ、日中は畑仕事でもして、朝夕にこうして茶を楽しむような生活もあり得たのだろうか)


「そう言えば、あと三日程で増援部隊が到着するそうですよ。昼過ぎに早馬があったみたいで」


「どこの部隊だ?」


「カナル帝国の、どこかの衛星国の騎士団だったような気がします」


「ならファーロイか、サイ・アデルの騎士団だろう」


「あ、そうです。ファーロイ湖王国だったかと。何でも上級爵位をお持ちの騎士が陣頭指揮をとられているとか」


 それであれば補佐役として地味なマジックマスターが同行しているのだろうと、アイザックは元ベルゲルミル十天君の公爵公子一行を連想した。


 連合が解消されたベルゲルミルにおいていち早く、前述の二国がカナルへの正式な臣従を表明した。レイバートン王国やソフィア女王国は自主独立の道を選び、ベルゲルミル公国とアルケミア伯爵国は態度を保留していた。元連合内の小国勢は日和見を決め込んでいたものの、そもそも大国連中から存在を軽視されていたので、特別な動揺はなかった。


 穏やかな空気が漂い始めていた天幕へと、二人以外の傭兵たちも続々と戻ってきた。何れも女だてらに剣を取っている面々で、装甲を解くと半裸で豪快に寝そべって全身を休ませた。


 女神官は皆の分も茶をこしらえてやり、いそいそと手渡して回った。貴重なマジックマスターであり、しかも信奉者の多いディアネ神に仕える彼女は天幕の仲間内でも人気者で、女傭兵たちは謝意を述べながらに茶を味わった。


 何で自分がこうも女だらけの天幕に押し込まれているのかと、アイザックは改めて差配した人間に文句の一つも言いたくなった。女たちは皆アイザックに好意的な態度で接してくれたが、長年付き合った相棒や共に冒険をした仲間以外ろくに女慣れのしていない彼にとっては、気疲れする以外の何ものでもなかった。


「そうだ。アイザックさん、副官様が指揮天幕まで来てくれって呼んでましたよ」


 同僚の女傭兵の言伝てに頷き、アイザックは腰を上げた。どうせだから居住環境について一言申し伝えようと心に決めていた。


 今回の討伐部隊は、オズメイ北王国と政治的に近いバルトール市民国とセントハイム伯国傘下のカーベル師団の騎士が中核戦力となり、そこに対魔防衛ライン各国からの増員、近隣の傭兵や私募の義勇兵らが柔軟に組み入れられていた。最後に大国が横槍を入れて一枚噛んだと聞こえていたが、その手の政治工作はもはや常となり珍しくもなかった。


 バルトールにもカーベルにも顔見知りのいないアイザックは指揮官に心当たりがなく、無心かつ無警戒に指揮天幕を訪ねた。そして、目を丸くした。


 出迎えた副官と思しき水色の髪の女は桁外れの美貌を有していて、氷青の瞳より惜しみ無くアイザックへと視線を注いだ。さらに、奥の椅子に自然体で腰掛けてアイザックの到着を待つ金髪の騎士は、実力と見識に裏打ちのされた無形の威圧感を発していた。


 入り口付近で固まったアイザックに対して、副官ことイシュタル・アヴェンシスが、溌剌とした声音で親しげに声を掛けた。


「御苦労様です。前任の指揮官から、貴方の御活躍は伺っています。アイザック殿、流石ですね」


「・・・・・・あんた達が来ているだなんて、聞いてなかった」


 アイザックは困惑を隠せず、ぼそりと呟くようにして言葉を捻り出した。それに反応したのは奥座の主、ラファエル・ラグナロックその人であった。


「なんということはない。政治に汗をかくより、剣を振るっている方が性に合う。それだけのことだ」


「レイバートンやアルケミアは防衛ラインに未加入でしょう?ネメシス様に無理を言って、急遽討伐隊に編入させて貰ったの」


 悪魔退治を遠足に行くかの如く軽く語る二人に対して、その力を知るアイザックはさもありなんと思った。そして〈翼将〉と〈雨弓〉という大陸有数の騎士が参戦したのだから、此度の戦果は莫大になろうと確信した。


 ラファエルはアイザックに着席を勧め、イシュタルが言われるまでもなくてきぱきと茶の用意を始めた。


「二交代制で少しずつ侵攻していたようだな。前任者の打った手は、良く言えば堅実。だが些か慎重に過ぎたように思える」


「犠牲者は殆どなかった」


「何よりだ。その点は見習うとしよう。ちなみに、僭越ながら私の考えはこうだ。私とイシュタルと貴公、三者を先頭に一気にミーミルの泉まで突破する。ファーロイ騎士団は後詰めだ。魔境の町を速やかに接収して一次拠点とし、補給経路の整備に専念。次の討伐隊が来るまでは、全隊が防御を中心とした戦術に特化して陣地を堅持する。どうかな?」


「・・・・・・馬鹿に性急だな」


「折角対魔防衛ラインの意識に火が点ったのだからな。それに大陸中央部を解放してやることには大きな意味がある。人や物の流通を活性化させ、引いてはアケナス全土の有機的結合に繋げるというな」


「まるでどこぞの大帝国が唱えるお題目のようだ。・・・・・・まあ、寝床の割付さえ変えてもらえるようなら、俺ごときに異論はない」


「アイザック殿、申し訳ありません。それだけは意向に添えないのです。部隊編成は隊長の専権事項ですから」


「何を言っている?だからこうして隊長殿に頼みたいと・・・・・・」


「いえ、ですからラファエル様は隊長ではないのですよ。無論、私も違います」


 イシュタルの説明に合点がいかず、アイザックはラファエルに解を求めた。ラファエルは表情を動かすことなく、当然だという調子でそれに応じた。


「私は自分が隊長だなどと一度たりとも言っていない。そして隊長からは、女日照りの傭兵に天国を見せてやるための重要な配置なのだと念を押されている」


 アイザックは言葉を失い、イシュタルへと目で質した。イシュタルは笑みを浮かべると小さく頷き、「ここは指揮天幕ではあるけれど、隊長は不在にしているわ」と、天幕の外を指差した。


 アイザックは陣内を駆けずり回った。仮にも魔神大戦を最前線で戦い抜いた彼を女日照り呼ばわり出来る人物など、他に一人も思い当たらなかった。


(彼は、あれから一度も皆の前に姿を見せていない!この一年近く、誰もが彼の帰りを待っていた。今ではクラナドの崩壊と運命を共にしたと、諦めが先に立つようになっていた・・・・・・)


 アイザックが戦闘時以外で荒々しい性分を表に出すことは珍しく、行く先々で天幕を捲っては隊長の所在を尋ねる姿は、まるで悪鬼のようであった。騎士や傭兵にいくら怖がられようとも、アイザックは捜索の手を緩めなかった。


「アイザックさん!」


「何だ?・・・・・・ミザリーか」


 天幕を同じくするディアネの女神官・ミザリーは、アイザックのぞんざいな返事にもめげることなく言葉を続けた。


「その・・・・・・お捜しになられている方ですが、先程アイザックさんが指揮所に行かれている間に天幕を訪ねられました」


「なにッ?」


 アイザックの大声にびっくりさせられ、ミザリーは思わず自らの手で肩を抱いて半歩後ずさった。そしてぐっと口を結んで踏みとどまると、用意していた話を始めた。


「あの・・・・・・貴方が・・・・・・その、天幕の誰かと・・・・・・そういう、男女の関係になってはいないのかと・・・・・・。部隊の隊長だと名乗られて、質問攻めにあいまして・・・・・・」


「・・・・・・それで、隊長とやらはどこに?」


「それが、誰とも、その・・・・・・そういうことになっていないとお答えしたところ、盛大な溜め息をつかれて・・・・・・。それから話にならないとか、まだまだ教導が必要だとか呟かれて、次は魔境の町で会おう、と・・・・・・」


 ミザリーの言に、アイザックは息を吐いて天を見上げた。赤みがかってきた空には椋鳥が羽を連ねて行進していた。姿を現しつつある雲は薄暗く、ともすれば雨粒が落ちてきそうな色合いであった。


 総勢一千にも上ろうという討伐隊であれば人一人身を隠すのに十分であると思われ、アイザックは肩の力が一気に抜けるのを感じた。


「あの、アイザックさん・・・・・・」


「すまない。取り乱した。隊長の容姿だが、赤茶色の髪と黒い瞳をした、物腰に余裕のある青年だったか?」


「はい。クリス・アディリス様と名乗られました」


「・・・・・・しばらく一人にしてくれ」


 アイザックは、ネメシスや十天君の二人と一緒に地上へ生還した者が何故自分なのかと、この一年の間独りで苦悩し続けていた。世界を救った女神たちに愛されし唯一無二の勇者が帰らず、どうしてただの傭兵に過ぎない自分などが生きて戻ったのかと、いくらネメシスに励まされようとも自責の念が消えることはなかった。


 それが、思わぬ形で彼との再会が近付き、アイザックの瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。もはや我慢がならなかった。


(多くの仲間がいなくなった。マルチナも。アムネリアも。ノエルも。ダイノンも。リンも。フィニスも。ワルドも。ゼロも。エックスも。ルカも。ベンも。セイクリッドも。シエラも。レベッカも。そしてエレノアも。だから、この世界にはもう俺の心を動かすものなどないのだと思っていた。・・・・・・それが、あの男が生きていたと聞いた途端にこれだ。俺も現金なものだな。こうなれば、ラファエル・ラグナロックの言うように、魔境の中心部まで攻めてやろうじゃないか。あの男が今何を考えているものか、それを問い質すまで自棄になるのは早い)


 ラファエル・ラグナロック副隊長の指揮する討伐隊は悪魔を端から薙ぎ倒し、五日とかけずに魔境の中心部へと到達した。その最中で比類無き奮戦を見せたアイザックの背を、麗しき女神官が絶えず守っていたという逸話は、後に詩人たちによって酒場で歌われるところとなった。


 今回の作戦の全行程が終了した後に、ネメシスはアケナス全土へと向けて魔境解放令を発した。それは長くアケナスの市民を悩ませてきた悪魔の無力化を意味し、対魔防衛ラインの解散と悪魔に纏わる政治的利権の消滅を宣言するものでもあった。


 ネメシスは現人神とも似つかわしく讃えられ、以降のアケナスを連合統治することとなった五大勢力の初代総領を務めるまでに威光は強まった。人々はカナル帝国の隆盛とネメシス帝の神聖性を盲信した。


 大陸の長い歴史において、小さな平和の花が芽吹いた瞬間であった。



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