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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第七章 神々の黄昏
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6 クルス・クライストの四女神

6 クルス・クライストの四女神



 アンフィスバエナの胸元にアンスウェラの剣先が吸い込まれた。同時にアムネリアが剣を一閃し、杖を掲げたアンフィスバエナの右腕が斬り飛ばされていた。


 アンフィスバエナは苦悶の表情を浮かべたままで仰向けに倒れた。「世界に、光を・・・・・・」という彼の最期の呟きを、ただアムネリアだけが耳にした。


「ゼロ!」


 ノエルは叫んだ。そして、咄嗟にクルスの前に躍り出て死の靄を浴びたゼロへと駆け寄った。自らの剣でアンフィスバエナを討つも、絶体絶命の危機をゼロに庇われた形のクルスは、震えを伴いながらに倒れ付したゼロを抱き起こした。


 ゼロは既にこと切れており、死に顔は意外にも安らかであった。ノエルは泣き崩れ、クルスは止まぬ悔恨と感謝の念を強靭な意志力で胸に収めて、そっと目を閉じた。


(ゼロ。すまない。おれが不甲斐ないばかりに、最後まで君に頼ってしまった。救って貰ったからにはこの命、決して無駄にしない。約束する。・・・・・・これまで色々と苦労を掛けたが、どうかゆっくり休んでくれ)


「無念には違いないが、ここで感傷に浸っている暇はないぞ、クルス」


「アム。分かっている。こうしている間にも、地上で魔神が何をしでかしているか知れたものじゃない。とっとと、エウレカとやらを探そう」


 クルスはゼロをそっと寝かせてやると、胸の前で手を組ませた。クルスの胸中には恩義あるイビナ・シュタイナーへの想いも去来していたが、総括するのはまだ早いと感情を圧し殺した。そうして力を振り絞るようにして立ち上がり、息を引き取ったアンフィスバエナにも一瞥をくれた。


 アムネリアはかつての同僚の死に言葉を送らず、ゼロのみを悼んでクーオウル神の祈り語を諳じた。愛と生命の女神に相応しく、それは生まれ変わった先でも情熱的な恋愛が約束されているという内容であった。


 ノエルは、ハーフエルフとして生を受けて居場所を求め続けたゼロの生涯を思うと、居たたまれなかった。クルスや自分たちとの交誼は彼女にとって短い一時であったに違いなく、この先家族を作るなり幾らでも展望が開けていた筈で、ここで全てを閉ざしてしまったのは自分たちの責任ではないかと消沈した。


 同じエルフの血を分ける者として、ゼロはノエルによく懐いていた。生来無口で冷静なゼロであったが、クルスやネメシスが築いた仲間の輪に己が身を置けることはとても嬉しいのだと、ノエルに聞かせていた。ノエルはゼロがクルスへ思慕を寄せていることに気付いていたが、敢えてそれには目を瞑り成り行きに任せていた。


 そういった記憶の端々が頭の中をぐるぐると回り、ノエルは涙ばかりか嗚咽までも止められないでいた。クルスの手が肩に触れ、ノエルは無理矢理に感情を切り離して立ち上がった。


「・・・・・・ごめんなさい。あと少しだものね。行きましょう」


「ああ。天使長の言うエウレカとやらが、博士の暴れっぷりで破壊されていないといいが」


 クルスは冗談めかして言ったが、そこら一帯は元の建造物が判然としないまでに破砕されていて、荒唐無稽な話とも言えなかった。ノエルはクルスとアムネリアが打ち倒したであろうイルマリアの動かぬ巨体を離れた位置に認めた。その腹部は裂かれており、ネメシスの救出が確かに為されたのだと見て取れた。


(天使の長。自らの身体を改造して、種族の延命を願って模造体を造り続けていた。そして、それを歪であると弾劾した、彼女の子に当たるイビナ・シュタイナー博士・・・・・・)


 ノエルの複雑な視線に気付いたアムネリアが、堂々と贖罪の言葉を口にした。


「はじめから殺すつもりはなかった。陛下の大身を確保出来れば、矛を収めるつもりでいたのだが。・・・・・・行き過ぎた仕打ちであった」


「アム。おれたちは慈善活動家じゃない。奴はネメシス様への害意を示した。天使種族の運命に同情は寄せられても、こちらが大切なものを奪われることに納得など出来ないさ」


「・・・・・・そうだな」


「罪滅ぼしにはならないかもしれないが、魔神を倒した暁には天使連中を全て解放してやる。以後、アケナスの管理者やこの地によって縛られなくて済むように」


 クルスのその宣告に、アムネリアとノエルは確かな別れの空気を感じ取った。魔神を倒すことはアケナスの管理者に就任することと同義であり、その時が目前に迫っていた。


 クルスはネメシスの下に戻ると、昏睡状態にある彼女を慎重に背負い、瓦礫を掻き分けての捜索に乗り出した。アムネリアとノエルは神妙な面持ちでそれに付き従った。



***



 エウレカと称される装置は、一見すると都市の広場に設営された噴水のある人工池を思わせた。細かい砕片と化した色とりどりの石で積み上げられた円型の貯水枠に、銀色をした不思議な液体が満たされていた。


 円の周囲は大人二十人以上が手繋ぎで輪を作る程度で、水面には何の影響に因るものか小波が起こっていた。特殊な魔法の効果か、クルスの目には、エウレカがイビナの破壊活動の余波を全く受けていないように映った。


 瓦礫の中に佇むエウレカの威容にしばし呆然としたクルスであったが、ふと我に返り、ネメシスを床に下ろして銀水と向き合った。


「これだろうな・・・・・・エウレカ。起動に必要とされる魔法鍵のようなものは見当たらない。侵入者を排除する結界もない。さて」


 水面を覗き込むと、波が忙しなく発生し、やがて水面に像を結んだ。地上の、それもイオニウム付近における戦闘状況に他ならず、遥か上空からの俯瞰に始まって、接近しての鮮明な映像までもが流された。


 ラーマ・フライマの姿をした魔神が霧氷の攻撃で騎士たちを撃ち倒し、竜は無情にもマジックマスターたちを噛み千切っていた。ボードレールやレイといった腕利きたちは凶暴で手の付けられない大竜に挑み、苦戦を余儀無くされていた。


「これは・・・・・・地上の様子か?オズメイの群狼騎士団も戦いに加わっているようだが」


「我らの帰りを待たず挑戦したのであろう。或いは、魔神から攻勢に出たものか。だが、見た感じ余力は少ない。急がねば」


 クルスは頷いた。当のアムネリアはしれっとノエルに命じ、風の精霊を使役させた。


 不意を打たれた形のクルスは、突然の強風に吹き飛ばされてエウレカの縁石から遠ざかった。


「うおっ!ノエル、何を・・・・・・」


 戸惑うクルスとノエルの間にアムネリアがそっと身体を割り込ませた。エウレカとの距離は、クルスが一番遠く離れていた。


「クルスよ。これは私とノエルが二人で決めたこと。悪く思ってくれるな」


「・・・・・・アム。何を言っている?」


「そなたではなく、私とノエルがアケナスの管理者となる」


「フィニス!壁だ!」


 間髪入れずにクルスの命じた先で、エウレカを囲うようにして炎の壁が立ち上った。ノエルは間近で感じる高熱をものともせず、エウレカと己とを隔てた火炎に真っ向対峙した。


 クルスが近寄る素振りを見せると、アムネリアが手加減の無い動作で光撃を放った。足下付近の石床を撃たれたクルスは、一歩を深く踏み出していたなら確実に被弾していたと胆を冷やした。


「動くでない。この段になって、四肢を傷付けるくらいは躊躇わぬ」


「アム。アムネリア・ファラウェイ!ノエル!お前たちは・・・・・・」


 クルスの呼び掛けを無視し、ノエルが炎の壁に切々と訴えた。


「フィニス!分かって頂戴。貴女がクルスに絶対服従する気持ちは分かるわ。彼の為に自分が力を使い果たしても、それが本望なのよね?私達も同じよ!貴方はクルスが一人世界を背負うことをどう思うの?ゼロだって、命を賭してクルスを庇ったわ。考えて!愛する人を守る為に、私達に出来ることは何なのか」


 一拍置いて、炎が激しく揺らいだ。クルスに視線を固定したままで、アムネリアが背後のフィニスへと一押しした。


「ノエルが言った通りだ。フィニス。我等はこの男に代わってアケナスの管理者となり、魔神と対決する道を選んだ。そなたにも選ばせてやろう。ここで私やノエルと対するか、否か。一緒に来るというのなら、拒みはせぬ」


「アム!何を言っている?血迷ったのか!」


「クルスよ、少し黙れ。もう決めたことだ。フィニス!そなたも心せよ。もはや時間が惜しい」


 アムネリアが厳格な態度で言い、ノエルは哀願するように潤んだ瞳で炎壁を見つめた。不意に炎が四散し、エウレカの縁でフィニスが人型をとった。彼女の輪郭は所々がぼやけて空間に溶け込んでしまっており、火精霊としての力が正しく尽きようとしているのだと見てとれた。


 フィニスは言葉なくノエルに頷いて見せた。そうして、自らの手で神剣アンスウェラとの〈パス〉を切った。


「フィニス・・・・・・!」


 クルスの悲壮な呟きを耳にしたアムネリアは、剣を手放すことなく歩を前へと踏み出し、クルスの側に近付いた。互いに剣の間合いには入っていたが、必殺の一撃が振るわれることはなかった。


 クルスは、アムネリアの表情と言葉から、彼女たちの翻意が難しいものと理解していた。しかし、そうであっても譲れることはなく、口から出るのは説伏の言葉でしかなかった。


「アム、聞いてくれ。おれは自棄になって神になろうというんじゃない。孤児だったおれを、ヴァティやラクシは救い、そして愛してくれた。だからアケナスを守ることで、その恩返しをしたいだけなんだ。何かを犠牲にするという話ではないし、皆に代わって貰う筋合いもない」


「フフ。そなたは自分事だと主張する。だが、私やノエル、それにフィニスにとっても自分事なのだ。ゼロとて、そなたを守りたい一心により身を投げ出した。勇者サラスヴァティの姉妹がそなたを救い、愛したように。私たちもそれと同じことをしたいだけだ」


「そうじゃない!そうじゃないんだ。おれは・・・・・・」


「いつぞやとは異なり、此度は剣を交えずに済みそうだな。・・・・・・一度くらい、そなたとは本気で闘り合ってみたいとも思ったが」


「まだやれるさ。アム!お前には神官としての職責があるだろう?カナルをどうする!ソフィアの後事は?・・・・・・ノエルだって、大森林をほったらかしには出来ない筈だ!」


「クルスよ。そうした諸事はそなたと陛下に任せる。我等はな、そなたの消えた世界で何事かを為すよりも、そなたに地上で生を続けて欲しいと願った。そなたの心の内で永遠に生きる道を選択したのだ。恐らくは、ゼロやエレノア・ヴァンシュテルンも分かってくれよう」


「・・・・・・駄目だ。認めないぞ」


 アムネリアはクルスの肩に優しく手を掛けると、そっと抱き寄せて耳許で何事かを囁いた。それはほんの僅かな時間であり、アムネリアは放心したクルスを強く突き飛ばして尻餅を付かせると、小走りでエウレカに接近した。


 縁石に足を掛け、アムネリアは一度だけ振り返ってクルスを見た。


「魔神は任せよ。神や天使の無い、滅びの制約もない真っ新なアケナスを、そなたと陛下に託す」


 迷いなくエウレカの水面へと足を踏み入れたアムネリアの肉体が、淡い銀光を発して消失した。後には静寂と小波だけが残った。


 消えたアムネリアを凝視していたフィニスが、最後の力でクルスに向けて手を振った。そして声の出せない程に消耗した肉体を分解して炎へ化身し、アムネリアを追ってエウレカに飛び込んだ。


 ノエルが今度は自分の番であると主張するように、哀しみを色濃く映した笑顔をクルスに向けて振り撒いた。


「ノエル・・・・・・」


「身を引くのは辛いけど、あなたが消えてしまうよりかはこの結末の方がましだわ。クルス。今まで一緒にいられて良かった」


「待て!」


「だって、アムネリアだけ行かせて私が残ったのじゃ、私は自分で自分を赦せなくなる。ごめんね」


 クルスは驚異的な瞬発力で身を起こすと、かつて無い健脚でノエルとの距離を一気に縮めた。そして、伸ばした手がノエルの肩に届いた。


 エウレカの縁より引き戻さんとするクルスに対し、ノエルは起用にその手をかわすと、逆に自ら懐に飛び込んで唇を重ねた。クルスが接吻に意識を奪われたその隙に、ノエルは風のようにするりと流れてエウレカへと達した。


 ノエルが吸い込まれて消えたことを切っ掛けとして、エウレカを満たしていた銀の液体は、まるで揮発したかの如く一切が存在を無くした。干上がった跡地には、空の噴水池と思しき石組みだけが、遥かな昔からそこにあったと言わんばかりに悠然と居座っていた。


 クルスは殆ど無心でエウレカの残骸を見詰めていた。その内に一陣の風が吹き、クルスの疲れきった全身をそっと撫でた。


(・・・・・・ここにも風は吹くのか。いや、今のはノエルの・・・・・・)



***



 目を覚ましたネメシスは、周辺を入念に見回して、自分がクラナドに留め置かれているのだろうと推察した。イビナ・シュタイナーに連れて来られて直ぐの頃から魔法で眠らされていたので、瓦礫の散乱する廃墟のような景色に見覚えはなかった。


 白と灰色の石材が破砕されて転がっている中で、側にある円型の石組みだけが形を保持していて、これは貯水池だろうかとネメシスに考えさせた。起き上がることが出来たので、ネメシスはふらつく足を叱咤しながら近場を散策してみた。


 元は城館か神殿であったのであろう、太く立派な造りの柱が何れも半ばで折れて寝かされ、微細な彫刻の施された天井と見られる壁面は落下した衝撃で派手に砕けていた。調度の品々も場所を選ばず散らかっていたが、生物の見当たらないせいか生活感は欠片も感じられなかった。


 段差のある床面に行き着くと、ネメシスはその先に辛うじて原型を留めた祭壇のような台座を見つけることが出来た。台座には、彼女をここに連れてきたハーフエルフの遺体が安置されていた。


 イビナ・シュタイナーの精神を閉じ込めていた、ゼロという名のハーフエルフの肉体が既に生命活動を停止していることは、外傷の程度と纏う雰囲気から容易に知れた。意識のなかった自分が知る由もないが、この地で激しい戦いがあったのだと察し、ネメシスは胸を痛めた。


 物音がして、ネメシスがそれを警戒するまでもなくラファエル・ラグナロックとイシュタル・アヴェンシスが姿を見せた。二人から敵意は感じられず、ネメシスは彼らが近付くに任せた。


 ラファエルは深く頭を下げ、女帝に対して礼を示してから本題を口にした。


「クルス・クライストは私達の戒めを解き、クラナドの探査へと駆けずり回っています」


「戒め、ですか・・・・・・?」


 ネメシスの疑問には、クラナドに到着してからの経緯を説明する形でイシュタルが対応した。ラファエルとイシュタルはエウレカで起きた悲劇をクルスの口から聞かされており、ネメシスの質問に重ねて答えることで、その事実も白日の下に晒された。


 ネメシスは猛烈な眩暈を起こしてふらつき、ゼロの遺体が安置された台座へと寄りかかった。嘔吐感を押し止めるべく口元に手を当てると、病的なまでに青ざめた顔をしてイシュタルに聞き返した。


「アムネリアとノエル・・・・・・それに、フィニスですって?フィニスが生きていたと・・・・・・。いいえ、そんなことではなくて、三人が、クルスに代わって、神に・・・・・・?」


「はい。しかし、アケナスの管理者権限を有する神になれたかどうかは、ここから確認する術がないと。エウレカと呼ばれる銀水の池に足を踏み入れた三者は、何でもクライストの目の前でそのまま消えてしまったのだとか」


「ああ・・・・・・!」


 ネメシスは絶望と虚無感がない交ぜとなった吐息を漏らし、力が抜けたようにしてその場に膝を付いた。


(私だけが!私だけが、クルスの身代わりになれずのうのうと生き延びてしまった!・・・・・・アムネリアの誠実さを考えれば、ノエルの純情を思えば当たり前の行動だったのに。肝心な時に私は・・・・・・。この不明の責任を、一体どうやってとれば良いと言うの?)


 気落ちのしたネメシスを励まそうと、イシュタルが側に寄って肩を抱いた。不敬に当たりはしないかと一瞬の躊躇こそあったが、目の前の女帝に往時の覇気や威厳はなく、イシュタルの瞳にはただ一人の打ちのめされた女として映っていた。


 ネメシスの慟哭は続き、啜り泣く声だけが静寂の間に染み入った。


 真っ先に、異変に気が付いたのはラファエルであった。突如出現した優しい輝きを放つ光の集積体が台座の上に鎮座し、ゼロの遺体をそっと包み込んだ。ネメシスの意識は全てそちらに持っていかれたようで、まるで会話でもしているかのように目の色がくるくると変わった。


『ゼロも、連れて行きますね』


 その不可思議な光が接点を持ったのはネメシスのみで、残る二人は訳が分からず、彼女の挙動を黙って見守るしかなかった。



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