楽園追放-3
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アンナが目にした光景は、残酷さよりも神秘的である様が先に立ち、林立した氷柱に圧倒されて初見で心を奪われた。茫然とするアンナを余所に、イグニソスは馬上より見たままを口にした。
「氷に閉じ込められた騎士たちの甲冑を見るに、先行したセントハイム勢ですね」
百を数える氷の柩は、高層の建造物に並び得る高度がもたらす荘厳さと、濁りのない透き通った結晶が表す繊細な美しさとを併せ持っていた。何れの氷柱にもセントハイムの騎士たちが収められており、一見して生命が失われていると知れた。
人間業とは思えぬ魔法の所業に、アンナと並んだボードレールは魔神の存在を強く意識させられた。
「イグニソス!魔法抵抗は最大限で頼むよ。アンナ王女、妖精族にも同様の下知を。・・・・・・気を抜けば、僕らも同じ墓に入れられかねない」
「承知しました、御曹司」
「・・・・・・分かりました。全マジックマスターに対処をさせます!」
イグニソスは賢者の石から魔法力を引き出すと、アンナが連れてきた一団を覆うようにして強力な結界を構築した。ボードレールはともすると逸りそうになる気を鎮め、無数の氷柱の間に潜むであろう敵の気配を探った。
ミスティン騎士団に配属されていたが為にその場へ同行していたレイが、ボードレールに先んじて標的を見つけ出した。やおら剣に力を込めると、馬を操り単身で突撃した。
「食らえッ!」
氷間に棒立ちとなっていた女神官は、レイの接近にも回避の動作を取らなかった。瞬時に霧が立ち込めたかと思うと、レイの行く手に氷の壁が出現し、馬ごとそれに激突した。
落馬しながらも器用に着地したレイは、目の前に造られた氷壁に憮然とした表情を見せるも、闘う意思を挫けさせたりはしなかった。再び剣を構えるや、感情の無い瞳で自分を見詰めるラーマ・フライマへと斬り掛かった。
直近の壁を迂回し、それでも邪魔をするように続々と造り出される壁を都度左右のステップでかわして、少しずつではあるがレイはラーマへと迫った。
「その技は、一度見た!」
クルスからの教えで、レイは一度体験した戦術に対して頭を働かせてそれを無力化することに全力を注いでいた。剣才も後押しし、この頂上決戦においてレイの実力向上は目覚ましかった。
レイの鋭い剣撃がラーマをとらえた。だが手応えの異常さを悟ったレイは、背筋を伝う怖気もあって、跳躍によりその場から後退した。
レイの下した判断は正しく、ついぞ今まで立っていた位置に突如氷の柱が屹立した。それによりラーマの健在が証明されたわけだが、正面から挑んだレイの直感として、剣はラーマの肉体表層で氷に阻まれたものと理解していた。
「若僧!無茶をするな!」
ボードレールが飛び入ってレイを背に庇い、それを追う形でイグニソスも到着した。ボードレールはラーマの姿を見て、流石に気分が高潮するのを止められなかった。
アンナが残騎を率いてラーマを半包囲すると、ボードレールは油断なく身構えたままで言葉を投げ掛けた。
「貴女は、ラーマ・フライマ卿ではない。そういう解釈で良いのかい?」
「ボードレール卿。私はラーマ・フライマであり、ベルゲルミルという名の女でもあります。名や外見の区別に意味などないのです」
「あっそう。なら、魔神ベルゲルミルに魅入られた不幸を呪うんだね。ここで終わりにしてやる」
「貴方には無理です。かつて〈翼将〉と〈福音〉、それに〈鉄の傭兵〉やクラウ・ソラスの使い手たるワーズワース王子が束になって伐ちし魔境の大魔。それこそが前代の私。その私に止めを刺したのが〈福音〉。つまりは、今の私に該当します」
「寄生種だとは聞いているよ」
「貴方たちは、あの時の面子にだいぶ見劣りします。ラーマ・フライマの知己とはいえ、ここにきて手心を加える必要性は感じませんので」
「余計な世話だ。僕の剣で、その身を刻まれてから悔やむなよ!」
ボードレールは走った。眼前に展開した氷の壁に対し、レイとは異なり十字の斬撃を流れるように見舞って四散させた。そしてそのまま強引に魔神との距離を詰めた。魔神はそれすら意に介さず、淡々と会話を続けた。
「聖女の肉体を得て、私の力は飛躍的に増しています。分かりますか?既にアケナス最凶最後の暴力をも支配したのです」
「寝言は寝てから言うんだな!」
ボードレールの剣が魔神の身体を捉えた。濁流が一気に叩きつけられたかのような激しさで、連続した剣撃は魔神の全身を打ち据えた。
強打の度に白い結晶が飛び散ったもので、ここでも氷の防御網が機能しているのだと知れたが、ボードレールの剣は途切れることがなかった。繋がる剣は遂に魔神の防御を掻い潜り、浅くではあったが左肩を薙いで見せた。
魔神の瞳にはじめて感情の揺らぎが浮かんだことを、ボードレールやレイは鋭く洞察した。ラーマの肉体は左肩より出血が見られ、例え負わせられたのが小さな傷でも、突破口があるのだという一点をもってアンナらに勇気を与えた。
「皆の者、畳み掛けるのです!」
アンナは総攻撃を指示し、レイをはじめとした騎士たちがボードレールに続かんとした。しかし、それを制するかのようにイグニソスが一喝した。
「お待ちをッ!あれを見てください!ただの竜ではありませんよ・・・・・・!」
イグニソスの示した南の空に、赤黒い凶暴ななりをした大竜の姿が認められた。大竜がみるみる大きくなる様子に、こちらへと向かって飛翔してくるものと知れた。
氷柱の具象化でボードレールを引き剥がした魔神は、飛来する大竜を指差して絶望の言葉を紡いだ。
「竜王です。貴方たちはあれを懐柔したと思っていたかも知れません。ですが、あれは紛うことなきこちら側の存在。上手い具合に〈白虎〉が凍結湖を襲ってくれたお陰で、あれに〈パス〉を通すことが出来ました。フフ。アケナスの竜を統べしあれは、相当に強いですよ」
魔神の解説はアンナらを大いに圧迫し、沈黙させた。最後の四柱が魔神の招聘に応じたわけで、この戦場が程無く地獄へ変じることは確実なように思われた。
ただ一人、ボードレールだけが気迫を絞り出し、意気軒昂に魔神へと詰め寄った。
「竜王がここに来たということは、クルス・クライストの一味を殺してくれたのかい?・・・・・・どうなんだ!ラーマ・フライマッ!」
「そんなことを、貴方たちに・・・・・・うッ?」
呻くような声を発し、魔神はほんの短い時間だけ不可解な言動を見せた。
「・・・・・・クルス・クライストたちは・・・・・・無事にクラナドへと、昇りました」
「・・・・・・そうか!なら良い」
「・・・・・・〈流水〉、後を・・・・・・頼みます・・・・・・」
「〈福音〉。安心して眠りな。あの男は、ここまで来て勝ちを逃すような甘ちゃんじゃない」
ボードレールの言に、魔神は泣き笑いのような表情を浮かべた。そして、それが消えて元の無機質な美形が戻るなり、辺りは一気に温度を下げた。戦場が白く煙った。
少なくともボードレールやイグニソスはラーマの精神が死んだことを悟り、代わって魔神の魔法力が増大したことを憂えた。
(モンデ・サイ・アデルやレベッカ・スワンチカも逝った。冥土への旅路は寂しくないだろうさ。次は僕の番かもしれないが、ただでベルゲルミル十天君の首をくれてやるつもりはない!)
「御曹司!賢者の石があると言えども、霧の抑制で手一杯です。このままでは、竜王の迎撃が・・・・・・」
魔神は霧に力を注入し続けている様子で、対抗するイグニソスの顔色は悪化の一途を辿った。レイやミスティンの騎士たちは何れも、近付いてくる大竜にぶつかるべく覚悟を決め、武器を手にしていた。
ボードレールは魔神への対処を一先ずイグニソスに預け、自身も竜王に当たる為陣形に参加した。そして剣を天に向けて掲げると、レイやアンナを元気付けるかのように言い放った。
「さあ、魔神や竜と遊んでやろうじゃないか。どうせ直ぐに、あの生け簀かない連中が世界を制するんだ。時間くらいは稼いでやって、せいぜい恩を売るとしよう。そういうことだ!」
***
「神具の緊縛。流石に脱出には骨を折りましたよ。リーバーマンさんは、魔法力を使い果たして脱落してしまいましたし。つくづく古代魔法技術の恐ろしさを知らされました」
アンフィスバエナは幾分生気を失った顔で言った。繭で動けぬノエルが心配するのは当然彼ではなく、胸を光線に貫かれたイビナ、すなわちゼロの肉体であった。
イビナは咳き込んだ後に口許より血を滴らせ、苦痛の色を隠さずにアンフィスバエナを睨んだ。
「・・・・・・鬼才よな。魔法への精通は、ウィルヘルミナをも上回るのではないか?」
アンフィスバエナの杖が振るわれ、もう一条の光がイビナの右太腿を射抜いた。
「ぐっ!」
「止めて!これ以上、ゼロの身体を傷付けないで!」
ノエルが必死に叫ぶも、アンフィスバエナの手が止まる節はなかった。やられるがままに光撃を受けていたイビナは、ようやくといった体で一つの魔法を発動させた。
立体的構造の魔方陣が二つ、綺麗に出現したかと思えば、直ぐに霧散して空間から消えた。それと同時にノエルを拘束していた繭が弾け飛び、身体の自由が取り戻された。
ハーフエルフの身体はぐらりと一度傾いてから、ノエルの方へと一歩を踏み出しかけ、そのまま地面に倒れ込んだ。
「・・・・・・ノエル、さん・・・・・・」
「え?」
「博士は・・・・・・先に、逝かれました。魔法で・・・・・・自らの精神を、消したのです・・・・・・」
ノエルは迷わず駆け寄り、ゼロに返された思しきハーフエルフの身体を抱き起こした。身体のあちらこちらを貫通されていて、出血量とダメージは深刻なものと映った。
ノエルの眼前に立ちはだかった男は、彼女に治療の時間を与えてはくれなかった。
「残念ですが、クルス・クライストに与する貴女たちを見逃してはやれません。皆が命を懸けた、この一連の闘い。ここは止めを刺させていただきますよ」
「・・・・・・イーノ・ドルチェもその弟子も脱落した。あなた一人でどうするつもり?」
「〈フォルトリウ〉の理念に基づき、私が世界を管理しましょう。心配は要りません。少数種族の迫害は決して赦しませんし、魔神も私が排斥してみせます」
「あなたの理屈でいえば、私たちエルフも遠からず〈フォルトリウ〉に庇護を求めることになるわけね。そして統治システムを護持する彼らが暗躍して、別の血を流させて私たちの命脈を繋ぐ」
「そうです。異なる種族間の共生を実現するに、最善の手立てです」
「・・・・・・私は嫌よ。種族の繁栄をこそ願っても、それが他人の犠牲の上に成り立つものと知ったのなら、気高く滅びを迎える方がましだわ」
「大元の盟約について言えば、かの魔神が悪魔種族を滅されないよう意図して作り出されたものかも知れません。ですが私が歴史を学んだ限りでは、異種族間の抗争において膨大な数の悲劇が積み重ねられ、たくさんの血が流されてきた。その連鎖を封じる為にも、種族保護の原則は有効であると断定します」
「見解の相違ね。きっと、神になったあなたは積極的に地上世界に干渉するのだわ」
「それが〈フォルトリウ〉の理念に従うのであれば、無論のこと躊躇はしません。むしろ組織が手を下すより、全能の神に裁きを下された方が、やられた側にとっても本望でしょう」
ノエルの内でアンフィスバエナへの嫌悪が決定付けられた。出立前、ノエルはネメシスよりクルスの計画を打ち明けられていた。
クルスは神となった後、アケナスとの関係を絶つと明言していたという。ネメシスの私見では、「神は心の支えであるくらいがちょうど良いと、私も思います。現実に超常の力で干渉を受け続ければ、人は考えることを放棄して、神を頼みに日々生きるようになりましょう。それではまるで奴隷のようではありませんか。・・・・・・だからと言って、クルスが神になるのを肯定しているわけではありませんよ?」とのことで、ノエルもこれを支持する者であった。
先に、能力的に不完全な四柱と相対しただけでも比類なき恐怖を味わったノエルからして、神が神の意思で人々の営みに干渉してくるなど、考えただけでも怖気のする始末であった。ノエルの腕の中で、ゼロが「私のことは、気にせず」と弱々しく呟いた。
紫紺の瞳できつくアンフィスバエナを睨み付けると、ノエルはゼロを優しく寝かせて立ち上がった。アンフィスバエナは常時戦闘態勢にあり、閉じられた目でノエルの動きを見守っていた。
二人が魔法を撃ち合わんと対峙している最中、大きな衝撃音が続けて数回、さして遠くない彼方から届けられた。クルスらとイルマリアの戦闘状況によるものと思われ、ノエルもアンフィスバエナも向こうの動きに注目した。
程無くして、石床を叩く二人分の靴音がどこか軽快さを伴って響いた。
「最後に残ったのは、そなたであったか。〈鬼道〉よ」
「・・・・・・アムネリア・ファラウェイ。それに、クルス・クライスト」
アムネリアとクルスは剣を握ったまま、アンフィスバエナを挟み込むようにして立ち位置を決めた。特にクルスに憔悴が目立ったが、二人の健在ぶりは明らかであった。
「クルス!ネメシス様は?」
「安心しろ。蠅の腹を叩き割って確保した。そのままお眠りさ」
ノエルが胸を撫で下ろしたのは、強敵を前にして三対一の形勢になったことも影響していた。アンフィスバエナの実力はここにいる誰もが熟知しており、流石にこの戦力差で負けることはなかろうが、何人が道連れにされてもおかしくないと警戒に値した。
剣を向けてくるクルスやアムネリアの気配を感じ取り、アンフィスバエナは手にする樫の杖の先端に魔法力を充填した。そうして重々しい声音でクルスに呼び掛けた。
「では、やりましょうか」
「そうしよう」
クルスとアムネリアは、もはや語ることもないと力強く地面を蹴った。ノエルはアンフィスバエナの魔法に対抗するべく、魔法抵抗に徹した。
クルスとアムネリアから近接戦闘を挑まれる前に、アンフィスバエナが素早く杖を振るった。その芸術的とも言える完成された動作からくるプレッシャーには、クルスと言えど怯まざるを得なかった。
ノエルは、アンフィスバエナの放った破壊魔法へ自らが作り出した防御結界をぶつけ、双方が共に消失する様を視認した。そして、すぐにそれが失敗であると気付いた。
アンフィスバエナは特技であるところの、二つの魔法を同時に発動させていた。ノエルにより破壊魔法が消し飛ばされたことで、隠れていた灰色の靄が表出した。濃密なる死の気配を漂わせたそれは、クルス目掛けてあっという間に収斂した。
(駄目!間に合わない!あれは・・・・・・確実にクルスの生命を奪う!)
ノエルは心中で絶叫した。靄は禁則魔法に相当する猛毒の気体であり、一個の人間が触れたのならば一発で命が失われること疑い無かった。
クルスに魔法抵抗を試みる時間は残されておらず、無心で突撃の姿勢を貫いた。そして、靄は達した。




