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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第七章 神々の黄昏
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5 楽園追放

5 楽園追放



 イルマリアと名乗った巨躯の蝿は、透明な羽を震わせて中空に停滞していた。異様に膨らんだ丸い腹部や昆虫類に独特の無機質な複眼は、自分達より大きいのであればこれ程醜悪に見えるものかとクルスを身震いさせた。


 イーノも蝿の出方を読めないようで、クルスへの敵意を脇において事態を窺っていた。


『代々、神に成り代わろうとする者たちが現れる度、この地は騒がされてきたものです。ですが、ここまでの愚行を目にしたのははじめてです。同胞を殺したばかりか、よもや聖堂までも破壊するに及ぶとは』


 クルスは体内への魔法力の回流で膝の止血を試みながら、イルマリアへと静かに抗弁した。


「やったのはおれ達ではない。寧ろここの関係者だ」


『ほう?』


 イルマリアの声は疑問の色を帯びており、クルスはそこに交渉の余地を嗅ぎとった。


「当人が自分は天使だと白状した。おれがここで聞いた話では、数百年前に地上に降ろされた赤子がいたという。おそらく同一人物だろう。アケナスではイビナ・シュタイナーと名乗っている。・・・・・・今は、ハーフエルフの娘の体を占拠している」


『成る程。499号が生きて戻ってきた、と。ではこの地で暴虐の限りを尽くす目的は、出生の秘密に対する怒りの発露なのでしょうね』


 イルマリアの口部から糸状の生体物質が噴射され、驚くべき速度でクルスとイーノの身体を巻き締めた。アケナスでも最高峰の身体能力を誇る二人であったが、対処の暇を全く与えられなかった。


 首から下を繭のような白い物体に固定され、クルスは完全に身動きが取れなくなった。繭の内側から力を入れるがびくともせず、魔法に至っては明らかに発動が阻害されていた。


「何を・・・・・・!」


『私は天使長イルマリア。先ほど言った通りです。あなた達に審判を下します』


「だから、おれ達は天使に手を出していない!」


『それはこれから確かめます。そら、799号が出て来たようですよ』


 首だけを動かしてクルスは背後を見やった。瓦礫を踏み締めて軽い足取りで現れたのは、ゼロの姿をしたイビナ・シュタイナーであった。イビナの無事を視認したイーノは、表情だけでその事実を訝った。


(〈フォルトリウ〉の幹部を二人、単独且つ無傷で退けたというのか?)


 イーノの浮かべた疑問符に気付いたのか、イビナは近くまで歩み寄ると、たいしたことでもないといった口振りで答えを告げた。


「イドの魔石の力を解放してやった。魔法力を消失させるあれの特性を活かし、絶魔の牢獄を作り上げたのだ。可哀想だが、あの二人にはしばらく閉じ籠って貰う」


 イビナは中空に浮遊するイルマリアを見上げ、両腕を仰々しく広げて語りかけた。


「やっと御出座しか。同族全てを殺し尽くさねば出て来ぬものかとやきもきさせられたぞ。母なる存在よ」


『499号よ。汝は331号の気の迷いにより、人格が形成される前にここを離れました。ならば、どのようにして全てを知ったものか?』


「なに。フィールドワークは学問の基本だ。この地や天使が連綿と歴史を紡いできたのだから、痕跡はアケナスの方々に落ちていたさ。幸い無限に等しい時間にも恵まれていた。明瞭な答えを見出だしたのは、サラスヴァティの話を分析してからだがね」


『カナンの転生体・・・・・・あの者がビフレストを渡ってきたとき、流石に私も運命を感じずにはいられませんでした。これを見越してカナンは、この地と地上を繋ぐ橋を残しておいたものかと』


「お陰でこの老体に生きる目的が出来たんだ。やはりサラスヴァティは良き友であった」


『同胞を殺戮して何とするのです?』


 イルマリアの声には抑揚がなく、傍らでイビナとの問答を聞いているクルスの目には、この天使長の性格が酷く冷淡なものと映った。イビナはゼロの細腕を掲げて印を切ると、自身の周囲に魔方陣を展開させた。その術式はクルスの知らぬ構成をしており、古代の魔法の中でも一等古い部類に当たろうと推察された。


「模造品を濫造することでしか維持できない、偽りの楽園を破壊する」


『フフ。この地が廃れ、管理者までもが消え失せたなら、地上から文明は一掃されるでしょう。魔神なる天敵をどう抑止するというのです?』


「小僧・・・・・・いや、クルス・クライストよ。このクラナドの命数などとうの昔に尽きているのだ。今ある天使は、一部氏族の末裔が残した断片情報からこの歪なる母胎が模造した人工体だけ。私にしてもそうだ。自分達の出自と待ち受ける緩慢な滅びを嘆いた同胞たちの手により、私だけが地上に降ろされた。肝心要の母胎は固有の遺伝子情報を有する正真正銘の天使であるが、それ。そこなイルマリアを見よ。同胞を製造することに特化し生体を改造した末路がこれだ。身を悪魔に近しい姿にやつしてまで、天使なる種はこの地とアケナスに君臨せねばならぬのか?ここは何の地獄か?」


 イビナに水を向けられた形のクルスは、明かされたクラナドの窮状に言葉を失った。延命の為に製造されているという天使。その母たるは、目の前に浮かぶ醜悪な外見をした蝿と見紛う天使長であるという現実。


 何れも短い時間で消化のしきれる内容ではなく、クルスはひたすら押し黙っていた。それでも決戦の刻が迫っていることは知れて、どうにか繭から脱出出来ないものかと陰ながらもがいた。


「イルマリアよ。母よ。貴女といえど、もはや製造余力が少ないと聞いたぞ。私の殺した同胞たちが口を揃えて言っていたよ。母と、そして対なる存在と共に、双方を楽にしてやってくれとな」


『・・・・・・汝は我が子。それが出来ないことは、肌で感じているのでしょう?』


「勿論だ。私には、貴女やベルゲルミルを害する意思がそもそも持てない。模造品は始祖に逆らうことが許されていないからだ。つまりは、システムの条件付けなのだろう?」


 そのイビナの発言を聞き咎めたのはイーノで、彼は吐き捨てるような口調で言った。


「そういうことかよ。魔神だ四柱だと大層騒いでみたところで、結局はクラナドで起きた分裂闘争の落し胤に過ぎなかったというわけか?」


「ああ。この地を追放された始祖の一人がベルゲルミルだ。彼女とはスペクトル城で見えたが、アケナスで悠久に近い時を費やしてなお、意識の根底に故郷への思慕が残留していると見て取れた。即ち、かの魔神をして魂を永続させているものは、この地への郷愁なのだ」


「・・・・・・あいつも。ヴァティも詰まるところ、天使の輪の内で使命感に燃えていただけだってのか?どいつもこいつも、瀕死の蝿共にたかられて、人生を闇雲に狂わされていたってことか!」


「それは違うぞ、イーノ。天使種族には、アケナスの管理者を補佐する役割が与えられていただけだ。神話を紐解いてみて、管理者である神が出張ることはあっても、天使が主体的に世界を動かさんとした記録はない。サラスヴァティは自身の境遇を受け入れた上で、己が意思でアケナスの安寧の為に行動したのだ」


 イーノはちっと舌打ちをすると、どんな手品を使ったものか、全身を巻いていた繭を内側からの圧力で吹き飛ばした。唖然とするクルスやイビナを前に、その場で背を向けて全てに拒絶の意思を示した。


「馬鹿らしくなった。俺はもう下りる。後は、貴様らの好きにするんだな」


「イーノ?」


 それだけ言うと、イーノは近くに倒れていたアイザックを無造作に肩に担ぎ上げ、しっかりした足取りで立ち去った。イルマリアを含め、その場にいた誰も彼を制止することはなかった。



***



 息を切らせて駆け付けたアムネリアとノエルは、蝿と酷似した巨大生物に相対するクルスとイビナを視界に収めた。イビナは展開させていた魔方陣を操作し、某かの魔法を発動させた。するとクルスの身動きを束縛していた白い繭が派手に千切れ飛んだ。


「クルス!無事か?」


「クルス、怪我は・・・・・・!」


 アムネリアとノエルは側に寄るなり 、クルスの戦傷を確かめた。傷の手当てをしようにも、眼前に浮かぶ巨大な蝿からは奇妙なプレッシャーが発せられており、アムネリアとて迂闊な行動は取れなかった。


(イビナ・シュタイナーとは一時共闘といったところか。ネメシス様の安否が判明するまでは致し方あるまい。それにしても、こやつは悪魔か?)


「天使たちの母にして長だそうだ。イルマリアという」


 まるで思考を読まれでもしたかのようなクルスの適切な回答に、アムネリアは驚きを禁じ得なかった。しかし付き合いもそれなりに長くなったものかと、自然と得心した。


「・・・・・・ほう。それで、そこな博士と肩を並べているところを見ると、あれを我らが敵と見做したか?」


「おれたちの敵と決まったわけではないがな。ネメシス様がいないわけだから、今のところ選択権などないのだろうよ」


 クルスの言葉にアムネリアとノエルは頷きを返し、一先ず最低限の状況を理解した。


『金髪の女人であれば、私が一人保護していますよ』


 割り込む形で新しい情報を提示してきたイルマリアへと、皆の注目が一斉に集まった。それに反応するかの如く、丸々と太った蝿の腹部が淡い緑光を発して体組織を透明に変容させた。


 イルマリアの腹の内には、丸まって膝を抱えたネメシスが収まっていた。ネメシスは目を瞑って動かず、傍目には生死の区別がつかなかった。


「ネメシス様ッ!」


 クルスとノエルは声を張り上げた。アムネリアは冷静に周囲を観察し、特にネメシスを手中にしていた筈のイビナの動向を注視した。


『この地は我が家。どこに何者が潜んでいようと、知る術には事欠きません』


「ネメシス様は・・・・・・お前の腹の中で、生きているのか?」


『生命活動は停止していません。便宜的に格納しただけです。私が発見したときには、既に魔法で眠らされていましたよ』


「ネメシス様を返して貰おう。そうすれば、おれ達はお前と敵対する理由がなくなる」


『さしてこちらに得の生じる提案とは思えませんね。この生体を我が身に取り込めば、幾つものいきの良い子を精製出来るのですから・・・・・・』


 イルマリアが言い終わらない内に、クルスはアンスウェラで強襲した。腹部に叩き付けられた剣は、硬い甲羅でも打ったかのような硬質の衝撃音を伴って弾き返された。


 クルスが動いたことで、ノエルもまた風属性の魔法を準備した。


「待て!クルス、ノエル。早まるでない!」


 アムネリアが迫力のある声で抑止すると、戦端は直ちに閉じられた。相変わらずイビナは動きを見せておらず、ただ成り行きを見守っているだけであった。


 アムネリアはクルスの斬撃にも動じていないイルマリアへと、この場の核心に迫る問い掛けを発した。


「天使の長よ。私はクーオウルの神官にして、カナル帝国に仕えるアムネリア・ファラウェイという者。そなたに問いたい。私とそこなクルスは一度この地を訪れた際に、アケナスを統治するシステムというものの更新について話を聞いた。此度、この地に不足する天使の資格を有すると思しき血族を伴ったが、これにより神を、アケナスの管理者を刷新することは可能であろうか?」


『貴女たちがビフレストを通過し、正規の手続きを踏んでこの地に入ったことは承知しています。ここ五百年でただの二例目、それもついぞカナンの転生体が足を踏み入れてすぐのことでしたからね』


「回答は?」


『肯定です。そこな子に少なくない子らを処分されましたが。まだ貴女方が連れてきた有資格者の数が勝ります。499号の血を分けし者たち。フフ・・・・・・因果なものですね』


「天使種族の補佐が得られ、管理者権限を更新出来る、と。それでは、後はあなたの信任が必要ということになるのか?」


『何か勘違いをしているようですね。私たちは貴女方の上位者ではありませんよ?補佐といっても、管理者が権限を行使するに及び、私たちは一方的に力を吸われるだけ。システムにおいては、天使などと言ってもただの道具に過ぎません』


 イルマリアは胴体に生え揃う複数の脚から器用に一本だけを伸ばすと、瓦礫の向こうを指し示した。


『聖堂の奥はエウレカに身を置き、世界の規範を思い願えば全て叶うでしょう。天使の数が足りていれば、それだけの話です』


 アムネリアは小さく頷き、空かさずクルスとノエルに檄を飛ばした。


「そうと分かれば話は早い。クルス!ノエル!ネメシス様を!」


 クルスはアムネリアの前ということも厭わずフィニスの力を解放し、アンスウェラへと炎を巻き付けてイルマリアの頭部に斬りつけた。ノエルは空気の流れを操り、イルマリアの移動を妨げに掛かった。


 クルスの一撃は先般と同様硬い表皮に跳ね返されたが、青白く燃える炎は負けじとそこに留まり、イルマリアの体を焼かんと熱量を上げた。


「駄目よ!フィニス!」


 アンスウェラとの〈パス〉が細る様を見届け、ノエルが絶叫に近い声を上げた。クルスが再び斬り込むにつけ、遂にイルマリアが動いた。頭部を炎に焦がされながらも口中より粘った糸を射出し、たちどころにノエルを雁字搦めにして動きを封じた。


 クルスは回り込むようにして糸の射出口から逃れ、無駄を承知の上で斬撃を繋げた。アムネリアは華麗な足運びで自分を狙った糸を回避すると、ノエルを束縛している繭状の糸に斬りつけた。


 剣は弾性によって妨げられ、繭を裂くことは出来なかった。アムネリアは重ねて剣を振るうが、打開の糸口は掴めなかった。


「・・・・・・面妖なるかな。ノエル、内側からの作用は出来ぬか?」


「駄目・・・・・・アムネリア、私のことはいいから。ネメシス様を!」


 アムネリアは少しの間だけ逡巡し、またも放たれたイルマリアの糸を飛びすさってかわすと、その足でクルスの援護に向かった。繭に悪戦苦闘するノエルに対して、イビナが平時と変わらぬ態度で声を掛けた。


「私の魔法で解除してやってもいい。あの天使の成れの果てに、引導を渡してくれるのであればな」


「・・・・・・ネメシス様を人質に取られていないのだから、あなたの私怨に付き合う義理はないわ」


「手厳しいな。天上の楽園などと呼ばれしこのクラナドが、そもそも世界の有り様を歪めている。私はただ、それを除いてアケナスから一つの負の連鎖を断ち切りたいだけだ」


 言い終えて自嘲の笑みを浮かべるイビナであったが、ノエルの瞳に彼の苦悶の表情が映るのに然程時間を要しなかった。突然エルフの肉体を一条の光線が刺し貫き、目を見開いたイビナは口許から血を滴らせ、地に膝を付いた。


「イビナ・シュタイナー博士。我ら〈フォルトリウ〉は、天使とクラナドの永続を願います。一方的に平等を押し付けられることは、発展途上の種族にとり迷惑千万な話。種族補完の観点からは到底許容出来ません」


 魔法を撃ち出した杖の先端部から煙を立ち上らせ、アンフィスバエナが重い足取りで迫ってきた。ノエルはゼロの身体を無下に扱った相手に対して、無言のままで怒りの込められた視線をぶつけた。




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