4 天の座
4 天の座
ネメシスが拉致されたことを知り、クルスは烈火の如く怒った。しかし生き証人たるアイザックに当たり散らしたりはせず、見た目神妙にして此度の戦で還らぬ者となった仲間たちへの鎮魂の祈りを捧げた。
クルスは後方より呼び寄せた補給部隊や銀翼騎士団と共に夜営の環境を整え、集められた負傷者を安静な状態に配した。その頃には空が白み始めていて、満足のいく休憩をとることなど望むべくもなかった。
急拵えの天幕の中には、クルスの他にラファエルとアンフィスバエナが席を同じくしていた。以後の行動を決めるにあたり、この三者が抱える組織間においてのみ意思の疎通がなされていなかった。
「つまるところ、クラナドヘ上ったその時から、おれたちは敵同士に立ち返ると言うわけだな。少なくとも魔神を倒すまでは、連携を取りたくもあったが」
「残念ですね。種族補完の盟約を遵守するとさえ約束してくれたなら、貴方と共生する道もあったでしょうに。私個人は〈幻魔騎士〉の弟子に執着などないのですから」
〈フォルトリウ〉の残り少ない幹部であるアンフィスバエナは、アケナスに根差す種族の永続を願う立場を崩さず、神が天使の統治システムを用いて種族断絶に禁忌を科す現行体制の存続を望んだ。クルスとてその理想は承服出来たが、諸国の背後で政治や軍事を操り、時として悪魔の専横にも目を瞑る〈フォルトリウ〉の姿勢には断固対決の意思を示した。
アンフィスバエナが如何なる事情によって最後の勇者イーノ・ドルチェと手を結んだかまでは分からなかったが、エデンという出自の知れぬ青年に神位を託す心境は、クルスの想像の域を遥かに越えていた。
「イーノの連れていた弟子、エデンと言ったか。お前たち〈フォルトリウ〉は、奴を神に据えるんだな?・・・・・・いや、あのエルフの一族長も候補者になるのか?」
「正しくは、同志である各種族の代表者が皆、候補者足り得るのです」
「ダークエルフ・・・・・・エストは死んだろうが。混沌の君ももういない。アルヴヘイムの妖精に至っては、次代の王を決めかねている。これは聖タイタニアが偉大過ぎたせいだろうな」
クルスは〈フォルトリウ〉の組織的不備を軽く突いたつもりであったが、予想外にラファエルが反応を露わにした。
「巨人と獣人の主力兵団はミスティン近郊で滅んだ。そしてドワーフの王国には、今やこのクライスト以外は影響力を行使出来まい。アンフィスバエナよ。人間とエルフの代表だけを神の座に据えて、お前たちの理念が堅持されると本当に信じているのか?」
「それは、痛いところではあります。ですが、あの〈幻魔騎士〉がそれを見越して提案してきたのです。私心を完璧に捨てられる人材の用意があると。その者であれば、己が種族を優遇することなく役割としての神位を全うするであろうと。・・・・・・私が見たところ、あのエデンという男の本性は無色透明です」
「詭弁を弄するな。お前やイーノ・ドルチェの鑑定眼にアケナスの未来を委ねるわけにはいかない。〈フォルトリウ〉の企ては、私が阻止させて貰う」
「ラグナロック卿。それでは、貴方はそこなクルス・クライストに味方すると?」
「いや。エデンという人物同様に、クライストの人格をして神を名乗ることも受け入れ難い。定めしお前たちを排除して、私は別の道を採る」
ここへ来てのラファエルの決別宣言に、クルスとアンフィスバエナの表情が一段と締まった。クルスは挑発的な態度でラファエルの所見を促しに掛かった。
「人を小馬鹿にしてくれたんだ、〈翼将〉。貴様は、さぞかし高尚な計画を練っているのだろうな?」
「ないでもない。かつて竜王は言っていた。聖神カナンは、魔神に打ち勝てない理由をクラナドの力の分散によるものと見ていたと。ならば、今もって現存する神に力を集約させるという手立てが考えられる。少なくとも、ぽっと出の輩よりかは神としての力を発揮できようし、何より精神も高潔だろう」
ラファエルの主張には要点が二つあり、一つにクラナドでアケナスの管理者権限を上書きし、神を絞るという線は他の二者と考えを同じくしていた。これは、三者何れをして計画の拠り所に竜王が関与しているからに他ならず、二つに異なる箇所は人選のみであった。
「具体的に、どの神を指すのです?」
「竜王だ。あれは四つ身となったシュラク神の化身。他の三柱やカナンをはじめとした主神と違い、転生を繰り返したこともなければ封印を施されてもいないので、精神的な安定感がある。そして何より闘争に飽いている。世界の管理者として責の一翼を担う意思が欠片でもあれば、魔神の打倒に協力するかもしれない」
ラファエルの推論に一定の筋が通っていると見たアンフィスバエナは、即座の反論を控えた。一方のクルスは神剣アンスウェラを手に取り、ラファエルに敵意を見せ付けるようにして反意を述べた。
「貴様の剣だ。おれはこれを竜王より継いだ。竜王やリヴァイプ、ディアネらを神位から解放する条件でな。だから言わせて貰うが、旧き神々は未来を切り開く存在に相応しくない。貴様のやろうとしていることは、責任を歴史に押し付けることと同義だ。自らの力で立たない奴に、アケナスとカナル帝国の存亡を託させはしない」
「耳に痛いが、理想を実現するだけの力がお前にあるのか?正義を語るに実力を伴わないのであれば、単なる夢想家と呼ばれても仕方あるまい」
「おれとこいつの力を確かめたいのであれば、遠慮はいらないぞ。クラナドで掛かって来るんだな、〈翼将〉」
掲げた剣を下げず、クルスは一歩も引かない姿勢を明確にした。アンフィスバエナは軽く笑声を漏らすと、やおら椅子から立ち上がり、瞼の下りた目を二人に向けて演説をぶった。
「面白いことになりましたね!魔神との決戦を目前にし、まさか最終戦力が割れるとは。ですが、はじめから分かっていたことです。我々の内何れも、互いを真に信用などしていなかったのですから。共通しているのは、魔神を制してアケナスの平穏を取り戻すという使命感だけ。それもまた良いではありませんか。結果的に誰が勝つにせよ、魔神が淘汰されるという結末さえ約束されているのならば、ここで命を懸けることに悔いはありません」
アンフィスバエナは懐から石を一つ取り出すと、無造作にクルスへと手渡した。それは万魔殿を封ずる目的でノエルより譲られた賢者の石であった。四柱との闘いの後、彼はクルスに依頼され、律儀にも石の力を用いて行方が知れぬネメシスの捜索を試みていた。
竜玉と対をなしてクラナドヘ上る鍵であり、かつ強力無比な神具をみすみす手放したアンフィスバエナの行動こそ、袂を分かつという最後通牒であろうとクルスは受け取った。
「石の力で痕跡を辿りましたが、やはりこの地でぷつりと途切れていました。生き残りの傭兵が言う通り、カナル女帝の身柄はクラナド、ないしはそれに関連する何処ぞへと転移させられたものと思われます」
「・・・・・・そうか。この点に関しては礼を言わせて貰う。イグニソスにも竜玉を使わせて追跡させたが、徒労に終わった。奴の狙いはいまいち判然としないが、クラナドに用があるというのだから、このまま上がれば遠からず判明する理屈だ」
「クルス・クライスト。〈烈女〉を退け、カナル女帝を誘拐した相手を、貴方は知っているとでも?」
アンフィスバエナと同じ疑問を抱いていたラファエルは、やはりクルスの反応を確かめるべく腕組みをしてじっと答えを待った。三者ともに、天幕の外に近付く人の気配を感じてはいたが、ここへ来て人払いをする理由もないと敢えて捨て置いた。
クルスは遠い目をして天井付近に視線を逃がした。微かに浮かんだ表情には、怒気以外に寂寞とした感情が入り雑じっており、それを観察したラファエルは誘拐犯の素性をクルスの縁者であると断定した。
「アイザックの言葉を引用すれば、奴はゼロの肉体を借りていた。そして自身が天使種族であると名乗り、おれを旧姓名で呼んだそうな。・・・・・・該当人物に心当たりがある。イビナ・シュタイナー。ヴァティの戦友にして、悠久の時を生きる博士さ」
***
天幕を出たアンフィスバエナやラファエルと入れ替わる形で、アムネリアとノエルがクルスを訪ねて来た。クルスは二人が聞き耳を立てていたことを知っており、余計な説明を省いて手近な椅子に招いた。
アムネリアとノエルが椅子に腰を落ち着かせると、クルスは緊張を解きほぐすように首や腕を軽く回した。ノエルは椅子ごとクルスの傍に寄り、ぐっと顔を近付けて言った。
「結局のところ、イビナ・シュタイナー博士は何がしたいのかしら?敵対する意思があったのなら、石塔で私たちに竜玉を渡さなければ良かった筈だし」
至近にあるノエルから心地の良い体臭が香り、それによりクルスは清廉なる深緑の息吹を連想した。その香気には、クラナドヘと逸るクルスの心を穏やかに鎮める作用があった。
「・・・・・・博士がゼロの身体を乗っ取っていると仮定して、少なくとも我々が岬を訪れた時点ではゼロの意識が残っていたのやも知れぬ。そう考えれば、竜玉の件だけは説明がつく」
そう推測を口にしたアムネリアは、濡れた黒瞳でクルスを正面から見詰めていた。その視線は慈愛に満ちた優しい光を湛えており、ネメシスの失踪に止まらずレベッカやシエラ、エストらを死なせたことで自責の念に駆られているクルスをそっと癒した。
議論を続けてもイビナ・シュタイナーの行動目的は読めず、クルスは話題を〈フォルトリウ〉や〈翼将〉との来るべき対決に転換した。ファーロイの二人に協力が見込める闘いでもない為、ここにいる三人の他にはアイザックの加勢が全てと言えた。
「エレノア・ヴァンシュテルンを待てないかしら?それならフラニルたちも合流出来るし、ワルドだって来てくれるかも・・・・・・」
「〈翼将〉の話では、ミスティン騎士団は王都の西方で戦っていたらしい。敵の数と質からして、簡単には終わらないだろう。エックスの増援が間に合って五分。アストレイの奴が群狼騎士団を動かして、ようやく優勢といったところか」
クルスは厳しい見立てを披露したが、心の底ではフラニルらの勝利を疑っていなかった。ただし、こちらの動きに間に合うとも思っておらず、何より巨人族や魔境の悪魔を相手にして犠牲の出ない計算など、いくらなんでも荒唐無稽に思われた。
アムネリアは至極冷静な口振りで、クラナドにおいて敵となる、先程まで共に闘っていた面々の戦力を評価し始めた。
「ラファエル・ラグナロックはイシュタル・アヴェンシスを伴うであろう。ベルゲルミル十天君が二人で、うち一人は大陸最強と噂される強騎士。間違いなく脅威の組み合わせだ。対して〈フォルトリウ〉には当代最高のマジックマスター・アンフィスバエナがいる。供をするのはエルフの一族長か。それだけなら〈翼将〉の後塵を拝することになるのだろうが、これに加えて〈幻魔騎士〉の存在がある。彼についてはクルスの方が詳しい筈だな」
「イーノには誰も勝てない。あいつは戦士として完成されている。弟子の力は未知数だが、古城で見た限りイーノの幻術をよく継承していた。この二人が裏切らないのなら、〈フォルトリウ〉にはまず勝ち目がない」
「ふむ。ラファエル・ラグナロックとてその辺りは理解しているのではないか?利害が一致するようであれば、一時的に共闘を選ぶ道もある。・・・・・・それに、完成された人間など想像の産物に過ぎぬ。そなたが勇者サラスヴァティのパーティーに畏敬の念を抱く気持ちは分かるが、必要以上に縮こまられては困るぞ」
「・・・・・・アムはイーノの戦いぶりを知らないからそう言える。現に、あいつは古城で〈白虎〉をも退けた。一か八か、相討ち覚悟でおれが仕止めるしかない」
「ならば、私がやる」
「そうそう。アムネリアに任せましょ」
アムネリアとノエルの提案にクルスは面喰らった。
(これほど言っても伝わらないのか?イーノを正面から制することは出来ない。裏をかく手立てがあるとすれば、この剣に秘したフィニスの力だけだ)
「クルス。そなたはなまじ責任感が強いからな。絶対に負けない方法を模索して自棄になっていては本末転倒だぞ。我々の目的はなんだ?イーノ・ドルチェやラファエル・ラグナロックと力比べをして勝つことか?違うであろう?」
「〈幻魔騎士〉が立ちはだかるならアムネリアに任せればいい。〈翼将〉は私が足止めしてあげる。クルスは大変よ?まずはネメシス様を救い出すこと。それにゼロの身体も取り戻さなくちゃ。最後の仕上げが、ラーマ・フライマこと魔神の討伐よね」
二人は笑顔を覗かせ、愚図る童をあやすかのようにゆったりとした調子でクルスへ言い聞かせた。近親者の保護に優先順位が設定されたことで、クルスははっとさせられた。己が尽く敵を葬らねばならぬという狭められていた視野に気付かされ、額に手を当てて反省した。
「・・・・・・そうだな。勝敗を勝手に予想して悲観的になるなど、今更無意味な話だ。クラナドで天使を動かして神になる方法の一つも知らないんだから、ネメシス様の救出を一義に挙げるとしよう」
「それで良い。全力でサポートさせて貰う」
「はは。アムにそうまで味方されると、何だかこそばゆいな。そなたは私の盾となって盛大に散れ、くらいは冷たくされないとしっくりこない」
「どんな人非人だ、それは!」
アムネリアは抗議の声を上げるが、このやり取りはもはや恒例行事であり、ノエルも黙って見守っていた。否、黙ってはいたが、傍らでクルスの脇腹をちくりとつねり上げていた。
脇腹の痛みに耐えて笑顔をひくつかせているクルスを、アムネリアは改めてじっと観察した。バレンダウン近郊の村落で出逢って以来、早数年が経過していた。クルスは〈リーグ〉傭兵の700というスコアに不釣り合いなほど戦い慣れしていたし、アムネリアの目には歳の割に若々しく映った。しかし、今もってクルスに経年の疲労や老化などは殆ど窺えず、むしろ熱い心と衰えない行動力から、いっそう生き生きとして見えた。
(とことん悪意の無い男であったな。意識して明るく振る舞っていることは、最初から分かっていた。無理もない。ニナ・ヴィーキナの悲劇における、唯一の生き残り。勇者サラスヴァティの忘れ形見だというのだから。・・・・・・あの時。チャーチドベルンで決裂した折に、あそこでクルスと雌雄を決していたなら。そうであれば、私は未だルガードから精神的な卒業を果たせていなかったに違いあるまい。その場合の未来と現在、果たしてどちらが愛に恵まれた人生であるものかなど、クーオウル神とて判断はしかねるであろう。自分の選択に悔いはない。いや・・・・・・一つだけ、あるか。クルスよ、そなたとは長く共にあったが、寄り添って生きる未来だけはついぞ夢見が現実味を帯びることはなかったな。いち傭兵といち神官。結ばれるにあたり決して不足はなかった筈なのだが。男と女、物事を難しく考えては、往々にして上手く行かぬものだ)




