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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第七章 神々の黄昏
122/132

  死と夜の残滓-3

***



 アイザックの強烈な斬り上げがアイオーンの片翼を大きく裂いた。それに連なる形で、ボードレールが流し斬りを華麗に決め、アイオーンは前のめりになって倒れた。


 イグニソスは預かる竜玉から大きく魔法力を借り受けると、アムネリアが氷撃を放つに合わせて円錐形の巨大な氷柱を創造した。それは天より高速で落下し、臥せったまま氷で動きの封じられたアイオーンへと突き刺さった。体の中心を貫かれたアイオーンは、野太くけたたましい叫び声を上げた。


 クルスは素早く駆け寄ると、アイオーンの首を一刀の下に落とした。そうして炎の魔法で念入りに遺骸を燃やし尽くすと、ようやく決着を意識することが出来た。


 周辺の悪魔を蹴散らしていたレベッカが歩み寄り、一同は四柱の一角を打倒したのだと改めて確認した。だが、その為の被害は甚大で、カナル軍の左翼は消滅したと考えて差し支えなかった。


「・・・・・・<リーグ>の連中にはすまないことをした。敵が、こんなにも早く切り札を出してくるとは」


「クルス・クライスト。大なる犠牲の出ることなど分かっていた話だ。言っても詮無きこと。ファラウェイよ、それで次はどうする?」


 疲れを表に出さぬレベッカの問いに、アムネリアも弛緩した様子を見せないままで答えた。


「四柱らしき戦力は右翼にも現れていた。故に直ぐにでもノエルらと合流せねばなるまい。だが、陛下の安否も気になるところ」


「・・・・・・よし。レベッカとアイザックは陛下の下へと急いでくれ。おれとアム。それにファーロイの双璧はこのまま右翼に向かおう」


「双璧だなどと、勝手な異名で呼ばわないで貰おうか。・・・・・・<列女>は貴重な戦力だよ。四柱と連続して闘り合うのに、メンバーから外して良いのかい?」


 ボードレールは本気で反対しているといった気色ではなく、あくまで確認の目的でクルスへ訊ねた。


「貴重だからこそ、だ。総力戦には違いないが、万一陛下に何かあれば戦後のアケナスを待ち受けるは、戦乱のみと成りかねん」


「ふうん。あの皇帝を随分と高く買っているんだね。まあ、邪気の少ない稀有な為政者であることは確かだ。でも、あれで鐡宰相や〈北将〉のようなやり手と互していけるかな?優しくて心が強いだけでは、政治というものは決して御し得ない」


「知ったことか。おれは政治なんて知らない。気持ちの良い主君を旗頭と仰いだ方がやる気は出る。単純に、ネメシス様をお慕い申し上げているからこそ、あの御方以外の統治者など真っ平なだけだ」


 クルスのその発言にボードレールやレベッカは眉をひそめたが、イグニソスなどは「成る程」と呟いて一定の理解を示した。アムネリアは場に議論へと発展しそうな気配を感じ取り、代表してクルスに注意を喚起した。


「クルスよ。そろそろ行動に移るぞ。我々が楽をしている分、右翼の四柱を迎撃に出たノエルに負担がいく」


 クルスは頷き、皆に出発を命じた。既に馬は影も形もなくなっていたので、一同は徒歩で二手に別れた。


 移動の道すがら、前触れなく悪魔が活動を停止するという異常な事態に遭遇した。これは右翼で何事かあったに違いないと、クルスやアムネリアはますます歩調を速めた。


 レベッカとアイザックは、もはや陣形の存在しない、瓦解した後軍の跡地へと到着した。物言わず石像の如く立ち尽くす悪魔たちの周囲には、力尽き倒れた騎士たちの冷たくなった骸が散見された。


 夜の訪れと共に地獄でも開けたのかというその凄惨な光景には、普段感情の起伏に乏しいアイザックですら胸の奥に鈍い痛みを自覚させられた。レベッカは倒れ伏す遺体の中に、数少ない見知った姿を発見した。


 レベッカは、マジックマスターのローブを着込んだ少女の顔を確かめるべく地に膝を付き、前髪を避けてまじまじと表情を見詰めた。そして懐から手拭いを取り出すと、少女の細面を汚している土や煤を払ってやった。


 二人とネメシスの合流が叶ったのは、その直後であった。レベッカは挨拶もそこそこに「失礼」と言って皇帝の身体を改め、足の具合が良くないと知るや魔法で応急手当を始めた。その間、アイザックは周辺を隈無く眺めやって奇襲を警戒していた。


「有り難うございます。レベッカ・スワンチカ。それで、戦況は如何ですか?貴女方がここに来られたということは、四柱を制する流れにあると見て良いのですね?」


「はい。左翼に出現した四柱と思しき敵戦力は制圧しました。クルス・クライストとファラウェイ、それに〈流水〉の一味は右翼の援護に向かっています。クライストの指示で、我々が陛下の守護へと駆け付けた次第です」


 道中起こり得た悪魔の停止状態については、レベッカは右翼の戦闘状況に原因があるかもしれないと告げるに止めた。ネメシスは万魔殿に何事かあったに違いないと推察しており、レベッカとアイザックに力強く主張した。


「きっと、ノエルがやってくれたのでしょう。彼女には窮地を打開する実力や勇気があります。例え相手が神の化身も同然という存在であろうと、何するものではありませんから」


「・・・・・・はっ」


 レベッカはただ畏まるしかなかった。大国の君主がいち家臣を、それもエルフの娘をここまで信頼し、それを臆面なく言葉にするなどということは、グラウス治世のベルゲルミル連合王国では考えられない話であった。


 その上で、ネメシスはレベッカに頭を下げて強く迫った。


「レベッカ・スワンチカ。どうか貴女もノエルの援護に向かってはいただけませんか?悪魔がこうなった以上、この場はもう安全です。であれば、残りの四柱を打倒する確率を高めるべきです」


「それは危険が過ぎましょう。悪魔共が動きを止めた確たる理由は分かっていないのです。そして味方の戦列は散り散りな上、生き残りを探す方が難しい状況。玉体を守りたいと私を遣わせたクライストの思いを、どうかここは御汲みいただきたく」


「クルスの・・・・・・」


「左様にございます。陛下の欠けたる世界に面白みは無しと、ボードレール公子を相手に啖呵を切っておりました。あれは迫真であり、ここでおいそれと陛下のお側を離れれば、私がクライストの不興を被りましょう」


 レベッカの迂遠な説得は奏功し、ネメシスに発言の撤回を選択させた。そうして広がりつつある黒天の下、ぽつねんとその場に留まる三人であったが、その場に予期せず霧がかかり始めた。


 レベッカは周辺からの底知れぬ圧力を感知し、剣の鞘を払った。それを見たアイザックは、レベッカと挟み込むようにして、ネメシスを護る配置についた。


「・・・・・・魔神の霧の力は、ファーロイのイグニソス卿が竜玉の力で中和していると聞いていたが?」


「どうやら、無粋の輩が紛れ込んだようだな」


 アイザックの問いに短く答え、レベッカは尋常でない鬼気を発する敵の出現を待った。霧はなおも深くなり、夜の闇をも灰色に染め上げて煙った。


 果たしてその者は霧中より像を結び、レベッカらの前に歩み出た。真っ先に反応を示したはアイザックで、信じるままに知己の名を呼んだ。


「ゼロ?今までどこにいた。出撃前に姿を見せなくなったから、クルスも心配していた」


 アイザックの呼び掛けには応じず、フード付きの外套を肩にかけたハーフエルフの女は、その場の最高権力者へと真っ直ぐに語りかけた。


「ネメシス・バレンダウン。一緒に来て貰おう。カナンの定めし資格こそ満たさないが、天上の楽園クラナドヘと招待する」


「私を、クラナドヘ?」


「・・・・・・貴様は、誰だ?」


 構えた剣先をハーフエルフへと向け、レベッカが厳しい顔付きで質した。ハーフエルフはレベッカを一顧だにせず、抑揚のない調子で答えた。


「たかが剣士に答える言われなど無いのだがな。私はネメシス・バレンダウンと会話している」


「クルス・クライストの依頼があってな。もう一歩でも動いてみろ。不審者としてここで成敗する」


 アイザックも前に出て、ハーフエルフへの威嚇を担った。目の前のハーフエルフの態度から彼のよく知る仲間ではないと察し、からくりは分かるべくもないが、彼は元々気後れなどとは無縁の戦士であった。


 ハーフエルフは二者が自分へと向けてくる敵意を意に介さぬ風で、感情のこもらぬ冷たい瞳で一瞥をくれた。


「この身体。確かにハーフエルフの娘のものだが。エルフというのは元来精霊に近い種であると伝えられている。魔法への感度が人間とは比較にならないほど高い。そう、習熟した人間のマジックマスターと、未熟なエルフが魔法の出力において差がないように」


「何を・・・・・・」


「赤毛よ。最後まで聞くが良い。クリス・アディリスの小僧から頼まれたのだろう?さて、魔法の話であったな。魔法の才でエルフや妖精に大きく劣る人間は、人間らしい考えで他種族を凌駕せんと研鑽した。出力の差を出し抜く為に魔法を体系化して整理し、技術的に進歩させたのだ。そして、ここでもう一つの種族を紹介する。クラナドに隠棲する、原初から脈々と生きる天使という者達。彼らは先住民が故に、アケナスの物理法則を最大限に活かす術を心得ている。私も長年にわたるフィールドワークで、己が才を自覚させられた」


「・・・・・・」


「そう睨むな。ここからが本番だ。天使種族の末裔であるところの私は、この地形や天候状態における自らの効率的な立ち回り方法を熟知している。そして、肉体は魔法製造に長じたエルフのもの。人間が編み出したマジックマスターとしての奥義も、ここ百年でざっと学びとった。分かるか?私はお前たちを砕こうと思えば、さしたる労力も無しにそれを完遂出来る。別にどちらでもいいのだ。ネメシス・バレンダウンの身柄さえ、目論見通りに確保出来るのであればな」


 レベッカは地面を蹴った。瞬きをする間もない速度でハーフエルフに接近すると、ゼロの見た目をした体に迷いなく剣を叩き込んだ。


 叩き込んだかに見えた。


「聞いていたかね?折角の講義が台無しじゃないか。天使というのは動体視力に優れ、広い範囲において他者の行動予測もお手のものだ」


 レベッカの剣とハーフエルフの間には薄皮一枚ほどの空間が空いていて、そこに不可視の障壁が張られていることは明らかであった。


「魔法の出力が高いということは、当然障壁の防御力や防御範囲も高度な代物になるということだ。技術的には、半自動で精製されるという工夫が凝らしてある」


 アイザックが声なく斬り掛かるが、やはりレベッカの二の舞で、見えぬ障壁に剣を防がれた。レベッカも続けて二の剣三の剣を放ち、その何れもハーフエルフの防御網を突破することが叶わないと、流石に力押しの先制攻撃を諦めざるを得なかった。


(物理攻撃がこうも通用しないとはな。・・・・・・だが!)


 レベッカの振り抜いた剣はハーフエルフの引くに届き、二の腕を浅く焼き切った。


「ほう。魔法剣か。これ程の起動速度は計算外であったぞ。だが良いのか?この身体、幻術の類ではなく間違いなくゼロとやらのものだが・・・・・・」


 ハーフエルフはそう口にしてレベッカの動揺を誘おうとしたが、それは効果を表さなかった。


「レベッカ!アイザック!待ちなさい!」


 ネメシスの制止に耳を課さず、レベッカは炎の剣で攻め、アイザックは鋼の剣で牽制に回った。ハーフエルフは物理障壁と抗魔法を使い分け、二人からの連撃を際どいところで凌いでいた。


 叫ぶネメシスには分かっていた。二人はクルスの指示で、ネメシスを守ることを最善と置いており、決してゼロの安堵を軽視などしてはいないのだと。レベッカやアイザックの表情には深い苦悩が刻まれていたし、せめて苦しまぬようにと、剣には必殺の気迫が込められているように思えた。


(私は・・・・・・私には、これ以上闘いを止める資格はない。そして、この者の意図も分からぬまま安易に付いて行くことは、私を守ろうとしてくれた皆の意志に反することになる。クルス・・・・・・私はどうすれば良いのです?)


 魔法剣を撃ち続けるレベッカの心の内に、焦りが少しずつ沈澱してきた。どれだけの技を披露してもゼロの見た目をした敵には有効打とならず、それどころか筋を読まれて少ない動きで捌かれ始めていた。


 ここで自分が後れを取ればネメシスの拉致される目算は高く、今のところその重圧が剣の鋭さに磨きをかけていたものの、何時まで続くか知れたものではなかった。アイザックと目で合図を送り合うが、双方ともに手詰まりなことは分かりきっていた。


「お前達の力はもう分かった。時間も有限なことだし、そろそろ終わりにしよう」


 ハーフエルフの両の手から放出された不可視の障壁が圧を増し、レベッカとアイザックを押し出した。弾かれ倒された二人は負けじと起き上がって見せるが、今度は上方向から障壁に押し潰され、容易に動きがとれなくなった。


 地面にへばりつくような格好で、レベッカは顔だけを上げて敵の姿を仰ぎ見た。ハーフエルフは感情の見当たらぬ酷薄な目をしてレベッカを見下ろしてきた。


「さてな。殺しておいても良いのだが、小僧は怒り狂うだろうな。ネメシス・バレンダウンを人質とした程度で収まれば良いのだが」


「・・・・・・皇帝陛下に指一本でも触れて見よ!ただでは、済まさん・・・・・・」


「靴下の虫の如き有り様でも威勢だけは良いのだな。ならば、望みのままに命を貰い受けようか」


「アイザック!後を頼んだ。・・・・・・火精こそ祝福。赤き星の盟約に従い、我魔法の髄を返さん」


 レベッカの瞳から焔が立ち上り、巨大な魔方陣が形成された。彼女の全身はそのまま燃え盛る炎の奔流へと転じて、ハーフエルフの造り出した障壁を素通りした。


 レベッカは経緯を知らなかったが、それこそはフィニス・ジブリールがネメシスを逃がすために行った、自己の精霊化と同じ秘技であった。フィニスの事例と異なるのは、フィニスが高位のマジックマスターであり、精霊への転生を企図したのに対し、レベッカにはそれだけの魔法技術がないことから、自らを犠牲に捧げて究極の炎霊を召喚した点にあった。


 魔法剣を極める過程で火術に精通したレベッカの修得した、最秘奥の技。火の騎士<イグニート>は見事に顕現し、ハーフエルフへと襲い掛かった。


「・・・・・・珍しいものを見た。精霊界を統べる<イグニート>を持ち出してくるとは。相手が私や魔神でなければ、全てはお前の遺志の通りに決していた筈だ」


 ハーフエルフは両手の手指を忙しなく動かし、舞踊とでも形容のできる儀式を敢行した。大火を纏いし騎士・<イグニート>が突撃してくる事態に際して、強烈な吹雪を発生させてそれをぶつけた。


 <イグニート>と猛吹雪の衝突したそこを起点に衝撃波が伝播し、アイザックやネメシスは大きく吹き飛ばされた。炎と冷気は渦を巻くようにして激しく争い、竜巻状に絡まり合うと、そのまま天へと昇って行った。


 四柱の内二者を下したノエルらと無事に合流したクルスは、離れた場所から竜巻の飛翔する様を目撃していた。闇が濃くなりつつある夜空へと吸い込まれて行く紅白の激流に凶兆を感じ取り、彼の胸騒ぎは収まることがなかった。



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