死と夜の残滓-2
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夕暮れ前に始まった戦闘は終わりを見ずに、空にはうっすらと星明かりが瞬き始めていた。悪魔と戦うにおいて闇夜は騎士団に都合が悪く、ただその時は刻一刻と近付いていた。
左翼と右翼の崩れたカナル軍にとって、残る中軍の白騎士団が最後の砦であった。クルスらが四柱にかかりきりとなっている今、皇帝ネメシスの存在だけが白騎士団の戦意を鼓舞していた。
「固まって円陣を組みなさい!各部隊を徐々に下げさせるのです。孤立しては、悪魔にいいようになぶられましょう」
「・・・・・・しかし!それでは陛下が前線に近付いてしまいます!」
「もはや前衛も後衛も関係ありません。それに、私はこれでソロス流を修めていますから。戦力としては充分な筈です」
ネメシスの指示により、傷付いた白騎士団は方円の陣形を組んで悪魔の包囲に抗った。数で言えばそれほど差がないところまで肉薄していたが、一匹の悪魔と対して騎士が一人では帳尻が合わない理屈であった。
元はイグニソスの率いていたマジックマスター部隊も崩壊しており、少ない生き残りをシエラが懸命に指揮していた。そのシエラも手持ちの魔法結晶を使い果たし、己が体力と生命力を糧として闘い続けている有り様であった。
方円陣の一部が切り崩され、あろうことか〈鳥人〉がネメシスを強襲した。近くでそれを察知したシエラは、即興で炎弾を練り上げて〈鳥人〉に炸裂させた。
〈鳥人〉はただの一撃で落とされ、ネメシスに被害はなかった。陣の乱れに動揺を隠せぬ騎士たちへ、シエラは声を振り絞って激励を投げかけた。
「陛下は無事です!穴を埋めて、円陣の維持をお願いします!」
騎士たちは互いに頷き合って気合いを入れ直し、隊列を整え始めた。どうにか戦線は保たれたが、シエラは青白い顔をして苦しそうに咳き込んだ。
ネメシスは彼女を介抱せんと駆け寄るが、シエラは目だけでそれを拒否して見せた。追い込まれたこの場に余剰な戦力など存在せず、自分が倒れるにしても、人手を消費する愚だけは避けたいというシエラの悲壮な決意であった。
(私だって、騎士である男爵家に生まれた娘。ロクリュウ家の跡取り。陛下の敵を一匹でも多く倒して、最期の時まで務めを果たして見せる)
シエラはこの後も二度ほど悪魔の突破を防いで見せ、生命力の消耗による衰弱で命を落とした。その頃には方円陣も体を為しておらず、各人が必死に剣を振るって悪魔の進攻に対していた。
ネメシスは黄金の剣で〈山羊面〉の拳打を捌き、斬撃を四度五度と見舞ってどうにか屈伏させた。彼女を直接護る騎士は皆倒れており、カナル軍の全滅まであと僅かの時間しか残されていない事実をネメシスも分かっていた。
それでも、ネメシスはその時を迎えるまで諦念を抱くことはないと、決して士気を落とさず気丈に剣を取り続けた。
(伝説の四柱と闘っているあの者らの方が余程厳しい状況にある筈です。私はここで一秒でも長く粘って悪魔を引き付けます。クルス、貴方は為すべきことを為しなさい。私の命を吸って、貴方の希望が叶えばそれで良いのです)
ネメシスの視界で、奮戦を重ねていた騎士たちが相次いで倒れた。黄竜隊の生き残りや高スコアの傭兵が依然単騎で抵抗を続けていたが、ネメシスを逃せるような力強さは感じられなかった。
〈黒犬〉に足を削られて身動きに難を来しても、ネメシスは渾身の突きでその一匹を絶命させた。息は切れ、右足の脹脛からは少なくない量の血液が溢れていた。ネメシスはその手の剣を離さず、次に向かってくる熊のような巨体をした〈人喰い〉をも標的としてじっと待った。
ネメシスの目には〈人喰い〉だけが映っていたが、既に四方から悪魔がにじり寄ってきており、それらは鋭い爪や牙の繰り出し先を定めていた。付近でネメシスの危機を知る者もないではなかったが、誰にも状況を打破する力は残されていなかった。
だが、悪魔たちの動きは音もなく一斉に停止した。文字通り、〈黒犬〉の一匹に至るまで例外なく全ての悪魔が活動を取り止めた。
ネメシスは凍り付いたように止まった悪魔たちを凝視し、これは天の配剤であると直ぐ様残兵の取りまとめに動いた。その光景は異質を極め、ネメシスは痛む足に鞭打ってその場を離れた。
ネメシスは知る由もなかったが、この時点が転換点となり、対魔神の勢力が盛り返して行くこととなった。
一方ミスティン王国においては、獣人軍、巨人軍、サイ・アデル騎士団をも撃退したミスティン騎士団とエックスの混成軍が、魔境より北上してきた悪魔の群と激突した。連戦に疲れたミスティン勢を助けたのは、意外にもオズメイの群狼騎士団で、自国を通過した悪魔を追って北進し、挟撃する形で戦闘に加わった。
鐡宰相が翻意を見せたことで、オズメイ北王国の軍部を束ねるブルワーズはアストレイに出撃を命じた。少しばかり手続きに時間を擁した為に悪魔の背を窺うこととなったが、アストレイは焦らず懸命に人馬を走らせた。
ミスティンの混成部隊にはセントハイムの騎士団も混ざっているわけで、対魔防衛ラインの二強はこうして初めて共同戦線を張ることになった。
竜や悪魔に襲撃されたドワーフの王国には、大陸南部のエルフたちが加勢にと駆け付けており、これはネピドゥスが事前に根回しをしていた結果であったが、さらに南部の小国諸国も義勇兵を送り込んだ。これらはネメシスやアンナが種蒔きをした外交の成果であり、各地で反魔神・対悪魔の声が高まりを見せていた。
竜が一頭ずつ落とされる度にドワーフの王国の威勢は上がり、何れの戦場においても意気の崩れることはなかった。
カナル軍とネメシスの窮地を助けた所業であるが、それこそはノエルの闘う局面において奇跡が具現化していた。〈デュラハン〉を呼び出し悪魔を切り刻んでいたエストさえも遂に力尽きて敗れ、〈ネクロマンシー〉によって蘇りし〈白虎〉とルガードの攻勢で神聖結界の解かれたノエルたちは、徐々に死地へと追いやられていった。
アンフィスバエナとリーバーマンは抵抗を止めなかったが、四柱の半数とその眷属を相手にただの三者では挽回の余地もなかった。魔法を尽く防がれ、ルガードに胸ぐらを掴み上げられたノエルが自身の生と賢者の石とを諦めかけたその時、ラファエル・ラグナロックと銀翼騎士団が颯爽と突入してきた。
「〈翼将〉・・・・・・」
沈着なアンフィスバエナらしくもない弱々しい声色で紡ぎ出されたその通り名は、敵であるネピドゥスや〈白虎〉の注意をこれでもかという程に引き込んだ。
「吹き飛ばせ、フレスベルグ」
駆け付けたラファエルの号令一下、召喚されし霊鳥がルガードへと突撃した。巧妙にノエルを避けてなされた体当たりにルガードは弾き飛ばされ、金髪のエルフの命と神具はぎりぎりのところで守られた。
「イシュタル!〈白虎〉を頼む。ライカーンは悪魔の掃討だ」
「了解です!」
「承知致しました。全騎、突貫せよ!今が悪魔を踏み躙る時ぞ!」
ラファエルの指示の通りに、イシュタル・アヴェンシスが疲労を押して天弓の弦を引いた。ライカーンは銀翼騎士団を小隊単位に分割させ、悪魔相手に定石に則った集団戦を仕掛けた。
フレスベルグとイシュタルに死霊となった二者を足止めさせて、ラファエル自身は魔女・〈パンデモニウム〉を自分の相手と決めた。起き上がったノエルが賢者の石を手にそこへと参じたことで、必然的にアンフィスバエナとリーバーマンがネピドゥスを抑える役に回った。
「・・・・・・あの女、予備動作無しに悪魔を召喚してくるわよ!」
ノエルの助言を聞いているやら、ラファエルは落ち着いた所作で光の精霊〈ウィルオーウィプス〉を呼び出すと、戦場の周囲を照らすべく辺りに散らせた。日暮れの迫る中で暗闇に対処したもので、ノエルはこんな折にも冷静な〈翼将〉の態度に不審よりも頼もしさを覚えた。
〈パンデモニウム〉はゆらゆらと浮遊したまま先手を明らかにせず、ラファエルの左腕に装着された青銀に輝く盾をじっと見詰めていた。ラファエルの視線もパンデモニウムが跨がる不思議な大杖に注がれていて、ノエルを除いた二人の空気だけがゆったりした別の時間軸に流れているかのようであった。
イシュタルやアンフィスバエナらは激しい攻防を演じており、騎士団と悪魔の戦いも相まって戦場はけたたましい騒音に占有されていた。だのに、〈パンデモニウム〉と〈翼将〉が対峙する場だけが静寂にも等しい空間を維持していた。ノエルは我先に先制攻撃をと考えはしたものの、戦の趨勢はもはやラファエルに握られているのだと観念し、二者の動きを見守ることに専念した。
「悪魔を狩り尽くせばクラナドの盟約により滅びを迎える。そうだったな。ならばまずはお前の召喚技を封じねばならん」
ラファエルは盾を持つ左手で魔法を編み始めた。それに反応する形で〈パンデモニウム〉がゆらりと左手を動かすと、不自然にも悪魔が二匹、無より生じてラファエルとノエルに相対した。
ラファエルは解き放った魔法力で現れた上位悪魔の一匹を拘束すると、一気に前へと出て剣で斬り付けた。空かさずノエルも続き、悪魔の片割れと〈パンデモニウム〉へ風撃を走らせた。上位悪魔は二匹共にダメージを負った模様であったが、〈パンデモニウム〉は涼しい顔をして完全なる魔法抵抗を実現していた。
ラファエルは剣による連撃と至近から火球を叩き込むことで悪魔に止めを刺すと、素早い身のこなしで〈パンデモニウム〉の正面に躍り出た。そして、流れのままに神具・アイギスの盾を前にかざした。
アイギスの盾から幾本もの光の糸が伸びて、ラファエルの全身へと突き刺さった。盾は糸を通じてラファエルの生命力を吸い上げ、前方の〈パンデモニウム〉へと青銀の光を照射した。光照は神々しいまでに輝き、〈パンデモニウム〉との衝突により光芒を撒き散らせた。
ノエルは賢者の石から自然と流れ来る知識を通じ、ラファエルが己が生命力を神具の奇蹟に換えているのだと理解した。彼女はかつてカナルとレイバートンの決戦時にラファエルがアイギスの力で竜を抑え込んだことを思い起こし、この男もクルスと同じく自己の犠牲を顧みない義侠の士であるのだと悟った。
アイギスの盾から発せられた青銀色の光はどうやら魔女の身動きを戒めているようであった。そうであれば、ここで手をこまねくノエルではなかった。
「〈鬼道〉!こっちへ来て、私と代わって! 」
ノエルは手早くネピドゥスへと雷撃を放ち、アンフィスバエナの負担を軽くしてやった。そうして近寄って来たアンフィスバエナに賢者の石を手渡した。
アンフィスバエナは、自分の掌に収まった神具を閉じた目でじっと見詰めた。
「・・・・・・良いのですか?クルス・クライストは〈フォルトリウ〉を敵性組織と見なしていますが」
「あいつを・・・・・・四柱を封印するなんて、私では重荷だわ。でもあなたなら可能でしょう?クルスもあなたの思想は兎も角、魔法の造詣にだけはお墨付きを与えていた」
「光栄ですね。ですが言わせて貰えば、彼も貴女も勘違いをしています。私はただアケナスに波乱を招きたくないだけで、元より敵対する筋などないのです。ミスティンで衝突したのは不幸の積み重ねがあったに過ぎません」
「いいから早く、石を使って〈パンデモニウム〉を!」
「少し反論してみたくなっただけです。〈翼将〉、しばしそのままでお願いしますよ」
賢者の石を手にしたアンフィスバエナの両の目が開いた。ノエルの目撃した双玉は、黄金に煌めく幻想的な瞳であった。
アンフィスバエナより圧倒的な魔法力が放出され、二つの巨大な魔方陣が中空に浮かび上がった。真っ先に反応を示したのはネピドゥスで、血相を変えてアンフィスバエナの魔法を邪魔しに掛かった。
ノエルは自身の体力を消費して不可視の障壁を作り出し、ネピドゥスの攻撃を漏れ無く防いだ。限界間近のリーバーマンもここが勝負どころと、〈ウィルオーウィプス〉と〈ダークソウル〉という光と闇双方の精霊を多数動かしてネピドゥスの行動を阻害した。
物言わぬ死霊と化しても手強いウェリントンは、黒翼を広げて〈翼将〉と〈鬼道〉を討たんと疾走したところで、イシュタル渾身のフェイルノートの一矢に撃ち抜かれた。ルガードは悪魔化して得た怪力で怪鳥フレスベルクと格闘に及び、散々にこれを打った。そうして〈パンデモニウム〉の加勢を企図したが、瀕死といった体のフレスベルクの大翼に捕まりそれを阻まれた。
「時空を司りしディスペンスト神よ。その御心に従いて我、夜と闇の欠片を悠久の牢獄に閉じん。どうか力を貸し与えたもう!」
アンフィスバエナの秘訣により魔方陣から魔法力の奔流が迸り、アイギスに拘束された魔女へと叩き付けられた。単純に光撃を浴びせられたかのような光景であったが、魔方陣が失われた後も魔女は平然とした様子でそこに浮いていた。そうであっても、アンフィスバエナの見えぬ目には、眼前の魔女がそれまで闘っていた相手とは段違いにプレッシャーの弱い存在へと転化したことが伝わった。すなわち、万魔殿としての機能を封じることに成功したのだと確信した。
(時空の神がどこにいるものかは知らないが、私の内に息づく賢神の残骸に同情でもしてくれたのか。まさか、知識以外が失われて久しい時空魔法を発動させることに成功するとは。・・・・・・いや、〈翼将〉の持つアイギスやこの石は、そもそも古の神々が祭祀にあたって作り出した器。加えて、大地と豊穣の女神に祝福されたクルス・クライストの伴侶までもがここにいるのだから、この奇跡は神々に約束された代物だったのかもしれませんね)
ラファエルこそ衰弱により地に片膝を付いたものの、〈パンデモニウム〉は少しの敵意も表すことなく無力化されたのだと皆の目に映った。ライカーンが戦っていた悪魔の群は、一様に動きを止めて単なる的に成り下がり、ここに来てはじめてノエルらが戦力比で敵を上回った。
アンフィスバエナやイシュタルの助けもあり、程無くしてノエルは父の仇討ちを達成した。それは父との永遠の別れに等しい結果でもあったが、彼女は時宜を慮って悲しみを公にすることは無かった。




