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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第七章 神々の黄昏
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  地獄-3

***



 幾度目かの爆発に巻き込まれ、ノエルの細い身体は微風に舞う落ち葉の如くふわりと浮いた。爆発は小さなものが無数に引き起こされており、その正体はネピドゥスによって撒かれた大量の空気爆弾であった。


 風の精霊と火の精霊を掛け合わせた高度な魔法技術であり、ノエルははじめ強烈な気流を引き起こしてそれらを一掃せんと試みた。だが空気爆弾の風の特性がそれを阻み、ノエルの抵抗は徐々に受け身へと追い込まれた。


 魔法の障壁は空気爆弾と接触した時点で爆発を生じさせるため、近距離での防御は物理的な危険を伴った。ならば光の精霊をぶつけ、出た端から爆発させてしまえばどうかとノエルは考えた。


 ネピドゥスはノエルの手立てを予測していたのか、それこそ数多の空気爆弾を精製して戦場のあちらこちらに放った。こうなると一つの爆弾への着火は爆発の連鎖を生みかねず、ノエルは路線の変更を余儀なくされた。


 ノエルは空気爆弾の間を縫って、空中からは雷線、地面から土竜をぶつけることでの攻めに転じた。ネピドゥスは当然に空気爆弾を作り出してはそれを散布し、自ら爆発させてカナル軍右翼の壊滅を狙った。


 ボードレールとイグニソスが上位の悪魔を相手にしていたので、右翼のファーロイ騎士団を統率するは古参の上級騎士・スレート男爵であった。軍歴三十年にも及ぶ男爵は、敵のエルフが漂わせる邪気にただ事ならぬ畏怖を抱き、これがカナル皇帝の言う化け物であるかと全騎を急いで散開させた。


 スレート男爵の好判断により、ファーロイ騎士団の被害は最低限度に抑えられたかに見えた。だが、ネピドゥスはノエルと対峙しながらも追撃の手を緩めなかった。


 ネピドゥスは至極単純な、眠りを誘うだけの霧を魔法で発生させた。マジックマスターとしては初期に修得する魔法であり、ノエルは奇をてらわずに魔法抵抗で対処した。そして、この霧に込められた途方もない睡魔の威力を嗅ぎとった。


 ネピドゥスの甚大な魔法力で作り出した霧は、効力も範囲も既存の魔法知識で測れない言わば別物と言えた。空気爆弾から待避していたファーロイ勢は多数が霧に絡めとられ、満足に抵抗することすら出来ず地へと崩れ落ちた。


 ノエルが気付いた時にはファーロイ騎士団の大半が強制的に眠らされ、そこに無慈悲にも悪魔が襲い掛かっていた。スレート男爵は必死に声を張り上げて防御陣の形成を試みていたが、元より少数な部隊ということもあって、行く行くの全滅は避けられそうになかった。


 ノエルは悪魔たちを薙ぎ払うべく強力な魔法を練り上げるが、それを見逃すネピドゥスではなく、今度は茨の鞭や黒炎の一角獣を召喚して直接的にノエルを攻撃してきた。


 ノエルは風の刃で迎撃に出たが、程無くして空気爆弾の一角に触れて吹き飛ばされた。幾つもの爆発が後に続いた。



***



(・・・・・・このまま何もせず、やられるわけにはいかない!)


 ノエルは身体を回転させて器用に足からの着地を果たした。空気爆弾による傷は浅くなく、右肩や脇腹からの出血が軽装甲や短衣をじっとり濡らしていた。


 ノエルは負傷箇所を手で押さえて傷の応急手当てをしながらに走り出した。彼女は賢者の石を懐に忍ばせていたので、魔法力の欠乏を心配する必要だけはなかった。


 ネピドゥスは表情を動かすことなく、今度は氷の散弾を射出してきた。膨大な数と攻撃範囲を実現したそれは、並の術者であれば即座の死を覚悟したに違いない攻勢であった。


「上等じゃない!」


 ノエルはあまり得意ではない炎の魔法を展開した。無数の格子状に編んだ炎の網を広げ、氷の散弾を漏れ無く絡めとった。そうして互いの手数が尽きるや、今度は雷撃と光撃とで撃ち合った。


 風撃対土撃、光精霊対闇精霊という応酬がしばらく続き、ノエルはネピドゥスの底知れぬ実力を思い知らされた。自分には賢者の石の助勢があるにも関わらず、戦況が好転する兆しは一切なかった。


(・・・・・・いいえ!あいつは四柱なのよ。父様の身体を使っていても、父様の仇。必ずここで倒すわ!)


 ノエルの決意など歯牙にもかけず、ネピドゥスの魔法の矛先はまたもファーロイ騎士団へと向かった。召喚された六ツ目八ツ足の巨大な黒狼は、顎から白く煙る冷気を漏らしながら、唸り声を上げてスレート男爵に襲い掛かった。


 ノエルは魔法の矢で魔獣に狙いを付けるが、ネピドゥスが止めどなく〈ダークソウル〉を召喚してけしかけてくるものだから、それへの対抗に忙殺された。魔獣はいともあっさりスレート男爵の喉笛を噛み千切り、冷気の発散によってファーロイ騎士たちをあっという間に無力化した。


(あれは、エヴァキリア!あんな強力な魔獣に好き勝手をされたら、このまま全軍が制圧されちゃう!一体どうしたらいいの・・・・・・)


 思案したノエルは懐の賢者の石に思い至り、必死の召喚を敢行した。形成された魔方陣にはネピドゥスも注意を振り向け、やがて銀光を放ちながら飛び出してきた神々しい戦士の姿を見るや、その双眸にどす黒い憤怒の色相が浮かんだ。


「・・・・・・〈戦乙女〉か。久しいよな。遥か昔、黒の森で見えて以来だ。此度はマイルズもディスペンストもおらぬようだが」


 ネピドゥスはそう語りかけるが、ノエルによって呼び出されし青銀色の甲冑を纏った女神は何も応えずに光の槍を構えた。クルスが戦乙女を従えていたことにヒントを得て、ノエルは賢者の石の力を総動員した上で精霊界に身を置くとされる従神を召喚して見せた。


 四柱が因縁から〈戦乙女〉に執着を見せたことから、ノエルは一時的に標的をエヴァキリアへと転じた。魔獣はノエルの戦意を嗅ぎとったか、先んじて突進の向きをそちらへと定めた。


 サイドステップで魔獣の体当たりをやり過ごし、ノエルは風の刃を巨獣の背後へと撃ち込んだ。風はエヴァキリアの力強い魔法抵抗を貫通し、黒毛の背を深く切り裂いた。


 体液を撒き散らしながら振り向いた魔獣は、体を波のようにうねらせて巨大な咆哮を発した。その雄叫びは極寒の魔法力を伴った振動波で、冷気に関しては咄嗟の魔法障壁で遮断したものの、ノエルは衝撃波を浴びて再び吹き飛ばされた。


 地面に落下したノエルは、苦しそうに咳き込んで起き上がるが、そこをエヴァキリアが襲撃した。ノエルは咄嗟に風の障壁でエヴァキリアの突進を遮ると、細剣で突いて牽制を入れた。


 剣先を嫌って間合いを外した魔獣に対し、ノエルは光の精霊〈ウィルオーウィプス〉を多数召喚してけしかけた。エヴァキリアは氷雪の魔法でそれを迎え撃ち、両者は激しい魔法戦闘に突入したかに見えた。


 ノエルが肉体的なダメージから集中を乱した一瞬の隙を、複数ある魔獣の目は見逃さなかった。跳躍で一気に距離を縮めると、八ツ足の一本でノエルの肩を抉った。エヴァキリアは抵抗の姿勢を見せるノエルに追い打ちをかけ、もう一本の足で彼女の腕を深く薙いだ。


 止めとばかりに魔獣がノエルの首筋へ噛み付き掛けたところで、〈戦乙女〉が転がるようにして飛び込んで来た。〈戦乙女〉も一見して苦戦の知れる風体となっていたが、彼女が撃ち下ろした光槍はエヴァキリアの頭部をただの一撃で爆散させた。


 危機を脱したノエルは千切れかけた右腕や出血の著しい右肩へと治癒の魔法を施すが、自由になったネピドゥスは新たに魔法攻撃を仕掛けてきた。黒々とした煙が表出し、腐敗臭を放ちながらネピドゥスを中心として同心円状に拡散した。


 〈戦乙女〉はノエルを庇うようにして背に隠すと、槍を回転させて気流を発生させた。黒煙は二人の周囲を避けて流れたが、案の定、それに触れたファーロイやカナルの騎士が苦悶の表情を浮かべ、嗚咽を漏らしつつばたばたと倒れ始めた。


(腐毒の煙・・・・・・!風の精霊たち、この煙を上空高くに舞い上げて、遠くの海に逃がして頂戴!)


 息も絶え絶えなノエルの要請に従い、精霊たちが起こした竜巻は黒煙を巻き取っていった。ネピドゥスは腐毒に固執せず、ノエルや〈戦乙女〉が防御姿勢をとったと見るや、矢継ぎ早に魔方陣を組み上げて召喚魔法を起動した。


 ゆったりと浮遊して天から降りてきたそれは、〈戦乙女〉と同じ青銀に光る軽装甲を纏い、長衣に三角帽子を着付けた、古の魔女のような姿の女であった。総髪と両の瞳は漆黒で、長い睫毛や結ばれた薄い唇からは毅然とした態度が感じられた。


 金属製と思しき巨大な杖に跨がるその魔女は、ノエルの知識にない初物の相手であった。しかし一目見ただけで実力の片鱗は窺え、魔女が中空に浮いたまま軽やかに片手の指を回すと、規格外な風貌をした悪魔が一匹、無より生じた。顔面の全てが口と思われる部位で構成され、背より翼の生えた牙面の鳥人間であった。


(見たことのない悪魔・・・・・・上位の悪魔を呼んだ?なんら脈絡もなく?まさか、この女は・・・・・・!)


 牙面は翼を羽ばたかせて浮かび上がると、その場で魔法を行使し、ノエルへと向けて火球を射出してきた。ノエルは魔女から注意を外さぬままに火球の迎撃に移った。装甲や肉体に欠損こそ見られたが、ノエルの召した〈戦乙女〉は猛然と、ネピドゥスと魔女の両者に光槍で撃ち掛かった。


 普段のノエルであれば、例え心身が全快であっても、上位悪魔と一人で闘り合うなどという軽はずみな選択はし得なかった。賢者の石があればこそ、ノエルは無尽蔵に魔法のエネルギー弾を創造出来たのだし、その一発一発の威力を極限にまで高めることも出来た。


 ノエルがエネルギー弾を嵐の如く叩き込んで牙面を撃破したのは必然であり、〈戦乙女〉がネピドゥスと魔女の前に膝を屈したこともまた道理であった。ネピドゥスが大量の魔法の茨で〈戦乙女〉の身動きを封じ、魔女の新たに召喚した上位悪魔たちがそこへと群がっていた。


 ノエルは悪夢のような光景を目にした。全身を殴打された〈戦乙女〉が、凌辱されるかの如く牙や爪で滅多刺しにされ、実に惨たらしく果てたのであった。


 〈戦乙女〉を屠った上位悪魔たちは次の狙いをノエルに決めたようで、一斉に敵意を剥き出しにしてきた。ネピドゥスに魔女までもが健在ときて、流石のノエルも迫る脅威を前に意気が挫けそうになった。


(・・・・・・負けちゃ駄目。賢者の石だけは守らないと。ここで私が死んだら、皆とアケナスの命運まで道連れにしちゃうんだから!)



***



 その頃、イオニウムはスペクトル城の玉座の間において、クルスらが想像だにしていなかった会見が実現していた。ラーマ・フライマの姿そのままの魔神ベルゲルミルと相対していたのは、外見は単なるハーフエルフとしか映らない女傭兵であった。


 ただ一人、玉座の傍らに控える獣人の暗殺者・ルフは、狼面に緊張を露にして面識のあるハーフエルフを眺めていた。


(間違いない!こいつは、アグスティで公を討った傭兵の一味。だが、様子が変だ。これほどの威圧感を備えていた記憶はない・・・・・・)


 魔神は堂々居城に忍び入ったハーフエルフに対し、旧知の人間に対する礼でもって初見の言葉を掛けた。


「お久しぶり。巨人国の古城で対決して以来ですね。あの時はまさか、ルガードが敗れるとは思ってもいませんでした」


「互いに初対面だろう?ただの肉体の記憶に配慮する必要などあるまい。ラーマ・フライマという聖女もゼロという名の傭兵も、もうここにはいないのだからな」


「成る程。人は見た目に依らないと言いますが、あなたはハーフエルフを器とした別の何者かということですね」


 魔神の指摘にハーフエルフは頷きを返し、肯定の返答に代えた。イオニウムのいち戦士に過ぎないルフは、二人の交わす意味深な言葉を全く理解出来ず、ただ何時でもハーフエルフの女に飛び掛かれるよう臨戦態勢を崩さなかった。


 魔神はゆっくりと右腕を持ち上げると、掌を前に差し出してハーフエルフに向けた。


「あなたが何者であっても、ここで私が力を放てば命の灯は消えましょう?」


「別に闘いに来たわけではないのだがな。天上の勢力を滅ぼした後、貴様に他に何かやることがあるのかと問いたくてな。神話を紐解けば、魔神は意図的にクラナドと敵対していたように見える。カナンやディアネはいわば新興の神。有史にはないが、それ以前の管理者とも貴様は闘争を続けてきたのではないか?」


「ほう。少しは世の理を学んでいるのですね。ですが、人の身には過ぎた好奇心です。消えなさい」


 魔神が掌を返すと、ハーフエルフのいた辺りがどす黒い炎に包まれた。ほんの一瞬のことであったので、ルフに手出しをする余地などなかった。


 魔法で生成された獄炎は発火時点で恐るべき熱量を持っていて、至近距離にあったルフが思わず顔を背けて後退りするほどであった。


(うおおお!これ程の威力、間違いなく消し炭になっただろう。・・・・・・確かあの女、あの時は〈フォルトリウ〉のアンフィスバエナと闘っていたかと思うが、まさかこの炎に抗えはすまい!)


「・・・・・・驚きですね。私の魔法力に抵抗して見せるとは、大した手品です。あなたの正体に少しだけ興味が湧いてきましたよ」


 魔神の賞賛の言葉に応じたかの如く黒炎が二つに分かたれて、そこに無傷のハーフエルフが悠然と佇んでいた。ハーフエルフの手にはペンダントが握られており、あしらわれた緑色の魔石が不気味な光を発していた。


「イドの魔石。ミーミルの泉で回収出来て良かった。これがなければ、今ので黒焦げになっていたところだ」


「神器。それがあなたの奥の手というわけですか」


「古い友人の持ち物を拝借させて貰ったのだ。伝説の魔神と対するに、これが奥の手などにならんことは承知している」


「下手に出ざるを得ないところがいささか癪にさわりますが、聞かせて下さい。あなたがここへ来た目的は何なのです?私に何用でしょうか?」


「なに。大した相談ではない。私をクラナドに上げて欲しいのだ。あすこには因縁があってな。貴様は近寄れぬ仕様かも知れんが、誰かを飛ばすだけなら手があるのではないか?」


 魔神は眉根を寄せ、美貌を崩して目を細めた。話の流れが読めないルフは、場の空気が一層冷え込んだ事態にただ戸惑っていた。


「なぜ、私がクラナドに近付けぬと?」


「太古より決して滅ぼされることなく存在し続けた貴様がいて、どうやら敵対している天上の勢力は衰退しながらも依然そこにある。ただの類推だ。乗り込めるものなら、幾らでも機会はあったろう?」


「面白いですね。面白い」


「貴様の正体は大方予想が付いている。神々ですら仲違いをして堕ちるのだ。世界の機構を司る天使とやらだけが万能だという理屈は通用しまい。決して死なない魔の神。貴様は天使の亜種なのだろう?」


 魔神の周囲の空気が急速に冷やされ、白煙を上げて渦巻いた。玉座の間はあっという間に凍り付き、結晶の冷たい輝きがちらちらと散乱しては幻想的な光景を作り出していた。


 巻き込まれた形のルフは、狼面の氷像と化してそこに立ち尽くしていた。クルスらがこの惨状を目の当たりにしたならば、リヴァイプ神の成れの果てを想起したに違いなかった。


 ハーフエルフはやはりイドの魔石の効力で冷害を回避したようで、じっと魔神の挙動を観察していた。そうして、表情をも凍らせた魔神が一言も口をきかないことに落胆し、自ら口火を切ることにした。


「私は堕天使だ。訳あって知り合いのエルフに憑依している。元より貴様のすることに口を挟むつもりはないし、それだけの実力もない。・・・・・・ただ、色々と知ってしまったからには最低限の責任は果たしたい。ベルゲルミルよ、私をクラナドへ導け。それが出来ぬとあらば、この偏屈者が数百年の研鑽で編み出した秘技を披露させて貰うしかない」



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