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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第七章 神々の黄昏
118/132

  地獄-2

***



 クルスは粘っこく光る〈人喰い〉の胴体を水平に切断し、その後ろから迫ってくる二匹の〈黒犬〉を雷撃の魔法で焼いた。そして一歩前に出るだけで、今度は左右から筋骨隆々の〈山羊面〉と〈鬼人〉に挟まれた。


 小さな動作で風を起こすと〈鬼人〉を吹き飛ばし、その反動で〈山羊面〉との接近を果たした。クルスの渾身の二段斬りは瞬く間に〈山羊面〉の胸部を十字に切り裂き、生じた時間差から〈鬼人〉の剛腕による殴打を避けることにも成功した。


 カナルの騎士が一太刀を入れた為に〈鬼人〉の意識は逸れて、クルスは悠々と必殺の剣を入れた。中空から三匹の〈鳥人〉が急速降下を試みるが、クルスの下に到達するまでもなくノエルの作り出した真空の刃に刻まれ尽くした。


「クルス!空は任せて!」


「・・・・・・助かる」


 ノエルの声かけに一言で応じると、クルスは視界を埋め尽くした悪魔の群へと意識を戻した。


 アムネリアの立てた作戦は綺麗に決まった。マジックマスターの遠距離攻撃、弓戦隊の中距離狙撃は共に大きな成果を挙げていた。


 だが、万魔殿から呼び出された悪魔は圧巻の物量であり、無傷の半数近くがカナル軍へと肉弾戦を挑んできた。それでも備えを万全にしていたカナル軍の前衛は有利に近距離戦闘をこなした。


 風向きに変化が見られたのは、多くの悪魔が倒される中で目立って強力な技を披露する個体が現れた頃合いからであった。すわ上位悪魔の来襲であると気付いたクルスは、腕利きの仲間たちに即座の対処を呼び掛けた。


 クルスは前線の切込隊長でありアムネリアは全軍の指揮官であったので、二人は無理に上位悪魔と事を構えるわけにはいかなかった。そこでレベッカやボードレール、アイザックに〈フォルトリウ〉の三幹部らが率先して前に出、上位悪魔に闘いを挑んでいた。


 カナル軍の腕利きが相次いで集団戦闘から離脱した為に、悪魔の消滅する速度は顕著に鈍った。


 クルスは騎士や傭兵を従えてひたすら悪魔を斬り倒しており、撃破数は既に二桁を大幅に超えていた。それでも目に見えて減らぬ敵を前に、味方の士気が徐々に後退するのを止められずにいた。


(元々悪魔一匹と当たるのに騎士三人が相場だ。千を越える悪魔と相対して、錯乱していないだけましなのだろうな)


 クルスは〈人喰い〉の体当たりを身を捩ってかわし、〈山羊面〉の拳打に剣を合わせた。二振りで両者を撃破すると、いつの間にか自分が一人敵中に孤立していると気付いた。


 飛び掛かってくる〈黒犬〉や全身が緑色をした粘体の〈毒汚泥〉に対し、クルスは迷わず火炎の魔法壁を構築して急場を凌いだ。手にした神剣から魔法力が引き出せるので、燃料切れを起こす心配のない点だけが救いであった。


 周囲に仲間のいないことを幸いと、クルスは一気に火炎放射で悪魔を焼き払いに出た。魔法に抵抗した〈鬼人〉と、高高度にいて影響を受けなかった〈鳥人〉がクルス目掛けて突進してきた。


 〈鳥人〉を一撃で両断したクルスに〈鬼人〉が避けようのない拍子で体当たりを仕掛けてきた。突如巻き起こった気流が〈鬼人〉の進路を妨害し、さらにはその頭部に細剣が差し込まれた。


「ノエル!」


「駄目ね。あなたの魔法じゃ、よほど綺麗に決まらないと一撃必殺の威力にはならないわ」


「分かってはいるんだがな。助かった」


 またもノエルに助けられた形のクルスはそう恐縮し、間を置かずに悪魔の掃討に励んだ。カナル軍はほぼ全ての騎士・傭兵・マジックマスターが直接戦闘に加わっていた。


 夜を越すつもりはなかったので、アムネリアは戦力の出し惜しみをしなかった。千の悪魔を打ち倒せばそれで一旦勝利と定義しており、イオニウムの獣人軍団のことなど正しく慮外であった。


(獣人の姿がないということは、エレノア・ヴァンシュテルンが上手くやってくれているのだろう。後は魔神や四柱がどこで出てくるかだ)


 ネメシスを守る本陣戦力すらも大方出払っており、アムネリアは伝達手段の不十分な中で声を張り上げて部隊の運用を行っていた。戦傷を追った兵が後退してくると、満足な手当てこそ出来ないものの、ネメシス自らが駆け寄って本陣の後方に寝かせてやった。


「陛下・・・・・・。カナルとアケナスに、平和を・・・・・・」


「・・・・・・承りました。どうか楽にしてください」


 また一人、カナル騎士が息を引き取った。感傷に浸る暇はなかったが、ネメシスの心の底に蓄積した絶望の澱みは盛んに波立っていた。


 表情に差した陰を払うことなしに、ネメシスは厳しい声色でアムネリアへと質した。


「アムネリア。戦況はどうなのです?」


「残敵はあと三分の一といったところです、陛下。こちらは五割を残せるかどうかといったところでしょう」


「五割・・・・・・苦しい戦いですね。援軍は見込めないと言うに・・・・・・」


 アムネリアはそれに返答する間を惜しみ、小隊が全滅して穴の空いた陣形を埋めるべく指示を飛ばし続けた。表情の読めない悪魔と異なり騎士たちからは切迫感が漂っていたので、どこかの局地で攻守のバランスが崩れれば一気に敗勢へと傾く危険性があった。


 常時に冷静で泣き言を溢さないアムネリアとて全軍指揮の重圧に苦しんでおり、額に浮かんだ汗は流れるようにこめかみを伝って零れ落ちていた。彼女の繊細な采配によってぎりぎり保たれている均衡は脆く、上位悪魔の一匹でも好きにさせては、この本陣にまで悪魔が雪崩れ込んでくる事態も有り得ると、アムネリアは強く憂慮していた。


 その上位悪魔は何れも激しい戦闘の最中にあった。醜悪な巨大蛙といった風体をした悪魔の吐き出す酸は強力で、幾人もの傭兵をただの一撃で溶かした。それにはダークエルフのエストとエルフのリーバーマンが対抗し、魔法の盾で酸を中和しながら蛙の鞭のような鋭い舌と格闘していた。


 砂のような極小物質の群体に構成された成竜状の悪魔は、体内に多数の騎士を取り込んで窒息死させた。レベッカが炎の剣で焼き斬りに掛かり、アイザックがそれを助けるべく前陣で牽制に入っていた。


 マジックマスター然とした長衣姿に骸骨の面を被った異様な悪魔は、周囲の空間から無数の刃を射出してカナル軍を散々に斬り裂いて見せた。イグニソスが風を操って刃の動きを鈍らせ、それに乗じてボードレールが流麗な剣技で攻め立てていた。


 極めつけは泥の巨人で、出鱈目な数の土の精霊を召喚しては地震や地面陥没、土石流などでカナル軍を広範囲に痛め付けた。この厄介な悪魔にはクルスの指示でアンフィスバエナが当たり、彼は対抗魔法と攻撃魔法の二刀を駆使して互角の闘いを繰り広げていた。


 カナル軍の最精鋭はクルスやノエル、アムネリアを除いて皆上位悪魔をよく抑えていたので、現時点の戦況推移はアムネリアの想定の内に収まっていた。このまま時間が経過すれば、先に戦力を失うのは万魔殿の側であると断定できた。


 しかしながら、均衡は容易く破られた。アムネリアの艶やかな黒瞳がかっと見開かれた。


「陛下!出ました。・・・・・・本命の登場です」


 悪魔の群の後方から陽炎のように揺らめく闘気が二対立ち昇っており、それは空高くまで達して戦場の至るところから視認出来た。強大なプレッシャーが発せられており、カナル軍の誰もが四柱の出現を意識させられた。


 双方共に、存在が確認されてから暫くは動きがなかった。だが、戦闘中の全ての上位悪魔が突如奇妙な咆哮を上げるや否や、同時に移動を開始した。悪魔の群を掻き分けて前進を始めた二者と最初に接触したのは、カナル軍の左翼前陣に位置した〈リーグ〉の傭兵隊と、同じく右翼前陣のファーロイ騎士団であった。


 〈リーグ〉の幹部末席にあたるエレミアとエレジスの姉弟は、前進してきた四柱の一角と思しき敵の姿を認めて驚愕した。煙状の可視の闘気を垂れ流しにした精悍な男は、よく見知った同僚そのものであった。


「アイオーンさん?どうして・・・・・・」


 そこまで言って、エレジスの身体は腰のあたりで横に両断された。アイオーンの姿形をした敵は迷いなく剣を一閃させており、剣の軌跡は実力派のエレミアにすら見えなかった。


 斬殺された弟が血溜まりを形成していくという衝撃的な光景を一時的に精神世界から排除し、エレミアはアイオーンへと対抗すべく斬りつけた。十分な速度で距離を詰め、絶妙な斬り上げを放った彼女の身体はしかし、一瞬後には弟と同じく上半身と下半身が分かれて血流と共に落下していた。


 そこからは絶望的な展開が待っていた。アイオーンは誰彼構わず剣で猛威を振るい、切断遺体を量産した。人ならざる魔性の仕業としか映らぬ圧倒的な暴力であった。ファーロイ側でも悲劇は拡大しており、ネピドゥスの外見をした四柱が腐食の魔法を行使して騎士たちを次々に壊死させていた。


 四柱の攻勢で両翼から崩れ始めたことを察知したアムネリアは、ここで決断を下した。即ち、陣形によらぬ総力を動員した力戦へと舵を切った。


「陛下。私も前線に参ります。あとは乱戦の連鎖になりましょうから、くれぐれも前へとお出になりませんように」


「アムネリア・ファラウェイ!死んではなりませんよ。貴女はこの先も、カナルに必要な人材なのですから」


「承知しております。塵は塵に。闇は闇へと返して参ります。陛下にクーオウルとカナンの御加護がありますよう!」


 アムネリアは馬を駆って混戦の渦中へと突入した。残されたネメシスも黄金の剣の鞘を払い、臨戦態勢で前方の戦塵を睨み付けた。


 アイオーンの桁違いな剣腕を前にして傭兵たちはすっかり萎縮してしまい、悪魔たちにその隙を突かれて少なからぬ損害を積み重ねた。カナル軍左翼の敗着が決まりつつあったそこへ、燃え盛る神剣を手にしたクルスがようやく到着を見た。


「成る程・・・・・・〈鉄の傭兵〉か。恐ろしい奴の体を借りたもんだ」


 クルスの言葉には応じず、アイオーンは黙って高速の剣を見舞った。クルスは大きく後ろに跳躍してそれを回避し、その傍らでアンスウェラの力を一気に解放した。


「フィニス!」


「承知致しました!」


 アンスウェラから青白い炎が渦巻状に放出され、アイオーン目掛けて迸った。アイオーンは剣の一振りでそれを弾き飛ばすと、迷いなくクルスへと走った。


 クルスはアイオーンの剣にどうにかアンスウェラを合わせて撃ち合うが、一撃の重さと圧倒的な速度に閉口した。撃ち合いの中に牽制の魔法を織り混ぜる余裕などなく、徐々に押され始めた。


 炎の精霊と化したフィニスは初撃以来沈黙していたが、何もしていないわけではなかった。全力の炎撃があっさりと撃墜されたことで、彼女は思考を切り替えてより高位の魔法を準備していた。


 クルスが防御一辺倒になったことを見計らってか、アイオーンの猛攻は一層気合を増して見えた。剣の鋭さから、被弾することが致命傷に繋がると見抜いたクルスは、一心不乱にアンスウェラでの捌きに徹した。


 炎で形作られたフィニスが現出し、今度は中空に複数の魔方陣を起動させた。視覚的にも大掛かりなその魔法儀式には、流石のアイオーンも意識を振り向けた。機を逃さず、クルスは強く地を蹴ってアイオーンと距離をとった。


「獄焔に焼かれて灰塵へと帰せ!」


 フィニスの美声に引きずられるようにして、荒れ狂う劫火がアイオーンの全身を包み込んだ。着弾地点には真っ赤な火柱が立ち上がり、尋常でない量の火の粉が戦場の広い範囲へと散った。


 フィニスの仕掛けたタイミングは完璧で、クルスの目にはアイオーンが対抗手段を取れなかったと映った。さらに言えば、放たれた炎熱魔法は、彼がかつて見たことのない水準にある超絶の技でもあった。


 高温から逃れるべく炎の行く末を見守っていたクルスは、そこに依然人の形をした残像が揺らめく様を逃さなかった。アンスウェラを握り直すと、まだ視界の内に展開している傭兵や騎士たちへと力の限り大きな声で忠告した。


「みんな、直ぐにこの場から遠ざかるんだ!ここはもはや、死地だ!」


 そうしておいて、クルスは自らの周囲に魔法障壁を張り巡らせた。燃え盛る身体をしたフィニスもいつの間にかその隣に佇んでいた。


「クルス殿・・・・・・手応えはあったのですが」


「ああ。あれで生きてるというなら、奴には何か手品があるのだろうが・・・・・・」


 アイオーンは予告無しに炎の中から飛び出して来た。全裸であったのだが、彼の全身は決して火傷によるものではない艶やかな黒色に覆われていた。


(悪魔の肉体に変化したか!)


 アイオーンは駆け足で接近するや、手にした剣でクルスへと斬り付けた。それをアンスウェラで受け止めたクルスだが、全身に衝撃を感じたかと思うとその場から大きく吹き飛ばされた。アイオーンが剣を振るった先には、気流のように衝撃波が拡がった。


 倒れたクルスを狙ってアイオーンが追撃を図ると、火の鳥と化したフィニスが体当たりを敢行してそれを阻止した。アイオーンの剣は火の鳥の翼をもあっさり切り裂いた。そして剣閃はまたも衝撃波を伴って、あろうことか中距離に佇んでいた傭兵たちをも弾き飛ばした。


 起き上がったクルスは、めげずにアイオーンへと挑みかかったが、剣をかわしても受け止めても都度衝撃波に打たれ、宙を舞わされた。アイオーンが剣を繰り出す度に直線方向にあるカナル騎士や悪魔が巻き添えを食い、防御も不能に薙ぎ倒された。


 同じ頃、カナル軍の右翼ではネピドゥスの格好をした四柱が大魔法を連発し、惨事を引き起こしていた。遅ればせながら駆け付けたノエルは、そこに変わり果てた肉親の姿を見出だしたこともあり、また敵の途方もない魔法力を前にして苦戦を強いられた。


 カナル軍と悪魔の戦場は、ここにきて地獄の様相を見せ始めた。



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