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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第七章 神々の黄昏
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2 地獄

2 地獄




「見えてきましたよ!エックス参謀、あれは巨人の兵団に違いありません」


 フラニル・フランの指摘を受け、手綱を握るエックスの拳に力が込められた。彼の背後には急造の混成部隊が続いており、馬の有り無しで行軍速度にばらつきが見られた。


「フラン君。貴方は後続のサルマン・ジーノ隊に入ってください。レイ君はアルヴヘイム隊の指揮を頼みます。私は・・・・・・」


 エックスは最短速度でクルスの依頼をこなし、東部で援兵を募った後に驚くべき速さでの帰参を実現していた。その手際はフラニルやレイの手放しに称賛するところであったが、最たる功績はクルスが期待した以上の成果、すなわちかの騎士団を味方に付けたことだと言えた。


「私は、セントハイム騎士団を導きますので」


「了解!ご武運を!レイも気を付けて」


「はい。フランさんもあまり前に出過ぎないようにしてくださいね。エックス様、それでは行って参ります」


 長く鋏を入れていないことから背まで伸びた灰色の髪をなびかせ、レイは強い意志が込められて透き通った瞳を二人に向けた。長い睫毛に整った鼻梁、桜色の唇は往時より肉感が増し、繊細な顎の線は女神と題された古代の彫像をエックスらに思わせた。


 かつてアルテ・ミーメよりクルスへと紹介された紅顔の弱卒は、剣腕や知識もさることながら、このところ容姿を大人びて変化させていた。それに伴い、隠せない部分が俄かに露になりつつあった。


 レイの騎馬が遠ざかるのを待ち、フラニルは溜めていた息を吐き出した。


「エックス参謀。あいつは、あれでまだ自分が男だと隠せているつもりですか?」


「さてね。当代では男装の騎士というのも珍しい。事情など外からは分からないものですから、そっとしておきましょう。必要なら、クルス・クライストが処置する筈です」


「というより、レイが女と分かったら、今度はクルスさんの自制心が心配になりますけど。美少年改め美少女の従卒ですからね」


「違いありません」


「ノエルさんとか、気が気じゃないでしょうね。ああ怖い」


 笑みを交わし、エックスとフラニルもまたそれぞれの持ち場へと離れた。


 エックスは目に見える範囲での決戦を急いだ。東からアグスティへと急進してきた彼にイオニウム方面全体の戦況を俯瞰して見る術はなく、かといって偵察を出してじっくり分析している時間的な余裕もなかったので、取り得る手法は局地戦の勝利を短時間で積み上げるというもの。巨人がアグスティに群がっている現状からミスティン軍は敗れている公算で、それであれば引き連れた現有戦力での事態打開がエックスの優先すべき任務と見なされた。


 先にセントハイムを訪れたエックスは〈リーグ〉の伝を頼って政府高官との対話に望み、クルスの知名を借りてイオニウム征討の必要性を説いた。その際に言質のとれた共同作戦は期間の最長が一月というもので、外交的見地からも決着に時間はかけられなかった。


 エックスは決断し、サルマン・ジーノが率いるセントハイムの〈リーグ〉部隊を巨人兵団の後軍にぶつけた。敵がアグスティの市中と市外に分断されている点を突いた急襲であった。


 前もってエックスより巨人族との力戦を戒められていたフラニルの助言に従い、〈リーグ〉の傭兵たちは巨人部隊に一撃を入れるや斬り合いには応じずその場を離脱した。ユミルの指示で追撃に出た巨人たちへと、続けてエックスに統率されたセントハイム騎士団が攻撃を仕掛けた。


 売られた喧嘩は買うとばかりに応戦する巨人たちに肩透かしを食らわすかのように、セントハイム勢もまたすぐに攻め手を切って退却を始めた。ユミル王は流石に罠を疑い全兵の動きを止めるが、その間隙を縫ってレイに連れられたアルヴヘイム勢が到着を見た。組成としては、魔法戦闘に特化したオルトリープの妖精隊と、アルヴヘイム警固のため駐留していたドワーフ族の小隊が混ざっていた。


 棒立ち状態の巨人たちは、妖精の魔法攻撃の良い的でしかなかった。風の刃や雷の槍が容赦なく降り注ぎ、ユミルは堪らずアルヴヘイム勢への突貫を命じた。


 レイはドワーフの戦士たちを前に並べて盾とし、自らも剣を振るって巨人の猛攻を少なくない時間凌いで見せた。後はエックスの描いた絵図そのままに事は運んだ。


「さあ、最後の仕上げです。敵は三方攻撃の虜となりました。みなさん、溜めていた力を発揮してください」


 エックスの号令により、セントハイムの騎士たちは巨人部隊の横っ腹に突っ込んだ。それに呼応する形でサルマンと傭兵隊が再度切り込み、左右から巨人たちへ猛攻を加えた。


 並の部隊では瞬時に瓦解したであろうが、そこはアケナスでも最強を謳われる巨人族であった。エックスの仕掛けた三方攻撃に陣形をずたずたに引き裂かれながらも、個の武力で騎士や傭兵を圧倒し全滅を免れていた。中でもスルトとユミルの力は凄まじく、大剣や大斧の一振りで幾人もの相手を吹き飛ばした。


「そこっ!」


 レイは小柄な体躯を活かした回り込みでスルトの足元まで接近すると、高速の剣で足首を狙い撃ちにした。具足の上からアキレス腱を叩かれたスルトは、怒りに任せてレイを押し潰そうと地団駄を踏むが、レイは敏捷な体捌きでそれらを回避して見せ、さらに剣を繰り出して足首を傷付けた。


 レイを援護せんとサルマンが手勢を連れてスルトに斬り掛かった。だが、大剣を振り回して暴れるスルトに対し、サルマンは下手に近寄ることが出来ず、レイも一旦距離をとった。その場にドワーフの戦士とオルトリープが到着すると、皆でスルトを一斉包囲した。


 エックスはセントハイムの騎士たちと共にユミルの下へと斬り込んでおり、〈脱兎〉の通り名とは裏腹に率先して剣で巨人兵の制圧に臨んでいた。ユミル王とスルトを下すことは即ちこの戦闘の勝利であり、エックスの目はその後のアグスティ再解放までも睨んでいた。


 エックス率いる東方混成軍と巨人兵団後軍の戦いが佳境に差し掛かったその頃、ユミルらに味方した筈のサイ・アデル騎士団はミスティン軍の思わぬ抵抗に遭って苦戦を余儀なくされていた。不意討ちで〈北将〉の倒されたミスティン軍は早期に瓦解するものと思われたが、居合わせたイオス・グラサールが咄嗟に指揮権を主張したことで、どうにか全軍の統率は保たれた。


 それどころか仕掛けてきたサイ・アデルの騎士団を迎撃し、バイ・ラ・バイの鬼神の如き活躍も相まって戦況はミスティン軍に優勢に推移していた。


 アグスティの東方と西方で、それぞれ対魔神を標榜する勢力が勝ち星を収めようとしていたのに対し、北方では逆の勝敗が今まさに決しようとしていた。



***



(これまでのようね・・・・・・)


 自身を護る騎士がまた一人獣人の手にかかり、イシュタルは自分が死線を越えたのだと悟った。それでも少ない体力を押してフェイルノートの弦を引き、冥途への道連れを増やしてやろうと無心に矢を放った。


 フェルゼンの損害を恐れぬ全軍前進は、物量作戦の見本のような形で雨騎士団を追い詰めた。雨騎士団の残騎はもはや十を数える程度にまで落ち込み、アグスティ周辺が混沌としている以上助けも全く期待できなかった。


(クルス・クライスト。獣人部隊は半減させた。後は貴方の才覚でアケナスを救ってみせて。ディアネ神よ、御身の愚かなる子の死出の旅路へ、どうか加護を賜らんことを)


 イシュタルの放った光の矢は目の前に迫る狼面の戦士を弾き飛ばすも、続く虎顔と猿顔の巨体は少し体勢を崩しただけで、怒声と共に襲いかかってきた。イシュタルは馬から降りて接近戦を試みるが、猿顔の槍でついに天弓を叩き落とされた。そうして大口を開けて鋭い牙を覗かせた虎顔が、イシュタル目掛けて戦斧を振りかぶった。


(ラファエル様、御側に参ります!)


 イシュタルが目を瞑って己の死を受け入れようとしたその時、奇蹟は起きた。暴風をまといし白銀の大鷲が急速で降下して来て、虎顔と猿顔を一蹴した。


「フレスベルグ?」


 ユグドラシルの怪鳥の出現に戸惑いを隠せぬイシュタルの視界に、今度はそこにある筈のない騎馬突撃が展開していた。騎士たちは疾駆してきたそのままの勢いで、獣人部隊に激突した。


 獣人部隊は予期せぬ攻撃を浴びたことで大混乱に陥り、フェルゼンが必死に呼び掛けを続けるも容易に指揮系統は回復しなかった。続々と戦士が倒れ、更には疲労から獣化も解かれる始末で、一転して獣人部隊の敗色は濃厚になった。


「何という早業!これほど見事な奇襲に遭うとは。もはや、収拾がつかないでござるな・・・・・・」


「貴様が獣人の大将か。降伏するか死するか、それだけを選ばせてやろう」


 馬上で神々しい盾を構えた騎士に接近を許し、フェルゼンは冷静さを保ったままで腰に差してある剣を引き抜いた。


「悲しい話だが、降伏を選ぶ思考などさせては貰えないのでござる。・・・・・・敗戦は理解しているのでござるがな」


「霧の呪いか。ならば楽にしてやる」


 敵の物言いににやりと笑みを浮かべ、フェルゼンは瞬時に獣化すると、力任せに剣を振るった。神秘的な光を放つ盾を手にした騎士はそれを余裕の姿勢でかわし、するどく水平に剣を薙いだ。フェルゼンの頭部が宙を舞い、残された体は盛大に馬から転げ落ちた。


 指揮官を失った獣人部隊は規律を失い散り散りになった。乱入してきた騎士団はそれを追わず、指揮をとっていると思しき壮年の騎士が大声で整列を促した。


「・・・・・・あれは、ライカーン将軍?銀翼騎士団に、フレスベルグ・・・・・・まさか、そんな・・・・・・」


「まさかではないさ」


 イシュタルは目を見開いた。アイギスの盾を収め、馬から降りて手を差し伸べて来たのは、紛うことなきラファエル・ラグナロックその人であった。


「ラファエル様!嘘・・・・・・」


「幽霊ではないつもりだ。快復に時間を費やした。危うく君を失うところだったな」


「ラファエル様・・・・・・!御無事で、良かった」


 イシュタルは涙こそ溢して婚約者たるラファエルの生還を喜んだものだが、騎士団の手前、嗚咽を漏らすことや感激の抱擁は慎んだ。ラファエルは改めて騎乗してイシュタルを後ろに引っ張り上げると、落ち着いた声音で囁いた。


「カナル軍が魔神の霧を中和しているようだ。今ならイオニウム方面への進撃も叶おう。君も力を貸してくれ」


「ラファエル様、ミスティン騎士団の戦況は・・・・・・」


「横を通り抜けてきたが、アグスティの街並みからは火が上がっていた。ただし、ミスティンの軍勢は市街で粘っていたから、まだ終わりを迎えてはいまい」


 イシュタルは友軍の無事に一先ず安堵の息を吐いた。だが直ぐに頭を切り替え、ラファエルの行軍の意図を問うた。


「・・・・・・ラファエル様。銀翼騎士団を率いられて、これから何とされるのです?」


「イシュタル。君はカナル・ミスティンの大同盟に加わっているのだね?セントハイムが動いたという未確認の情報もある。クルス・クライストは遂に真価を発揮したようだ」


「はい。クライストの志には、カナルのネメシス帝やミスティンの<北将>も全面支援する意向です。諸国の戦力を統合して魔神と四柱へ当たるに際し、私も異存はありません」


 ラファエルの背に張り付いたまま、イシュタルは彼の顔色を窺うことなく明言した。ラファエルがレイバートンの宰相として、そしてベルゲルミル連合王国の名代として利益を追求すると言うのであれば、今のイシュタルの立場はそれに反する恐れがあった。


 イシュタルはラファエルに心酔していたので、彼に命じられれば仰ぐ旗を変えるに躊躇はない筈であった。それがあろうことか、この場では明らかに心中に迷いが生じており、ラファエルがクルスと対決する姿勢を示しはしないかと、ディアネ神に祈るような気持ちで彼の真意を探っていた。


「クルス・クライストをクラナドの神に据える訳にはいかない」


 イシュタルの視界から、朝日の落とす光芒が消えた。目の前が突然真っ暗になったかのように感じられた。


「だが、差し当たりの敵は古の四柱に違いない。ディアネ神の封印が効いている内に、イオニウムの三柱を除かねばならん。このまま北進する」


「・・・・・・当面は、クライストやカナル軍と歩調を合わせるということですか?」


「そう言った。ライカーン、イオニウムに進路をとる」


 ラファエルの指令を聞き付けたライカーンが敬礼を返し、騎士団の統率を引き受けた。獣人軍団を撃破しておいて銀翼騎士団に目立った被害はなく、直ぐの出発に物理的な問題はなかった。


 雨騎士団はイシュタルを除いてほぼ全滅の体で、数少ない生き残りはそのまま銀翼騎士団に合流した。ラファエルの復活に何よりの希望と喜びを見出だしたイシュタルであったが、彼の背に温かみを感じることはあっても釈然としない暗い情念が消えることはなかった。



***



 元々ミスティン軍の方が多勢ではあったので、正々堂々ぶつかればこうなるものとワルドも承知していた。


(・・・・・・正々堂々ぶつかればな。〈北将〉を失った奴らがまともな動きをとれるなんてよ。何だってあのヒモ野郎は、こんな瀬戸際で覚醒しやがった?)


 イオスの堅実な指揮により、防御を主体としたミスティン軍はサイ・アデル騎士団の攻撃をあらかた防ぎきった。そうして攻め手の疲労が最大限に達したであろう機に逆撃を浴びせ、見事に粉砕しつつあった。


 モンデ・サイ・アデルは個人としても強力な騎士であったことから、多くのミスティン騎士を討ち取った。それでも最後は、体力が尽きたところをバイ・ラ・バイの怒りの一撃で沈められた。


 奇襲が不成功となり皇子までをも失い、サイ・アデル騎士団は浮き足立った。続々と味方が討たれる中で、もはやワルドは惰性で剣を振るうのみであった。


(どうしてこうなっちまったんだろうな。・・・・・・いや、わかっている。あいつから仲間に引き込まれて。ちょっと活躍して華やかな世界を覗いちまって、年甲斐もなくのぼせ上がったんだ。たかがコソ泥、領分を忘れちまえばそれまでのこと。俺は、本当の馬鹿だ)


 気が付けばワルドは敵に囲まれていて、見回したところ仲間は皆討たれた後であった。ワルドの顔を覚えていたミスティン騎士の計らいで彼はそのまま留め置かれ、その場は重鎮の登場が待たれた。


 ミスティン騎士の隊列が割れ、壮年の騎士と彼に寄り添うようにした貴人が姿を見せた。両人とも、ワルドの知った顔であった。


「王女様・・・・・・俺みたいなごろつきに近付いちゃあならねえ」


「私は気にしない、ワルド・セルッティ。かつてアグスティでもこのような問答を交わしたよな」


 ワルドは剣を握る手に力を込め、アンナの隣に立つイオスを向いた。イオスを相手にして一対一で自分が敗れるとは思えなかったが、この状況下て生き残る術がないことも承知していた。


(魔神の支配には逆らえねえんだ。かといって非武装の女に斬りかかる最期なんてのだけは勘弁だぜ)


 イオスは努めて冷静な態度で合図を出し、居並ぶ騎士たちに弓を構えさせた。


「弁明の機会は与えます。大人しく投降なさい。貴方がクルス・クライストと共にミスティンを助けてくれた事実や功績は覆りません」


「この手でヴァンシュテルン将軍を殺めているのにか?」


「それは・・・・・・」


「俺に融通をきかせれば騎士団は割れるぜ。王女様とクルスの友誼、それはそれ。俺やサイ・アデル騎士団の裏切りも、それはそれだ。・・・・・・だけどな、俺みたいな下賎の者を気に掛けてくれて感謝します。感謝ついでに、一つだけ頼まれてはくれませんか?」


 アンナは心底切なそうに表情を暗くした。そして口を結んだままに頷いた。


「ノエルに。あの世間知らずなエルフの嬢ちゃんに、達者でと伝えて貰えればありがたい」


 アンナは再び頷いた。ワルドは満足そうに喜色を浮かべると、剣を構え直してイオスへと向かった。動きからして本気の度合いが窺え、イオスの命じるまでもなく矢が四方よりワルドへと殺到した。


 全身を貫かれ、ワルドは果てた。これをもってミスティン軍の対サイ・アデル戦は終着を見た。


 この後、エックスの率いる東方混成軍がミスティン軍と合流を果たしたのだが、エレノアとワルドの死を聞かされたフラニルは、辺りを憚らず号泣した。




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