乱舞、アグスティ-3
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ミスティン騎士団の奮戦は特筆に値した。西から押し寄せる巨人王国の軍団を魔法による迎撃と軽妙な機動防御とであしらい、時間的な猶予を得ては、統率の欠片もなく出没する悪魔を集団戦闘の餌食とした。
何れもエレノアの神算と魔法の才に因るところが大きく、序盤戦はミスティン軍の優勢に事が運んだ。エレノアの右腕たる半獣の騎士バイ・ラ・バイもよく敵を仕留め、騎士たちの士気は絶頂にまで高まりを見せた。
会敵より七日を過ぎた現在、エレノアの率いるミスティン全軍は王都の南方に布陣しており、掻き回された形の巨人軍団はその東方にて再編の途上にあった。野戦の陣立てにも長じるエレノアは、短時間で防御柵を設置するなり巧みに補給部隊を招き入れ、全軍に一時の休息を取らせた。そうしている間も遊撃小隊を複数散らせた上で、悪魔狩りを続行させていた。
「〈北将〉に弱点はない。その事実をまざまざと見せつけられました」
「イオス。そんな弱気では困るわよ。貴方を上級騎士としてここへ戻すことに、私がどれだけ骨を折ったと思っているの?」
「あくまで感想ですよ。盗める技術は盗む。陣立て一つをとっても学ぶべき点は多々ありますから。何れ大軍を率いた経験を持つ将が必要になれば、私が前に出ることもありましょう」
味方の陣内において、イオス・グラサールとアンナはそんな問答を重ねていた。
「雨騎士団は無事なのかしら・・・・・・」
アンナが少数精鋭の友軍への心配を言の葉にのせた。それにはイオスをはじめ陣内のどの騎士も同様の懸念を抱いており、なぜならイシュタル率いるアルケミアの雨騎士団が敗れれば王都が獣人部隊に蹂躙されることから、致し方の無い心境と言えた。
エレノアの基本方針は時間稼ぎと犠牲の最小化にあったので、この時点では索敵に重きを置いた采配が為されていた。それが奏功し、敵の動きを速やかに察知することに成功した。
翌朝、こちらに向けて移動を開始した巨人の兵団から逃げるようにして、エレノアは全軍の進路を西へと向けた。思わずアンナがイオスを質問攻めにするが、そこはイオスも非凡であり、「南西から駆け付けるであろうサイ・アデル騎士団との合流を急ぐ為の一手です」と解説した。
それでも巨人族は体格の優位を生かした高速移動を決行し、緩やかに引くミスティン軍の殿部隊と遂には接触を果たした。
「イオス!ヴァンシュテルン将軍はどうして魔法で蹴散らさない?」
「・・・・・・巨人族の素の魔法防御は頑健です。おそらく将軍は戦術を駆使して、中・近距離の戦闘で片を付けるものかと」
イオスの推察した通りに、エレノアは殿部隊を囮として、瞬く間に巨人軍を半包囲の直中に陥れた。それは流れるような操兵で、不利に追い込まれた形のユミル王ですら感嘆を禁じ得なかった。
エレノア指揮の下、ミスティン騎士たちが三方から弓撃を叩き込むにあたり、巨人国に君臨するユミルは大声を張り上げた。
「スルトよ!好きにやらせるな!敵の隊列を食い破って見せよ!」
巨人王の咆哮は大きく大気を震わせた。巨人国最強の戦士・スルトがより豪快な雄叫びでもって主君の檄に応じ、大斧を振り上げた。
巨人の中でもスルトの体躯は並外れて大柄で、彼が抑制なしに暴れた先では虫の散らされるかのようにミスティン騎士たちが吹き飛ばされて宙を舞った。スルトの前に塞がっていた部隊は脆くも崩れ、半包囲の列中に穴が出現した。
スルトの暴力を遠目に確認したアンナなどは、かつてない戦争への恐怖を心根に刻み込まれた。先年獣人の慰みものにされた時ですらこれ程残酷な光景を目の当たりにはしておらず、あのような敵を相手に勝てる筈がないと一気に萎縮してしまった。
イオスは虚脱状態のアンナを抱えるようにして激戦区域から離れた。彼からすれば巨人が強いことなど最初から明白で、エレノアが易々と敗北を喫するわけがないという確信を持っていた。
ユミルは矢の雨を浴びていた前軍に、スルトの抉じ開けた間隙へと進むよう指示を下した。巨人たちが雪崩を打って殺到すると、ミスティンの騎士たちは明らかに交戦の意思なく後退りし、しかしそれがいつの間にか新たな包囲の輪を形成していた。この水が流れるような用兵にはユミルも戦慄を覚え、再び見舞われた矢の嵐に続々と同胞が貫かれていく様を、目を見開いて凝視した。
巨人軍の窮地を救ったのはやはりスルトであった。かの戦士は突き刺さる弓矢をものともせずに前進を続け、単騎の単純な武力で突破口を作り出した。巨人たちは皆スルトの後に続き、この場を離れることに専念した。
「追撃は無用です!手筈通り西へ!」
エレノアは巨人を逃げるに任せて混戦の解消と距離を稼ぐ道を選んだ。スルトらに薙ぎ倒された戦力は決して軽視できず、勝勢にあるといってもここでの完勝が約束されたものではない以上、だらだらと剣を振るい続けることを愚挙と捉えていた。
日はまだ高い位置で燦々と輝き光を落としていたものだが、敵に再度の攻勢がないと踏んだエレノアはしばらく西進したところで腰を落ち着け、簡易の陣を張るよう下知した。巨人の兵団も離れた地点で止まったまま動かず、この日の終戦は誰の目にも間違いのないものと映った。
アンナの姿は依然陣中にあった。イオスの献身により精神的にも復活を果たしたアンナは、巨人族を相手にしても常と変わらず戦場を支配するエレノアに、万事教えを請いたいという慕情を募らせていた。
その矢先に、待ち望んでいた援兵が到着間近との報せが入った。イオスよりもたらされた報告に、アンナはひどく安堵した表情を見せ、ほうと長い息を吐いた。
「サイ・アデル騎士団が合流を求めているようです。ヴァンシュテルン将軍自らモンデ・サイ・アデル皇子を迎えられるとか」
「では私たちも行きましょう」
「え?」
「余計な手出しはしないわ。どのような作法で出迎えるのかを見ておきたいの」
勝手を言ってアンナが天幕を出ていくので、イオスは仕方なしにその背に続いた。モンデと随員は既に陣の内部に足を踏み入れており、ちょっとした人だかりが出来ていた。
遠目にモンデ以下四名を観察していたアンナが、そこに見知った顔を見付けて小さく声を上げた。
「あれは、ワルド・セルッティではないの?サイ・アデルの軍服を着ているようだけれど・・・・・・」
イオスがそれに応じようとしたその時、ちょうどエレノアが姿を現してモンデらと会見した。近付いたエレノアが口上を述べ始めたたところで、モンデの横に控えていたワルドが一歩だけ前に出た。
軍服姿のワルドを認めたエレノアは、不思議そうに小首を傾げて彼へと声を掛けた。
「ワルド・セルッティ。サイ・アデルに仕官したのですか。随分と思い切ったものですね」
「あんたやクルスからしたら、分からん選択かもしれんがね。俺にだっていい目を見る資格はあるってわけさ」
「功名心に駆られることは悪ではありませんよ。ましてやこの時勢ですから。騎士としての貴方の活躍に期待します」
「・・・・・・そりゃどうも」
泣き笑いのような表情を浮かべたワルドは腰の小剣を抜き、誰も制することの出来ぬ早業でそれをエレノアへと突き出した。剣先は虚を突かれたエレノアの胸にするっと吸い込まれていった。
背まで刺し貫かれた小剣と飛び散る鮮血に聴衆が反応した時には全てが終わっており、前のめりに倒れ行くエレノアの姿はアンナの瞳に鮮明に像を結んだ。辺りに怒号と悲鳴が渦を巻くまで、僅かの時間しか必要としなかった。
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イシュタル・アヴェンシスは天弓フェイルノートから光の矢を放ち続け、雨騎士団の誰よりも多く獣人兵の命を奪った。百騎超という小勢ではあったが雨騎士団は統制がよくとれていたので、イオニウムから寄せてきた獣人の主力軍団に引けを取らなかった。
イシュタル個人の武力は戦場で輝きを放ち、獣人の戦士は彼女の氷青の瞳に睨まれるとあわや恐慌さえ来した。雄々しく腕を振り上げ水色の髪をなびかせて部隊を統率するイシュタルを眺め、アルケミアの騎士たちはこの美姫への忠義をいっそう強靭なものへと昇華させた。
騎馬隊ならではの機動と雨騎士団の特色である強力な弓戦術がはまり、アグスティ北の戦闘はイオニウムの数的優位が発揮されず膠着状態にあった。この日は日暮れ間近まで射撃戦が展開され、夜の闇を嫌った雨騎士団の撤退で小休止を迎えていた。
イシュタルが頭を悩ませていたのは補給であり、エレノア程に戦局を読みきることができなかったので、都度アグスティへと使いを走らせて物資の受け入れを模索していた。昨晩出した使者の戻りが待たれていたものの、事前に候補としていた合流地点から大幅に東に移動せざるを得ず、補給計画の狂いにイシュタルは歯噛みする他なかった。
少ない人数と明らかに不足した資材では陣を張ることも叶わず、イシュタルは夜営の地を水の便から河畔に決めた。馬を休ませ、残りの矢を配分すると、歩哨を立てて皆に休息を命じた。
疲れ、負傷もある騎士たちの手前寝袋に収まるわけにはいかず、イシュタルは手頃な潅木に背を預けて座り込んだ。携帯型の糧食を一欠片だけ口に放り込み、取り敢えず空腹を誤魔化した。
日が落ちた空はすっかり暗くなり、星がちらちらと瞬き始めていた。イシュタルはそれを無心に眺めやり、戦闘で荒みゆく精神を静めるよう努めていた。
(あの男と関わってからこちら、ろくでもない苦境が続いているな。武人として満更ではないが、これ程の試練に巡り会うことは金輪際あるまい。まさに今が正念場ということ。ディアネ神よ、どうか我に加護を賜らんことを)
「イシュタル様!大変です!使いが戻りましたが・・・・・・」
慌てふためく騎士の注進に、イシュタルは即座に立ち上がると毅然とした面持ちで詳細を質した。
「落ち着きなさい。何としたのです?」
「ミスティンの王都に・・・・・・アグスティに巨人が乗り込んで、街区は炎上しているとのことです!」
「何ですって・・・・・・!それで、〈北将〉の行方は?」
「不明です。輜重隊も僅かな物資を持ち出すことが精一杯だったようで・・・・・・」
イシュタルは並の騎士ではなかったので、瞬時に頭を働かせてこの場に止まる不利を認識した。友軍が敗れた流れで南北から挟み撃ちにあっては、小勢の雨騎士団にとりひとたまりもない事態であった。
アグスティが陥落した時点でイシュタルらがイオニウム勢の南下を足止めする意味はなくなったも同然で、次善の策は自分達の生存と考えられた。
(逃げるなら、遠征の途にあると思われるカナル軍に近い、西ね・・・・・・)
「通達!全騎補給を済ませて出発します。行き先は西方。カナル軍との合流を目指します!」
イシュタルの指示はすぐに伝わり、雨騎士団の面々は疲労を押して態勢を整えた。満足な補給を受けられず人馬の耐久力に不安も残るが、機を逸すればたちどころに死地へと誘われることを思えば、イシュタルはどれだけ仲間を急かしても決して焦慮と無縁ではいられなかった。
夜目が利く獣人を相手に夜間の行軍は避けたかったものの、イシュタルは無茶を承知で進路を西にとった。しかし夜明けと共に、残酷へと変じた状況は皆の知るところとなった。
「夜通し追跡されていたというの?くっ・・・・・・!」
イシュタルは拳を固く握り、ぶるぶると震わせた。後方に多量の土煙が視認され、獣人軍団が迫っている様子が明らかとなった。
殆ど休息もなしに移動続きな点は両勢共に等しかったが、片や友軍が失われ、片や友軍が勝利の勢いそのままに近付いてくるとあらば、心理状態に著しい差が生まれた。獣人の軍勢を率いるはイオニウム幹部のフェルゼンで、彼は生粋の嗜虐趣味から敵味方の士気の高低をよく理解していたので、自軍に無理を強いてもここで雨騎士団を追い込む腹積もりであった。
フェルゼンは部下を揃って獣化させ、全力での突撃を命じた。盟友たるユミルの率いる巨人兵の動向は、イオニウムの玉座に控えし主から超常的な魔法通信でもたらされていて、ミスティン方面の敵を駆除するという彼の使命はあらかた達成済みと言えた。
カナル軍が万魔殿の悪魔たちと戦闘に入ったことも知らされていたことから、フェルゼンの思考は次の一手に移りつつあった。〈フォルトリウ〉の幹部連中も参戦しているというカナル軍はやはり強敵であり、万魔殿以外の四柱が出張ることも視野に入れられていた。そうした戦況を一挙に好転させるべく、自軍と巨人兵団が少しでも早く戦地に突入すべしというのがフェルゼンの下した結論であった。
獣人という好戦的な種族らしからぬ戦略眼を有するフェルゼンは、此度の決戦における最大の障壁をドワーフ族の行動にあると定義していた。ドワーフ族は何の気紛れかアルヴヘイムに救援など出した実績があり、〈フォルトリウ〉に加盟していないことからも策を講じようがなかった。その為の布石として、主君に具申してドワーフを抑える目的で竜をも動かしていたので、フェルゼンの計算においては、カナルとミスティンを一網打尽にするのは然程困難な事業とも思えなかった。
逃げるを諦め迎撃に踏み切ったイシュタルの射撃は強烈であった。それでも獣化を果たした獣人兵は犠牲を恐れず、興奮状態を維持したままで雨騎士団に殺到した。
接近戦でがっぷり四つになれば雨騎士団に勝ち目はなく、フェルゼンの意図した通りに戦いは流れを変えた。無作法に生やされた髭ごと口の端を持ち上げていやらしい笑みを形作り、禿頭の獣人は猛々しく突撃の号令を連呼した。




