乱舞、アグスティ-2
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カナル帝国より北伐の部隊が進発したのは、クルスらが副都チャーチドベルンへ帰参してしばらくしてからのことであった。竜玉のみならず国宝・賢者の石をも回収したことで、事情を知る官吏や騎士たちの士気は否が応でも高まっていた。
皇帝ネメシスの懐刀たるクルスに寄せられる民草の期待は日に日に高まっていた。それは先の戦いにおいて彼がベルゲルミル十天君を力で制圧したことも相まって、此度のイオニウム征討が必ずや成功するものと信じられていた。カナルの白騎士団や黄竜隊は相次いで幹部騎士を失っており、クルスの占める重要性は上がるばかりであった。
当のクルスは出発ぎりぎりまでイオニウム方面へと同行するべきか否か迷っていた。大陸北端の岬を訪ねて目的は果たしたのだから、直ぐにも凍結湖にとって返してクラナド入りを急ぐ選択肢を捨てきれなかった。
石塔でゼロが言ったところの、先に四柱を打倒するという作戦には、正直なところクルスは少なくない懐疑心を抱いていた。それでも不完全とは言え三体もの大悪魔が南進を選んだならば、ミスティンをはじめとした北方諸国が危機的状況に陥る理屈は分かっていたので、彼は最終判断を仲間たちに預けた。
アムネリア・ファラウェイの「戦には機というものがある。諸国が立ち上がる機運を見せつつある今この時を逃せば、次にいつ大規模な作戦行動へ移れるかは保証がない」という言葉が早期再戦論を形成し、ノエルが万魔殿の封じ込めを主張した時点でカナルの幹部たちは意を決した。
それを受け、ネメシスが同盟勢力たるファーロイや〈リーグ〉の駐留部隊に協力を要請し、イオニウムへの出兵が実現を果たした。最後まで揉めたのはマジックマスターの役割分担で、魔神の霧に抵抗する使い手や万魔殿を封じる者は余程の実力者でなければならないと見込まれた。
高位のマジックマスターは貴重な戦力であり、万魔殿以外の二柱と対戦するにも魔法での援護は不可欠と言えた。チャーチドベルンにはノエル、イグニソス、ゼロ、アムネリア、シエラといった実力派のマジックマスターが控えていたものの、ゼロが不調なことやアムネリアの指揮職兼任もあり、神器の行使に充足した面子とは言い難かった。
そんな事態が好転したのは、全軍の出撃まで三日を残した頃であった。チャーチドベルンの宮中で夜通し会議を開いていたクルス一味の下に、凍結湖からアンフィスバエナとエスト、リーバーマンという〈フォルトリウ〉の三幹部が予告なしに来訪した。
アンフィスバエナは「四柱との決戦に臨むというに、この薄い陣容では心許ないでしょう。アケナス存続の為に助太刀します」と口上を述べて作戦参加の許諾を求めた。困惑するネメシスを前にして、クルスやノエルが強い拒絶を表したものだが、アムネリアやイグニソスら旧ベルゲルミル勢は「もはや旗色を窺っていられる段階ではない」とし、戦力の単純増強を喜ぶべきと受け入れの姿勢を見せた。
皇帝の裁定によりアンフィスバエナらの電撃参戦は決まり、同時にクルスのつけた注文である〈フォルトリウ〉勢は神器に直接触れないという禁則事項もまた約された。
茜色の空を見上げると群を成した椋鳥の飛行が目に留まり、それらは右手に繁る森へと吸い込まれるようにして一斉に降下していった。クルスは手綱を緩めることなく鳥を見送り、叶うならば自分も翼を持ってクラナドまで一気に上りたいものだと益のない妄想に耽った。
カナル・ファーロイ・〈リーグ〉の連合部隊は大森林の東側を迂回する進路をとって旧ベルゲルミル連合領を通過していた。ミスティンには寄らず直接イオニウムを突く急戦が想定されており、間も無くアルケミア伯爵国を縦断してアケナスの北部領域に達しようとしていた。
「クルス・クライスト。貴方が私達を嫌う心情は理解できます。ですが、対魔神・対四柱となれば私怨を忘れてはいただけませんかね」
クルスの近くに馬を寄せてきたアンフィスバエナは、戦時下であるにも関わらず黒髪を肩上できっちりと切り揃え、燕尾服の上にショールを羽織るという雅な格好を崩さないでいた。アンナの件もあり、クルスは〈フォルトリウ〉に心を許すことはなかったが、いざ共同戦線を張るとなればこの風変わりなマジックマスターの腕前を重視していた。
アケナスを守るという一点においてクルスとアンフィスバエナの目標はずれておらず、その過程や手段にさえ目を瞑ったなら肩を並べて戦うことに異論はなかった。
「・・・・・・戦闘中だけは忘れてやる。だから今は声をかけてくるな」
「混沌の君の正体が分かっても尚、我々に敵意を抱き続けるとは。その思考回路は到底理解できませんね」
アンフィスバエナは仰々しく肩をすくめて見せるが、クルスはそれに取り合わなかった。新しい騎馬が列中からはみ出して来、これもまたするりとクルスの横へ付けられた。
鞍の上下する度に緋色の髪が縦横に揺れ、至近に達したクルスの鼻先をかすめた。夕日を浴びて頭から足の先まで全身を赤く染めたレベッカ・スワンチカは、肩を触れさせるようにしてクルスにしなだれかかる形で耳打ちした。
「クライスト。配置は伝えた。奴等が不審な動きを見せたならば、即座に斬り捨てられよう」
「御苦労だったな」
「無論、乱戦になれば精度が落ちる。督戦部隊を編成するような余力はないのだからな」
「それは分かっているさ。あくまで精神安定の為だ。実際に奴らが裏切ったなら、その時点で出征は失敗に終わる」
「最後には雌雄を決するのだろう?ファラウェイの言うことなど無視して、一網打尽にしてしまえば良かったろうに」
「・・・・・・そこの、盲目のマジックマスターは元同僚じゃなかったか?十天君の先輩格に当たると思ったが」
クルスの物言いに、レベッカは明らかな不満顔を示して吐き捨てた。
「いけしゃあしゃあと黴の生えた結社に出入りしていた男など。・・・・・・それに〈鬼道〉は皇帝の友人にはなれまい?今の私はカナルの同盟者。カナルの敵すなわち私の敵だ」
「嬉しいことを言ってくれる。美女の同盟者は大歓迎だ。それでいて強いのならば、何一つ文句はない」
「卿は、あらゆる女の容姿を論評しないと気が済まない病にかかっているのと違うか?〈北将〉や〈雨弓〉はそれにほだされたのやも知れんが、私には通用しない。犬猫じゃなし、おだてなどされずとも役目は果たす」
レベッカの宣言はむしろ清々しいもので、クルスは〈烈女〉のことを見直した。彼女の戦闘力は巨人国からの道中で十分すぎる程目の当たりにしていたので、ここに来て背中を預けるに値する仲間であると素直に認めた。
(それはそれとして、これだけの美女とお近づきになれないのは残念なことだ。黙っていれば、アムやイシュタル・アヴェンシスにも引けをとらないだろうにな)
そんなクルスの胸の内を知ってか知らずか、レベッカがぴしゃりと釘を刺した。
「不埒なことを考えてはいないか?卿は思考が顔に出やすいようだから、努々注意すると良い」
「・・・・・・忠告、有り難くいただこう」
「クライスト。この布陣ではミスティンと戦前に合流するのは難しい。観測されている巨人軍を向こうに押し付ける形になるが、いいのだな?」
「魔神とその手下がいつ凍結湖を目指すとも限らない。竜王が敵の手に落ちればどの道破滅なのだから、ミスティン救援よりもイオニウム征討を急ぐ他にない」
「私は理屈を分かっているつもりだ。卿がそれで自身を納得させているなら、それでいい」
レベッカが気にかけているのはクルスとミスティン王国の交友の深さであり、短い時間を共に過ごした
だけの彼女にも、クルスがアンナ王女やエレノアと強い信頼関係を築いているのだと確信できた。戦略の視点からカナル軍が最短で四柱を打倒することは必須条件であったが、レベッカにしてみればミスティンは下手をすればイオニウムや巨人、それに魔境や竜からも攻撃を受ける恐れがあり、それは国家存亡の危機にも等しいと思われた。
ミスティン勢の屍の上に築かれた戦後の繁栄。そうなっても不思議でない情勢をクルスが認識しているのであれば、かの国と関係性の乏しいレベッカにとり不服は何もなかった。
再び皇帝ネメシスが自ら率いたカナル全軍は、進路を北東に向けて前進を重ねた。敵が無数の悪魔と獣人軍であることは布告されていたので、従軍した兵員は程度にこそ差があれ大半は恐怖に晒されていた。
皆が例外なく出陣前に遺書をしたためさせられており、苦戦が必至という見込みも、これが大陸の終末に関わる大事だという現実も説明されていた。重くなる一方の足取りをどうにか鼓舞して前に進ませているのは、威厳ある号令を発して規律を整え、時に宥めるなりして部隊を引っ張る女神宜しい存在に因った。それはネメシスとアムネリアであり、クルスが言うところの美女二天は騎士たちをあまねく魅了していた。
イオニウムまで直線距離で二日程に迫った頃合いで、偵察の為に先行していた騎馬小隊から、前方に悪魔の大群が認められたとの報がもたらされた。進発時より、ノエルが賢者の石を活用した対霧結界を構築してあったので、憂慮すべき点は悪魔の数と四柱、ないしは魔神の登場にあった。
中軍に陣取るネメシスは、馬を進めながらに己が傍らで全軍を統率しているアムネリアへ開戦の見通しを訊ねた。
「未だ千に満たぬ我が軍で、かつての二の舞にはなりませんか?諸国には檄文を発しました。例え一部でも、その到着を待ってから戦闘を開始した方が良いのでは・・・・・・」
「戦力比だけを考えたならば、まさしく陛下の仰有る通りです。クルスの報告にあった、凍結湖の竜王の身柄が無事と約束される場合においては、戦術的に急ぐべき理由はありません」
「アムネリア。現実に、悪魔の群を撃退出来ると思っていますか?」
ネメシスは自身の決断により多くの騎士を死なせた先の戦を悔やむところが大きく、此度の布陣が当時に著しく優るとも思えないことから、ともすると弱気が前面に顔を出した。アムネリアはそんな主君の心情をよく理解した上で、より丁寧に説明することを心掛けた。
「多勢の悪魔を伐つにあたり、今回は定石を第一に置きました。遠距離における魔法射撃戦。中距離における弓兵戦。そして近距離における騎士戦闘です。然るに、連れてきたマジックマスターは既に前軍に配備しており、いつでも攻勢に出られます。指揮はイグニソス殿がとられますから、そこは抜かりないかと」
「悪魔はあれだけの数です。魔法射撃だけで撃破出来ましょうか?」
「だからこその三段構えです。前回の敗戦を省みるに、不意を突かれた形でこちらの備えが疎かになっていた点は否めません。対人の戦術としては定番に過ぎましょうが、敵が悪魔となればこれで十分かと存じます」
「魔法攻撃を抜けてきた敵に矢の雨を浴びせ、更なる生き残りに剣をもって当たる・・・・・・ですね」
「御意にございます。乱戦になって以降はマジックマスター部隊を後方に回して、サポートに専念させます。弓兵は武器を持ち替えて中軍に置き、遊撃の任に充てる所存。前陣の編成としては、右翼にファーロイ騎士団。そして左翼に傭兵隊をまとめおいて、未熟な連携は極力排除しました」
アムネリアの腹は定まっており、最終的には剣で決着をつけるつもりでいた。クルス、ボードレール、レベッカ、アイザックに加えて自分がおり、近接戦闘の名手は揃っているとの自負があった。事前にマジックマスター部隊が敵を削っている想定下では、カナル軍に負ける道理はなかった。
それでもアムネリアにとて計算が働かぬ領域はあり、まず悪魔の継戦能力が不明である点。そして、魔神や四柱といった上位の大魔がどう動くものかも判然としなかった。
(それでも、敵が強大だからと言って引けぬ時勢。例えここで果てんとも、一匹でも多くの悪魔を屠って見せる。私やクルスに徳などはなかろうが、先に逝った者たちへ顔向けの出来ぬ生き方だけはしない)
アムネリアの予想では、イオニウム陣営はカナル軍とミスティン軍とに迎撃戦力を分散させる筈で、そこに勝利の鍵が存在すると見ていた。さらに、仮に賢者の石や竜玉が評判通りの潜在力を発揮するならば、四柱とも渡り合える余地は残されており、出兵の意図を達成する芽があるという筋書きであった。
出陣に先立ち、クルスの一味はとある約束事を定めていた。それは第一に皇帝ネメシスを生還させること。第二に、数少ない希望であるところの神器を敵に渡さぬこと。最後に、四柱を除いた後に残りし者が独りでもあらばその者がクラナドを目指して、刺し違えてでも魔神ベルゲルミルを葬ること。
カナル全軍を実質的に司るアムネリアに託された責任は小さくなく、彼女は率先してネメシスの身を守る決意を強固にしていた。
微風が夕暮れ時の空気を震わせ、ネメシスとアムネリアの白い肌を弱々しく冷やした。数日来雨の恵みもなく、乾ききった地面の上を土埃があてもなく彷徨っていた。
「アムネリア、ありがとうございます。あなたの無償の献身、こうしてそばにいるだけで気迫が伝わってきますよ」
ネメシスは先程までの不安な素振りをどこかへやり、爽やかな微笑を湛えてアムネリアに礼を述べた。アムネリアは馬上ながらに畏まり、形の綺麗な敬礼でもって返礼とした。
「勿体無き御言葉。なれど、報償は十分にいただいておりますれば。一度は魂の脱け殻と化し、為す術なく惰性で生を貪っておりましたこの卑賎な身。今もって重用いただけるなど、陛下とクーオウル神の深い慈悲には感謝以外の念を抱き得ません」
「フフ。あなたと私の付き合いです。必要以上に畏まらずとも良いでしょう。何よりあなたを失意の底から救い上げたのは、神や王といった大身ではなくただの放蕩者なのですから」
ネメシスの送る流し目の意味は分かっており、アムネリアはそっと目を閉じて主君の言に首肯した。ネメシスは満足そうに唇の端を持ち上げると、馬上で身体を寄せるようにしてアムネリアに小声で語りかけた。
「もしも・・・・・・もしもの話です。誰も欠けることなくこの戦が終結したのなら、アムネリアは所帯を持ったりしないのですか?」
「陛下。それは質問をぶつける相手に誤りがございます。意中を量りたいのであれば、あの者に直接質すべきかと」
「では質問を変えましょう。予めここだけの話と断っておきます。あなたも・・・・・・クルス・クライストを愛していますね? 」
「はい、陛下」
「ならば良いのです。はっきりさせておきたかった。・・・・・・クルスも、彼を取り巻く女性も皆、戦地より無事に帰して見せましょう。そうして帰還した暁に、彼に迫るのです。一体どの女を選ぶのかと」
「良いお考えです。埒が明かないようであれば、私が剣で迫りましょう」
「よしなに」
ネメシスの表情が柔らかかったのはこの一時ばかりで、直ぐに緊張と厳格さがない交ぜになった気配を引き戻した。肩にかけた儀礼用の袖無しの外套をむしりとると、周囲にも聞こえる美声ではっきりと指示を下した。
「アムネリア・ファラウェイ!戦闘指揮を頼みます。目の前に立ち塞がる悪魔を、見事払って見せよ」
「承知!」
アムネリアは力強く応じると、部隊各所に散っている仲間たちの顔を一人一人思い浮かべた。そして馬首を巡らせ、戦陣の展開を急いだ。




