1 乱舞、アグスティ
クルス・クライストの四女神とカナル帝国記
第七章 神々の黄昏
1 乱舞、アグスティ
大陸中が情勢不安に陥っている最中、ミスティン王国も慣例に従って新年を迎えた。長きに渡り国王位が不在であっても、年越しを祝う宴は民草にとり数少ない慶事であり、国中至る所でお祭り気分が醸成されていた。
将軍職にして国政を統括しているエレノア・ヴァンシュテルンは、続く戦乱に疲弊する国民生活を鑑み、国庫から少ない資金を出動させて各地の祝賀行事を助けた。王女たるアンナはその専断に良い顔こそしなかったが、彼女は彼女でクルスの口添えにより得た外交任務に精を出していたので、政争の勃発は自然と回避された。
元将軍・イオスと手分けしてのアンナの諸国外遊は一定の成果を挙げていた。しかしそれはミスティンの背後に、今やアケナス一強と噂されるカナル帝国の姿が見え隠れするからとの評判であった。
ネメシス帝の威を借るミスティンの王女が諸国に出兵を督促して回っているという風聞が伴う度に、アンナの心は挫けそうになった。それを守り立てたのはかつて失脚したイオスであり、彼は直向きに国事に勤しむアンナを懸命に励ました。
年明けに帰国したばかりのアンナは、エレノアからの急な呼び出しにも躊躇なく応じ、騎士団本部庁舎へと真っ直ぐ足を運んだ。先年、出国前のクルスから「くれぐれも〈北将〉と余計ないさかいを起こさないように」と含められていた為、今の彼女においては未熟さから来る自尊心が影を潜めていた。
「殿下におかれましては、戦場へ御出でいただくことに決めました。全軍の出陣は明朝としますので、軍装をお召しの上迎えの騎士をお待ち下さい。それまでは、都市外にさえ出なければご自由にされて構いません」
エレノアの執務室に足を踏み入れるなり通告は一方的になされ、アンナはまず目を白黒させた。そうして募る疑問が怒気へと転換する前に、自らをよく律し落ち着いた素振りでエレノアに真意を質した。
この反応にはエレノアも虚を突かれた。そうしてこれぞクルス・クライストの薫陶の賜物であろうと、寝不足で青白さの増した細面に微笑を浮かべて説明を始めた。
「殿下に幾ばくの役割も求めるつもりはありません。此度の出撃は単純な避難行動なのですよ。偵察で得た情報を解析するに、敵の主たる目標はここアグスティのようです」
「・・・・・・敵とは、イオニウムの獣人軍団?」
「それと巨人の兵団、魔境から北上の途にある悪魔の大群。何れもこちらの予測を上回る速度で殺到しております」
「それは・・・・・・誼を結ばんとしている諸国は、気付いているのですか? 」
アンナのその問いは窮地を救う友軍の存在を願うものであり、そもそも彼女がカナル皇帝と通じて諸国との積極外交に乗り出したのは、こういう事態にこそ即応する為であった。アンナの言から意図を見抜いたエレノアは、言葉を選んで彼女なりの所見を披露した。
「カナル帝国には使者を出しましたから、速やかに兵を出してくれましょう。ですが、距離を考えれば間に合うとも思えません。ベルゲルミル連合の諸国は既にアルケミアの部隊がこちらにおり、ファーロイ勢はカナルに駐留していますから、残る友邦国としてサイ・アデルとソフィアが挙げられます。後者は国主不在で指揮系統に不安がありますので、サイ・アデルのモンデ皇子に助勢を頼みました」
「オズメイとセントハイムの動きは?オズメイなど地理的に魔境と接しているのですから、悪魔の北進を見逃すとも思えない・・・・・・」
「別の意味で見逃すかもしれません。ラムダ・ライヴは狡猾な男。こちらに良い顔をしながらも〈フォルトリウ〉と交渉のテーブルに着くくらいのことはやってのけます。ましてや魔境と接しているのですから、かの国が自国の利益を度外視して自ら盾役を買って出るとは考えにくい。良いところ、中立の立場をとる程度と推測されます」
「・・・・・・では、セントハイムは?」
「かの大国に派兵を促すに足る国交は未だ樹立されておりませんから。それは王女殿下もよくお分かりの筈です。クルス・クライストが使者を立てたとは聞いていますが、過分な期待は禁物でしょう」
来客用のソファーに腰を下ろしているアンナへと、エレノアの従卒が十分な敬意を払って茶を出した。アンナはにこりと笑みを返して碗を受け取り、一口啜って気を落ち着けた。
その間も、扉が開放されたままのエレノアの執務室にはひっきりなしに騎士団関係者が来訪し、出撃や都市民の避難に関してエレノアに決裁が求められた。その一件一件に即応しながらも、エレノアの視線は変わらずにアンナへと向けられていた。
アンナが引っ掛かったのは、どうにも戦況が芳しくないという点で、ずばりエレノアへと話を振った。
「都市民を避難させると言うことは、つまり・・・・・・」
「王都の再失陥が濃厚です。現行戦力では複数勢力の攻撃を凌ぎきるに心許ない。かくなる上は、必要最低限の仕事をした後、生き延びること。そして、継続的に抵抗の続けられる体制作りを算段したいと存じます」
またもアグスティを占拠されるという悪夢のような見通しに、アンナは文字通り絶句した。そうしてエレノアが自分を連れ出そうとする事由を理解した。
目を見開いて歯軋りなどするアンナに対し、エレノアは自軍の採り得る戦術を聞かせた。
ここアグスティを狙う部隊の内、侵入を許して最悪を極めるのは獣人の軍団であり、それは彼等との戦いが長期に渡っていることより蓄積した怨嗟の念が原因であるが、エレノアは少数精鋭たるイシュタル・アヴェンシスと雨騎士団にそれへの備えを託した。他方、南から来る悪魔や東より寄せる巨人の兵団には自らが迎撃に当たるつもりで、エレノアとてはじめから勝負を捨てる気などなく、十分に時間が稼げると見れば持久戦も選択肢の一つと見なしていた。
神剣クラウ・ソラスの存在もまた、エレノアに一定の勝算を数えさせていた。無限の魔法力をもたらす神器は、大陸の屈指の魔法技術を有する彼女にとって、鬼に金棒とでも言うべき理想のマジックアイテムと言えた。
そうした対策を提示した上で、エレノアは相手が人外の魔神という不確定の因子を孕んでいることへの用心から、アンナの身柄を手近に置くのだと説いた。アンナはエレノアの頭脳を正当に評価していたので素直に納得し、イオス・グラサールを同行させる約束だけ追加で取り付けた。
エレノアは未だイオスを手元に置くアンナの心中が分からず、それへの怪訝さは自然と表情に映し出された。〈北将〉 の表したあからさまな侮蔑にかちんときたアンナであるが、公開の場でエレノアに口論を仕掛けるにあたり加減は弁えていた。
(ヴァンシュテルンとてクライストを憎からず想っているのだ。贔屓目で見たあれとイオスを比べられても困る。何より寡婦であるヴァンシュテルンと私とでは立場が異なる。求めた男が手に入らないからといって、私が律儀に男断ちをする理由などどこにもない)
「グラサールは一度の挫折で埋もれさせるには惜しい騎士です。この国難の折に人材が多いに越したことはないのだから、私が教導してみせます」
「ご随意に。殿下とグラサール卿が一緒におられてもそれはかつての光景が戻っただけの話です。騎士たちも動揺したりしますまい」
「何か言いたそうな顔ですね。不埒な王族であると笑いたければ笑いなさい。そのくらい、不問に付しましょう」
「埒も不埒もないでしょう?寂しさから、殿下は再びグラサール卿を近付けた。私は操を立て続けている。至極単純な話です」
「・・・・・・私がクライストを裏切ったと非難しているように聞こえるが」
「穿ち過ぎと言うものです。私は彼に恩以上の情を抱いてはおりますが、女としての作法を誰に強要する気もされる気もありません。私の姿勢に疑問を覚えるのならば、それは殿下が心中に後ろめたさをお感じだからでは?」
アンナは勢いよく茶を飲み干すと、執務卓から動かず決済書類へ署名を続けているエレノアに一瞥をくれた。そしてそのまま無言で退室した。
アンナとすれ違うようにして入室してきたバイ・ラバイは、戦士らしからぬ萎縮した顔で恐る恐る上司へと訊ねた。
「王女殿下に何と言われたのです?・・・・・・あのように恐ろしげな表情、かつて拝したことはありませんが」
半獣人の側近の問いに対して、エレノアは柔和な笑みを形作ると羽ペンを止めて優しく諭した。
「あれぞ女性というものです。戦乱の直中にあっても一人の男を巡って鞘当てを繰り広げる。それこそが正常な思考であって、あなた方男性はよく知ろうとするべきですね」
***
「俄には首肯し難い判断です。宰相殿におかれましては、我々が南部国境の守りにて何者と戦っているか、お忘れではありませんか?」
「アストレイ大隊長。私は職位から正当な手続きを踏んで命令を下したつもりだが。遂行の拒絶は、ブルワーズ将軍の意向かね?」
「群狼騎士団の総意です。閣下」
オズメイ北王国の名物宰相と堅物騎士は、王都ビスコンシンの宰相府中で問答を重ねていた。会議室の四隅には騎馬民族の末裔たることを示す馬具が装飾品として並べられ、白を貴重とした宰相府の静かな調度に粋を与えていた。
会議室には、形ばかりは宰相府の官吏や王宮詰めの上級騎士らが同席して座を埋めていた。しかし会議の冒頭から議論を続けるのは専ら、現場筆頭のアストレイと鐵宰相の二者のみであった。
それもそのはず、議題は魔境から飛び出してきた悪魔の北進に関する重要案件で、更に言えばラムダ・ライヴは悪魔に本国を素通りさせると決定していた。オズメイが誇る群狼騎士団はこの政治裁定を不服とし、対悪魔で徹底抗戦の構えを見せた。
宰相府と騎士団が手打ちをするための場が今日この日に設けられたわけだが、話ははじめから交わらないでいた。〈フォルトリウ〉の威光を借るラムダと対魔防衛ラインの正常化を唱えるブルワーズ将軍の対立は決定的であり、固有の軍事力を持たないラムダ一党は政治生命の危機に晒されていると言えた。
「アストレイ大隊長。先にミスティン王国から要求された賠償金額を知らぬわけではあるまい?あれを真面目に履行させられては国が傾く。ここでかの国を消耗させることは、交渉力の相対的な上昇に繋がり我が国の益に適うというもの。信義則一辺倒で政をするのは下策でしかないのだ。ここは曲げて、犠牲を出さぬよう兵を引かせて欲しい」
ラムダのダークブラウンの瞳が力強い光を発して、決して表情の動かぬアストレイの鉄面皮を打った。ラムダの政治判断に意を唱えられるものなどビスコンシンには少なく、文官の集まる室内を居心地の悪い静寂が支配した。
かつてアストレイは、ブルワーズの指示でラムダの身辺を秘密調査したことがあった。鐵宰相が強大な権力を盾に何かしらの不正を働いていないかと疑ったものだが、結果は驚くほど潔白であった。
(宰相が私利私欲で動いていないことは明らかだ。おそらく〈疫病神〉やエルフの娘も似たようなものだろう。己が信念に従って邁進する者同士、主義主張こそ違えども、単純に善悪で判断することなど出来ん。難儀なことだな・・・・・・)
アストレイは襟を正すと、ラムダの要請に自分の職権の許す範囲で回答した。
「国民の生活圏に侵入した悪魔は全て駆逐します。その点は譲れません。ですが、進んで掃討に赴く機ではないとも理解しています」
「それはこれより後、北方で起こり得る戦に騎士団の参画する予定がないという解釈で良いのだな?」
「そのような遠征計画は、私の職権が及ぶ範囲では知らされておりません。将軍閣下に直接お訊ねになっては如何です?」
「その将軍が、私の面会依頼を悉く拒絶しているのだよ。平時であれば罷免を検討する程の暴挙だ。軍歴の豊富なブルワーズ将軍の力量を買っているが故、そのような手段を講じるつもりはさらさらないがね」
「賢明な御判断です。国政があらぬ組織に弄ばれていたと知って、騎士たちの憤懣はやるかたない。将軍閣下が押さえ込まねば暴発すら致しかねません」
アストレイの真面目腐った物言いはしかし、その場でラムダ以外の者には皮肉として通じなかった。〈フォルトリウ〉の秘密主義は徹底していて、高位の文官とて正しくその存在を把握している者はなかった。
ラムダは歯噛みし、眉間に新たな皺を一つ刻んで言葉を返した。
「・・・・・・まさか、私を脅そうというのではあるまいな、アストレイ大隊長?」
「それは意図したところではありません。私は事実を述べたまで。・・・・・・〈リーグ〉のクルス・クライスト」
アストレイの突如口にした人名に、ラムダは如実に反応を示した。大きく息を吐いた後、椅子の背凭れに体重を預けるようにして話の続き待った。
「あの男がミスティンの〈北将〉を通じて小まめに連絡を寄越してくるのです。何でもイオニウムに特段凶悪な魔物が降臨したのだとか。対魔防衛ラインの総力を結集する必要性を説いてきました。・・・・・・一傭兵風情が笑止な話です。未曾有の戦乱が訪れる?座して待つはアケナスが滅びる?神だ魔神だなどと、まるで荒唐無稽な話だ」
「・・・・・・」
「将軍閣下にお知らせするまでもありませんから、私の手元に置いた話です。宰相殿が北への出兵などと言われるもので、この与太を思い出した次第。我が国の国益とは無縁の話でしょうし、お耳汚しでした。お忘れを」
アストレイとラムダを除いた面子は、何のことやら腑に落ちない顔をして沈黙を貫いた。この場の議題は迫り来る悪魔にどう対処するかというもので、アストレイの口にした有事など何の御伽噺だというのが常識的な感想であった。
静まった室内に、強烈な打撃音が響き渡った。不意を突かれて小さく悲鳴を漏らした者もいたが、拳で机を叩いた犯人がラムダであると知り、焦って非難の声を飲み込んだ。
ラムダは血走らせんばかりに見開いた両の目でアストレイをきつく睨んだ。アストレイはそれを至極冷静な態度で受け止めていた。
「・・・・・・アストレイ大隊長。大至急ブルワーズ将軍に謁見したい。議題は、イオニウム方面の情報収集についてだ。取り計らってはくれまいか?」




