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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
113/132

エピローグ

***



 サイ・アデル皇国に滞在していたワルド・セルッティは、自身の所属する騎士団に対して覚える違和感に戸惑いを隠せないでいた。皆が訓練や典礼行事は無難にこなすのだが、どこか熱が入っていないように思われた。


 皇子であるモンデ・サイ・アデルは約束通りにワルドを上級騎士に任じ、従卒や世話役のメイドまで付けて至れり尽くせりの待遇を与えた。それでも外様のワルドが皇国の社交界で受け入れられるには時間が不足していて、彼が汗を流すのは専ら軍部における鍛練の場であった。


 この日も木剣を手にし、若手騎士を相手に実戦的な闘法を手解きしていた。ワルドは真っ直ぐに向かってきた騎士の剣を剣で受け流し、直角にステップを踏んでがら空きとなった横から鋭い一撃を見舞った。


 若手の床に倒れるをもって一本が終了し、修練場の張り詰めた空気は一気に弛緩した。


「直線的な斬り合いしか想定していないからこうなるんだぜ。戦術予測に多様な技を盛り込まねえと、戦場で生き延びる確率は高められんな」


 ワルドの講釈に、若輩の騎士たちはよく頷き記帳などした。だがやはりそこにも確かな熱情が感じられないとワルドは冷静な目で観察していた。


 夕方から開催された宮中晩餐会は退屈に終始し、ワルドは壁の花宜しく独りぽつねんと酒を口にしていた。主賓であるモンデは未だ顔を出しておらず、それであれば皇国の紳士淑女は出自の怪しいワルドに興味など示さなかった。


 カナルに肩入れをしていた頃を思い返すと、ワルドの口中に苦味に似た味が広がった。絶えず戦地を行き来していた為にこのような華やかなパーティーとは縁が遠かったものだが、たまさか開かれた酒宴において寂しさを感じることはなかった。


(あの連中は、揃いも揃って変り者だったからな。種族も出身もバラバラで、後ろ暗いことを生業としてきた俺の過去すら霞んじまった。まるで連中とは昔からの付き合いだったかと錯覚しそうになったもんだ)


 酒席でも美辞麗句を用いて女を口説いていたクルスに、それを冷淡に眺めていたアムネリア。麦酒を延々と腹に流し込んでいたダイノン。騎士に話し掛けられて困り顔をしていたゼロ。マジックマスター相手に議論をふっかけていたフラニル。


 そしてノエルの弾けんばかりの笑顔が思い起こされるに至り、ワルドは圧し殺していた後悔の念がせり上がってくるのを認めた。自分とそれほど技前の違わないクルスが評価されてきたことに対する嫉妬など、実は大層な問題ではなかったのではないかと自問した。


 見せ掛けの栄達に拘り仲間たちを捨てた自分の判断を今更ながらに悔やむ一方で、ワルドはそれでも強かに失地回復をどう図るべきか考えを巡らせていた。


(ミスティンやカナルは近いうちにイオニウムと一戦交える筈だ。噂じゃ巨人の軍団も北上していると聞く。ここらで騎士団を引き連れて活躍しなけりゃ、俺はただの無駄飯食らいに思われかねねえ。モンデには出陣を含ませておく必要があるな)


 会場に姿を見せる様子のないモンデを探しに、ワルドは宮殿の深奥へと歩いた。彼の後ろ楯がモンデであることは周知のため、禁制の回廊にも易々と出入りは叶った。


 夜の宮中は燭台に点された灯火を頼りとする他なく、スカウト技能を極めたワルドであっても不慣れが災いして方向感覚を乱された。ようやく皇族の寝起きする区画に足を踏み入れたものだが、ワルドの直感は間違いようのない凶兆を捉えていた。


 背筋を這い上がる悪寒に冷や汗を滲ませるに及び、ワルドは自身が引き返す機を逸したのだと悟った。


「ワルド・セルッティ。どうしてここに?わざわざ会いに来ずとも、直に晩餐会で席を同じくしただろうに」


 いつの間にやら近くに立っていたモンデにそう問われ、彼の粘つく笑顔に内心で気圧されつつもワルドは平気を装って応じた。


「なに。そろそろ武勲を立てたいと思ってね。来る決戦に騎士団の出兵を頼みたい。カナルの後塵を拝した今だからこそ、国威掲揚にも意味があるだろう?」


「無論出兵はするよ。そして〈烈女〉に代わる騎士筆頭の君には、十分過ぎる活躍の機会が与えられる」


「そりゃあ良かった。〈疫病神〉だけにでかい顔はさせてられねえからな。精々悪魔の首を挙げてやるさ」


「勘違いをしないように。君が挙げるべき首級は、その〈疫病神〉のものさ。カナルの女帝でも〈北将〉の首でも構わないがね。相手を誤って貰っては困る」


 モンデの指摘にワルドは問い返したりはせず、双眸を細めて眼光を鋭くさせた。帯剣こそしていなかったが、彼の懐には常時暗器が忍ばせてあり、いつでも射出の出来る構えがとられた。


 モンデは全てを了解しているといった余裕の空気を纏い、殺気を隠そうとしないワルドを前にして肩をすくめる動作に止めた。


「そこそこ分かっているといった面構えをしているね。セルッティよ、ならばなぜ逃げ出さなかった?足には自信があるのだろう?」


 モンデに図星を突かれた形のワルドはしかし、逃走経路を思い描こうとしてもまともに働きを見せない頭脳に戸惑っていた。モンデの言動より、彼が未だ魔神の影響下に置かれていることは明白であった。にもかかわらず、ワルドはこのサイ・アデルの皇子に対して明確な反意を持ちながらも、何一つ行動に移せないでいた。


「こいつは・・・・・・まさか、俺様も操られていると言うのか?いったいいつの間に・・・・・・!」


「魔神の霧は私を媒介にして広がったようだ。君だけじゃなく、王宮に出入りのある者は軒並み精神を汚染されているのだろうね。私とて冷静に分析しているつもりで、どうして魔神に抗えないものか理性的な結論は出せないものだ」


 モンデは泣き笑いのような表情を浮かべ、気兼ね無しにワルドの肩に手を置いた。


「諦めろ。深刻に考えたところでどうなる呪いでもなさそうだ」


「馬鹿野郎・・・・・・お前は、こうなると分かっていて俺を呼び込んだのか?」


「魔神の奸計に落ちた私に、どこまでが自意識であったか訊ねても意味などあると思うかね?寧ろ私が教えて欲しいくらいだ。いまここで思考している私は、本当にモンデ・サイ・アデルなのだろうか?」


 その言葉はワルドの胸にずしりと重く圧し掛かった。どうにもモンデの話は事実のようで、ワルドはこの宮殿から、そしてこの国から脱走しようと考えるほどに一向に足が動かせないでいた。


 魔神の命じるがままにアケナス北部の戦線に出張ったならば、このままではカナルやミスティンと剣を交える結果を招いてしまうと考えて、ワルドは戦慄した。彼はそれをすれば森の娘が悲しむと分かっていたし、何よりクルスらが決死の覚悟で臨むであろうその場の障害になることなど真っ平御免であった。


(魔神の束縛なんぞに負けてたまるか。俺様はワルド・セルッティなんだぜ。こんなふざけた結末、絶対に認めねえ・・・・・・絶対にだ! )



***



「イーノ先生。計画の通りに、僕が神になるのでよろしいのですよね?」


「ああ」


「クルス・クライストは〈フォルトリウ〉の関係者に良い印象を抱いていないようですが、計画の妨げにはなりませんか?」


「竜玉が手に入れば、奴に用はない。邪魔をするようならば排除するだけだ」


 イーノとエデンの師弟が密談をしているのは凍結湖の底、竜王が住み処であり、クラナドを目指す〈フォルトリウ〉の一党は依然としてそこに留まっていた。


 竜王がクラナドへの道を開く最後の鍵ということもあるが、イーノの公言するは魔神の僕たる残りの四柱が仕掛けてきた場合に、彼がそれを撃退する役目を負っているというもの。人の身でありながら半神半魔の四柱を相手取る気の満々な戦士に対して、その場の主は邪険にこそ扱いはしなかったが、呆れた態度を露にしていた。


 竜王は二人を半眼で見詰め、特に感情の込められた様子もない声音で口を挟んだ。


「ひとのねぐらで物騒な話をしないで貰いたいな。だいたいクルス・クライストを用無しと断ずる割には、彼に頼るところが余りに大きいのと違う?」


「・・・・・・ヴァティも奴には一目を置いていた。ラクシュミ・レインからは後事を託されたことだし、俺が奴を扱き使うことに不自然な理はない」


「ふうん。そこまで認めているのなら、彼を新しき神に仕立てればいいんじゃない?彼もカナンの後継者を自認しているようだし、能力や識見に不足はなさそうに見えたよ」


 童の如き容姿で意地の悪い笑みを形作り、竜王はエデンに意味深な視線を送った。焚き付けられた形のエデンはにわかに表情を引き締めたが、口に出しては何も言わなかった。


 イーノはまともに取り合う気がないのか、竜王に顔を向けることもなく答えた。


「小賢しい奴には務まらん。フィンブルの夜の一件を知れば、尚更だ」


「・・・・・・だってさ、リヴ。馬鹿にされてるよ? 」


 竜王は上方を仰ぎ見て揶揄の言葉を投げ掛けたが、氷の女性像は何も反応を示さなかった。小さく息を吐いた竜王は氷を削り出して造られた台座に腰を下ろし、今一度イーノに話し掛けた。力の象徴たる竜王であれ、久方ぶりの客人を前にして退屈を紛らせることに快感を覚えていた。


「あの盲目のマジックマスターとダークエルフを外にやったろう?やはり、君はクルス・クライストに味方をしたいのだと思える。・・・・・・僕やリヴの目は誤魔化されないよ。あの者も化身だ。賢神エリシオンだね」


「だとして、何か問題があるのか?古き正邪の神々が潰し合えば俺たちにとって好都合だ。詩篇にあるようにエリシオンが全智の神であるならば、別に魔神を殺してくれても良い」


「それが出来るなら、リヴだってこんなところにはいないさ。ねえ、リヴ?」


『アケナスの管理者たる神の転生先として不完全な大陸種族が選ばれたなら、記憶も力も大して継承はされないでしょう。エリシオン程の実力者でも条件は同じ。まして魔神の他に三柱を相手取らねばならないのですから、あのマジックマスター一人が参戦したところで影響など軽微なものと考えられます』


 リヴァイプの言葉はその場に居合わせる皆の脳に直接響いた。エデンは氷像を見上げ、常と変わらぬ気楽な口調で応答を試みた。


「そんなこと、心配したって仕方ないと思いますけど。どうせ僕らが失敗したら終わる世界なんです。みんなそれぞれ好き勝手をすればいい。先生と僕さえ間違えなければ、ね。先生の期待に応えて僕が新しき神となって、予定通りに魔神を討ち滅ぼして見せます」


 イーノは黙って頷き、それきり口を閉ざした。


『あなたは神になり魔神を倒して後、何をするのです?』


「僕ですか?・・・・・・特に計画はありませんけど。先生と考えたのは、来るべき時期までの種族の補完と楽園クラナドへの進出。それと魔神ベルゲルミルの退治まででしたから」


『神は絶望しないと思いますか?』


「え?」


 意表を突かれたリヴァイプの問いに、エデンは呆気にとられた。竜王は瞳に意味深な色を浮かべて台座の表面を優しく撫で回していた。


 氷の像が為に表情の動かぬリヴァイプは、悲哀を濃くした口振りで演説をぶった。それはエデンを言い負かしたいというよりは、優しく諭す母なる存在に近いのではないかと竜王は捉えた。


『あなたたち師弟の思惑通りに事が運んだならば、あなたに待っている未来は無限の孤独です。文字通り永劫の、終わることのない独りの世界。天使にも人間にも寿命はありますから、誰も神と同じ時間を共有することは叶いません。原始の魔神までもが消失したならば、このアケナスにおいて神に比肩する存在はなくなります。さて、繰り返しますが、神は絶望しないと思いますか?・・・・・・答えは否です。今ここで私が答えの全てを証明しています。カナンと道を違えた時、私は彼に絶望しました。魔神の手に掛かってこのような身体になり、絶望しました。フィンブルの夜の結末に絶望しました。そして日々死んでしまいたいと絶望しているのです』


 締め括りとして、リヴァイプは神たるに相応しい慈愛に満ちた調子で助言を送った。


『その時が来るまでよく考えると良いでしょう。思えば、カナンが何故地上とクラナドを繋ぐビフレストの存在を放置し、それどころか守護者までも配したものか、今ならよく分かります。どうか思考の停止したままに大事を成すことだけはないように』



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