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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
112/132

  玉石混淆-3

***



 岬の石塔にイビナ・シュタイナーの姿はなかった。塔の上層に至るまでもなく、入り口でクルスらを待ち受けていたのはゼロであった。


 常日頃身に付けている外套のフードを深々と被り、覗いた瞳にはいささか剣呑な光が宿っていた。石塔の入り口を背に立つゼロの雰囲気に違和感を覚えたのはクルスだけでなく、アムネリアとノエルも未だ緊張を解けずにいた。


「……ゼロ、だよな?無事でいて何よりだ。先生はどこに?」


 クルスの歩み寄りを牽制するかのように、ゼロは掌を前に差し出して近付くことを戒めた。そうして懐から手中に収まる透明な球体を取り出すと、無造作にクルスへと投げ放った。


 受け止めた球体から発せられるただならぬ気配に、クルスはこれこそが竜玉なのであろうと見当をつけた。そして再びゼロへと問い掛けた。


「ゼロ。こいつをイビナ・シュタイナー先生から預かったということか?」


 ゼロはじっとクルスを見詰めるのみで、表情には感情の起伏が認められなかった。訝ったアムネリアとノエルが前に出てくると、そこではじめてゼロの口が開かれた。


「……儀式魔法に竜玉を用いて……魔神の精神汚染を妨ぐ……結界を……構築……」


 ゆっくりと首を傾げるノエルに対して、アムネリアが強張った声で危急を告げた。


「来たぞ。盲目に力ばかりを追い求める、愚かな虎がな!」


 穏やかに晴れた上空より、黒き翼を羽ばたかせてウェリントンが急降下してきた。その手には魔剣が握られており、臨戦態勢にあることは誰の目にも明らかであった。


 クルスらの目に異様と映ったのは、ウェリントンは人間の容姿をしたままでありながらその両目が汚い灰色に濁っており、露出した肌のところどころにひび割れのような赤黒い亀裂が走っている点であった。


「神具を寄越せ、クルス・クライスト!竜王の力、この身に取り込ませてもらう……」


「<白虎>。苦しそうだな。巨人国でイーノに、凍結湖では竜に追い返されて、相当傷んでいるのだろうが。今更お前に同情はしない」


「……あまねく四柱の力を得て、我が魔神をも滅して見せる。人を超え、悪魔を従えたこの私が神をも制するのだ……!」


「踊らされたな、ウェリントン!お前は魔神ベルゲルミルの計略に嵌まり、いたずらに四柱の封印を騒がせただけだ。ディアネ神や竜王から聞いた話では、黒の森とカナル帝国の四柱は既に蘇った。そして貴様の蛮行で万魔殿も顕現した。気が付かないか?徹頭徹尾、お前は野心を利用されたに過ぎん」


「……賢者の石よ。この小賢しい蝿を踏み潰す為、我に力を寄越せ」


 ウェリントンの全身から膨大な魔法力が噴き出し、それが闘いの号砲となった。クルスは神剣を抜き、アムネリアとノエルに目配せをした。


「行き過ぎた超人願望が手繰り寄せた運命だ!ここで殺してやるから、あの世でアルテ・ミーメに詫びて来い!」


 <白虎>のダーインスレイヴによる縦一閃を、クルスははじめて剣で阻んだ。アンスウェラなら可能ではないかと考え自然とそう動いたものだが、確かに魔性の神剣を凶気ごと受け止められた。


「クルス!翼だ!」


 アムネリアの警告の声が響き渡るのと同時に、クルスは地面を蹴って位置を変えた。クルスの元いた場所をウェリントンの黒翼が大気もろともに激しく引き裂いた。


 ノエルの操る魔法攻撃はウェリントンの魔法抵抗と拮抗しており、良い具合に手数を封じた。破滅の黒翼を引き付けているクルスに代わって、アムネリアが静かな足運びでウェリントンの間近へと迫った。


 ダーインスレイヴでの薙ぎ払いを低い姿勢でかわし、アムネリアはすれ違い様に剣を叩き付けた。しかしその程度はウェリントンの想定内で、硬化のなされた片腕が剣撃を見事に防いでいた。


 ただの剣では正面から撃ち合えない以上、アムネリアは近接戦闘に拘らず魔法による射撃を展開しながらに引いた。アムネリアの下がるに合わせてクルスが突出し、アンスウェラとダーインスレイヴとで壮絶な斬り合いを演じた。


 ノエルはウェリントンを取り巻く魔法力の流れを奇異なものと認識していた。賢者の石から流れ出ているであろう魔法力は外部への放出にあまり繋がっておらず、ノエルの眼には主に<白虎>の体内へと流入しているように映った。


(これは……この男の悪魔の肉体は、もう維持の限界間際にあるんだわ!賢者の石の力でどうにか延命を図っているだけ。それでは根本的な解決にならないから、四柱の力、すなわち竜玉を狙って来たのね。それなら……!)


 ノエルはここが勝負どころとばかりに、地・水・風・光の精霊を最大限の力でもって行使した。アムネリアはノエルの意図を察し、同様に中距離からの魔法狙撃に力点を置いた。


 ウェリントンは身を護る為に魔法抵抗の出力を上昇させるが、急激な負荷は身体の内から悲鳴を上げさせた。短期で決戦するべく目の前のクルスに攻勢をかけるが、相手も神剣を手にしている上、要所要所で謎の火精霊が邪魔をするものだから上手くは運ばなかった。


 もはや幻体を構成する余力などなく、ウェリントンは自身が敗北の途にあると認めざるを得なかった。翼を広げて中空へ飛び上がろうとしたそこに、これまで参戦の姿勢を見せないでいたゼロから放たれし光線が炸裂した。


「ぬおッ?」


 背を撃たれて体勢を崩したウェリントンへと、三者の攻撃が集中した。ウェリントンはクルスに袈裟斬りを決められ、アムネリアの剣に腕ごとダーインスレイヴを斬り飛ばされた。ノエルの創出した<ウィルオーウィプス>の群は魔人の全身を強かに撃ち、もはや回復の追い付かないであろう深刻なダメージを負わせた。


 地に膝をつき、今にも倒れそうなウェリントンを、クルスとノエルが前後から挟むような形で見下ろした。そんな緊迫した状況下、アムネリアは一人岩影に注意を払い、隠れ居るエドメンドの存在を嗅ぎ付けた。


「出て来い。火事場泥棒よろしく、賢者の石を奪い取るつもりであったな?」


「……石は古代の秘宝・秘術を研究するのに欠かせぬマジックアイテムだ。全ての魔法を紐解く最後の鍵。お前もマジックマスターの端くれ。その重大性は分かっておろう、アムネリア・ファラウェイ?」


 潜伏を見抜かれたエドメンドは素直に姿を現した。右手は懐に入れられており、それが罠か詐術の類いであるかはアムネリアにも判断がつかなかった。


 青白い顔を半ば恐怖、半ば愉悦に歪ませて、エドメンドは熱弁を振るった。


「ウィルヘルミナは狡猾で傲慢な女だった。自身が研究者である内は私と同じく禁術の解読に手を染め、権力へと近付くにつれそれを一方的に遠ざけた。お蔭で私の研究は全て闇に葬られ、あまつさえアカデミーをも放逐された。古の魔神や四柱までもが蘇りしこの時世にこそ、私の知識と技術は活かされる筈なのだ!そう、救世の為に、今まさに私はここにいる!」


「……女王陛下が清廉潔白であったとまでは主張せん。だからと言って、研究と称して数多の人間をモルモットにしてきたそなたの狂気と罪を見過ごすわけには行かぬ」


「そのようなもの、安い代償だ。私が賢者の石を手にすれば、アケナスの戦士たちは死してなお魔神に挑む無敵の軍団と化すのだぞ!悪魔との不毛な消耗戦も要らぬ、魔法の叡知が人間の勝利を約束するのだ!」


「その程度、<鬼道>とて画策は出来ような。だが、あれはあれで最低限の道理は弁えている。きっとあの者は下策と鼻で笑うに違いあるまいが。フフ」


 瞬時に、エドメンドの表情が憤怒のそれへと転じた。アムネリアと一対一で向き合う恐怖を、自身を嘲笑されたことによる怒気が上回った瞬間であった。


「何だと?屍霊<ネクロマンシー>の秘術を下策と言ったか?……私が生涯を捧げた研究、人智を超越した秘奥を冒涜する者は、何人たりとも赦さん……!」


「生ける屍と化した死人たちが戦士として跋扈する世など、魔神ベルゲルミルに生命を脅かされる現状と何ら変わらぬ。これ以上そなたの戯れ言を聞いていては耳が腐る。主と同時に逝くが良い!」


 エドメンドの長衣の袖口より、毛むくじゃらで四肢に刃を備えた使い魔が射出された。アムネリアは咄嗟に半身を捻ることで直撃こそ避けたが、脇腹と左上腕を裂かれて鮮血を散らせた。そこからのアムネリアの捌きは見事なもので、中空で旋回して背を狙ってきた使い魔を水平に薙いで断つと、返す剣でエドメンドをも斬り伏せた。


 同じ頃、クルスが物言わなくなったウェリントンに止めを刺しており、彼の手には久方振りに賢者の石が戻っていた。


「ふむ。無事に仕止めたようだな」


「ああ。虎とは無駄に長い宿縁となった。アム、大丈夫か?出血が酷いようだが……。ノエル、アムの治療を」


 クルスは魔法結晶の代わりにと、賢者の石をノエルに手渡した。ノエルがアムネリアの下へ駆け付ける間、クルスは黒い砂と化して風に散り行くウェリントンの遺骸を感慨深く見守っていた。


(イーノや竜と闘り合ったのが運の尽きだったな。お前も魔神の一味に唆された口なのだろう?四柱の封印を解くべくカナルの掌握を企図したアスタロテこそ、魔神ベルゲルミルの走狗であったに違いない。稀代の武人であり、それなりに野望もあったであろうからこんな結末を迎えた。やるせない話だ)


 因縁はあれど身内でもないウェリントンに対し、クルスはそれほど同情心を持ち合わせていなかった。それ故に、彼の興味は再会からこれまで挙動のおかしいゼロへと移った。


 焦点の定まらぬ瞳でクルスを見返してくるゼロにかつての共感を見出だせず、クルスはミーミルの泉で起きたことを振り返って考えた。自分をシュラクの想念から守ってくれたように、ラクシュミの思念はゼロを泉の外へと送り届けた。ディアネ神の言葉を反芻したクルスは、ではあの時ゼロの精神は無傷であったのかと反問した。


(ディアネはゼロの容態について言及しなかった。大丈夫だと言った先生の診断に疑問を挟む余地などなかったが、あれは正しい選択だったのか?)


「……ゼロ。もう一度訊くが、先生は今どこに?」


 ゼロはぎこちない動きで首を左右に振った。


「賢者の石と……竜玉で……結界を構築して……イオニウムに反撃……」


「さっきも言っていたな。結界で魔神の精神汚染を妨げる、だったか?」


 クルスの指摘にゼロが小さく頷いた。相変わらず上の空な面構えであったが、クルスはまず彼女の言葉の意味を読み解きにかかった。


「竜玉と、取り戻した賢者の石。どちらも無尽蔵の魔法力を蓄えると謳われる神具だ。これらの力を借りて魔法結界を起動し、魔神の霧を無効化する。その上でイオニウムへと進軍する。……これは先生の忠告なんだな?先生は、君に竜玉と策を託して去ったのか?」


「先に四柱を除かないと……アケナスが……蹂躙される……」


「それは分かる。だが討伐隊を編成するとして、それが為に戦士たちにどれ程の犠牲を強いるものか……」


「いま、クラナドに赴いている時間は……ない……四柱に好き勝手を許せば……世界が……壊れる……」


 ゼロは頑として譲らず、クルスは彼女がイビナ・シュタイナーの立てた戦略に傾倒しているものと確信した。治療を終えたノエルとアムネリアが加わってもなおゼロの様子は変わることなく、仕方なしに三人はそのまま策を論じた。


「先生が出来ると言うのなら、魔神の霧に対抗する結界は作れるのだろう。問題は戦力だ」


「ふむ。イオニウムに近付けば、先般陛下が相手をされたという悪魔の大群に迎え撃たれることは想像に難くない。少なく見積もって、二千の騎士を動員せねばなるまいな」


「全盛期のカナルとミスティンなら総力を挙げて或いはという数だ。<フォルトリウ>が余計なちょっかいを出してさえいなければ……」


「仮に頭数を揃えたとして、四柱をどうする?竜王以外がイオニウムに集っているとなると、神にも等しい敵を三体ほど相手にしなければならんが」


 アムネリアの口にしたことはクルスをして絶望を想起させる事実であった。如何にディアネがシュラクの力を封じているとは言え、常軌を逸した敵を攻略する絵図は未だ彼にも描けていなかった。


「万魔殿と悪魔だけでも封じられれば、大分楽になりそうなものよね」


 言って、ノエルは摺り足でクルスの傍らへと寄った。


「そうだな。獣人や巨人の戦士を相手取るだけならやりようはある」


「ゼロの言い様じゃないけど。この石と竜玉が魔神の霧をも退散させる力を持つのなら、万魔殿の扉に再び封印を施すことは出来ないかしら?」


「……検討の余地はある。卑しくも神具だ。一方を霧対策に用いて、もう一方はかつてディスペンスト神が施したように万魔殿の召喚機能を封じられれば御の字だな」


「問題はその二つの策を誰がどう講じるかだ。ウィルヘルミナ陛下亡き今、そのように高度で強大な魔法を行使出来そうな者など、あの男以外に思い浮かばぬ」


 アムネリアの人選はクルスとノエルも同意するところであった。しかし、すんなり共闘が成立するとは思い難く、彼の力を想定に入れて作戦を立てるわけにはいかなかった。


 ノエルから賢者の石を受け取ったクルスは、〈戦乙女〉の消失前にこの神具が戻ってきていたなら何かが違っていただろうかと考えを巡らせた。だがアムネリアに言葉なく見詰められ、無用の自問を頭の中で散らせた。


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