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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
111/132

  玉石混淆-2

***



 クルスの声に飛び起きたノエルは、枕元の細剣を掴むなり滑るようにしてテントから飛び出した。そうして、クルスと対して青白く浮かび上がる幽体然としたフィニスの姿を認めた。


「クルス?これは……」


「……分からない。が、フィニスのようではある。フィニス……なのか?」


 クルスとノエルが見詰める中、朧気にフィニスの容貌をした正体不明の存在が口を開いた。


「……フィニス・ジブリールです。クルス殿、大変恐縮ですが、御身の剣に<パス>を繋げさせては貰えませんか?この身体の維持に必要な魔法力が尽きかけておりまして……」


「なに?」


 それで大半を悟ったクルスは、急ぎ魔法を駆使して神剣アンスウェラとフィニスとを<パス>で繋げた。ただのマジックアイテムならぬ神具から魔法力を供給されたことで、フィニスの輪郭がはっきりとして往時の容姿を取り戻した。


「助かりました。もう少しで消えてしまうところでしたから」


 殊勝に頭を下げるフィニスへとノエルが近寄って、青白く光る身体にそっと手を触れた。避ける様子もなく、フィニスは悲壮感を露にするノエルを励ますかのように優しい声音で告げた。


「御二人のご推察の通りです。絶命間近な折に、炎の精霊へと転生を試みました。未だに自我を維持できているところなど、我ながら妙技であったと自負しています」


「フィニス……フィニス!」


 ノエルはフィニスの身体を抱き締めると、嗚咽を漏らして涙を流した。フィニスが禁忌の魔法を用いたことは容易に想像でき、彼女に人間としての生を捨てさせる事態を招いたことは、クルスやノエルにとり絶望を思うに充分であった。


 カナル軍と万魔殿より出でし悪魔との戦闘状況はアイザックから伝え聞いていたので、ネメシスを守る為にフィニスが無理を押したのだとクルスは正しく理解していた。それ故に、彼女を助けてやれなかった己の狭量を責め、クルスはかける言葉を持ち得なかった。


 <戦乙女>へと化身してクルスのペンダントに宿ったサラスヴァティ。彼女に続いて、大魔アスタロテとの闘争時から付き従ってきた赤髪の魔女までもが肉体を失った。その事実に打ちのめされつつあるクルスを、フィニスは落ち着いた口振りで諫めた。


「そのお顔。ネメシス様を守る目的で、私は自らの意思により禁術を行使したのです。クルス殿が悔やむ必要など幾ばくもありませんよ。寧ろ独力で精霊化を成し遂げたことに賞賛をいただきたいくらいです」


「フィニス……」


「ネメシス様や皆様に余計な心配をかけたくはありません。私の存在は、御二人の胸の内に留め置き下さい。そしてこうある以上、私は貴方の剣に宿り、最期の刻まで貴方の敵を焼き払い続けて見せます。かつて<戦乙女>がそうしたように、今度は私がクルス殿をお守りしましょう」


 フィニスの言葉はクルスの心を痛切に打った。ノエルはフィニスの名を呼ばわってはらはらと涙を流した。


(竜王がアンスウェラを寄越したのは運命であったかのようだ。フィニスがラクシ……いや、ヴァティと同じ霊体であるならば、生命の維持に魔法力の永続的供給が必要不可欠なはず。この戦乱期に魔法結晶が不足することは明白で、神具がなければどうなっていたか……)


 クルスはノエルを向くと、フィニスの請願を遵守する旨確認した。


「フィニスは戦闘中に行方不明。そのままだ」


「……分かった。でもクルスの側で戦いに加われば、何ればれるわよ?」


「その点は御心配には及びません。敵を前にすれば、クルス殿のいち武器としてただの火炎に専念します」


 フィニスはノエルに答えると、わざと下半身を炎へ変化させて実例を示した。それを見たノエルの表情を占めたものは、安心ではなく明らかな哀しみであった。


「フィニス……」


「フィニス。こうなったからにはこき遣わせて貰うぞ。おれたちがここで汗をかいた分だけ、ネメシス様やアケナスの平穏は近付いてくるのだから」


「承知致しました。……ありがとうございます、クルス殿」


 往時の姿にたち戻ったフィニスは、クルスやノエルの記憶に新しい涼やかな笑顔を浮かべて軽くお辞儀をした。そうして青白い炎の塊に化身するや、クルスの腰に差された神剣に吸い込まれるようにして消えた。


 居たたまれなくなったのか、ノエルは口許を手で押さえてテントへと小走りに戻った。クルスはしばらくその場に佇み、無事とは言い難いがフィニスの帰参した事実を取り敢えず喜んだ。


 クルスは似たような形で<戦乙女>を従えていたが故、当面のフィニスの扱いに困る心配はなかった。どうにかフィニスを元の身体に戻してやりたいと願うものの、今のクルスにその為に立ち回る余裕などなかった。


 フィニスとの邂逅の余韻を胸に仕舞い、クルスはアンスウェラの柄を軽くさすってその場から引き上げた。



***



「クルス・クライスト。この忙しい時期に北へ旅立つんだって?何とも呑気なものだね」


「お前とレベッカがいれば、ここに不足はない。ミスティンにはイシュタル・アヴェンシスもいる。十天君様様だ」


 晴天の下、都市外で練兵を行っていたボードレールは、通りがかりのクルスたちを茶化すように声を掛けた。クルスは手慣れた返しをし、ボードレールに付き従うローブ姿の男に挨拶をした。


「イグニソス卿、後を頼んだ。しばしの間、血気盛んな連中の手綱を握っておいて欲しい」


「皇帝陛下より伺っております。貴方と<リーグ>のエックス参謀が、それぞれ北と東にお出になられると。留守は万事、御曹司にお任せあれ」


 クルスは手を上げてそれに応じ、「この機会にカナルを征服してやろうか」と嘯くボードレールを無視して馬足を速めた。北の大森林までは馬で時間を短縮し、そこからはノエルの案内で森を縦断する旅路を予定していた。


 エックスはクルスの要請を受け入れ、フラニルとレイを連れて東に進発していた。チャーチドベルンに残された傭兵は皆ボードレールの指揮下に収まっており、<リーグ>戦力の低下は見当たらなかった。


 一方で、アルテ・ミーメやセイクリッド・アーチャーを欠いた上、神官長のベンをも失ったカナル軍は有力な将帥を必要としていた。クルスはアムネリアが引き続きその任に当たるとばかり思っていたものだが、当ては早々に外れた。


「<流水>はあれで義理堅い男。マジックマスター・イグニソスの知略もウィルヘルミナ陛下の御墨付きであり、対処に問題はなかろう」


 クルスの横で馬を駆るアムネリアはそう断言した。彼女の背には矢筒が背負われており、珍しくも剣に加えて弓矢が持ち込まれていた。


 武芸百般に通じるアムネリアならばさもありなんと、クルスの背から腰に手を回して騎乗するノエルは彼女の弓装備を当然のこととして受け入れていた。


 アムネリアがクルスとノエルに付いて大陸北端の岬を目指すと言い出した時、周囲は慌てふためいてそれを宥めに掛かった。最終的にレベッカ・スワンチカが白騎士団と黄竜隊の指揮を引き受けたから良かったようなものの、ネメシスやカナル軍の幹部は一連の騒動にやきもきさせられた。


 ネメシスの「何か思うところでも?」という問いに対し、アムネリアは明快に「竜玉を狙って<白虎>の動く可能性が高うございますれば」とだけ答えた。ウェリントンに旧宗主を討たれていることから、その場で彼女の言動に不審を抱くものは少なかった。


 ノエルの案内により大森林の通過に労はなく、クルスたちは徒歩に変えて旧ベルゲルミル連合王国領に足を踏み入れた。


「直接話して、長老と里の協力もとりつけたかったんだがな。長期不在とは……」


 クルスの愚痴に、若干不安の色を表情に浮かべたノエルが弁解を述べた。


「各地の同胞に呼び掛けて対魔戦線を構築するつもりらしいから……結局は共闘になると思うのだけれど。父様に限って里に定期連絡を入れないことがあるなんて」


「ノエルよ。考えを先走らせてはならんぞ。今は何も確証がない。便りがないのは無事の報せだという諺もある」


「……ありがとう、アムネリア」


「差し当たり、今晩の寝床を心配せねばな。こうも野宿が続くと、女たちに苦行を強いる嗜虐志向の持ち主が策とも疑いたくなる」


 アムネリアの言葉をじっくり噛み締めたノエルは温度の低そうな視線をクルスに送った。クルスは心外とばかりに手を振り、懐から地図を取り出して反論を展開した。


「今夜は公国領の町に逗留予定だ。大都市ではないが、旅亭の目星もある」


「ふむ。久方ぶりに湯あみが出来そうだな」


 アムネリアの湿った大地を踏む足が軽くなったようだとノエルは見てとった。かくいうノエルも、森で泉の冷水を浴びただけでは不満に思っていたので、アムネリアの提案に賛意を表した。


「それくらいはあると思うがね。……どうせおれの楽しみは見付からないのだろうな」


「ただの町村に妓館があってたまるか」


「……アムはおれの人格を誤解している」


「違うのか?妓女ではなく、そなたはただの酒場を求めているとでも?」


「……」


 押し黙るクルスをひと睨みし、アムネリアはそれ見たことかと勝ち誇った顔付きで大股に歩みを進めた。長い付き合いから二人の会話を理解するに至ったノエルは内心でくすりと笑い、背を丸めて行くクルスの周りを軽快なステップで回遊した。



***



「ねえ、クルス。魔神との戦いが終わったら、次は何をするの?」


 町で二軒ある旅亭の一つに荷を下ろしたクルスたちは、一階に併設された食堂で夜の一時を穏やかに過ごしていた。アムネリアは入浴の為不在で、クルスは向かいに腰掛けるエルフの美貌を肴に果実酒をちびちびと嘗めていた。


 ノエルの問いに邪推が感じられなかったので、クルスは思い付くままに願望を並べてみた。


「剣と魔法の日々だったからな。戦いとは無縁の生活をしてみたい。……これでも小さい頃はよく野良仕事を手伝っていたんだ。農作業は嫌いじゃない。酪農だって奥が深そうだしな。田舎に引っ込んで生産活動に従事するというのは、贅沢な夢だ。あとはこれまで接点すらなかったが、楽士という職にも興味はある。それこそ誰に楽器を教わればいいのか検討もつかないが……」


「ふうん。面白そうだわ。なら私が手伝ってあげる。だって、田んぼや畑の仕事をアムネリアやネメシス様に手伝わせるなんて無理でしょう?」


「何でその二人が出てくる?というよりノエルだってエルフの長老の娘なんだから、畑仕事の経験なんてないだろう?」


「森と共に生きる私たちエルフの方が自然に親しいわ。私たちは果実くらいしか栽培しないけれど、それでも水と土、風の精霊が助けてくれるから、いつも豊作じゃない?」


「……それは反則技な気もするが、便利なことには違いない」


「そうよ」


 ノエルがクスクスと笑い、ほろ酔い状態のクルスの目を楽しませた。二人の間には優しい空気が醸成されていた。


 周囲に他の客はおらず、店主の水を出して食器を洗う無機質な音だけが流れた。


「ねえ、クルス?」


「うん?」


「古い話よ。シラクサでね、リン・ラビオリと話したの。あの人、クルスのことが好きだって言っていた」


「……そうか」


「アムネリアは関心がなさそうだったけれど。私は張り合っちゃった。……エルフなのに、可笑しいわよね?」


 クルスはノエルの碧眼から放たれる真摯な光を真っ向受け止めた。そうして口にした言葉に澱みは見当たらなかった。


「人間もエルフも関係ないさ。おれだってノエルのことは好きだ。このまま何事もなく二人で農村に根を張って自然と共に生き、愛を育み子を為すのも悪くない。いや、寧ろそれこそが至福だろう。……そういう当たり前の営みが許される平和な時代なら、おれは一も二もなく剣を置く」


「出来るわよ。決着はすぐそこまで来てるもの。騎士が戦いから解放される時は近いわ」


「魔神は倒す。そして平和の礎はネメシス様に築いていただく。……それだけは、必ず為してみせる」


 クルスは言い切ったが、その続きが口をついて出ることはなかった。クルスが戦後に自分の居場所を規定しないことは、ノエルの予想の範疇であった。だからこそけしかけたのであって、ノエルはクルスの覚悟を正確に捉えた。


(やっぱり!クルスは自分が新たな神を務めて魔神を打倒するつもりだわ。相討ち覚悟で突っ込んで、首尾よく運んでも私たちの前から姿を消すんだわ……)


 湯上がりのアムネリアが顔を出したので、二人の話は棚上げとなった。元よりこの場で説得が出来ると考えていなかったノエルは、次は自分が湯を使う番だと席を外した。


 ノエルを見送ったアムネリアが、若干非難の色の込められた黒瞳でクルスを射た。


「湯上がりの上気した肌もまた素晴らしい。流石はアムだ」


「当然のことを今更口にするな。……あまりノエルを虐めてやるでない」


「そういう話ではなかったんだけどな」


「大方将来の話でも振られたのであろう。そなたが困るとすれば、そのあたりしかあるまい」


 アムネリアはクルスの横、至近に腰を下ろした。湯上がりの薄着に当てられたことと彼女の的確な指摘に、クルスはらしくなく目線を逸らした。


「そなたの考えなど、陛下のみならずノエルや私にもとうに伝わっておる。ニナ・ヴィーキナの時と言い、ほとほと自己犠牲が好きと見えるな。それは勇者サラスヴァティの育成方針か何かか?」


「セイクリッド・アーチャー卿からも似たような嫌味をぶつけられたことがある。貴方は敵中に突出するきらいがある。それは破滅願望なのか英雄願望かどちらだ、と」


「ふむ。あの御仁、口は悪かったが物事の本質を捉える能力に秀でていた。惜しい人物であったな。そう、そなたの特性を見事に言い当ててもいる。全ての事柄において気負いが勝っているのだ。クルス」


 クルスが杯を傾ける度発せられる氷と硝子のぶつかる音が沈鬱に響いた。


「そなたは色々と背負い込み過ぎだ。クーオウル神も聖典に言っておられる。望んで得られぬ愛があれば望まずに得られる愛もある。然らば目に映る範囲に無限の愛があるとて汝に幾ばくの責務もあらん、とな」


「……博愛を標榜しているだけのことはある。クーオウルは多情多恨を良しとするか」


「全ての女に責任を果たさずとも良い。そういうことだ。そなたの場合は女だけでなく、国家に対しても同様であろう。ミスティンやカナル、ベルゲルミル諸国の命運が自分の行いに懸かっているなどと、烏滸がましいとは思わぬか?」


 そう言っておきながら、アムネリアはクルスの英雄願望を得難い資質であると認めていた。かつて彼女が心を寄せたルガードも義に厚い熱血漢であったし、その弟たるオルファンも真面目且つ純朴で夢と希望に満ち満ちた男であった。アムネリアはそういった前向きな男の面倒を見ることにこそ喜びを見出だす性格であり、クルスを心配こそすれ本気で糺すつもりなど毛頭なかった。


(サラスヴァティ・レインの背を見て育ったのだから疑い無い。クルスは自己の人生を投げ打ってでもアケナスの救済へと動くだろう。……ラクシュミ・レインがいたのなら、どう向き合ったのであろうな)




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