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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
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  魔団と翼将の遺産-3

 美しい氷の彫像。女の上半身だけが天井から垂れ下がるようにして、リヴァイプはそこに在った。


 竜王の言葉に理解が追い付かない面々は、イーノを除いて皆が放心状態で天井を見上げていた。アンフィスバエナがかろうじて平静を保って、竜王へと簡潔に質問した。


「あの氷像がまさか、海洋神リヴァイプであると?」


「そうだよ。ねえ、リヴ?」


 竜王は細面に愉悦を滲ませ、天に向かって促した。


『私はリヴァイプ。カナンと共にアケナスの管理者を務めていた者。……今はただ、ここで終えられぬ生を貪る神の成れの果てに過ぎません』


 その声は確かに氷の像のあたりから発せられ、場に居合わせた全ての者の鼓膜を等しく震わせた。クルスの目から見て女性像は微動だにしておらず、リヴァイプを名乗る天井の主が意図せずそこに囚われていることは明白だと思われた。


 像となりし女の上半身は裸で、氷の質感から人間味こそ感じ取られなかったが、フラニルなどが喉を鳴らす程にその容姿は美しかった。ディアネの例といい、成る程女神は美女であることが条件なのかとクルスは場違いな感想を抱いた。


「……貴女が本当にリヴァイプ神であると仮定して。その姿が、フィンブルの夜とやらの結果なのか?」


 クルスは単刀直入に訊ねた。古城からこちら、神々にまつわる奇想天外な話ばかりを聞かされ続けたので、彼は創世に係る秘密に耐性を育てていた。


『あなたがカナンの弟子ですね?……そうです。私はカナンによってクラナドを追われ、このような形で力を失いました』


「なに?天使の造反ではなかったのか?」


 クルスはイーノの表情を窺うが、やはり彼は何も応答しなかった。


『全てはクラナドの、力の総量の問題。ベルゲルミルを制し切れない原因を、カナンはそう結論付けました。マイルズ。クーオウル。エリシオン。シュラク。そして私。カナンの下にはディスペンスト、ギルモアーにディアネ。他にもマイルズにヴァルキリーたちが従うように、アケナスの管理者たる神族は両手の指以上の数に上りました。多すぎる神がクラナドの持てる力を分散させ、ベルゲルミルとの戦いに水を差しているのだと。……事実、私やクーオウルはアケナスを戦火に包むことに反対し、ベルゲルミルとの闘争へ消極的な姿勢を貫きました』


 リヴァイプは高所より、クラナドで起きた変事を丁寧に解説した。


 カナンは神々の粛清を決めた。自分に近く、シュラクの化身たる四柱の封印に深く関与するディアネやディスペンスト、それと最も信頼する軍神マイルズだけを残して、後の神々をクラナドより放逐する策を練った。


 天使を意のままに操った聖神カナンは、クーオウルという旧くは人間の頃より親しい仲間であった主神を不意打ちする形で地上へと落とした。それに成功するや次々と従神たちをも追放した。中にはヴァルキリーのように、アケナスやクラナドとは物理法則の異なる精霊界に逃げ込んだものもいた。最後に、エリシオンとリヴァイプだけが残された。


 異変に気付き抵抗する二神に対し、カナンはマイルズとディスペンストを差し向けた。ここに神同士の戦争が勃発した。


 クラナドの天使たちをも巻き込んだ戦いは、エリシオンが他の神々と同様に排斥された時点で勝敗を決した。だが、戦禍のクラナドに絶望した天使たちは、首謀者であるカナン一党に不信を募らせ、遂には全ての神を追放するべく打って出た。


 カナンやマイルズと言えど統治システムを動かす天使の反乱には長く持ちこたえられず、多くを道連れとしながらも管理者の資格を剥奪された。リヴァイプは戦いの最中でクラナドからの離脱を図り、管理者すなわち神たる資格を有したまま地上に逃れた。だが、それを見逃さなかったのが魔神ベルゲルミルであり、リヴァイプを虜として、かつては生命の豊潤な湖であったこの地に封じた。


『天使も数を減らしました。それ故に管理者権限をどうこうすることは出来ず、私だけがこの身体を維持し続けました。カナンにせよマイルズにせよ、神としてではなく転生した彼等が記憶を無くしたまま幾つも世代を重ねていったのに対し、私は死ぬことすら許されず、ここで独り無意味に生にしがみついています』


「あはは。独りはないでしょ。僕が構ってあげてきたじゃないか」


『あなたが私に語りかけてきたのは、この百年で二度目です。カナンの転生体であるサラスヴァティ・レインの訪問があった日と、今日』


「そりゃあ何百年と一緒なんだから、倦怠期だってあるさ。百年なんて僕らにとってさして長いとも言えないだろう?それまではうまくやってきた」


『あなたはサラスヴァティ・レインともラファエル・ラグナロックとも私を引き合わせなかった。私を殺してくれるかもしれない実力者を、敢えて遠ざけたのです』


「はは!死にたがりを易々と一人で死なせてあげるわけにはいかない。僕も君も、管理者の身分である以上この世界の行く末に責任があるのさ」


 リヴァイプと竜王の掛け合いは一同の目に奇異なものと映ったが、クルスの思考は別の点に反応していた。それを裏付けるかのように、クルスが改めてイーノに目を向けると、彼はそっと瞳を閉じた。


(ヴァティはクラナドで、前世の自分が引き起こした事件を知ったのではないか……。正道を行く彼女のことだ。大いに落胆したことは想像に難くない)


 クルスは、サラスヴァティがクラナドを訪れておきながら、真の意味で神へと回帰しなかった理由が分かった気がした。転生体である自分がカナンと同じ轍を踏まないかという不安や、かつて敵対した天使という種族への複雑な感情が、彼女をディアネ神の下に走らせたのではないか。そう考えると色々と符合するとクルスは思った。


(魔境の奥にミーミルの泉があるとヴァティを誘ったのはイビナ・シュタイナーで、泉から帰らなかった彼女の代わりにラクシュミこと混沌の君を立てて救世を志を継いだのがイーノ・ドルチェ、か)


 そう考えると、クルスは自分が引き継いだものの重みに押し潰されそうな気さえ覚えた。しかし、ここにいないアムネリアやネメシスの顔が脳裏に浮かんでくると、弱気は瞬時に払拭された。


「竜王よ。ここにはクラナドへ上がる手段があるのか?あるのなら、それを貸して欲しい」


 そう問いを発したクルスの瞳に決意の光を感じた竜王は、調子こそ軽快なままではあったが、有りのままを語って聞かせた。


「ある。というよりは、竜玉という神具の力を引き出せばそのくらいの奇蹟は起こせる。でもさっきも言った通り、僕にはそれをしてやる理由がない」


「アケナスの管理者権限を、お前たちから引き取ってやる」


「うん?」


「神としての力の片鱗を失えば、もうこのような辺境に篭る必要はない。好きに生きるといいさ」


「……どうせアケナスは滅びるのだから、何をしようと無意味だよ」


「このままならな。獣人や妖精のみならず、悪魔とて種族としての命数を減らしている。だが統治システムを更新すれば<フォルトリウ>が長年維持してきた種族補完の理は昇華を見る。そして、ディアネ神が抑えているシュラクの怨念も管理者権限と共に消える。残るのは魔神と、それに仕える半魔共に過ぎない」


「その魔神だよ。聖神カナンの一党が総力を挙げても抹消できなった存在だ。君はどうやってそれに対抗すると?」


「アケナスの力を結集する。新しき神。諸国の騎士団。人間以外の種族。全ての力を」


 ここではじめてクルスが今後の指針を皆に提示した。真っ先に反応を示したのは、意外にも高所に佇む氷像であった。


『……カナンと私たちは、自分たち管理者以外の存在を味方として見なさなかった。それは、ベルゲルミルの霧に囚われた者が押し並べて正気を失うから』


「霧はアケナス全土を覆っているわけではないし、心を奪われるのには条件があるのだろう?おれは戦場で霧に邪魔こそされたが、それだけだった。サイ・アデルの皇子はミスティン騎士団に敗れて正気を取り戻したと聞く。打つ手は必ずある」


 クルスは力強く言い切り、目の前の少年然とした覇者の応答を待った。


「僕はね……こんな力を持つことなんて本意じゃなかったんだ。名前の通り、元々僕は一個の竜さ。四散したシュラクに巻き込まれて半ば強制的に世界の管理者権限を得、挙げ句はクラナドから攻撃を仕掛けられた。今日まで生き延びようとも、谷に住まう半数近い竜の支配権を魔神に奪われた哀れな身さ」


『……私たちの役目など、とうの昔に終わっていたということです。アケナスの行方は次代の者たちに託されたのでしょうね』


「フン。偉そうに……いいよ。クルス・クライスト。ただの人間。君に竜玉の在処を教える」


 竜王の申し出に、クルスはまず安堵の表情を見せた。しかし、彼の言葉には不明瞭な点があり、直ぐにそれを照会した。


「竜玉というは、ここにはないのか?」


「ない。持ってきてくれたら、僕の力で君たちをクラナドまで飛ばしてあげよう。ただし、時間はそんなにないと思うよ。どうやら黒の森とカナル帝国の同胞が、魔神によって強制的に受肉させられたようだから」


「……それはつまり、四柱が肉体を得て現世に復活したということか?」


「そう。僕と他の四柱は違う。不死に近いアークダインは森の奥に精神体として留め置かれていた筈だ。魔神が憑依体を用意してそこに降ろしたのだろうね。翻って帝国の同胞は人間だったから、都度死しては転生を繰り返していた。つい最近、当代の彼女が滅びたことは察知出来た。魔神はそれを見越して帝国に人を遣っていたんだろう。転生する前に、あれの本拠地で魂を捕まえたものと思われる」


 クルスは、ディアネがミーミルの泉の底で踏ん張り続けている点を主張した。それに頷くと、竜王は先程までの態度とは打って変わって丹念に説明を続けた。


「君の言う通り、ディアネがシュラクの魂を抑えている限り僕たちに真の力は戻らない。それでも、魔法力や膂力の強大さは並の人間と比較にならないよ。例えば、奴等が僕を狙ってここまで出向いてくるとする。上で戦っているあの白い半魔程度ならいざ知らず、僕の眷属と言えどアークダインらは止められない。決してね」


 竜王の言葉に、クルスらはウェリントンと戦闘を繰り広げていた竜が眼前の四柱より遣わされた者だと知った。同時に、蘇ったと告白された新たな四柱への警戒心が先に立った。


(魔神に四柱にウェリントン……それに巨人国とイオニウム。敵は増えるばかりか。いや、ここまで来れば、旗色が鮮明になっただけましと思うべきなんだろうな)


「竜玉はアケナス最北端の岬に安置されている。頂上の尖った石塔が目印だよ」


「なんだと?」


 クルスと彼の仲間たちが一様に驚いたその姿に、竜王は目をぱちくりとさせて疑問を呈した。


「岬の石塔にイビナ・シュタイナーという堕天使がいる。賢者の石と並ぶ貴重な神具だから、彼がそれを護っているのさ。変わり者ではあるが、実力は折り紙付だ」


「……イーノ」


「俺だって何でも知っているわけじゃあない。奴が神具を所有しているなど、初耳だ。知っていればむしり取っている」


 クルスの非難めいた目付きにも動じず、イーノはぶっきらぼうに応えた。何にせよイビナ・シュタイナーが竜玉を所有しているというのであれば話は早く、クルスは先日魔境で別れた老博士を訪ねると決めた。


 レベッカが長い沈黙を破り、一同に向けて問い掛けを発した。


「竜玉とやらを探すとして、ここの守りはどうする?上には<白虎>。何れ襲撃してくるとも限らない残りの四柱。少年一人を残しては去れまい」


「……僕はこの中で二番目の年長者なんだけど」


「ご心配なく。我々は残ります。……というより天使の補充要員を引き連れていますから、直ぐにここを離れようもないというのが現実ですが」


 竜王の発言を無視してアンフィスバエナが答えた。かつての同僚の返答に完全なる信を置いたわけではなかったが、彼の実力だけは評価しているレベッカが軽く頷いた。


 <フォルトリウ>一味の残留が決したことで、クルスの一行は直ぐ様この地を去る支度に取り掛かった。その最中、クルスは高所のリヴァイプを仰ぎ見て言った。


「魔神やその手下共と一戦交えるに、ただの傭兵に何が出来るだろうか?おれは元々ヴァティに拾われただけの孤児。神々の転生体でもなければ、王族のように優秀な血継とも無縁。分を弁えぬ状況に身を置いていることは理解している。……リヴァイプ神よ。この終末の世界で、ただの人間たるおれに成せることなどあるのか?」


『クルス・クライスト。カナンも私も、元は等しく人間です。四柱に分かたれたシュラクとてそれは同じこと。事を成し遂げるのに身分が何の意味を持つと言うのでしょう?かつて、天使の長が私たちを戒めました。人間には叡智と無限の可能性がある。神や天使が彼ら彼女らの全てを律する必要などないと。日々の祈りに応え、ささやかな加護を与える以外は自律に委せよと。そう。人間をただ非力な生き物であると定義しているのならそれはあなたの思い込みに過ぎないのですよ、クルス・クライスト』


「……そうか」


 クルスは目を瞑り、静かに心中に活を入れた。竜王が外見に比してさらに頼りない足取りでクルスへと近付き、どこから取り出したものか鞘に収まった一本の剣を差し出した。


「これは?」


「実力に不安を感じているみたいだからね。預かっていたこれをあげる」


 受け取った剣を鞘から抜くと、力強い銀光を放つ清みきった剣身が現れた。剣の纏う気配には圧倒的な凄味があり、その場に居合わせるレベッカやエストが思わず身構える程であった。


 クルスが剣を一振りすると、それは不思議と手に馴染んだ。


「この剣。たいそうな業物と見えるな。くれるというなら貰い受けるが、誰からの預りものだ?」


「ラファエル・ラグナロックだよ」


 澱みなく発せられた竜王の回答に、クルスは疑義を露わにした。


「……<翼将>が、この剣を?」


「そう。アイギスの盾を所有していた彼は、レイバートンを始めとしたベルゲルミル連合王国に戦力が集中することを憂慮していた。ここを訪れて、僕にアケナスをどうこうする意思が無いと見るや、この剣を置いていったのさ。大地の滅びを回避しようとあがく者があらば渡してやってくれ、と言い残してね」


「滅びを……か。敵わないな、あの男には」


「神剣アンスウェラ。気を付けて使うようにね。人の身で神具に秘められた力を引き出せば、それが求める代価は生命力そのものなんだから」


 クルスは竜王へと素直に礼を言い、アンスウェラを腰に収めた。


(借りられる力は何でも借りる。<翼将>、おれはおれのやり方でアケナスを延命させるぞ。旧き神々の呪縛は断ち切り、後代への憂いを無くしてやる。ヴァティ、ラクシ。見ていてくれ。この命に代えても、お前たちの悲願は必ず達成させるからな)



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