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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
108/132

  魔団と翼将の遺産-2

***



 氷の峡谷を貫いているという洞窟は、尋常でない広さを保持していた。あまりに開けた空間を見るに天然窟というのも頷け、<翼将>が補強したと思しき足場が点在してクルスらの歩行を助けた。


 野生の獣と遭遇することはあっても戦闘らしい戦闘は起こらず、一行は洞窟の走破に全力を傾けた。ノエルの作り出した光球に照らされた岩壁は堅く艶やかな鉱物然とした姿を晒し、天井からは冷たい滴が絶えず零れ落ちてきた。


 はじめにそれを発見したのはノエルであった。洞窟を行くこと約一日で、ようやく件の悪魔との遭遇は果たされた。


「……いるわね。この先に複数。たぶん悪魔よ」


「よし。噂のやつだとすれば、<翼将>の残した鏡という言葉が鍵になる。反射を得意とする上級悪魔かも知れん。各自、油断はするな」


 クルスの掛け声に合わせて皆が武器を構えた。ノエルとフラニルは仲間たちに肉体強化や装備強化を施し、少しだけ後ろに下がった。


 ゆっくりと奥から近付いてきたのは銀色をした五匹の悪魔で、二足歩行をしている以外に既存の生物と類似性は見られなかった。両足の上に胴体部兼頭部と思しき球状の物体が乗っており、その表面は滑らかでノエルの明かりを反射して白色に輝いていた。


 球体の正面にはそこだけが肉感的な眼球が一つ剥き出しとなっていて、クルスらをぎょろりとねめつけた。


「……何だ、この気色悪いやつらは」


 剣を中段に構えたレベッカが嫌悪を隠さずに吐き捨てた。隣のサルマンも同じような感想を抱いていて、さっさと叩き斬ってやろうという具合に戦意を高揚させた。


 飛び出し掛けたクルスたちへと、球状の悪魔の目から激しい光が浴びせられた。緑光が洞窟全体を覆うかと見紛うほどの強さで照射され、一時的に五人の視力は奪われた。


「うおっ?いかん……皆、すぐに下がるんだ!」


 敵の奇襲を恐れたクルスは声を上げた。そうして自身も仲間とぶつからぬよう慎重に後退りした。


 視界が淡く像を結び始め、クルスは最大限に警戒しながら前方の攻撃に備えた。だが予想された奇襲はなく、代わりに目の前に映し出されたのはなんとラクシュミ・レインその人の姿であった。


「ラクシ?……成る程。この幻覚を指して鏡というわけか」


 長剣を静かに下段に置き、背筋を伸ばして凛々しく立った美しき剣士。クルスが向き合っていたのは、間違いなく彼の記憶の中にいるラクシュミであった。周囲に控えているはずの仲間や他の悪魔の姿はいつの間にか消え失せていた。


(幻覚であることは疑い無い。……が、分かっていても破れないというなら、これこそ上級悪魔の仕業だろうな)


 クルスはじっとラクシュミを見据えていた。ラクシュミはというと、儚げな色をした瞳に突如闘気が浮かび上がり、徐々にではあったがそれは密度を増していった。長く美麗な睫毛に邪魔されることなく、ラクシュミの眼光は無形のプレッシャーとなってクルスの全身を叩いた。


 クルスが先に動いた。瞬時にラクシュミとの間合いを縮めると、突進の勢いそのままに上段から剣を振り下ろした。ラクシュミの左肩から袈裟斬りにしたかと思ったのも束の間、クルスは両の太股に熱い痛撃を感じた。


 ラクシュミはクルスの剣から逃れており、反撃とばかりに剣を水平に振るってクルスの両足を斬りつけていた。踏ん張りのきかなくなったクルスはよろけて後退するが、ラクシュミは冷たい瞳をして眺めるだけでそれを許した。


 クルスは意識を目の前のラクシュミに向けたままで、傷を治療するべく魔法を唱えた。それにもラクシュミの邪魔は入らなかった。


 傷を塞いだクルスは再び近寄ったそこから、今度は前蹴りを放った。ラクシュミは予めそれと分かっていたかのようなステップを踏んで回避し、細い腰回りからは想像の出来ない強烈な横蹴りを返した。


 無防備な腰を強打されたクルスはまたもよろめき、地に膝をついて身体を支えた。彼を見下ろすラクシュミの表情に依然変化は無く、完成のされた美貌は冷厳にクルスを見下ろした。


(……ラクシュミの技は確かに鋭かった。だが、こうまで勝負にならないというのはおかしい。この場に映し出された鏡像は、やはり実体を伴わないというわけか)


 クルスは目の前のラクシュミが己が心より生み出された幻であると承知した上で、敢えて挑み掛かっていた。それは自分の内に巣食うラクシュミへの悔恨や未練といった、後ろ向きでどろどろした感情と対話を試みる意図に他ならなかった。


 見た目にニナ・ヴィーキナで別れたラクシュミそのものであり、クルスは彼女の姿形をした幻と剣や格闘で存分に語り合った。剣を向ければ剣で返され、肉弾戦を仕掛ければ強かに体技で反撃された。


 全て自分の攻撃が反射されているカラクリだと気付いており、それでもその攻撃を浴びるのが贖罪だと言わんばかりにクルスは自爆行為を続けた。


(ラクシ……ニナ・ヴィーキナで君と過ごした時間は本物で、おれにとっては永遠の宝だ。それを壊したアスタロテは伐った。これから先は、おれを護り続けて逝ったヴァティや、新しく出来た仲間の為に全力を尽くすよ……)


 不意に、対面しているラクシュミの瞳から涙がこぼれ落ち、頬を伝った。それはクルスの心境を反映しての現象だと分かっていたが、クルスの胸中に制御不能の波濤が巻き起こった。


「ラクシ!」


 駆け寄ろうとしたクルスを遮るようにして掌を突き出したラクシュミは、そのまま紫煙と化して消失した。それと同時にクルスの視界は一変し、ノエルやフラニルらが心配した面持ちで彼を取り囲んでいた。


「クルス、平気?心を食らい尽くされていない?」


 そう言って、ノエルがクルスへと抱き付いた。クルスが見回したところでは全員無事に揃っており、フラニルとサルマンの着衣が焦げたり破れたりしている他は五体満足と映った。


「卿が一番長く囚われていたというのは不可解だ。ラグナロック卿の示唆と悪魔の特性。今更見切れぬ技ではあるまい?」


 レベッカは責める風でなく、心底合点がいかないといった声音で訊ねた。


「あの悪魔は心を映す鏡。無形のものを攻撃すれば、全ては己へと返る。……つまりは、おれの心が一番弱かったというところだな」


「それにしては清々しい表情をしている。……フラン。手当てをしてやってはどうだ?」


「あ、はい」


 レベッカの指摘に、フラニルがいそいそとクルスに近寄って治癒の魔法を施した。



***



 大洞窟で苦戦らしい苦戦には見舞われず、クルスらは一日半を費やして峡谷の横断に成功した。そして目の前に広がった凍結湖の偉容は、一同に困惑と感嘆をもたらした。


 竜の谷の凍結湖。巨大な湖が丸々凍り付いており、谷間にあたる周辺は厳しい寒気に包まれていた。各々が先の集落で調達した防寒用の外套を取り出して真っ先に羽織った。


「それで、一面凍っちまっているが、どうする?」


 遠くまで見渡してからサルマンが言った。クルスとて絶対的な当てがあるわけではなく、湖畔の草場から湖面へと所在なしに視線を送っていた。


 茫洋たる大湖は放たれる冷気で白く煙っており、陽の光を浴びて表面が七色に輝いていた。この幻想的な風景は、険しい谷と最強生物たる竜の存在が壁となり、殆ど衆目に晒されてこなかった。


 湖面を調べていたノエルが戻り、皆に状況を説明した。


「凍っているのは表面だけじゃない。氷は窺い知れないくらいに厚いわ」


「それなら、氷上を歩けるんですかね?」


「そうね。ただ冷え込みがここ以上になる筈だから、暖を取り続けないと」


「任せてください!炎の魔法は得意ですから。火球を浮かべて追従させますよ。何なら人数分でも」


「魔法結晶の残高に余裕はないわよ?ちゃんと節約を心掛けてね」


 フラニルとノエルの掛け合いに、サルマンがおずおずと口を挟んだ。


「あのよ……湖の上を歩いて行くっていうのは、決まりなのかい?」


「他に何が?竜王がここの主だと言うなら、普通は湖の中にいるでしょう?」


「そんな大雑把な……」


「サルマン。ノエルの言う通りかもしれない。イーノは封印の場所を凍結湖の大穴の底と言っていた。何故<白虎>にそれを開示したかまでは分からないが、今はそれしか手掛かりがない」


 クルスの言葉が決め手となり、一同は湖面を歩み行くこととなった。


 滑らぬよう慎重に足を運ぶだけでも相当に神経を使い、行軍速度は著しい低下を余儀無くされた。身軽さが信条のノエルですらおっかなびっくり足をつけ、サルマンやフラニルは二度三度と氷上で転倒した。


 湖面で一夜を明かすわけにはいかなかったので、ノエルが風の精霊に働き掛けることで広範囲な捜索も並行して実施された。大きな魔法力の移動は竜を刺激する恐れがあり、フラニルたちはノエルに全てを託して歩行と遠視に専念した。


 日が落ちかけた頃、件の大穴の場所が判明した。ノエルの助言に従って方角を調整した上で、クルスは皆を激励して目的地へと急いだ。


「クルス、戦闘よ!」


 目的地のすぐ近くまで迫ったところで、ノエルが危急の事態を告げた。フラニルは即座に遠視の魔法を展開し、大穴の上空で行われている戦闘を確認した。


「あれは……<白虎>のウェリントン?竜と闘り合っているようです!」


「なんだと……!」


 クルスは剣を抜き、湖面を蹴った。空かさずレベッカとサルマンがそれに続いた。


 ウェリントンは悪魔形態に変容した上で、破滅の黒翼と魔剣を駆使して成竜と空中戦を繰り広げていた。地上に止まるクルスは魔法で両者を攻撃しようと逸るが、それを諫める声が響いた。


『放っておきなさい。それより下に降りて来るのです。クルス・クライスト』


 それは湖面に大口を開いた穴より聞こえ、クルスは注意深くそちらを観察した。大きな街の広場ほども面積のある氷穴には、凍った湖の深部へと誘うかのような形で階段が螺旋状に刻まれていた。


 レベッカが当惑しているクルスの代わりに返事をした。


「その声。<鬼道>だな?やはり<フォルトリウ>も谷を抜けていたか」


『レベッカ・スワンチカ。クルス・クライストを連れて来るのです。竜王は彼の到着を待つといって聞きません』


 レベッカは<白虎>の戦場が自分たちの及ばぬ高度でなされている点を考慮し、クルスらを促して大穴へと進んだ。湖中に下る形でぽっかり空いた穴は綺麗な円柱型をしていて、氷の壁面をぐるりと巡るように階段が設えてあった。五人は足を踏み外さぬよう慎重に階段を駆け下りた。


「ノエルさん、壁のあちこちに刻まれているこの紋様って……」


「そうね。魔方陣だと思うわ。儀式魔法の痕跡かしらね」


 フラニルの言った魔方陣は、氷壁の方々に存在した。クルスはサラスヴァティから得た知識により、それらを転移方陣に類するものと断定した。


 穴の円周を何度も回りながら湖中を下り、サルマンが息を切らし始めたところでようやく底に足を着けた。やはり氷の張ったそこから頭上を見上げると、穴の入り口はもはや小円に変わり身していた。


 横穴が一つ、進路を強烈に主張していたので、クルスが先頭に立ち侵入した。穴は通路になっていて、その先には神殿を連想させる氷造りの豪奢な空間が広がっていた。


 太い氷柱が二列で連なって整然と立ち、高い天井を支えていた。柱の間には赤い絨毯が敷き詰められ、真っ直ぐ奥の台座まで続いていた。氷の台座は傾斜が緩やかな段上にあり、そこに複数の人影がたむろしていた。


「……やあ、イーノ。クラナドには上らなかったのか?」


 クルスは台座まで歩み寄ると、まずは見知った顔に声を掛けた。イーノに加えて、彼の従者・エデンとアンフィスバエナ、それにエストとリーバーマンといったエルフ勢の姿もあった。


 クルスと面識のない人物が一人、台座の奥に陣取っていた。少年の容貌ながらに厚手の法衣を着込み、神秘的な雰囲気を纏うその人物を竜王であるとクルスは考えた。


「この御仁が言うことを聞いてくれなくてな。今の今まで待たされていた」


 イーノの言で、クルスは確信に至った。


「竜王よ。おれはクルス・クライスト。ミーミルの泉でディアネから紹介を受けた。サラスヴァティ・レインの弟子で、今はカナル帝国で傭兵をやっている」


 ディアネの名を聞き、<フォルトリウ>の面々が反応を見せた。一様に驚きを表しており、それはイーノすらも例外でなかった。


「念威で聞かされたよ。シュラク様の悪意を潜り抜けて、よく女神に拝謁が叶ったね」


「……その為に犠牲は払った。用件は分かるな?魔神を倒す助力を頼みたい」


 竜王の整った童顔に邪な笑顔が浮かんだ。それに気付いたノエルやレベッカははっとさせられ、反射的に武器を身構えた。


「はは。僕はシュラク様から枝分かれした、謂わば分身だ。拐かされた本体より格下な僕が、よりにもよって魔神に刃向かえると思うかい?……第一、君たちに協力する理由がない」


 予想通りの回答に、クルスはイーノを向いて彼に対応を預けようとした。だがイーノはそれを無視し、場の主導権は引き続きクルスが握ることになった。


「……教えてくれ。フィンブルの夜とは何だ?ディアネ神から貴方に訊ねるよう助言があった。天使たちがクラナドより神々を追放したというのは、どういう背景から成立した?」


「女神は知らん振りを決め込んだわけだ。まあ彼女はシュラク様を抑えるのに出払っていたわけだし、当事者でないと言われればそうなのかもしれないけど。あの凄惨な場に居合わせたなら、彼女はどうしたんだろうね?」


「地上で封じられていたにしては、詳しい口振りだな」


「女神から聞かされなかったかい?真の封印とは、彼女がシュラク様のお心をミーミルの泉に止め置くこと。さすがに天獄の万魔殿にはディスペンストが細工を施したようだけれど、僕はずっと自由の身さ。ま、別にやることもないから、ここから出る必要もないし。幸いなことに話し相手には事欠かなかったからね」


「話し相手?」


 クルスは竜王の言わんとしているところが分からず、率直に質した。竜王は殊更に瞳をぎらつかせ、底意地の悪そうな笑みを全開にした。


 そして竜王は右手の人差し指を天井へと向けた。


「そう。紹介しよう。商売と海洋の神、リヴァイプだ。こんななりだけれど、歴とした主神様にあたる」


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