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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
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5 魔団と翼将の遺産

5 魔団と翼将の遺産


 ネピドゥスの姿はアケナス東部、黒の森の跡地にあった。ダークエルフの本拠地であり四柱の一角が眠るこの地は、先年ウェリントンの襲撃によって焼き払われていた。


 焼け跡たる炭化した大地に住まうは今や小動物や昆虫だけで、セントハイムの監視対象からも外されていた。


 丸焦げで禿げた木や屑となり積もった葉だけが視界に広がっており、緑は色も匂いも完全に失われていた。ダークエルフの支配下にあったとは言え、アケナスの森を統括すべきネピドゥスの心中は悲哀に塗り潰されていた。


「……この辺りか」


 ネピドゥスはおもむろに口訣を発し、精霊魔法を周囲に展開した。そうしておいて、<パス>の繋がった先、遠方はイオニウムのスペクトル城に思念を送った。


「こちらの準備は出来た」


『では、私の所持しているシュラクの思念を送ります』


 ラーマ・フライマの声でそれは届いた。地・水・火・風の四精霊を召喚することで特殊な環境を仕立てたネピドゥスは、ただその場に立って魔神の作法を見守っていた。


 <パス>を伝って移された悪意は瞬く間に焦土に充満した。そしてネピドゥスの築いた精霊結界において指向性を与えられ、悪意はこの地に眠る巨悪へと侵入を果たした。


 地面が細かに鳴動し、炭と化した緑林の残骸を漏れなくかさかさと揺らした。


(……こうも簡単に、長年封じられし四柱を甦らせると言うのか?万魔殿を陣営に迎えただけで、これか)


 ネピドゥスには魔神に抗う術がなく、こうして言いなりとなって悪夢の再来に手を貸していた。本調子でないとはいえ、シュラク神に連なる万魔殿を手元に置いた魔神は急激に力を高めており、ネピドゥスの見たところ四柱全てが現出し幕下に収まるのは時間の問題であった。


 自分と同様にアイオーンがカナルへ派遣されたことを把握していたため、ネピドゥスはこれで三柱が間も無く魔神の手の内に落ちるものと理解していた。


(残るは凍結湖の竜王。魔神が言うには、かの四柱に限っては唯々諾々と陣営には加わらぬというが……)


 その時、ネピドゥスの全身を凄まじい悪寒が襲った。彼が身構えたときには得体の知れぬ邪気の奔流に飲まれており、もはや身動きは叶わなかった。


 自らの身体を苛む邪気の正体について、ネピドゥスは未だ正常に働いている思考からこれぞ四柱そのものであろうと結論付けた。


 黒の森に封じられし魔法王アークダイン。古代エルフ族の王にして、シュラクの力に魅入られし後は聖神カナンらを苦しめた偉大なマジックマスター。


(……なるほど。四柱復活の任務を遂行させ、そしてそのまま憑依体とすることを望んだか。私と<鉄の傭兵>は、これで完全に魔神の尖兵と化すわけだ)


『それこそ四柱も同然なのですから無下には扱いませんよ。自我は消滅するでしょうが、あなたたちの活躍によりアケナスの文明は原初の姿に立ち返るのです』


 ネピドゥスの頭の中に魔神の声が直接響いた。意識はだんだんと暗転を始め、彼の思考を端から切り落としていった。


 ネピドゥスが最後に思い浮かべたのは、大陸エルフの命運を託すべく考えていた二人、愛娘と彼女の傍らにある傭兵の姿であった。


(ノエル……)


 この日以降、スペクトル城の玉座に座す聖女の傍らには、ネピドゥスとアイオーンの外見をした大魔が常に控えることとなった。



***



 魔境の悪魔は日ごと凶暴さを増していき、対魔防衛ラインを形成する諸国は対応に大わらわとなっていた。魔神と四柱が勢力を拡張させていることや、魔境を抑え込んでいた混沌の君が失われたことはごく一部の者しか知り得ない情報で、現場の騎士や傭兵はわけもわからず剣を振るい続けた。


 それでも強力な騎士団を抱えるオズメイ北王国やセントハイム伯国は健闘していた。しかし、防衛ラインを担う勢力の大半は中小規模の国家であり、多数の悪魔に国境を脅かされて劣勢を余儀無くされた。


 <フォルトリウ>は内輪揉めの余波から半ば機能不全に陥っており、そもそも過度に悪魔を討ち減らすことが彼らの理念にそぐわないため頼りにはならなかった。大陸北部ではイオニウムが、東部では巨人国が魔境の活発化に同調して蠢動していたことから、混乱は直ちに全土へと及んだ。


 クルス・クライストは、イビナ・シュタイナーからの事を慎重に運ぶようにという提言を退け、魔境より真っ直ぐ凍結湖へ向かうことを主張した。イーノやウェリントンが竜王について言及していたことを引き合いに出し、ここで停滞することは取り返しのつかない事態を招くかも知れないと皆へ説いた。


 クルスはゼロのことをイビナに託して、ノエルの先導により魔境を中央部から南へと抜けた。道程は過酷で、覚醒したと思しき悪魔が頻繁に一行を襲った。


 そこではレベッカの奮戦が光り、クルスらは誰一人欠けることなくアケナス南部に達することができた。


「……さて。問題は氷の峡谷だな。あそこを通らなければ、湖には近寄れない。そして谷には数多の竜が生息している」


 一行は小川の畔で休息をとっていた。フラニル・フランは疲労の限界とばかりに草場に寝そべっており、ノエルは皆の水筒に水を汲むため外していた。


 クルスの言葉に耳を傾けていたのはサルマン・ジーノとレベッカ・スワンチカで、またも竜という最強生物の名を聞かされた二人は目に見えて嫌気を露にした。


「こっちは五人だ。正面から突破するのは、いくらなんでも無理ってもんだろう」


「大人しくシュタイナー博士の助言を聞いて、カナルで戦力を充当するべきだったのではないか?」


「そうしたいのは山々だがな。四柱の場所柄を荒らして回っている狂騎士と、クラナドに上がろうとしているイーノたちが先行している筈だ。ここでの遅れは致命的な結果を導くかもしれない。今更引けんよ」


 クルスの反論に対して、サルマンが純粋な疑問を口にした。


「そもそも<フォルトリウ>の連中はどうやって谷を抜けるつもりだったんだ?天使の末裔とかいう大所帯を連れていたんだろう?俺たちより難題だと思うが……」


「それはイーノの幻術だろうな。数十の騎馬を、気配すら感知させず世界に同化させる。彼の技ならそれだけの質を担保できる」


「勇者サラスヴァティの盟友……それほどか?」


 レベッカが怪訝な目付きでクルスに問うた。


「イーノ・ドルチェという男だけは別格だ。およそ戦士として欠点が見当たらない。完璧なんだ。彼をただの人間だと認めるのは、正直癪に触る。神や四柱の生まれ変わりと言われた方がまだ納得のいくものさ」


「何にせよ、我々の力で竜を幻惑し続けることは難しい。斬り結ぶのはそもそもが自殺行為だ。……となれば、抜け道を探るか援軍を頼む他にない」


「そうだな。地図によると、ここから南に半日ほど歩けば集落がある。道中に当たるのだから、ここで周辺情報を取材しよう」


「……それしかないか。神殿の一つでもあるといいが」


 レベッカの言葉にクルスは頷きを返した。南部には多数の小国がひしめいており、個別の村落事情は大陸西部や北部にほとんど伝わっていなかった。


 どの神教であれ神殿が存在すれば話は早く、神官や司祭の知的水準はアケナス全土のネットワークにおいて一定水準に達しているものと考えられた。


 日暮れ前に目的の集落を訊ねた一行は、唯一商いをしている酒場に腰を落ち着けた。無理を頼んで部屋を二室空けて貰い、男女に別れて休むこととした。


 神殿は、賢神エリシオンの出張所が小ぢんまりした木製の平屋を構えていた。四十を超える神官見習いの女性が言うには、かつてレイバートンのラファエル・ラグナロックが凍結湖を監視する為に開拓した進路が有用であるかもしれないとのことであった。


 白の神官衣を着込んだ神官見習いは、気品のある瞳で優しくクルスを見詰め、落ち着いた物腰で解説した。


「その洞窟を行くのは多少遠回りになりますが、谷越えに費やす体力を考えれば帳尻も合いましょう。竜もそこまでは入り込んで来ないと聞きます」


「シスター。<翼将>が竜の谷を掘削したのですか?」


「まさか。元々天然の大洞窟があったのです。あの方はそこに手を入れられたのだと伝わっています」


 氷の峡谷を貫く大洞窟。竜の侵入がないと聞いた一行は魅力的に感じたものだが、そこに神官見習いは釘を刺した。


「悪魔の群が住み着いているそうです。それが奇妙なことに、討伐を試みても名のある騎士様や傭兵ほど不覚をとるのだとか」


 レベッカは納得が行かず、真面目な顔をしてシスターに詰め寄った。


「ラグナロック卿はその悪魔どもを放置したというのか?犠牲者が出ているというのに?……信じられない話だな」


「残された資料に記載があったのですが、心を強く持てばその悪魔は無害なのだとか。敵は鏡である、というラグナロック卿の御言葉も残ってございます」


 クルスらは合点がいかなかったが、当事者でもない神官見習いを責める道理はなかった。礼を言い、市中で旅装を調えるなりそのまま大洞窟を目指すことにした。


 乾いて砂っぽい地面が視界の遥か遠方にまで広がり、地平線の彼方にはうっすらと峡谷の稜線が浮かんでいた。馬が調達出来なかったため、五人は徒歩で進んでいた。


 魔法の媒介たる樫の杖を文字通り杖として活用していたフラニルが、前を軽快に歩くノエルへ疑問をぶつけた。


「……なんでそんなに元気なんです?ここのところ歩きっぱなしなのに。ノエルさんが一番華奢で体力も無さそうに見えますけど」


「あら。旅は楽しいじゃない?昨夜も<烈女>の寝言以外は快適に眠れたし、疲れを一々表に出していたら気が滅入るだけよ、フラニル」


 最後尾を歩いていたレベッカの肩がぴくりと動いた。ノエルとフラニルの会話に聞き耳を立てていたサルマンは、そっと背後のレベッカを窺った。


 余計なことに、フラニルがノエルの言う昨夜の件を追及し始めた。


「それは気になりますね。レベッカさんは何て言っていたんです?まさか、クルスさんの名前じゃないでしょうね?」


「何でクルスなのよ?」


「だって、パーティーを組んだ女の人はみんなクルスさんと仲良くなるじゃないですか。会話していても、やたら距離が近くなるっていうか……」


「……ふうん」


 ノエルの呟きが剣呑な空気を纏い、それとなく察知したクルスは背後を振り返ることなくひたすら徒歩に専念した。


「それで、レベッカさんの寝言って……」


 後方からわざとらしい咳払いが上がったのだが、サルマン以外に気にするものはなく、ノエルとフラニルは平然と会話を続けた。


「ナティス様……って何度も呟いていたわ」


「ナティス様?何でしょうね、それ」


 その場にイシュタル・アヴェンシスでもいたのであれば、「ああ。サイ・アデルの前将軍ですね。四十を前に引退して、領地に引っ込んで妻子と暮らしているとか」とでも答えたに違いなかった。幸運にもその場にナティス前将軍の名を知る者はなく、レベッカが口許をひきつらせて沈黙を守ったが為に彼女の名誉は保たれた。


 フラニルの次なる興味はクルスへと向いた。


「クルスさん。クラナドに上がったとして、もし神になる道を選ぶとしたら、誰がその役を担うんです?」


 その発言にはクルスも面食らい、咄嗟の返事に事欠いた。今のクルスに練られた計画はなく、必要に迫られてクラナド行きを目指しているに過ぎないと再認識させられた形であった。


「……天使の老人にはじめて聞かされた時、人間を止めるなんてとんでもないとは思ったな。正直、神になるというのがどんなものか全く想像出来ない。おぼろ気にだが考えているのは、魔神や四柱に対抗できる実力。それを具現できる者が神になるべきということだけだ」


「それじゃあ、僕は駄目なんですかね?」


 クルスは足を止め、フラニルを振り返った。フラニルの顔に冗談めかした色はなく、真面目に話しているのだと分かった。


「……フラニル。人間を止めるということを、軽く考えるものじゃない」


「クルスさん。ここまで来たら、水臭い話は抜きにしてくださいね。僕の力で足りるなら、神にでも何でもなりますから、遠慮なく言ってください。覚悟もなく漫然とした気持ちであなたに付いてきているわけではありません。白騎士団や黄竜隊の犠牲に胡座をかいては、今までやってきた全てが無に帰します」


「フラニル、お前……」


 クルスが絶句しているそこへ、ノエルが微笑を湛えて加わった。


「クルス。あなたがアケナスの未来を一身に背負う必要なんてないのよ。仲間たちを存分に頼ればいい。一人では見えない未来も、皆と一緒なら見えると思うわ」


「そういうことです。僕は勇者の弟子でも特別な血族にあるわけでもないですが、最後までお付き合いします。ダイノンさんやハイネル大尉たちの分も働いて働いて、働きまくりますよ!」


 サルマンががははと笑って歩み寄り、フラニルの金髪にぽんと手を置いた。


「男の目をしているな。クルス・クライストよ、あんたの周りには酔狂ではあるが肝の据わった奴が多い」


 先だってサルマンやゼロからも似たような宣誓を聞かされていたクルスは、仲間たちから寄せられるこの信頼に対して不思議な感情を抱いていた。なぜなら、クルスはこれまで自分が特別な人間であると思ったことなど一度もなかった。


(こいつらは、どうしておれなんかをここまで信用出来るんだ?おれは自分がやりたいようにやっているだけだ。カナルやミスティンの味方をしているのは流れに任せた結果だし、例えばベルゲルミル連合王国の連中からすれば、おれのやっていることはただの利敵行為に映るだろう。おれは皆の希望の受け皿となるような大それた人間じゃない。ネメシス様やエレノア将軍が敬われるなら分かるが、おれにそんな資格などない……)



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