夢幻の如く-3
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「<フィンブルの夜>……天使たちの造反、と言っていたか?」
「そうだ。だが、その真相は……!」
イーノは突然話すのを止め、左手の指先で軽く魔法印を切った。直後に構築された魔法障壁は向かってきた炎球を全て防ぎ、あたりに爆音が響き渡った。
「誰だ!」
クルスは剣を抜き、爆発の角度から敵の位置に当たりをつけた。城の裏手、壁面の構造上死角となっている地点にその者は潜んでいた。
「今のタイミングで防ぎ切るか。成る程、勇者の盟友というのも伊達ではないということだな」
姿を見せたのはウェリントンとエドメンドという二人組で、沈着を旨とする<白虎>にしては珍しく顔面に怒りと焦慮を湛えていた。
「貴様は、性懲りもなく!……万魔殿の封印を解いたのは貴様だろう?お陰でこっちは……」
「クルス・クライスト。お前と問答をしにこのような田舎くんだりまで足を運んだわけではない。そこの男がイーノ・ドルチェだな。聞きたいことがある」
ウェリントンは右手にダーインスレイヴを握っており、イーノはそれを一瞥して鼻で笑った。
「魔剣使い。こっちに用はないが」
「万魔殿以外の、四柱が封じられし場所の詳細を教えて貰おうか。勇者の仲間だと言うからには、それくらい心得があるのだろう?」
「俺のことを誰から聞いた?それほど面が割れてはいない筈なんだが」
「質問に答えろ。さもなくば、斬り捨てる」
「大方デカブツかケダモノのネットワークだろうな。……その仮初めの体、そろそろぼろが出始めたんじゃあないか?悪魔の肉体を維持するために四柱の力を欲するのは、あながち的外れでもない」
ウェリントンに対して余裕すら窺わせるイーノは、努めて冷静に敵の動揺を誘ってみせた。クルスも驚きを隠せず、思わずウェリントンの全身を凝視した。
ウェリントンはダーインスレイヴの剣身をゆっくりと持ち上げた。それに合わせてエドメンドも魔法を撃ち出せるよう身構えた。
それに対してイーノは何ら動きを見せず、余裕綽々の体で忠告を述べた。
「命が惜しくないのであれば、竜の谷を越えて湖を目指すんだな」
「……凍結湖ということまでは分かっている。カナルや黒の森とて同じだ。広域が判明したとて、具体の在処が分からなければ意味はない」
「穴だよ。湖には大穴が開いている。見事最深部まで辿り着けたなら、勝手に四柱とやらに接触する」
「よかろう。では褒美をとらすぞ!」
言うが早いかウェリントンは魔剣を水平に払った。剣より放たれた衝撃波がクルスらを襲うも、イーノの腰に収まりし剣の鞘が瞬時に分解されて壁を形成し、衝撃波に対する物理の盾となった。
クルスは目の前に広く展開された防御壁を見て圧倒された。イーノの作り出したそれが自分をもウェリントンの剣閃から護ってくれたのだと解すると、反撃の狼煙を上げるべく一歩を踏み出した。
「小僧。邪魔だからここから消えろ。お仲間も魔法生物と交戦しているようだし、とっとと行け」
イーノはゼロたちが戦闘中にあることを示唆し、クルスにそちらへ向かうよう勧めた。魔剣を振りかぶったウェリントンが肉薄し、イーノはそれを魔法の弾丸で迎撃した。
エドメンドは精霊の召喚を試み、数的優位な状況を作り出そうとした。そこまでを確かめて、クルスは闘う三者に背を向けた。
「ここは借りておくよ。イーノ」
イーノはそれに答えず、高速で攻め立ててくるウェリントンを前に小さくステップを刻んで回避行動をとった。
この場を離れるにおいて、クルスはイーノの心配だけはしていなかった。彼は完成された戦士であり、クルスの見たところ少なくとも十年以上前の時点で無類の強さを誇っていた。
クルスは古城の外周を駆け抜け、門の付近でキメラや骸骨剣士と戦っている仲間たちと合流を果たした。敵戦力は獅子の体に蝙蝠の翼と蛇の尾を持つキメラが五体と、全身が骨から成り曲刀と円形盾を構えた骸骨剣士が十近く。数こそ厄介ではあったが、クルスが加わったことで傭兵たちの士気は高まった。
「城の裏手にウェリントンが来ている!警戒を怠るな!」
そう吠えるや、クルスは手近なキメラへと斬り掛かった。レベッカは炎の剣で早々にキメラを一体葬り、ゼロやフラニルも魔法攻撃で一体ずつの骸骨剣士に止めを刺した。
サルマンは傭兵たちをよく動かし、力戦に引き摺り込まれぬよう戦局へと目を配った。そうすることで実力の伯仲した者があわや命を落とさぬよう、そして突出した力量を持つクルスやレベッカらが存分に活躍の出来る場を整えた。
大勝の殊勲者は間違いなくサルマンであり、被害なしに全ての魔法生物を撃破した後、クルスは彼の働きを労った。直ちにフラニルが寄って来てクルスへと打診した。
「次はウェリントンを討ちますか?」
「いや、奴等の相手はイーノに任せる。徒に犠牲を出したくない」
質問してきたフラニルへそう答え、クルスはサルマンに次なる指示を申し渡した。
「一旦ベースキャンプまで戻って遺棄した物資を回収する。その後、シスカバリまで退却しよう」
「了解した。よくわからんが、あの連中とは喧嘩別れかい?」
「別々のアプローチから励むという感じか。何れ利害が対立すれば、剣を交えざるを得なくはなる」
「……それが先のことであると望むぜ。竜や巨人を退けちまうような連中だ。闘り合ってたら命が幾つあっても足りん」
「同感だな」
クルスは苦笑いを浮かべると、一度だけ古城を振り返ってその場を後にした。
ウェリントンと決着をつけたい気持ちは山々であったが、正直なところクルスはイーノや混沌の君を味方と呼べるものか判断出来かねていた。
(ゼロ、レベッカ、サルマン、フラニル。ウェリントンだけを相手取るならば面子に不足はない。しかし万一イーノまで敵に回すことになれば、どうにも勝ち目が薄い。……ここは自重して、アムたちと集合してから当たるべきだ)
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「あれで良かったのでしょうかね?追っ手はほどほどで引かせたでござるが」
「……あの者らが何れ劣らぬ実力者であることは間違いない。全力で追えば、それだけ被害も大きくなった」
「そうは言っても、スルト殿は戦神の生まれ変わりなのでござろう?本気を出せば一人でも勝負を決せられましょうに。……イオニウムのあの御方に叱責を受けぬか、私は心配でなりません」
ハーケン・スレイプニルの宮殿は最上階、円卓会議室に集う人影は二つに過ぎなかった。先日<フォルトリウ>の会合が開かれた際と比べて如何にも寂しい風景であった。
イオニウムの代表フェルゼンと巨人の王ユミルは、向かい合うのではなく隣席に陣取って今後の対応を話し合っていた。魔神からの指令はただの一つで、<フォルトリウ>の動向を逐一<白虎>の一党に伝えること。それが魔神にとって有利に働くとあらば、既に精神汚染に掛かっているフェルゼンや自主的に共闘関係を結んだユミルに拒む筋はなかった。
「次は神剣の奪還であろう。ミスティン王国を落とせばそれで仕舞い。人間の国を破壊するなど我々からすれば造作もないことだ」
「ユミル王よ。ミスティンのエレノア・ヴァンシュテルンを侮ってはなりませんぞ。あの者は未だ力の底を見せておりませぬ。戦力を結集させ、共同で当たるが肝要にござる」
フェルゼンは力説するが、ユミルから肯定的な返事の得られることはなかった。代わってユミルが言の葉にのせたのは別の話題であった。
「……時に、魔神は如何程の竜を操れるのだ?あの超獣だけは他の魔獣・幻獣とは別格。例え神が相手であっても、易々と隷属したりはすまい」
「分かりませんなあ……。ですが、貴国にスルト殿がいるように、もしかしたら竜を束ねるとかいう四柱・竜王の転生体がいて、あの御方に協力しているのやもしれません」
フェルゼンは当てずっぽうを口にしたものだが、それほど的外れな意見ではないのかもしれないと思い始めていた。フェルゼンは見た目こそ粗野であったが、獣人には珍しく学問をよく修めており、時の王に重用されていた。
自身が魔神に隷属する立場にあると、フェルゼンもネピドゥスと同様理解している身で、それでいてイオニウムの得られる利益が最大化されるよう立ち回っていた。
(ユミル王は単なる頑固親父に過ぎぬ。だが、抱える軍団の武力は本物だ。あの御方ですら戦神マイルズの生まれ変わりたるスルトには一目置かれていた。……つまり、おだてて挑発し、巨人兵を如何に前へ出すかが喫緊の課題。殴り合いはこの者らに任せ、早いところオズメイを揺さぶりに赴かねばな)
<フォルトリウ>の幹部会は関係修復が不可能な形で幕を引いていたので、フェルゼンは新参なれど多くの仕事を抱え込んでいた。組織としての<フォルトリウ>はそう簡単に瓦解するようなやわな組成ではなく、アケナス全土に深く根を張っていたため、以降も活動の継続は約束されていた。
だが、フェルゼンの冷めた視線の先で、そもそもが盟約の理念は霞んでいた。今や世界に立ち込めるは、濃く、そして延々と晴れぬ霧であろうと肯定する他になかった。
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カナル帝国の対北部前線基地たるチャーチドベルンには、敗残の部隊が立て続けに入場していた。万魔殿より吐き出された無数の悪魔に蹴散らされた白騎士団。巨人兵に本拠地を破壊された<リーグ>の傭兵団。どの兵をとっても満身創痍で、唯一気を吐いていたのは、全滅必死な白騎士団の撤退を助けたまさかのファーロイ騎士団であった。
先の大戦時、カナルに降伏したファーロイ勢は、生還を果たしたボードレールに率いられて悪魔と白騎士団の戦地へ急行していた。それは示し合わせた作戦行動ではなかったが、事前にイグニソスがソフィア女王国の異変を察知していたが故に、絶妙な機に援助の手を差し伸べることとなった。
それでも白騎士団は半減に止まらない損害で、ファーロイ騎士団が救えたのは実質ネメシスの命のみと言えた。
宮中には負傷兵が溢れ、忙しく動き回る廷臣の表情に希望や喜びはついぞ見当たらなかった。宿願たる対ベルゲルミルの勝利をものにした威風は消え失せ、都市全体を暗雲が覆っているような沈鬱な空気が漂っていた。
「追撃があったら完封負けしていたところだね。全く酷い有り様だ」
白騎士団詰所の一階奥に会議室があり、そこを訪れるなりボードレールは手加減も無用に言い放った。彼は旗下のファーロイ騎士団を都市外に展開し、無防備に近いチャーチドベルンの守りへと充てていた。
「御曹司、皇帝陛下もいらっしゃいますれば、言葉をお慎み下さい」
ボードレールに一歩遅れて付き従う魔術師が慌てて主君をたしなめた。室内にはネメシスだけでなく、カナル帝国の礎たる近臣が集っていた。そんな彼らが憮然としているのに対して、ネメシスは至って平静を保っていた。
「イグニソス殿、良いのです。ボードレール卿には命を救われたのですから」
「そういうこと。陛下は実に謙虚でいらっしゃる。王者にとって、これは大変な美徳だよ」
ボードレールのこの発言に、幾人かの廷臣が顔を真っ赤にして席を立った。直ぐにも口論が始まるかに思われたが、抑えに掛かったのはそれが時間の無駄であると知るアムネリアであった。
「ボードレール卿が戻ったのだ。実務の話に戻そう。現状、動員可能な戦力はこちらが約三百。内訳は白騎士団百五十と<リーグ>の五十。それにファーロイの百。バレンダウン駐留の部隊を半数でも呼び寄せられれば、総勢五百には上ろう。それとミスティンの約五百」
アムネリアの要約した内容に、イグニソスが着席した上で質問をぶつけた。
「ミスティン軍の内訳は如何なものです?」
「五百の内、百はイシュタル・アヴェンシスの率いる雨騎士団だ。彼女にはアグスティに残って貰っている」
「成る程。両軍同時に動かせたならば、一千の兵力が運用可能なわけですね」
「そうだ。しかし、悪魔の数は数百ないしは数千にも達すると見られる。何故か戦線を拡大させては来ないが、正面から挑んではとても敵わぬであろう」
アムネリアの意見を前に、卓に着いた何れの顔も目を伏せ唇を噛んだ。悪魔に蹂躙された白騎士団の面々は、その凄烈な場面を思い返すだけで意気が挫けんという有り様であった。
チャーチドベルンに逃げ込んだ<リーグ>の傭兵たちを束ねるエックスもこの席に身を置いていたが、大敗を喫したカナルの騎士たちに掛けてやれる言葉はなかった。
(カナルは重臣・勇将を相次いで失っている。凶悪な敵の力を目の当たりにして、意気消沈するのは仕方がない。だが、この空気をいつまでも引っ張るのでは良くない……)
エックスの意図を汲んだわけでもなかろうが、ボードレールが努めて明るい調子で楽観論を提示した。
「別にカナルとミスティンだけで戦争をしなくちゃならない理屈はないさ。ベルゲルミルやレイバートン、それにソフィアにだって騎士団は健在だろう?対魔防衛ラインの諸国だって他人事じゃない。敵が数千なら、こっちも数千を集めればいい」
「たまには気の利いたことを言う。ボードレール卿の言う通りだと思うぞ」
「ファラウェイ卿。茶化さないで貰いたいな」
イグニソスはそのやり取りを見て満足げに頷いた。彼は戦に敗れたボードレールが生気を失ったように消沈している姿を見ていたので、精神的に復調した今の主に感動すら覚えていた。
(やはり御曹司には敵が必要なのだ。行く行くはその志向を政治的安寧に転化していただく必要はあるが、今はこれで良い)
話し合いの進む中でもネメシスの顔色が一向に優れぬ点を憂慮したエックスは、卓を囲む面子を一望し、この場に必要な男の不在を改めて確認した。
カナルはフィニス・シブリールやアルテ・ミーメを失ったと聞かされており、エックスから見ても居並ぶ幹部たちに歴戦の重みや圧力は感じられなかった。元十天君のアムネリアが陣頭指揮をとる姿勢は、頼もしくはあったが痛ましくも見えた。
エックスにとって、カナル帝国隆盛の殊勲者はクルス・クライスト以外に考えられなかった。彼が不在の内にカナルの騎士団が敗れ、彼の帰らぬままに戦後処理が進むことに違和感を覚えずにはいられなかった。
(クルス・クライスト。<疫病神>よ。貴方の主君があそこまで憔悴しているのです。アムネリア・ファラウェイの威厳とて張り詰めた糸のようなもの。早く戻りなさい。世界は我々に、それほど時間的猶予を与えるつもりがないようですよ……)




