夢幻の如く-2
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空中戦ともなると、クルスに出来ることは限られた。剣よりも魔法による射撃に力点が置かれ、結界を食い散らかして飛来してくる竜をひたすら狙撃した。
城門が破られたわけではなかったので、巨人の戦士たちは一人を除いて場外に釘付けとなっていた。例外はスルトと呼ばれし巨人国の最強戦士で、彼は身の丈が通常の巨人の倍近くにも及んだがために、竜の破った結界の裂け目から接近すると、バルコニー目掛けて戦棍を叩き付けてきた。
横に長いバルコニーの一角はただの一撃で破壊され、サルマン指揮下の傭兵が一人落下を余儀無くされた。規格外の攻撃はしかし、そこは易々と二撃目を許すエストではなく、彼女は首無しの騎士たる<デュラハン>を召喚するやスルトへとけしかけた。
四頭にも上る竜への主攻はアンフィスバエナが担い、リーバーマンは守備結界の補修と防御に専念した。シスカバリの傭兵たちが竜の標的にしかなり得ない状況下、ゼロは精霊魔法の数々を駆使し健闘していた。
そして、<烈女>が魅せた。
「止めきれん!一頭が突っ込んでくるぞ!」
リーバーマンが声を張り上げると、直ぐ様四者が反応を見せた。アンフィスバエナは雷の柵を具象化すると、それを大出力で竜へと巻き付けた。その高い精度と速度は複数魔法の同時行使により実現しており、竜は細かな制動を失い真っ直ぐに飛び込んできた。
ゼロはちょうど竜と接触する範囲に物理障壁を集中展開させ、直撃による足場の崩壊を和らげた。障壁に頭から激突した竜はバルコニーに身を横たえ、そこをクルスとレベッカが相次いで攻め立てた。
クルスは翼を中心に斬りつけて竜の自由を奪いにかかるが、程無くして暴れる四肢に弾き飛ばされた。サルマンらが助けに入るも、竜の暴力を前にしてどうにも攻めきれなかった。
レベッカは果敢にも竜の懐に潜り込むと、炎を点した剣で腹部を執拗に刺し貫いた。全身を捩らせ、四肢やブレスでレベッカを散らしにかかる竜であったが、アンフィスバエナやゼロの追撃もあってか徐々に動きは鈍っていった。
クルスの一閃が竜の前肢を深く刻み、注意をそちらに引き付けた。
「貰った!」
レベッカは高く飛んで竜の頭部に乗り上がると、炎の剣を瞳の奥まで差し込んだ。無茶苦茶に暴れる竜の頭にしっかりとつかまり、剣より強烈な炎を流し込み続けた。
頭蓋の中をも焼き付くされ、竜は力なく崩れるとそのままバルコニーから落下していった。器用に跳ねて竜より降りたレベッカへと、クルスが心底からの称賛の言葉を投げ掛けた。
「流石は十天君だ。今の戦いぶり、竜殺しに相応しいものだった」
「……フン。まだ一頭だ。続けて行くぞ」
「頼もしいな」
束の間、二人は微笑を交わしあった。
しかし、真価を発揮したのはやはり混沌の君とその取り巻きであった。クルスらが一頭の相手をしている間、残りの竜はそれの援護に入ることが叶わなかった。
エデンの幻惑魔法により虚ろの悪魔と相対した竜を、ダグザの棍棒を駆使した混沌の君が次々に打ち据えていった。止めは<幻魔騎士>の一撃で、神具によらない技としては最高峰であろう、極大な威力を秘めた魔法の槍を投擲した。
槍は弱り目となった竜の魔法抵抗を貫通し、その上で頭部に風穴を空けた。一頭があっさり撃墜されると、残りの二頭は首尾を返し城から遠ざかるようにして飛翔した。
竜が撤退した様を見届けるや、スルトは大人しく攻撃を控えた。そして巨人兵たちを伴い後退する姿勢を見せた。
古城の二階突き出し部分は半壊状態となっており、これ以上の防衛が困難と目されていたので、ここでの休戦はクルスらにとって幸運と言えた。
「いやあ……竜にも効くんですね、僕の幻術。ちょっと自信がつきました」
皆が疲労状態からの回復を目指し身体を休めている中、エデンは大して消耗した様子もなく軽口を叩いた。イーノや混沌の君が反応しなかったので言葉はいたずらに流れ、しばらくの間茫然とした空気が漂った。
気付けの柔軟を済ませたクルスが立ち上がると、居合わせる全ての者がその言動に注目した。クルスが語りかけた先は、当然に旧知のイーノ・ドルチェであった。
「イーノ。あんたたちは凍結湖からビフレストを目指すんだったな?竜玉だかいうアイテムを使って転移すると言っていた」
「凍結湖の四柱・竜王の所有する神具が竜玉だ。賢者の石と同じく、大きな魔法力を無限に供給すると見られている。……もっとも、それらを調べていたのはラファエル・ラグナロックだから、話が真実かどうかは知らないがな。自分の目で確かめてみたらどうだ?」
イーノは犬歯をぎらつかせて笑みを浮かべた。昔から、クルスはイーノの人を食ったような態度を苦手としていたが、この段において逃げるつもりはなかった。
「おれはクラナドに上ったが、あそこに答えがあるようには思えん」
「小僧よ。何の答えだ?」
「アケナスの危機を切り抜ける解法さ。あの寂れた空間とくたびれた天使で、四柱や魔神をどうにか出来る姿が想像できない」
「……なら、やりたいようにやればいいさ。お前のすることに興味はない。こっちはこっちで忙しい」
そう言って、イーノは混沌の君に流し目をくれた。彼自身、アケナスを救うに動機は弱く、一つの目的に執心しているだけだったので、クルスが何をしようと関知するところではなかった。
「イーノ。魔神へ対抗するのにセントハイムの力を借りたい。渡りをつけてはくれないか?」
「ただでさえエレノア・ヴァンシュテルンにいたぶられているんだ。セントハイムの騎士団を正面切って動かせば、イオニウムは破裂するぞ」
「それは許されませんね。獣人族の滅亡はイコール、アケナスの終末でもあるのですから」
話に割り込んだのはアンフィスバエナで、両目は閉じられていたが眉の角度が不快を表明していた。
「貴様ら<フォルトリウ>がミスティンに横槍を入れたこと、忘れていないぞ。言っておくが、ここから先は邪魔をするなら闘うまでだ」
クルスはそう断じ、アンフィスバエナに対して敵意を隠さなかった。それを受け、彼の周りに集うゼロやサルマンたちも気を引き締めた。
一方でエストとリーバーマンは抜け目なく、アンフィスバエナの左右を固めるべく動いた。
「ならば、アケナスの滅びを招いても仕方がないと。貴方はそう主張するわけですね?」
「おれは貴様らや天使の発言を頭から信用してはいない。ここまで来たら、そこからはっきりさせてやる。おれたちは豊饒と大地の女神ディアネと接触する」
「女神と……?」
アンフィスバエナは表情に明らかな困惑を浮かべた。そのような発想はなかったと言わんばかりに、顎に指を這わせて口をつぐんだ。
イーノや混沌の君は口に出しては何も言わず、クルスの話すがままを許した。そこには余裕が窺え、クルスの意見に驚く仲間たちや<フォルトリウ>の面々の狼狽を冷やかすかのようであった。
「力を割いていた封印の一部が解かれたのだと仮定して、ディアネ神が少しばかり余裕を取り戻してもおかしくはない。かつて<福音>はその身にディアネの神霊を宿したという。クラナドが実在している以上、遭遇出来ない道理はない」
「……ふむ。今となってはラーマ・フライマの降神を全面的に信ずるのもどうかと思いますがね。ただ、考える向きは悪くない」
「ちょっと待て。ディアネは大地の母たる神であろう?あまねくアケナスを守り、四柱全ての封印に関与しているとされる偉大な存在だ。それが一体、どこで逢えるというのだ?」
気色ばんだリーバーマンの指摘はもっともで、味方である筈のゼロですら、雲を掴むような話だと話半分に聞いていた。
アンフィスバエナやエストもこれという知見を持たず、バルコニーを取り巻く空気がどんよりと重みを増したようにサルマンなどには感じられた。
(女神に会いに行くだって?……これが与太話でないのなら、俺はなんて世界に首を突っ込んじまったんだ)
痺れを切らしたレベッカが話を建設的な方向へ軌道修正しようと意識した矢先に、全ての鍵を握る人物が口を開いた。仮面にくぐもったその声はしかし、その場の誰の耳にも明瞭に内容を届けた。
「魔境の奥。ミーミルの泉の深淵まで赴けば、ディアネ神との邂逅それ自体は叶うであろうな」
***
氷漬けにしてあったリン・ラビオリの遺体を城の裏手に埋葬し、クルスは一人葬送の祈りを贈った。彼のエゴでリンを古城に残していたものだが、ビフレストへの経路が失われた今となっては城自体の重要性はなくなり、何れ遠からず廃れるものと思われた。
(トレジャーハンターや悪魔の目に晒すわけにはいかないからな。……騒がせてすまなかった。どうか安らかに眠ってくれ)
ただ盛り土のされた墓標はあまりに寂しく見えたものだが、人間死ねば土に還るだけだと信じるクルスは、そこを割り切って処置した。
「もういいか?」
「待たせた。それで、イーノ。話とは何だ?」
<フォルトリウ>の面子はイーノを残し、めいめいが目的ごとに散らばった。クルスの仲間たちは古城の入り口付近に待たせてあったので、リンの埋葬されたその場にいるのは旧知の二人だけであった。
「ラファエル・ラグナロックと闘り合ったそうだな。奴は何か言ってこなかったか?サラスヴァティが四柱であるとか、そういった出鱈目なことを」
「……言っていた。奴の腹心である黒刀使いの言葉だが」
「風説の流布ってやつだな」
「イーノ。信じていいんだよな?」
「当たり前だ。サラスヴァティは聖神カナンの転生体なんだからな」
まるで夕飯のおかずは魚だとでも言うが如く、何ら感情を込めずにさらっとイーノは言った。その不意打ちはクルスの思考の全てを奪い去った。
時を置かずにイーノが言葉を紡いだ。
「あいつが大陸各地で慈善行為を重ねていたのは、それが責務と自覚していたからだ。主神の務めを忠実に果たし、世の乱れを末端から正そうとしていた」
「おい……待て。待ってくれ!イーノ、一体何を……」
「魔神がいるんだ。聖神が降臨していて何がおかしい?アケナスの神々は<フィンブルの夜>と呼ばれる天使たちの造反により、強制的に地上へと降ろされた。だがその神格までは滅びず、時代時代に転生体の誕生する構図が出来上がった。そう。ディアネとシュラク以外の主神なら、今も大陸のどこかでのうのうと暮らしているだろうさ。自覚のあるなしは別にしてな」
クルスの膝はがくがくと震え始めたが、それを抑える努力は端から放棄されていた。イーノの話を聞き、もはや平常心を保てはしないとの諦念がクルスを支配していた。
「……それじゃあ、<翼将>一味の言う四柱の転生した姿とは、誰のことだ?」
「ラクシュミ・レインだ」
「なに?……それこそ法螺もいいところだ。おれは彼女とずっと一緒にいたが、邪気など感じたことは一度足りとてない。ましてや四柱のような、神にも匹敵する大魔の力など……」
「小僧、勘違いするな。転生体は化身じゃない。人間として生を受けたなら、心身はあくまで人間のそれだ。神格が宿されているとて、他者より多少丈夫で、頭脳や魔法力に優れるくらいがせいぜいの恩恵だろうさ。サラスヴァティも強かったが、全知全能の神じゃあなかった。そうだな?」
クルスは黙って頷いた。イーノは達観した目付きで先を続けた。
「ラクシュミの正体を掴んだ事実一つをとっても、ラファエル・ラグナロックは超人だった。だがな、サラスヴァティとラクシュミが姉妹だと知られていなければ、それを誤魔化す手段はいくらでもあった。かくて奴等は監視の対象をラクシュミからサラスヴァティに置き換えたってわけだ」
「……ラクシからそんな話は聞いていない。彼女は、自分の素性を知っていたのか?ヴァティは?」
「サラスヴァティは当然知っていた。それがあいつのあいつたる所以だが、カナンの生まれ変わりだと自認して、常に皆の目線から勇者であろうと振る舞っていたわけだ。ラクシュミのことまでは知らん。そもそも転生体があろうが、四柱は能力の全てをディアネに封じられている。あの当時、サラスヴァティは各地の封印を確認して回っていたから間違いない。肉親だからといって容赦をするような話でもない」
「……そうか。ヴァティが聖神カナンで、ラクシュミが四柱の転生体……」
イーノは衝撃を受けているクルスに同情を寄せる風でもなく、淡々と話を続けた。
「魔神ベルゲルミルがラーマ・フライマを寄生先に選んだこと。これが全ての元凶と言っていい。ラーマは人間ながらに頭抜けて高い神格を有していた。そんな奇跡の聖女を素体として最大限に活用し何れ台頭するであろう魔神。それを制するのは難しいとサラスヴァティは判断した。それで俺達はクラナドへ上がった」
「天使に会い、システムの更新が難しいと知ったわけだな」
「違う。サラスヴァティは転生体なれど、カナンの記憶まで継承しているわけではない。そこで知ったのは真なる絶望。<フィンブルの夜>の経緯と、アケナスの非情な宿命だ」




